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上司の財務大臣と、部下である私の秘密の関係。

第6話

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 じっと彼の目を見て、答えを待つ。

 ……けど、どれだけ待っても。彼は答えをくださらなかった。

(あぁ、やっぱり。私は、メイノルドさまにとって、都合のいい女なんだわ)

 所詮は、私は性欲処理だったのだろう。

 ずっと目を逸らしていた。その現実を突きつけられて、はらりと涙が零れる。

「シルケ」

 メイノルドさまが、優しいお声で私の名前を呼ばれる。

 ……そんなお声で、呼ばないで。私はまだ、あなたさまのことを吹っ切れていないのだから。

「もう、やめましょう」

 震える唇が紡いだのは、心にもない言葉だった。

「私、もう閣下と身体を重ねるの……やめます」

 溢れる涙を拭って、自分の気持ちにぴったりな言葉を探す。でも、上手く出てこなくて。

「こんな生産性のない関係、もう耐えられないです。……今まで、よくしてくださってありがとうございました」

 結局、はっきりと言うことしか出来なかった。

 本当はもっとやんわりと告げるつもりだったのに。これじゃあ、面倒な女だ。……彼がきっと、一番嫌いであろうタイプだ。

「その、少し休憩に行ってきますね。……お化粧、落ちちゃいましたから……」

 目元をごしごしとこすって、痛々しいであろう笑みを浮かべて。

 私は、メイノルドさま……いや、閣下の側を離れた。

(これで、よかったのよ)

 彼にはもっと相応しいお人がいる。それは少なくとも、私じゃない。

(私はあなたさまの部下。今までも、これからも)

 側にいるだけで、幸せじゃないか。一時期でも夢を見せてもらって、幸せだったじゃないか。

 うん、そう。そうに決まっている。

(さようなら――メイノルドさま)

 これで、おしまい。

 明日からは、上司と部下の関係に戻る。

 そう心に決めた翌日――私は、体調を崩してお仕事を休む羽目に陥った。

 ◇

 瞼を開ける。まだ少し重い身体を起こして、私は近くにある時計を見る。

 時刻は午後六時。……もうそろそろ、夕飯を食べたほうがいいかもしれない。

(だけど、作るのしんどい……)

 かといって、作り置きしているわけでもない。昨日の残りはお昼に食べてしまった。

 ……もう、今日の夕飯は抜こうか。

 そう思っていると、私の住んでいるお部屋のチャイムが鳴った。……来客を知らせる合図だ。

(だれ……こんなときに……)

 私が体調を崩していることは、職場の人しか知らないはずだ。

 でも、職場の人が私の住所を知っているはずがない。怪訝に思いつつ、私はふらふらと立ち上がって、玄関の扉を開けた。

「……閣下」

 扉の前には、何故か閣下がいらっしゃった。

 相変わらずの豪奢な衣服は、こんなアパートには似つかわしくない。

「体調を崩しているんだろう。……なにか、食べるものはあるのか?」
「……いえ」

 昨日今日の状態なので、気まずくて視線を逸らす。けど、閣下は気にするような様子もなく、「失礼する」とおっしゃって、お部屋の奥へと進んでいかれる。

 ……慌てて、ついて行った。

「体調はどうだ? 明日も一応休めるように段取りはしておいた」
「……あ、ありがとう、ございます」
「礼を言うくらいならば、一刻も早く体調を戻せ」

 閣下は、いつも通りだった。

 ……やっぱり、気にしているのは私だけなのだろう。

 そう思って、自然と胸の前で手を握って。俯いてしまう。

「なにをしているんだ。……早く、横になれ」

 そんな私を見て、閣下は私のほうに近づいてこられる。かと思えば、私の身体を横抱きにして、お部屋の隅にある寝台に寝かせる。

 その後、私の身体の上に毛布をかけてくださった。

「熱はあるのか?」
「……朝は、ありました。今は、もうだいぶ下がっています」
「そうか」

 朝は高熱に片脚を突っ込んでいたのだけれど、今はもう微熱まで下がっている。

 そう伝えれば、閣下はほっとするような表情を浮かべられた。……どういうこと、なのだろうか。

(……というか、部下の元にお見舞いにこられるものなの……?)

 不思議に思って、閣下にそう問いかけようとする。でも、それよりも先に閣下は立ち上がられた。

「夕飯は買ってきた。一応そこに置いておくから、後で食べるように」
「え、あ、はい……」
「あと、明日の朝、昼、晩の三食分も買ってある。安心しろ」

 閣下がそうおっしゃって、私の頬を指で撫でられた。

 ……心臓がとくとくと早足になる。これは、風邪の所為じゃない。

「じゃあ、私は帰ろう。……早く良くなって、元気な顔を見せてくれ」

 まるで縋るようなお声だった。

 その所為、なのだろうか。私は自然と立ち去ろうとされる閣下の衣服の端を掴む。

「……シルケ?」

 彼が振り返る。その目がぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「一緒に、いてください。さみしい、です」

 体調が悪いとき。どうしてか、人間は弱くなる。

 それを実感しつつ、私は震える声で閣下にそう告げる。……閣下は、少し驚いたような表情をされたものの、頷いてくださった。

「……なにか、話そうか」

 閣下は床に腰を下ろされて、そうおっしゃる。

 私はゆるゆると首を横に振った。

「いえ、いてくださるだけで、いいです」
「……そうか」

 しばし間をおいて、返事をしてくださる閣下。

 ……重苦しい空気が場を支配する。閣下は、なにもおっしゃらない。

「……昨日は、悪かった」

 なのに、しばらくしてそんな声が聞こえて来た。

 驚いて、目を開ける。

「シルケの言葉に、すぐに言葉が出てこなかった。……私は、不誠実だった」
「……閣下」

 自然と唇が閣下のことを呼ぶ。彼の表情が痛ましげに歪んだ。

「もう、私のことを『メイノルドさま』とは呼んでくれないのか?」

 閣下の手が、私の手を掴む。指を絡められて、ぎゅっと握られる。心が、落ち着く。

「いや、違う。当然だ。私は、シルケに酷いことをしてしまった」

 静まり返った空間で、閣下の何処となく不安そうなお声が響く。

「私はシルケとの関係に、甘えていた。……シルケとの関係を、壊したくなかった」

 そのお声は、震えていた。

「シルケに拒まれるのが、怖かったんだ。……せめて身体だけでも、欲しかった」
「……か、っか?」
「――好きだ、シルケ」

 耳に届いたお言葉。……あぁ、夢なのか。

(これはきっと、都合のいい夢だわ……)

 だって、閣下が私のことを好きになってくださるなんてことは、ないはずだから。

 閣下の側には私よりも華やかで、愛らしい女性たちがいる。私なんて、私なんて……。

「信じられないのか、シルケ?」
「は、ぃ」
「では、こうするのはどうだろうか?」

 そうおっしゃった閣下のお顔が、私の顔に近づいて来て――唇と唇が、重なる。

 ちゅっと音を立てて、合わせられた唇。夢じゃ、ない。

「私は好きでもない人間に、口づけたりはしない。それだけは、伝えたい」

 真剣なお声に、心臓がどんどん駆け足になる。引いたはずの熱が、戻ってくるような感覚だった。

「……風邪が、移ってしまいます」

 熱い身体に、苦しくなってしまって。口から出たのは、可愛げなんてない言葉で。

 けれど、閣下は「移せばいい」とおっしゃった。

「シルケが元気になるのならば、風邪などいくらでも貰おう。……だが、そうだな」

 閣下が少し考え込むような素振りを、見せられた。それからしばらくして、彼の唇の端がにんまりと上がる。

「代わりに、私の気持ちを受け取ってほしい。……シルケを、愛しているからな」

 けど、だけど、かといって。

 ……そんなの、反則だった。

 涙が流れる。昨日散々泣いて、涙は枯れたと思っていたのに。

「め、いのるど、さま……」

 唇が紡いだのは、元の呼び名だった。

「あぁ、シルケ」
「……好き、私も、大好き、ですっ」

 鼻声になりながらも、自分の気持ちを伝える。鼻をすすって、必死に伝える。

「わた、し。あなたさまのお側に、いたいっ……!」

 握られた手を、絡められた指を。自らぎゅっと握って、必死に自らの抱え込んだ気持ちを伝えた。

「どうか、私のこと……離さないで、ください」

 涙で視界がぐちゃぐちゃで、もうなにも見えない。それなのに、メイノルドさまが笑っているのだけは、よくわかった。

「あぁ、離すつもりはない。死ぬまで……いや、死んでも離さない」

 彼のその重苦しいような告白も、私には嬉しくてたまらなかった。
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