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第1部 第2章 旅の始まり、変化する関係

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「冗談は、やめてください……」

 冗談だってわかっているはずなのに、僕の頬には熱が溜まっていく。

 この間。可愛いとかきれいとか言われたときは、なんとも思わなかったのに。

「冗談じゃないぞ。――心の底から、本気で思っている」

 キリアンさんが僕の頬を優しく撫でながら言う。

 頬をするりと撫でられてしまうと、変な気分になってしまいそうだ。

 さらに彼の指が僕のかさついた唇を触った。親指で撫でられてしまうと、いたたまれなくてたまらなくなる。

「キリアンさん――」

 身を引こうとするのに引けなかった。

 まるで磁力かなにかでき引き寄せられているかのように、彼から距離を取ることが出来ない。

 彼をじっと見つめて、ごくりと息を呑んでしまう。

「いい加減呼び捨てにしろ。――ジェリー」

 彼が僕の名前を呼ぶ。どこか甘ったるい空気になって、僕の鼓動が早足になる。

 え。ど、どう、なっているんだろうか?

(なんでこんなおかしな空気になってるの――!?)

 僕はキリアンさんの治療をしただけだ。それ以外はなにも、していない。あ、もしかして。

(これは僕が怒ったことに対する仕返しでは?)

 そうだ。そうに決まっている!

 僕が柄にもなく強い口調で彼を怒ったから。彼はそれが気に食わなかったんだろう。

 彼の命がかかっていたんだから仕方がないと思うのは、僕だけなのか。

「き、キリアンさん」
「さんはいらない」

 繰り返されて、僕は息を呑む。

 キリアンさんの黒色の目が僕を見つめて、射貫いてくる。心臓がバクバクと大きく音を鳴らす。

 もう、どうすればいいかわからないよ――。

「それともなんだ。俺の言うことが聞けないのか?」
「ひっ」

 滅相もございません!

 首を横にぶんぶんと振る。すると彼は僕の唇を撫で「キリアン」と自身の名前を口にした。

 これは繰り返せということんだろう。

「き、りあん」

 彼の名前をゆっくりと口にしてみた。彼は満足そうにうなずく。

 唇を緩めた表情はどこか艶めかしくて、僕の鼓動は加速するばかり。

「これからはそうやって呼べ。いつまでも他人行儀にするな」
「あ、はい……」

 ようやくキリアンが僕の唇から指を離した。

 なのにどうしてか僕はそれがさみしくて、視線が自然と彼の指を追っていた。

 彼は僕の視線に気が付いたのか、息をふぅっと吐く。

「なんだ」
「い、いえ」

 先ほどよりも優しいキリアンの声。慌てて首を横に振った。

 もう、首がちぎれてしまいそうなほどの勢いだ。

「あのな、俺はいつ死んでもいい存在なんだ」

 しばらくして彼がしみじみと言う。

「だから、この役割だって引き受けた。死に場所を求めている」

 さも当然のように言うから、僕はなにも返せない。

 薄々感じていたことは真実だったらしい。

「まさか、怒られるとはな。しかも、お前みたいな気の弱いちっこいやつに」
「う……」

 気が弱いのもちっこいのも真実だけど。人から言われると、なんか無性に腹が立つ。

「でも、案外心配されるのも悪くはない。お前の表情がころころと動くのも見ていて面白い」
「お、面白いって」

 それはいわば、珍獣扱いじゃないか。不本意すぎる。

「可愛いその顔が、俺の言動や行動一つで目まぐるしく動くんだ。面白いとしか言えないだろ」

 彼の手が僕の手首をつかみ、自身のほうに引き寄せた。気が付いたら、僕はキリアンの胸にダイブしていた。

 たくましい腕が僕の背中に回され、抱きしめられているような体勢になる。

「――お前は、俺のことが心配か?」

 問いかけられて、困って、うなずいた。

 心配なのは間違いないから。

「そうか。じゃあ、もっと心配してくれ」
「え、えっと」
「俺の手綱はお前が握れ。ジェリー。お前の言うことなら、俺は聞いてやるよ」

 えっと、えぇっと。意味が、よく、わからないのですが。

「きり、あん?」
「――俺に命じればいい。自分のために生きろって」

 彼の両手が僕の両頬を挟み込む。

 絡み合う視線はねっとりとしているように感じた。

「な、ジェリー」

 吐息さえも当たるような距離に、キリアンがいる。

 黒曜石のような目には、ぼくの戸惑う顔だけが映っていた。
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