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「結婚したいなぁ」と零したら、城勤めのエリート幼馴染が夫に立候補してきた。
1.
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きっと、これが不運とか、運の尽きとか。そういうことなのだろう。
自身に覆いかぶさるよく知った顔の男性を見つめ、セルマはきょとんとする。そうすれば、彼が舌なめずりをしたのがよく分かった。
「……セルマ。お前、一番側にいい男がいるの、気が付いていなかったのか?」
彼――アシュトンがそう言って、セルマの唇を指でなぞる。
その手つきのいやらしさに、セルマの背筋にぞくぞくとした何かが這いまわる。
「い、いや、その……」
「嫌とか、そういう言葉は聞かないからな。……セルマ、好きだ」
はっきりと告げられた好意の言葉。しかし、セルマからすれば今はそんなことよりも――。
(な、なにが一体、どうなっているのっ!?)
愛おしげに合わせられた唇により、セルマの思考回路はさらに混乱の渦にたたき落とされた。
◇
セルマ・リデルはウィンベリー王国の下町にある薬屋の一人娘だ。
薬屋『リデル』は繁盛しており、いろいろな薬を求めて客が絶え間なく訪れる。
父は腕のいい薬師ではあるが、接客はさっぱりだ。対する母は調合に関しては何一つとしてわかっていないが、愛嬌があり接客が得意。
そんな二人の間に一人娘としてセルマは生まれた。
小さなころから近くには調合道具があった。そして、にこやかに薬の説明をする母の背中も見てきた。だからこそ、セルマはいずれ父のような薬師になり、この店を継ぎたいと思うように。もちろん、接客もできる薬師になるのが目標だ。
セルマの部屋には、多数の薬学の本がある。本格的なものから、入門書のようなものまで。様々な本が詰め込まれた棚を見つめつつ、セルマはそっと視線を寝台の方に向ける。
「……ねぇ、アシュトン君。いつまでいるの?」
そこには、一人の男性が横たわっている。彼はそのエメラルドのような緑色の目を開き、金色の髪の毛を掻きあげる。ラフな格好の所為なのか、胸元がはだけており大層色っぽい。
「別にいいだろ? 俺とお前の仲なんだし」
にやりと挑発的に笑う彼、アシュトンを見つめ、セルマは「はぁ」とため息をつく。
アシュトン・ラファティ。彼はセルマよりも四つ年上の二十六歳であり、ここら辺では一番の出世株だ。
セルマたちの住まう場所は、城下町から近いとはいえ、そこまで栄えてはいない。つまり、小さな町なのだ。
もちろん優秀な人間もある程度はいるが、その中でも屈指の優秀さを誇っていたのがこのアシュトン・ラファティ。
彼は現在国の城で文官として勤めており、週に一度だけこの町に戻ってくるのだ。普段は、城の宿舎で生活している。
そんなアシュトンとセルマは、世にいう腐れ縁の幼馴染だ。
「いいわけないでしょう? そもそも、アシュトン君、こんなところにいたら恋人に泣かれるよ?」
幼馴染とはいえ、セルマも年頃の女性だ。少なくとも、恋人が他所の女性の部屋で寝台に寝転がっているのは、自分ならばよく思わない。
そう思いつつセルマが目的の本を探していると、アシュトンが起き上がったのがわかった。どうやら、セルマの言葉が効いたらしい。
「つーかさぁ。お前もいい年なんだしさ、そろそろ……その、さ」
彼が頬を掻いているのがわかる。でも、その言葉の意味がいまいちよく分からない。
「いい年っていうのはお節介よ。そもそも、アシュトン君の方が年上じゃない」
「そりゃそうだけれどさ……」
何とも歯切れの悪い言葉だ。そう思いつつセルマがむっとしていれば、アシュトンが寝台から下りたのがよく分かった。
……帰ってくれるのだろうか?
「お前、恋人とかいないわけ?」
……しかしまぁ、お節介もいいところだな。
心の中でそう思い、セルマはむっとする。そして、アシュトンの方に視線を向けようとした。……彼は、セルマの真後ろにいた。
「こ、恋人とか、いるわけないでしょ!?」
驚いて、八つ当たりのような声が出る。けれど、アシュトンは特に気にした風もなく、にんまりと笑うだけだ。
「生まれてこの方、恋人なんていたことないわよ……!」
この町には年頃の男性もたくさんいる。でも、何故かセルマには出逢いがなかった。いいなぁと思う男性がいても、いつの間にか離れて行ってしまう。……意味が、わからない。
「……じゃあ、結婚したいとも思わないわけ?」
……何となく、今日のアシュトンはおかしい。
なんだか、いつも以上にぐいぐいと来ているような――。
(っていうか、私に結婚願望があろうがなかろうが、アシュトン君には関係ないでしょ!?)
それだけは、間違いない。
そんな風に思い、セルマはアシュトンを強くにらみつけた。
「思うわよ! 私、すっごく結婚したいわ!」
だけど、出逢いがない。恋人もいたことがない。そんなセルマが結婚できるのなど、早くてもあと数年後だろう。
「あーあ、何処かにいい人いないかなぁ?」
「……」
「……ほんと、結婚したいなぁ」
セルマは一人娘だ。つまり、この薬屋を切り盛りするには夫が必要になる。現状では必要ないかもしれないが、両親が引退した後、すべてのことを一人でするのは無理なのだ。
(そもそも、私だって頑張ってるっての)
出逢いを求めて動いているし、おしゃれだって出来る範囲でやっている。なのに、いいなぁと思った男性はセルマの前から消えていく。……本当に、意味がわからない。
「なぁ、セルマ」
こんな気持ち、大層モテているアシュトンにわかるわけがない。
そう思い、ぐっと唇をかみしめる。そうしていれば――不意に、視線が上を向いた。
「……え?」
気がついたら、アシュトンがセルマの顎をすくい上げていた。彼の美しい緑色の目と、ばっちり視線が合う。
「……お前さぁ、本当に鈍すぎないか?」
彼が挑発的に笑う。その後、自身の唇を舐めていた。その姿の、なんと淫靡なことか。
その所為で、セルマの頬にカーっと熱が溜まる。
「な、なに、が……」
セルマの口が、自然とそんな言葉を零す。本当に、意味がわからない。
そう思うセルマの耳元に、アシュトンが唇を近づけた。
「――こんなにもいい男が、お前を想っているっていうのに、これっぽっちも気が付かないなんてな」
アシュトンはそういうと、セルマの耳元にふぅと息を吹きかけてきた。
自身に覆いかぶさるよく知った顔の男性を見つめ、セルマはきょとんとする。そうすれば、彼が舌なめずりをしたのがよく分かった。
「……セルマ。お前、一番側にいい男がいるの、気が付いていなかったのか?」
彼――アシュトンがそう言って、セルマの唇を指でなぞる。
その手つきのいやらしさに、セルマの背筋にぞくぞくとした何かが這いまわる。
「い、いや、その……」
「嫌とか、そういう言葉は聞かないからな。……セルマ、好きだ」
はっきりと告げられた好意の言葉。しかし、セルマからすれば今はそんなことよりも――。
(な、なにが一体、どうなっているのっ!?)
愛おしげに合わせられた唇により、セルマの思考回路はさらに混乱の渦にたたき落とされた。
◇
セルマ・リデルはウィンベリー王国の下町にある薬屋の一人娘だ。
薬屋『リデル』は繁盛しており、いろいろな薬を求めて客が絶え間なく訪れる。
父は腕のいい薬師ではあるが、接客はさっぱりだ。対する母は調合に関しては何一つとしてわかっていないが、愛嬌があり接客が得意。
そんな二人の間に一人娘としてセルマは生まれた。
小さなころから近くには調合道具があった。そして、にこやかに薬の説明をする母の背中も見てきた。だからこそ、セルマはいずれ父のような薬師になり、この店を継ぎたいと思うように。もちろん、接客もできる薬師になるのが目標だ。
セルマの部屋には、多数の薬学の本がある。本格的なものから、入門書のようなものまで。様々な本が詰め込まれた棚を見つめつつ、セルマはそっと視線を寝台の方に向ける。
「……ねぇ、アシュトン君。いつまでいるの?」
そこには、一人の男性が横たわっている。彼はそのエメラルドのような緑色の目を開き、金色の髪の毛を掻きあげる。ラフな格好の所為なのか、胸元がはだけており大層色っぽい。
「別にいいだろ? 俺とお前の仲なんだし」
にやりと挑発的に笑う彼、アシュトンを見つめ、セルマは「はぁ」とため息をつく。
アシュトン・ラファティ。彼はセルマよりも四つ年上の二十六歳であり、ここら辺では一番の出世株だ。
セルマたちの住まう場所は、城下町から近いとはいえ、そこまで栄えてはいない。つまり、小さな町なのだ。
もちろん優秀な人間もある程度はいるが、その中でも屈指の優秀さを誇っていたのがこのアシュトン・ラファティ。
彼は現在国の城で文官として勤めており、週に一度だけこの町に戻ってくるのだ。普段は、城の宿舎で生活している。
そんなアシュトンとセルマは、世にいう腐れ縁の幼馴染だ。
「いいわけないでしょう? そもそも、アシュトン君、こんなところにいたら恋人に泣かれるよ?」
幼馴染とはいえ、セルマも年頃の女性だ。少なくとも、恋人が他所の女性の部屋で寝台に寝転がっているのは、自分ならばよく思わない。
そう思いつつセルマが目的の本を探していると、アシュトンが起き上がったのがわかった。どうやら、セルマの言葉が効いたらしい。
「つーかさぁ。お前もいい年なんだしさ、そろそろ……その、さ」
彼が頬を掻いているのがわかる。でも、その言葉の意味がいまいちよく分からない。
「いい年っていうのはお節介よ。そもそも、アシュトン君の方が年上じゃない」
「そりゃそうだけれどさ……」
何とも歯切れの悪い言葉だ。そう思いつつセルマがむっとしていれば、アシュトンが寝台から下りたのがよく分かった。
……帰ってくれるのだろうか?
「お前、恋人とかいないわけ?」
……しかしまぁ、お節介もいいところだな。
心の中でそう思い、セルマはむっとする。そして、アシュトンの方に視線を向けようとした。……彼は、セルマの真後ろにいた。
「こ、恋人とか、いるわけないでしょ!?」
驚いて、八つ当たりのような声が出る。けれど、アシュトンは特に気にした風もなく、にんまりと笑うだけだ。
「生まれてこの方、恋人なんていたことないわよ……!」
この町には年頃の男性もたくさんいる。でも、何故かセルマには出逢いがなかった。いいなぁと思う男性がいても、いつの間にか離れて行ってしまう。……意味が、わからない。
「……じゃあ、結婚したいとも思わないわけ?」
……何となく、今日のアシュトンはおかしい。
なんだか、いつも以上にぐいぐいと来ているような――。
(っていうか、私に結婚願望があろうがなかろうが、アシュトン君には関係ないでしょ!?)
それだけは、間違いない。
そんな風に思い、セルマはアシュトンを強くにらみつけた。
「思うわよ! 私、すっごく結婚したいわ!」
だけど、出逢いがない。恋人もいたことがない。そんなセルマが結婚できるのなど、早くてもあと数年後だろう。
「あーあ、何処かにいい人いないかなぁ?」
「……」
「……ほんと、結婚したいなぁ」
セルマは一人娘だ。つまり、この薬屋を切り盛りするには夫が必要になる。現状では必要ないかもしれないが、両親が引退した後、すべてのことを一人でするのは無理なのだ。
(そもそも、私だって頑張ってるっての)
出逢いを求めて動いているし、おしゃれだって出来る範囲でやっている。なのに、いいなぁと思った男性はセルマの前から消えていく。……本当に、意味がわからない。
「なぁ、セルマ」
こんな気持ち、大層モテているアシュトンにわかるわけがない。
そう思い、ぐっと唇をかみしめる。そうしていれば――不意に、視線が上を向いた。
「……え?」
気がついたら、アシュトンがセルマの顎をすくい上げていた。彼の美しい緑色の目と、ばっちり視線が合う。
「……お前さぁ、本当に鈍すぎないか?」
彼が挑発的に笑う。その後、自身の唇を舐めていた。その姿の、なんと淫靡なことか。
その所為で、セルマの頬にカーっと熱が溜まる。
「な、なに、が……」
セルマの口が、自然とそんな言葉を零す。本当に、意味がわからない。
そう思うセルマの耳元に、アシュトンが唇を近づけた。
「――こんなにもいい男が、お前を想っているっていうのに、これっぽっちも気が付かないなんてな」
アシュトンはそういうと、セルマの耳元にふぅと息を吹きかけてきた。
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