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第二章
鉢合わせ
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その後、セレニアは私室に戻り机で図鑑を開いた。
私室の机は窓に面しており、視線を上げればきれいな庭が一望できる。結婚してすぐの頃は、ここでお礼状書きに励んだものだと思い出す。あの頃は戸惑いの方が強かったが、今では幸せの方が強い。
「アルフは、この犬種なのね」
犬種が載った図鑑を開きながら、侯爵家で共に生活をしていた犬たちのことを思いだす。……ここでも、犬などと共に生活できないだろうか。ジュードはセレニアに優しいし、もしかしたら許可してくれるかもしれない。
(……ジュード様に、お願いしてみようかしら)
アーヤの滞在を許してくれているのだ。きっと、犬だって許してくれるだろう。
そんなことを思いながら、図鑑をぺらぺらと捲っていく。図鑑にはこの王国にいる犬種だけではなく、他国の犬種まで載っていた。それに心を躍らせながら、セレニアは夢中になって図鑑に目を通していた。
そして、気が付いた頃には昼食の時間になっていて。ルネが「奥様、昼食のお時間でございますよ」と声をかけてくる。
「……もう、そんな時間?」
そう零し時計を見れば、確かにいつも昼食を摂っている時間だった。まさか、自分がこんなにも夢中になって本を読むなんて。そんなことを思いながらも、セレニアは図鑑にしおりを挟み立ちあがる。
ルネを連れて廊下に出れば、掃除メイドと視線があった。そのため、少し笑いかけてみれば彼女は恐縮したように頭をぺこぺこと下げてくる。見たことがない顔なので、もしかしたら最近入ったというメイドかもしれない。
「彼女は、なんという子なの?」
「あの子は先日入ったメイドですね。名前はビアンカです」
セレニアの問いかけにルネは嫌な顔一つせずに教えてくれる。それから、「以前働いていた屋敷では、あまり待遇が良くなかったらしいのです」と眉を下げて続けた。
「なので、貴族に怯えているといいますか……。このお屋敷では奥様も旦那様もお優しいのだと、わかってくれればよろしいのですが」
ルネがそう零すので、セレニアはゆるゆると首を横に振った。その後「それは、時間がかかると思うわ」と言う。
「一度嫌な記憶がこびりついてしまうと、なかなかそれはとれないわ。……トラウマを乗り越えるには、時間が必要なのよ」
そんな風に告げれば、ルネは「……奥様」と驚いたように声を上げる。……もしかして、主張しすぎただろうか? 一線を引かないでほしいと言われたのでそうしているつもりだが、もしかしたら図々しかったのかもしれない。
「ご、ごめんな――」
「――そこまであの子のことを考えてくださっているのですね!」
しかし、ルネの発した言葉はセレニアの想像している言葉とは全く違った。
「私ども使用人は奥様のような方のおそばで働けて、とても幸せでございます」
「……そ、そこまで?」
「えぇ、そうでございますよ」
ニコニコと笑って手放しでほめられると、なんというかむず痒い。そう思い視線を逸らすものの、頬が熱くてどうしようもない感情が湧き上がってくる。
(……こういう風に言ってもらえて、嬉しいのよね)
そして、そう思った。
ルネたち使用人は何かがあればセレニアのことを褒めてくれる。それはきっとセレニア自身の自己肯定感を強めるため。それはわかっている。けれど、やはり――褒められるというのは、嬉しい。
それから、しばしルネと他愛もない話をしながら食堂を目指す。どうやらジュードはまだ帰ってきていないらしい。それに仄かに落胆してしまうが、ジュードだって忙しい身なのだ。いつもいつもセレニアに構っていることなど出来やしない。
(それに、本日は夕食は一緒だものね)
セザールが来るから早くに帰ってくる。セザールのことは苦手だが、そういう点では彼に感謝をしなければならないかもしれない。そんなことを、思っていた時だった。
「あ、奥様」
不意に聞きなれた声が、セレニアの耳に届いた。その声に身を固くし、縮こまっていればルネがセレニアのことを隠すように立ちはだかる。その視線の先に居るのは――予想通りというべきかセザールだった。
「セザール様。お引き取り願えますか?」
ルネが敵意を隠さない声でそう告げる。それに対し、セザールは「……僕のこと、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」と肩をすくめながら言う。
「僕は無害だよ。こんなに優しい男、僕かジュードしかいないよ?」
「旦那様とセザール様を一緒にするわけにはいきません!」
「……それは僕が優しくないっていうこと? ひどいなぁ。奥様は、どう思う?」
いきなり話を振られ、セレニアは目を回す。しかし、答えないともっと追及されてしまいそうだ。そう思うからこそ、セレニアはルネの身体に隠れながら「……ジュード様の方が、お優しいです」と今にも消え入りそうなほど小さな声で意思を告げる。
「……ねぇ、この家の人間僕に冷たくない?」
セレニアのその言葉を聞いてか、セザールはため息交じりにそう告げる。だからだろうか、ルネは「不審者予備軍ですから」と淡々と答えていた。
私室の机は窓に面しており、視線を上げればきれいな庭が一望できる。結婚してすぐの頃は、ここでお礼状書きに励んだものだと思い出す。あの頃は戸惑いの方が強かったが、今では幸せの方が強い。
「アルフは、この犬種なのね」
犬種が載った図鑑を開きながら、侯爵家で共に生活をしていた犬たちのことを思いだす。……ここでも、犬などと共に生活できないだろうか。ジュードはセレニアに優しいし、もしかしたら許可してくれるかもしれない。
(……ジュード様に、お願いしてみようかしら)
アーヤの滞在を許してくれているのだ。きっと、犬だって許してくれるだろう。
そんなことを思いながら、図鑑をぺらぺらと捲っていく。図鑑にはこの王国にいる犬種だけではなく、他国の犬種まで載っていた。それに心を躍らせながら、セレニアは夢中になって図鑑に目を通していた。
そして、気が付いた頃には昼食の時間になっていて。ルネが「奥様、昼食のお時間でございますよ」と声をかけてくる。
「……もう、そんな時間?」
そう零し時計を見れば、確かにいつも昼食を摂っている時間だった。まさか、自分がこんなにも夢中になって本を読むなんて。そんなことを思いながらも、セレニアは図鑑にしおりを挟み立ちあがる。
ルネを連れて廊下に出れば、掃除メイドと視線があった。そのため、少し笑いかけてみれば彼女は恐縮したように頭をぺこぺこと下げてくる。見たことがない顔なので、もしかしたら最近入ったというメイドかもしれない。
「彼女は、なんという子なの?」
「あの子は先日入ったメイドですね。名前はビアンカです」
セレニアの問いかけにルネは嫌な顔一つせずに教えてくれる。それから、「以前働いていた屋敷では、あまり待遇が良くなかったらしいのです」と眉を下げて続けた。
「なので、貴族に怯えているといいますか……。このお屋敷では奥様も旦那様もお優しいのだと、わかってくれればよろしいのですが」
ルネがそう零すので、セレニアはゆるゆると首を横に振った。その後「それは、時間がかかると思うわ」と言う。
「一度嫌な記憶がこびりついてしまうと、なかなかそれはとれないわ。……トラウマを乗り越えるには、時間が必要なのよ」
そんな風に告げれば、ルネは「……奥様」と驚いたように声を上げる。……もしかして、主張しすぎただろうか? 一線を引かないでほしいと言われたのでそうしているつもりだが、もしかしたら図々しかったのかもしれない。
「ご、ごめんな――」
「――そこまであの子のことを考えてくださっているのですね!」
しかし、ルネの発した言葉はセレニアの想像している言葉とは全く違った。
「私ども使用人は奥様のような方のおそばで働けて、とても幸せでございます」
「……そ、そこまで?」
「えぇ、そうでございますよ」
ニコニコと笑って手放しでほめられると、なんというかむず痒い。そう思い視線を逸らすものの、頬が熱くてどうしようもない感情が湧き上がってくる。
(……こういう風に言ってもらえて、嬉しいのよね)
そして、そう思った。
ルネたち使用人は何かがあればセレニアのことを褒めてくれる。それはきっとセレニア自身の自己肯定感を強めるため。それはわかっている。けれど、やはり――褒められるというのは、嬉しい。
それから、しばしルネと他愛もない話をしながら食堂を目指す。どうやらジュードはまだ帰ってきていないらしい。それに仄かに落胆してしまうが、ジュードだって忙しい身なのだ。いつもいつもセレニアに構っていることなど出来やしない。
(それに、本日は夕食は一緒だものね)
セザールが来るから早くに帰ってくる。セザールのことは苦手だが、そういう点では彼に感謝をしなければならないかもしれない。そんなことを、思っていた時だった。
「あ、奥様」
不意に聞きなれた声が、セレニアの耳に届いた。その声に身を固くし、縮こまっていればルネがセレニアのことを隠すように立ちはだかる。その視線の先に居るのは――予想通りというべきかセザールだった。
「セザール様。お引き取り願えますか?」
ルネが敵意を隠さない声でそう告げる。それに対し、セザールは「……僕のこと、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」と肩をすくめながら言う。
「僕は無害だよ。こんなに優しい男、僕かジュードしかいないよ?」
「旦那様とセザール様を一緒にするわけにはいきません!」
「……それは僕が優しくないっていうこと? ひどいなぁ。奥様は、どう思う?」
いきなり話を振られ、セレニアは目を回す。しかし、答えないともっと追及されてしまいそうだ。そう思うからこそ、セレニアはルネの身体に隠れながら「……ジュード様の方が、お優しいです」と今にも消え入りそうなほど小さな声で意思を告げる。
「……ねぇ、この家の人間僕に冷たくない?」
セレニアのその言葉を聞いてか、セザールはため息交じりにそう告げる。だからだろうか、ルネは「不審者予備軍ですから」と淡々と答えていた。
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