3 / 12
第1部 第1章 『ラウル』
③
しおりを挟む
(けれど、期待しすぎるのもよくないよね……)
膨らんでいく期待を自らすぼめるように、男は自分にそう言い聞かせる。冷たい果実水で喉を潤し、冷静になろうとする。
その間、彼は男の顔をじっと見つめていた。若干反応に困ってしまうのは仕方のないことだろう。
(そういえば、僕はどういう顔をしているんだろうか)
彼の顔を見ていると、無性に自らの顔が気になった。
自然と顔に手の平を当てて、ペタペタと触ってみる。
人間の顔であるということ、さらには治療の痕があることくらいしかわからない。男の顔のいたるところにガーゼが貼ってあるようだ。
「お前、なにをしているんだ」
彼が呆れの色を宿した声で話しかけてくる。
どう答えようかと少し迷って、男は苦笑を浮かべて口を開く。
「いえ、僕ってどんな顔をしているんだろう――って、思ったんです」
男の言葉を聞いた彼は、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべる。
その後、考え込むような素振りを見せた。真剣な面持ちを見ていると、この状況下なのに男の胸が高鳴る。それほどまでに、彼は美しいのだ。
「間違いだったら、悪いんだが。お前、もしかして記憶がないのか?」
怪訝そうな表情で彼が問いかける。
瞬間、男はどう答えればいいかまた迷うことになる。彷徨う視線と、はくはくと動く唇。
男の仕草は彼からすれば十分な回答だったようだ。一人で納得したようなそぶりを見せる。
「記憶喪失か」
彼は額に手を当て、項垂れるようにぼやく。
耳をすませば、彼は「面倒だな」や「厄介じゃねぇか」ともつぶやいていた。
(……歓迎されていないよね)
彼の態度を見ていると、そう思うのはある意味当然だ。
(というかこの態度を見ると、この人は僕を知らないのかな?)
男の頭に突然そんな考えが思い浮ぶ。
(だって、そうじゃないか。僕のことを知っているのならば、こんな態度はとらない)
つまり、彼は見ず知らずの男を助けたということだ。どれだけ感謝しても、足りない。
「その、助けていただいたのならば、ありがとうございます」
男はぺこりと頭を下げてお礼を述べる。いつの間にか男の頭と心は落ち着いており、涙も止まっていた。
もちろん、完全に落ち着いているとはいえない。戸惑う気持ちも消え去ったわけではないが。
「ま、そういうことだな。というか、助けたというよりは拾ったというほうが正しいんだが」
「拾った?」
まるで犬猫のようなたとえだ。まさかではあるが、自身は誰かに捨てられていたのか?
「郊外の川の側で水浸しで倒れてたんだよ」
どうやら捨てられていたわけではないらしい。
「正直放っておきたかったよ。ただ、放っておいてそれを後悔するのが嫌だった。それだけだ」
当然だとでもいうように、彼は淡々と言葉を紡ぐ。自分が後悔しないためだったとしても、きっと簡単に行動に移せるものではない。
彼は優しいと男の直感が告げた。もちろん、その直感があてになるとは限らない。
「で、お前のことを聞こうと思ったんだが。記憶がないなら、どうにもできそうにないな」
「そう、ですね」
「とりあえず覚えていることはあるか?」
一応とばかりに問いかけられ、男は記憶を思い起こそうとする。
覚えていること。唸りつつ考えるが、やはりなにも浮かばない。
ふるふると首を横に振ると、彼は困ったようにため息をついた。
「名前と生年月日」
「覚えて、ないです」
「出身地」
「……わかんないです」
問いかけに答えられないという真実が、男の心をグサグサに傷つけている。
優しいこの人を困らせてしまっている――という状況が、男にとっては申し訳なくてたまらない。
身を縮める男を見て、彼が「あー」と声を上げた。
「……こういう厄介ごとを取りまとめてくれる組織は、存在するんだが」
男の声に宿る感情は『忌々しい』というものだろうか。もしかしたら、この男はその組織にいい印象を抱いていないのかもしれない。
「俺はアイツらが嫌いだからな。行くならひとりで行け……って、この状態で放り出すのも出来そうにない」
いろいろと考えてくれているのが、伝わってくる。
(この人は本当に優しいんだ)
胸の奥底からじぃんと感動が湧き上がってきた。無意識のうちにぎゅっと胸の前で手を握る。
「とりあえず、怪我が治るまではここにいろ」
「――え」
だが、彼がさも当然のように紡いだ言葉に驚いた。
厄介者を、側に置くというのだろうか?
「でも、迷惑に」
「そうだな。迷惑だ」
彼は男の言葉を否定することはなく、すぐに認める。彼の目は嘘など言っているようには見えない。
「ただ、このまま放りだして野垂れ死なれるのが一番迷惑なんだよ」
「えっと」
「お前が今やることは、そのけがを治すこと。正直、よく生きてたよなって感じだったよ」
呆れたように彼が言葉を紡ぐ。
まさか、そこまで言われるような大けがを負っていたなど、男は想像もできなかった。
(あんまり、実感ないなぁ……)
痛みもないように綺麗に治療をされているためだろうか。辛さはあまり感じない。
大けがだなんて言われても男には信じられなかった。
膨らんでいく期待を自らすぼめるように、男は自分にそう言い聞かせる。冷たい果実水で喉を潤し、冷静になろうとする。
その間、彼は男の顔をじっと見つめていた。若干反応に困ってしまうのは仕方のないことだろう。
(そういえば、僕はどういう顔をしているんだろうか)
彼の顔を見ていると、無性に自らの顔が気になった。
自然と顔に手の平を当てて、ペタペタと触ってみる。
人間の顔であるということ、さらには治療の痕があることくらいしかわからない。男の顔のいたるところにガーゼが貼ってあるようだ。
「お前、なにをしているんだ」
彼が呆れの色を宿した声で話しかけてくる。
どう答えようかと少し迷って、男は苦笑を浮かべて口を開く。
「いえ、僕ってどんな顔をしているんだろう――って、思ったんです」
男の言葉を聞いた彼は、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべる。
その後、考え込むような素振りを見せた。真剣な面持ちを見ていると、この状況下なのに男の胸が高鳴る。それほどまでに、彼は美しいのだ。
「間違いだったら、悪いんだが。お前、もしかして記憶がないのか?」
怪訝そうな表情で彼が問いかける。
瞬間、男はどう答えればいいかまた迷うことになる。彷徨う視線と、はくはくと動く唇。
男の仕草は彼からすれば十分な回答だったようだ。一人で納得したようなそぶりを見せる。
「記憶喪失か」
彼は額に手を当て、項垂れるようにぼやく。
耳をすませば、彼は「面倒だな」や「厄介じゃねぇか」ともつぶやいていた。
(……歓迎されていないよね)
彼の態度を見ていると、そう思うのはある意味当然だ。
(というかこの態度を見ると、この人は僕を知らないのかな?)
男の頭に突然そんな考えが思い浮ぶ。
(だって、そうじゃないか。僕のことを知っているのならば、こんな態度はとらない)
つまり、彼は見ず知らずの男を助けたということだ。どれだけ感謝しても、足りない。
「その、助けていただいたのならば、ありがとうございます」
男はぺこりと頭を下げてお礼を述べる。いつの間にか男の頭と心は落ち着いており、涙も止まっていた。
もちろん、完全に落ち着いているとはいえない。戸惑う気持ちも消え去ったわけではないが。
「ま、そういうことだな。というか、助けたというよりは拾ったというほうが正しいんだが」
「拾った?」
まるで犬猫のようなたとえだ。まさかではあるが、自身は誰かに捨てられていたのか?
「郊外の川の側で水浸しで倒れてたんだよ」
どうやら捨てられていたわけではないらしい。
「正直放っておきたかったよ。ただ、放っておいてそれを後悔するのが嫌だった。それだけだ」
当然だとでもいうように、彼は淡々と言葉を紡ぐ。自分が後悔しないためだったとしても、きっと簡単に行動に移せるものではない。
彼は優しいと男の直感が告げた。もちろん、その直感があてになるとは限らない。
「で、お前のことを聞こうと思ったんだが。記憶がないなら、どうにもできそうにないな」
「そう、ですね」
「とりあえず覚えていることはあるか?」
一応とばかりに問いかけられ、男は記憶を思い起こそうとする。
覚えていること。唸りつつ考えるが、やはりなにも浮かばない。
ふるふると首を横に振ると、彼は困ったようにため息をついた。
「名前と生年月日」
「覚えて、ないです」
「出身地」
「……わかんないです」
問いかけに答えられないという真実が、男の心をグサグサに傷つけている。
優しいこの人を困らせてしまっている――という状況が、男にとっては申し訳なくてたまらない。
身を縮める男を見て、彼が「あー」と声を上げた。
「……こういう厄介ごとを取りまとめてくれる組織は、存在するんだが」
男の声に宿る感情は『忌々しい』というものだろうか。もしかしたら、この男はその組織にいい印象を抱いていないのかもしれない。
「俺はアイツらが嫌いだからな。行くならひとりで行け……って、この状態で放り出すのも出来そうにない」
いろいろと考えてくれているのが、伝わってくる。
(この人は本当に優しいんだ)
胸の奥底からじぃんと感動が湧き上がってきた。無意識のうちにぎゅっと胸の前で手を握る。
「とりあえず、怪我が治るまではここにいろ」
「――え」
だが、彼がさも当然のように紡いだ言葉に驚いた。
厄介者を、側に置くというのだろうか?
「でも、迷惑に」
「そうだな。迷惑だ」
彼は男の言葉を否定することはなく、すぐに認める。彼の目は嘘など言っているようには見えない。
「ただ、このまま放りだして野垂れ死なれるのが一番迷惑なんだよ」
「えっと」
「お前が今やることは、そのけがを治すこと。正直、よく生きてたよなって感じだったよ」
呆れたように彼が言葉を紡ぐ。
まさか、そこまで言われるような大けがを負っていたなど、男は想像もできなかった。
(あんまり、実感ないなぁ……)
痛みもないように綺麗に治療をされているためだろうか。辛さはあまり感じない。
大けがだなんて言われても男には信じられなかった。
3
お気に入りに追加
119
あなたにおすすめの小説

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

捨て猫はエリート騎士に溺愛される
135
BL
絶賛反抗期中のヤンキーが異世界でエリート騎士に甘やかされて、飼い猫になる話。
目つきの悪い野良猫が飼い猫になって目きゅるんきゅるんの愛される存在になる感じで読んでください。
お話をうまく書けるようになったら続きを書いてみたいなって。
京也は総受け。

ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。


【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる