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第1部 第1章

従者の過去 3

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「気分でも、悪いのか?」

 俯き続ける僕に、その人は続けてそう声をかけてきた。

 ……なにも言えない。ただ、その人の衣服が豪奢なことだけは、わかる。僕とは、全然違う。

「もしも気分が悪いのならば、医務室まで送り届けるが……」

 その人が、僕の手首をつかんだ。視界に入ったその人の指は恐ろしいほどに美しい。爪先まで整えられていて、自然とぼうっと見惚れてしまった。

 ……そういえば、上司がなにも言わない。この人は、自分の話の最中に横やりを入れられることをなによりも嫌うのに……。

「悪いが、この者を預かってもいいだろうか? やはり、体調がすぐれないようだ」
「は、はい!」

 返事をした上司の声が、露骨に震えていた。

 ……どうして、声が震えているのだろうか?

(もしかして、身分が高い人……?)

 そうだったとすれば。僕は、どんな無礼を働いているのだろうか。

 僕に付き合って、その場にしゃがみ込ませてしまった。挙句、僕みたいな人間の手首をつかんで……。

「行こうか」

 そう声をかけられて、僕は恐る恐る顔を上げた。

 そして、そこにいたのは――恐ろしいほどに整った、美しい顔の男性。

 彼はふわりと笑いかけてくれる。僕みたいな、日陰の存在にも。

(きらきらと、している……)

 語彙力もない感想だった。けど、このお人のこと、何処かで見たことがあるような気がする。

 彼のさらっとした白銀色の髪も、おっとりとして見えるはちみつ色の目も。どこかで、見た覚えがあって……。

「る、ルドルフ! お前、王太子殿下に無礼なことはするんじゃないぞ……!」

 上司が、僕のもとに寄ってきてそう耳打ちした。

 ……王太子、殿下。

「……どうしたんだい?」

 美しい人が、そう問いかけてくる。あ、あ、あっ!

(このお人、王太子であられる、セラフィン殿下だ……!)

 現王妃殿下の唯一のお子で、まるで宝石のような見た目をしていると有名な、セラフィン殿下。

 国王陛下の第二子という立場ではあるというものの、王太子の立場に就いている。

 それは、王妃殿下のお子ということ。あとは、側室のお子である第一王子殿下が不祥事を起こし、王位継承権を取り上げられたから。

 ……まぁ、ここら辺はいろいろとあるらしいのだけれど。

「……もしかして、熱でもあるのか? 歩けないのだったら、俺が抱っこして……」
「い、いえいえいえ! そんな、滅相もないです!」

 あまりにも彼に甘えていたら、絶対に僕は不敬罪で処罰されてしまうだろう。それは、容易に想像ができる。

 だから、僕はぶんぶんと首を横に振る。そもそも、王太子殿下に医務室に連れて行っていただくなんて、恐れ多いことこの上ない。

「そ、それに、僕は大丈夫です。……その、元気、ですから」

 そうだ。僕は単に職を失いそうになっていて、今後のことを憂いでいるだけだ。

 こんなネガティブで根暗で、地味顔の男に待っている、地獄のような未来を憂いでいるだけだ。

「しかし、顔色が悪い。……遠慮しないでくれ。俺は、キミに悪くはしない」

 セラフィン殿下が、ぐっとご自身のお顔を近づけてこられて、囁くようにそうおっしゃった。ひぇっ、美形って怖い……!

「で、でででで、でも! 不敬ですし……」

 じりじりと後ずさって、セラフィン殿下から逃げようとする。上司は、いつの間にか姿を消していた。

 ……この後、彼を捜してもう一度縋る元気はない。もう、僕はこの仕事を辞めるしかない。……そう、覚悟した。

「言っておくが、ここで俺から離れて、何処かで倒れられたほうが困るんだ。王城に仕えてくれている使用人の健康は、大切だ」

 なんだろうか。このお人、本当にお優しいというか。……僕が今まで会ったことがないような性格のお人だった。

 だて、僕の周りにいた人間は、みんな僕を馬鹿にするような人ばかりだったし……。

「というわけだ。行こうか」
「……あ、はい」

 ここまで言われたら、断るなんてことできなかった。

 僕は長い前髪の隙間から、彼の目を見る。宝石のように美しい目は、僕を射抜いている。

「そうだ。キミの名前を聞かせてくれ。俺はセラフィン・ハルツェンだ」

 いい笑みを浮かべて、セラフィン殿下がそうおっしゃる。……僕は、震える唇を頑張って開く。

「ルドルフ、です」

 家名は名乗らなかった。いや、違う。名乗れなかった。

 僕はもうあの家と関係ないのだ。あの家を、追い出されているのだ。家名なんて名乗る資格はない。

「そうか。ルドルフ、か。……いい名前だ」

 さも当然のようにそうおっしゃるセラフィン殿下に、心臓がぎゅっとつかまれたような感覚に陥る。

 これは、ときめき……なの、かもしれない。

「じゃあ、行くぞ。いつでも抱きかかえることはできるから、遠慮なくいってくれ」
「……はい」

 ここで強く拒否すれば、セラフィン殿下は遠慮していると受け取って、納得してくださらないだろう。

 僕はそう思って、こくんと首を縦に振った。
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