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上司の財務大臣と、部下である私の秘密の関係。

第1話

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 ランマース王国の王宮にある一室。

 扉には【財務大臣 執務室】と書かれた札がかけられている。室内はシンプルながらに気品のあるデザイン。

 部屋の奥には重厚な執務机があり、その机の前に優雅に腰掛ける一人の男性。

 さらりとした銀色の髪の毛は、一つに束ねられている。その吊り上がった緑色の目は、目の前に立つ若い職員を見据えていた。

 形のいい唇が開いたかと思えば、書類の束を若い職員に突き返す。

「こんな要望書で通るわけがないと、言っておけ」

 地を這うような低い声で、男性がそう告げる。すると、職員は何度も何度もこくこくと首を縦に振った。その姿は憐れなことこの上ない。でも、若い職員に出来ることなど、大してない。せいぜい、心の中で財務省に配属されたことを恨むくらいではないだろうか。

「し、失礼しましたっ!」

 彼が逃げるように執務室を飛び出す。ぱたんと時間差で扉が閉まって、重々しい空気に室内が包まれた。

 時計の針を見れば、あと十分で終業時刻だ。……新しい仕事に手を付けるのは、やめたほうがいい。残業は嫌いだ。

「閣下。お茶でも淹れましょうか?」

 少し機嫌が悪そうな彼に、そう声をかける。そうすれば、この執務室の主である財務大臣、メイノルド・ラッツェル卿が私に視線を向ける。その吊り上がった目が醸し出す視線に射貫かれて、心臓がぎゅって締め付けられる。

「別にいい。……それよりも、今日は空いているだろうか?」

 そのお言葉に、私は少しためらう。……でも、誘惑には勝てない。

「はい。本日の終業後は、時間がありますよ」

 にっこりと笑って、自然な風を装って言葉を紡ぐ。

 ……本日は、なんて言っているけれど、嘘だ。メイノルド卿に誘われたら、暇じゃなくても暇にする。

 ――恋する女の欲望は、何処までも浅ましいのだ。

 ◇

 終業時間後。女官の制服を脱いで、私服のワンピースに着替えていた。

 私は女官ではなく財務省の職員だ。けれど、女性の職員は本当に少なくて。その所為か、制服は女官のもの。胸元に職員のバッチを付けることで、区別をしていた。

 更衣室を出て、王宮の裏口でぼうっとする。しばらくして、メイノルド卿のお姿が見えた。

 身体は細身で体躯はすらりとしている。背丈は高くて、顔立ちは美しい。だから、なにを着てもお似合いになる。

 今日の私服もとても素敵だ。

「待たせたな。……では、行こうか」

 メイノルド卿が、私に手を差し出してこられる。私は、ゆっくりとその手に自身の手を重ねる。

「いつも通り、馬車で迎えに来てもらっている」
「……ということは、初めから私を誘うおつもりでしたね?」
「そうだな。断られるかもしれないが、レディを歩かせるよりはずっといい」

 彼はいつもそうだ。……こんな女にも、優しくしてくださる。

「閣下は、本当に――」

 いつもの調子で言葉を紡ごうとすれば、メイノルド卿がぐいっと私の顔に自身のお顔を近づけてこられる。

「キミは本当にこういうことに関しては、学習しないな。……閣下と呼ぶなと、言っているだろう」
「……申し訳ございません、メイノルドさま」

 そうだ。このお人は、プライベートで『閣下』とか『メイノルド卿』と呼ばれることを嫌う。

 だからなのか、彼はこういうとき私に「メイノルドさま」と呼ばせている。……三年経っても、全然慣れない。

「まぁいい。……今日も相手をしてもらうのだからな。これくらいは大目にみよう」

 すたすたと歩き始めた彼が、そう呟く。私は、無理矢理笑みを浮かべて「ありがとうございます」ということしか出来なかった。

(本当、生産性のない、不毛な関係だわ)

 私とメイノルド卿――メイノルドさまの関係を一言で表すのならば。

 ――ふしだらな関係。

 それが、一番しっくりと来るのだろう。

 そう思っていれば、彼が私の肩を抱き寄せる。それはまるで、逃がさないと言いたげな行動だった。

 ◇

 私、シルケは貴族の庶子だ。

 このランマース王国にある、リット男爵家。そこの当主の、娘。それが、私。

 元々リット男爵家のメイドだった母は、男爵に気に入られお手付きになった。その後、私を妊娠した。

 けれど、男爵は大層な女好きで、挙句飽き性。母が妊娠すれば、すぐに興味を失った。

 そのため、母は私を産んで一年も経たずに実家に帰った。その際、男爵は私のことを認知した。合わせ、正妻の女性が母を憐れに思い、私が十八歳になるまでは一定の支援をすると約束してくれた。

 正妻の女性は、約束を守ってくれた。三ヶ月に一度、一定の金額を私たち親子に渡してくれた。だから、私は彼女に感謝している。父である男爵のことは、大嫌いだけれど。

 そうして、様々な人の助けがあって成人することが出来た私。普通ならば婚活に精を出すのだろうけれど、生憎父のことを知っているため、男性と添い遂げるという未来が想像できなかった。なので、働くことを選んだ。

 十九歳で王宮の職員採用試験に合格。二十歳のときに、財務省に配属になった。

 そこで私はメイノルドさまと出逢った。

 一目見たときに感じたことは、とてもよく覚えている。

 ――この世には、こんなにも美しい人物がいるのか。

 そう強く思った。

 そして、なによりも彼はとても有能だった。仕事に真剣に向き合って、ちょっとしたミスも許さない。

 部下にもきつく当たるお人だったけれど、その数倍自分に厳しい。つまり、自他ともに厳しいお人だったのだ。

 ただの上司と部下。初めは、そんな関係だった。彼も私のことを部下としてしか見ておらず、私は彼の役に立ちたくて必死で。

 そんな関係が変わったのは――私が二十一歳のとき。他の大臣に言い寄られていた私を、彼が助けたことがきっかけだった。

 その大臣は、見境なく女性に手を出すと女性職員の中では有名だった。そのため、視界に入らないように注意はしていたのだ。が、現実はひどくて。私はその大臣に目を付けられ、愛人になるようにと言い寄られる日々を過ごしていた。

『贅沢な生活は保障してやる。こんなところで働くよりも、ずっといいぞ?』

 その日大臣は、そんな風に言って、私の腰を撫でた。それが気持ち悪くて、怖くて。私は身動きが出来なかった。

 息を殺して、身をよじろうと頑張る。なんとか逃げられないかと考えていたとき――大臣の肩が、誰かに掴まれていた。

「私の部下に、なにか御用でしょうか?」

 そちらに視線を向けると、そこにはメイノルドさまがいらっしゃった。彼はとても強い力で大臣の肩を掴んでおり、恐ろしい笑みを浮かべている。その様子を見た大臣は、さっさと逃げて行った。

 ……ちなみに彼はこの二ヶ月後、汚職が発覚して大臣を辞することになった。その顛末を、私は詳しくは知らないけれど。

「シルケ嬢、大丈夫か?」

 彼はその場にへたり込んでしまった私に、そう声をかけてくださった。しゃがみこんで、視線を合わせてくださった。

 それだけで、私の涙腺は緩んだ。

 だって、怖かったのだ。そんな中知り合いが助けてくれた。安心して、涙が零れるのもおかしなことじゃない。

「ああいう奴には、強く言うに限る。中途半端な態度を取っていると、つけあがるぞ」

 彼が私の涙を自身の袖で拭ってくれる。優しい声でそう言われて、私はゆるゆると首を横に振る。

「ですが、閣下のご迷惑に……」

 私が財務省の職員である以上、私の軽率な行動はメイノルドさまの評判につながる。部下を管理できていない。彼がそう批判されるのが、怖かった。

「なんだ、そんなことを気にしていたのか。……私は、そんなこと気にもしない。他人からの評判はどうでもいい。評価さえあれば、それでいい」

 そのお言葉は、まさにメイノルドさまらしいお言葉で。私は、自然と笑ってしまった。

「閣下らしいですね……」

 小さく笑って、そう言う。……すると、メイノルドさまの目が大きく見開かれて。でも、すぐにいつもの表情に戻られる。

「キミが私のことをどう思っているのか。少し、問いただす必要がありそうだな」

 真剣なお声で、彼がそうおっしゃる。びくんと肩を跳ねさせる私に、彼はふっと口元を緩めた。

「冗談だ。……そんなことは、しない」

 彼がそうおっしゃったから、私は声を上げて笑った。

 その後、私がお礼をしたいと言えば、彼は「今度、食事でもおごってくれ」とおっしゃった。

 なんでも、彼は美味しい食事がなによりも好きらしい。だから、私は行きつけのお店を紹介した。

 そこは隠れ家的なお店で、夜になるとお酒も提供してくれる。落ち着く大人の空間。あと、上司と飲んでいるという非日常。

 その空気に、やられたのだろう。私は飲みすぎて――あろうことか、メイノルドさまと関係を持ってしまったのだ。
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