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第二章
案外快適な暮らしです
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それからのマーガレットの生活は思いのほか快適だった。
オルブルヒ公爵家の女主人として屋敷を取り仕切り、時折やってくる来客に応対する。とはいっても、ここを訪れる客人などたかがしれている。それに、二回に一度はジークハルトなのだ。別段緊張する必要もない。
もちろん、クローヴィスとの間に身体の関係はない。世にいう白い関係だ。が、マーガレットはそれで構わなかった。そもそも、彼が男色家だと思って嫁いできたのである。それくらいで挫けるようなやわな精神は生憎持ち合わせていない。
「奥様。……こちら、いかがいたしましょうか?」
この日、マーガレットは朝から張り切って部屋の模様替えに取り組んでいた。というのも、どうにもこのオルブルヒ公爵家の応接間は季節に合わせて模様替えをするらしい。今は丁度季節が変わる前ということもあり、マーガレットのセンスに合わせて大々的な模様替えが行われていた。
「……しかしまぁ、奥様はセンスがようございますね」
ニコニコと笑って屋敷の執事であるマヌエルがそう声をかけてくる。それに鼻高々になりそうになるものの、そこをぐっとこらえマーガレットは「当然だわ」と言う。
しかし、実際ほめられたことは嬉しいことだ。そのためかちらりとマヌエルに視線を向ければ、彼は温かい目をマーガレットに向けていた。……なんとなく、不本意だ。
「旦那様が帰ってこられましたら、一度見ていただきたいわね」
ゆるゆると首を横に振りながらマーガレットがそう言えば、いつの間にか側に来ていたジビレが「……そうですね」と小さく返事をくれる。だからこそ、マーガレットは「旦那様、どういう反応をされるかしら?」と呟きながらくすくすと笑う。
結婚してから一ヶ月が過ぎた頃から、マーガレットはクローヴィスのことを「旦那様」と呼ぶようになった。というのも、クローヴィスが「名前呼びは嫌だ」と言ってきたのだ。その言葉の真意は確かではないものの、大方少しでも仲睦まじく見てほしいのだろう。……契約結婚などと、思われたくないのかもしれない。
(まぁ、旦那様には男色家と言ううわさがあったから、私は妬まれずに済んでいるけれどね)
少し肩を落としながらそう零せば、どたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。
この足音は女性のものだ。いろいろな要素から憶測するに……侍女頭のフローラだろうか。
けれど、彼女はいつだって優雅に歩く。こんな風にどたどたと足音を立てて走るような人ではない。そう、マーガレットが思っていた時だった。
「マヌエルさん!」
応接間の扉が慌ただしく開き、フローラが顔を見せた。彼女の額には大粒の汗が浮かび出ており、何か重大なことがあったのだとマーガレットも判断する。
「フローラ。……一体、どうしたの?」
自分が聞いてもいい話なのかは分からない。そう思いながらも、一応聞く権利はあるはずだ。そんな意味を込めて彼女の方に近づけば、フローラは「あぁ、奥様、こちらにいらっしゃったのですね……!」と言いながらほっと息を吐く。
「実は……旦那様がお帰りになったのですが」
それは、これっぽっちも焦る要素がないじゃないか。ここはクローヴィスの屋敷であり、彼が主人なのだから。そんな風に思ってマーガレットが顔を顰めていれば、フローラは「旦那様、何処となく具合が悪いようでして……」と言う。
「そうですか。では、至急侍医を呼んでください。旦那様は私室に運ばれて……」
マヌエルとフローラのその会話を聞きながら、マーガレットはぼんやりとしてしまう。
今日はとある伯爵家でのパーティーに出るのだとクローヴィスは言っていた。そこはパートナー同伴ではないため、マーガレットのことは置いていくと。
そして、朝見送ったとき彼はとても元気だった。いつものようなにこやかな笑みを浮かべ、「行ってくるね」と言葉をくれたくらいなのだ。
(……何となく、嫌な予感がするわ)
直感だけで動くのは愚かな行動かもしれない。わかっているのだけれど……マーガレットはクローヴィスのことを放っておけなかった。理由など簡単だ。自分が彼の妻だから。それがたとえ契約上のものだったとしても、マーガレットは彼と結婚している。……夫の体調が悪い場合、看病をするのが妻の役割だろう。
「フローラ。……私も、ついて行ってもいいかしら?」
侍医を呼ぼうと踵を返すフローラに対し、マーガレットはそう声をかけた。すると、彼女は一瞬だけ目を大きく見開くものの、こくんと首を縦に振る。そのため、マーガレットはゆっくりと歩を進めた。
「奥様!」
「大丈夫よ、マヌエル。……少し、様子を見るだけだから」
何処となく心配そうに自分のことを呼ぶマヌエルに対し、マーガレットは肩をすくめながらそう言った。
……まぁ、実際様子を見るだけでは済まないかもしれないが。内心ではそう思うものの、ここでそんなことを言ってしまえば余計に引き留められる。
それがわかるからこそ、マーガレットはそれだけを告げてフローラに続くことにした。
オルブルヒ公爵家の女主人として屋敷を取り仕切り、時折やってくる来客に応対する。とはいっても、ここを訪れる客人などたかがしれている。それに、二回に一度はジークハルトなのだ。別段緊張する必要もない。
もちろん、クローヴィスとの間に身体の関係はない。世にいう白い関係だ。が、マーガレットはそれで構わなかった。そもそも、彼が男色家だと思って嫁いできたのである。それくらいで挫けるようなやわな精神は生憎持ち合わせていない。
「奥様。……こちら、いかがいたしましょうか?」
この日、マーガレットは朝から張り切って部屋の模様替えに取り組んでいた。というのも、どうにもこのオルブルヒ公爵家の応接間は季節に合わせて模様替えをするらしい。今は丁度季節が変わる前ということもあり、マーガレットのセンスに合わせて大々的な模様替えが行われていた。
「……しかしまぁ、奥様はセンスがようございますね」
ニコニコと笑って屋敷の執事であるマヌエルがそう声をかけてくる。それに鼻高々になりそうになるものの、そこをぐっとこらえマーガレットは「当然だわ」と言う。
しかし、実際ほめられたことは嬉しいことだ。そのためかちらりとマヌエルに視線を向ければ、彼は温かい目をマーガレットに向けていた。……なんとなく、不本意だ。
「旦那様が帰ってこられましたら、一度見ていただきたいわね」
ゆるゆると首を横に振りながらマーガレットがそう言えば、いつの間にか側に来ていたジビレが「……そうですね」と小さく返事をくれる。だからこそ、マーガレットは「旦那様、どういう反応をされるかしら?」と呟きながらくすくすと笑う。
結婚してから一ヶ月が過ぎた頃から、マーガレットはクローヴィスのことを「旦那様」と呼ぶようになった。というのも、クローヴィスが「名前呼びは嫌だ」と言ってきたのだ。その言葉の真意は確かではないものの、大方少しでも仲睦まじく見てほしいのだろう。……契約結婚などと、思われたくないのかもしれない。
(まぁ、旦那様には男色家と言ううわさがあったから、私は妬まれずに済んでいるけれどね)
少し肩を落としながらそう零せば、どたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。
この足音は女性のものだ。いろいろな要素から憶測するに……侍女頭のフローラだろうか。
けれど、彼女はいつだって優雅に歩く。こんな風にどたどたと足音を立てて走るような人ではない。そう、マーガレットが思っていた時だった。
「マヌエルさん!」
応接間の扉が慌ただしく開き、フローラが顔を見せた。彼女の額には大粒の汗が浮かび出ており、何か重大なことがあったのだとマーガレットも判断する。
「フローラ。……一体、どうしたの?」
自分が聞いてもいい話なのかは分からない。そう思いながらも、一応聞く権利はあるはずだ。そんな意味を込めて彼女の方に近づけば、フローラは「あぁ、奥様、こちらにいらっしゃったのですね……!」と言いながらほっと息を吐く。
「実は……旦那様がお帰りになったのですが」
それは、これっぽっちも焦る要素がないじゃないか。ここはクローヴィスの屋敷であり、彼が主人なのだから。そんな風に思ってマーガレットが顔を顰めていれば、フローラは「旦那様、何処となく具合が悪いようでして……」と言う。
「そうですか。では、至急侍医を呼んでください。旦那様は私室に運ばれて……」
マヌエルとフローラのその会話を聞きながら、マーガレットはぼんやりとしてしまう。
今日はとある伯爵家でのパーティーに出るのだとクローヴィスは言っていた。そこはパートナー同伴ではないため、マーガレットのことは置いていくと。
そして、朝見送ったとき彼はとても元気だった。いつものようなにこやかな笑みを浮かべ、「行ってくるね」と言葉をくれたくらいなのだ。
(……何となく、嫌な予感がするわ)
直感だけで動くのは愚かな行動かもしれない。わかっているのだけれど……マーガレットはクローヴィスのことを放っておけなかった。理由など簡単だ。自分が彼の妻だから。それがたとえ契約上のものだったとしても、マーガレットは彼と結婚している。……夫の体調が悪い場合、看病をするのが妻の役割だろう。
「フローラ。……私も、ついて行ってもいいかしら?」
侍医を呼ぼうと踵を返すフローラに対し、マーガレットはそう声をかけた。すると、彼女は一瞬だけ目を大きく見開くものの、こくんと首を縦に振る。そのため、マーガレットはゆっくりと歩を進めた。
「奥様!」
「大丈夫よ、マヌエル。……少し、様子を見るだけだから」
何処となく心配そうに自分のことを呼ぶマヌエルに対し、マーガレットは肩をすくめながらそう言った。
……まぁ、実際様子を見るだけでは済まないかもしれないが。内心ではそう思うものの、ここでそんなことを言ってしまえば余計に引き留められる。
それがわかるからこそ、マーガレットはそれだけを告げてフローラに続くことにした。
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