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第一章

マーガレット・アストラガルス

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 かつかつと大きな足音が屋敷の中に響き渡る。

 ボロボロの扉を無理やりこじ開け、この子爵家の娘であるマーガレットは父の執務室に怒りの面持ちで足を踏み入れた。

「お父様ー!」

 叫ぶように父のことを呼べば、父――アードルフは露骨に耳をふさぐ。その目にはわずらわしさではなく怯えが色濃く宿っており、彼は背中を丸めてマーガレットから逃げようとする。

 しかし、そんなアードルフの肩を乱暴につかみ、マーガレットは「また、詐欺に引っ掛かられたのですね⁉」と詰め寄る。

「だ、だってぇ……」
「だってぇもくそったれもありませんわ。……この子爵家の財政状況をわかったうえで投資詐欺に引っ掛かるなど、バカのやることです」

 肩をすくめながら、マーガレットは自身の手元にある借用書を見つめる。その金額、庶民の給金の約三年分。全く、これではこのまま生活することさえ危ういじゃないか。そう思いマーガレットがため息をつけば、アードルフは「だってぇ……」と意を決したように告げる。

「我がアストラガルス子爵家は貧乏じゃないか。貴族が成り上がるためには、それこそ金かコネが……」
「生活費を詐欺に突っ込んだ愚かなお父様が何をおっしゃっても無駄ですわ」

 プイっと顔を背け、マーガレットはアードルフに「こちら、何とかなさってくださいせ」と言い借用書を突きつける。

 そうすれば、アードルフは「た、助けてくれぇ……!」とマーガレットに縋る。全く、娘に縋るなどプライドなどないのか。内心でそう思い舌打ちしそうになるのを我慢しながら、マーガレットは「いいですか?」といったん前置きをする。

「このままですと、我がアストラガルス子爵家は没落、または夜逃げの二択を迫られてしまいます」
「……えぇっ」
「むしろ、もうすでにその状態に片足どころか首まで突っ込んでおります」

 ゆるゆると首を横に振りながらマーガレットはそう言う。そうすれば、アードルフは「な、なんとか、何とかしなくちゃ……!」と言いながら慌てふためく。

 アードルフのその姿を見つめながら、マーガレットはため息をつく。

 マーガレットは物心ついたころからわかったのだが、どうにもこのアードルフには貴族としての才がないらしい。代々貧乏子爵家ではあったものの、マーガレットの幼い頃はまだここまでではなかった。

 状態が悪化したのは……マーガレットの母が亡くなったことが原因だ。

 マーガレットの母は気弱で詐欺に引っ掛かりやすいアードルフの手綱をしっかりと握り、彼が変な行動を取らないようにと監視してきた。そのため、まだ当時はマシだったのだ。

 しかし、マーガレットの母はマーガレットの弟を産んだ後の状態が良くなく、そのまま儚くなってしまった。彼女は最後の最後に「あの人は……ダメ、だから」とマーガレットに呟いたのをよく覚えている。

(お母様にお父様のことを任されたとはいえ、この状態が続くのならばいっそ夜逃げした方が楽だわ)

 内心でそう思い悪態をついていれば、アードルフは「どうしよう、どうしよう……」と言いながら狼狽える。

 だが、それからすぐ後に「あっ!」と零して手をパンっとたたいた。……あぁ、何となく嫌な予感がする。そう思いマーガレットが顔をしかめれば、彼は「マーガレットが良いところに嫁げばいいんだよ!」と言って表情を明るくしマーガレットに詰め寄ってくる。

「実は数日後にトマミュラー侯爵家で舞踏会が開かれるんだ。そこに……招待されていてねぇ」
「……こんな貧乏貴族の元に招待状が?」
「……そういう言葉は慎んでくれないかい?」

 アードルフは少しがっかりとしたような表情を一瞬だけ浮かべるものの、すぐに「それでだね」と続ける。

「そこでマーガレットにいい男を捕まえてもらえばいいんだよ!」

 ……やっぱり、ろくなことじゃなかった。

 そう思いその端正な顔を露骨に歪めるマーガレットに対し、アードルフは「頼む、本当に頼むんだ!」と言いながらまた縋ってくる。

「マーガレットの言う通り、このままだとうちは夜逃げか没落だ。先祖代々続いたこの家を私の代で絶やすわけにはいかないだろう?」

 その原因は一体どこの誰が作ってきたんだ。そういう意味を視線に込めてアードルフを見つめれば、彼は「……ははは」と言いながら渇いたような笑いを零す。

「お、お前だって、弟が可愛いだろう? あの子が苦労するようなことは、あってはならないだろう……?」
「……原因を作ったのはお父様ですけれどね」

 冷たい目でアードルフを見つめそう言えば、彼は「ま、まぁまぁ!」と言ってマーガレットの肩を力いっぱいつかんでくる。

「頑張っていい男を捕まえてきてくれ!」

 アードルフが満面の笑みでそう繰り返す。だからこそ、マーガレットは天井を見上げた。そこには雨漏りの跡があり、「あぁ、屋敷もついにがたついてきたのかぁ」と内心で思う。それはいわば、現実逃避の一種だった。
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