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第6章
里帰り 2
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久々に見たレーヴェン子爵家の屋敷は、以前よりはほんの少しマシになっていた。
以前は外装がはがれ、庭は草木が生い茂っていたというのに。今では、外装はある程度修繕され、庭の草木も整えられている。
もちろん、マッテス伯爵家とは天と地ほどの差がまだあるのはわかる。
でも、レーヴェン家は子爵家なのだ。伯爵家であるマッテス家と比べるわけにはいくまい。
「……イグナーツ様、ですよね」
そっと彼に視線を向けてそう問えば、彼は露骨に視線を逸らした。多分、この外観の変貌は彼の仕業だ。
「……なにがだ」
ローゼが言いたいことはわかっているだろうに、彼はわざとしらけていた。そういうところも面白くて、ローゼはくすっと声を上げて笑ってしまう。
「子爵家の外観の変貌の理由です」
「……あぁ」
さすがに隠し切れないと悟ったらしい。彼は窓枠に頬杖をついて、口を開く。
「一応、表向きには知り合いの業者を紹介したことになっている」
「……はい」
「俺の知り合いだから格安でという名目で、説明しておいた」
それを聞いて、ローゼは彼の言いたいことを悟る。
(つまり、イグナーツ様が差額を払われた、ということね)
ローゼの両親はただ施されることを嫌う人物だ。ただ業者を手配しただけでは、申し訳ないと断っていただろう。
その分、格安で……となれば、断る理由もない。合わせ、娘が嫁入りした家の人間の紹介なのだ。怪しいとも思わないだろう。
「本当に、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げてそう言えば、彼は「やめろ」と端的に言葉を返してくる。
「まだ、少し気分が悪いだろう? 揺れる中で頭を下げないほうがいい」
「……あ」
「つわりがある程度収まったとはいえ、無理だけはしてほしくない」
彼のその言葉の節々には、隠し切れない優しさがこもっている。なので、ローゼはにっこりと笑った。
「確かに、お腹の子に何かがあったらいけませんからね」
「ローゼの身体にも、だ」
至極真剣に、当たり前のように彼がそう言ってくれる。その言葉が嬉しくて、ローゼは目元を緩めた。
その表情を見て、イグナーツが言葉を詰まらせる。……多分、照れてしまったのだろう。
「ローゼは、本当に可愛いな……」
それからしばらくして、彼の口からそんな言葉が漏れていた。
「あぁ、ローゼ。おかえり」
屋敷に入ると、一番に出迎えてくれたのは母だった。彼女はいつも通り杖を突いているが、その足取りは軽そうに見える。
「ただいま、母さん。……でも、なんだか前よりも足の調子がいいように見えるわね」
「まぁね」
ローゼの言葉に、母は笑っていた。
「あんたの旦那様が紹介してくれた医者が、とてもいい人でね。……ある程度は歩けるようになったのよ。もちろん、杖がないと不安だから、まだ突いているけれどね」
ころころと笑いながらそう言う母に、ローゼの口元が緩む。
そうしていれば、今度は奥から父がゆっくりと顔を見せた。彼はイグナーツを見て、その厳格そうな表情を緩める。
「この度は、ようこそおいでくださいました。何もない屋敷ですが、ゆっくりしていってくださいませ」
「……はい」
イグナーツにそう声をかけた父は、ほんの少し楽しそうだ。……こんな父の表情を見たことはないと、ローゼは思ってしまう。
「あと、手紙は読んだよ」
不意に母がそう言ってくる。なので、ローゼは表情を真剣なものに変える。
母は、大きくため息をついた。
「エリーと話がしたいんだってね。……あんたたちに何かがあったのは、感づいていたけれど……」
「……まぁ、うん」
あまり好ましい話ではないので、話を濁そうとする。ゆっくりとイグナーツの顔を見上げれば、彼は口パクで「ローゼに任せる」と言ってくれた。大方、母や父に話すかどうかだろう。
(エリーのほかの弟妹たちには、話さないほうがよさそうね。でも、父さんと母さんには、話したほうがいいかも)
そう判断し、ローゼは二人に笑いかける。
「実は……エリーと、少し喧嘩をしてしまったの」
「……そうなのかい?」
「……本当はもっと早くに話し合いに来たかったのだけれど……」
ローゼが自身の腹を見下ろせば、両親は納得したらしい。ローゼのつわりが重かったのは、二人も知っているのだ。
「いいよ。エリーだってもう大人だ。……おめでたいことを優先しても、悪くはないよ」
少し申し訳なさそうにするローゼに、母が笑ってそう言ってくれた。……ほんの少し、胸のつっかえが消えていく。
「ところで、ローゼ。もう、つわりのほうは大丈夫なのか?」
「えぇ、先生にも安定期に入ったとお墨付きをもらったわ。だから、多少は動いてもいいそうなの」
「そっか。どういう子が産まれてくるか、楽しみだね」
母がそう声をかけてくるから、ローゼはにっこりと笑って頷いた。
「どうか、元気に産まれてきてほしいの。それ以外は、望まないから」
腹を撫でてそう言えば、両親は笑っていた。父が少々微妙そうな表情をしていたのは、大切な娘が母親になることへの不安なのかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。
ローゼは、そう悟った。
以前は外装がはがれ、庭は草木が生い茂っていたというのに。今では、外装はある程度修繕され、庭の草木も整えられている。
もちろん、マッテス伯爵家とは天と地ほどの差がまだあるのはわかる。
でも、レーヴェン家は子爵家なのだ。伯爵家であるマッテス家と比べるわけにはいくまい。
「……イグナーツ様、ですよね」
そっと彼に視線を向けてそう問えば、彼は露骨に視線を逸らした。多分、この外観の変貌は彼の仕業だ。
「……なにがだ」
ローゼが言いたいことはわかっているだろうに、彼はわざとしらけていた。そういうところも面白くて、ローゼはくすっと声を上げて笑ってしまう。
「子爵家の外観の変貌の理由です」
「……あぁ」
さすがに隠し切れないと悟ったらしい。彼は窓枠に頬杖をついて、口を開く。
「一応、表向きには知り合いの業者を紹介したことになっている」
「……はい」
「俺の知り合いだから格安でという名目で、説明しておいた」
それを聞いて、ローゼは彼の言いたいことを悟る。
(つまり、イグナーツ様が差額を払われた、ということね)
ローゼの両親はただ施されることを嫌う人物だ。ただ業者を手配しただけでは、申し訳ないと断っていただろう。
その分、格安で……となれば、断る理由もない。合わせ、娘が嫁入りした家の人間の紹介なのだ。怪しいとも思わないだろう。
「本当に、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げてそう言えば、彼は「やめろ」と端的に言葉を返してくる。
「まだ、少し気分が悪いだろう? 揺れる中で頭を下げないほうがいい」
「……あ」
「つわりがある程度収まったとはいえ、無理だけはしてほしくない」
彼のその言葉の節々には、隠し切れない優しさがこもっている。なので、ローゼはにっこりと笑った。
「確かに、お腹の子に何かがあったらいけませんからね」
「ローゼの身体にも、だ」
至極真剣に、当たり前のように彼がそう言ってくれる。その言葉が嬉しくて、ローゼは目元を緩めた。
その表情を見て、イグナーツが言葉を詰まらせる。……多分、照れてしまったのだろう。
「ローゼは、本当に可愛いな……」
それからしばらくして、彼の口からそんな言葉が漏れていた。
「あぁ、ローゼ。おかえり」
屋敷に入ると、一番に出迎えてくれたのは母だった。彼女はいつも通り杖を突いているが、その足取りは軽そうに見える。
「ただいま、母さん。……でも、なんだか前よりも足の調子がいいように見えるわね」
「まぁね」
ローゼの言葉に、母は笑っていた。
「あんたの旦那様が紹介してくれた医者が、とてもいい人でね。……ある程度は歩けるようになったのよ。もちろん、杖がないと不安だから、まだ突いているけれどね」
ころころと笑いながらそう言う母に、ローゼの口元が緩む。
そうしていれば、今度は奥から父がゆっくりと顔を見せた。彼はイグナーツを見て、その厳格そうな表情を緩める。
「この度は、ようこそおいでくださいました。何もない屋敷ですが、ゆっくりしていってくださいませ」
「……はい」
イグナーツにそう声をかけた父は、ほんの少し楽しそうだ。……こんな父の表情を見たことはないと、ローゼは思ってしまう。
「あと、手紙は読んだよ」
不意に母がそう言ってくる。なので、ローゼは表情を真剣なものに変える。
母は、大きくため息をついた。
「エリーと話がしたいんだってね。……あんたたちに何かがあったのは、感づいていたけれど……」
「……まぁ、うん」
あまり好ましい話ではないので、話を濁そうとする。ゆっくりとイグナーツの顔を見上げれば、彼は口パクで「ローゼに任せる」と言ってくれた。大方、母や父に話すかどうかだろう。
(エリーのほかの弟妹たちには、話さないほうがよさそうね。でも、父さんと母さんには、話したほうがいいかも)
そう判断し、ローゼは二人に笑いかける。
「実は……エリーと、少し喧嘩をしてしまったの」
「……そうなのかい?」
「……本当はもっと早くに話し合いに来たかったのだけれど……」
ローゼが自身の腹を見下ろせば、両親は納得したらしい。ローゼのつわりが重かったのは、二人も知っているのだ。
「いいよ。エリーだってもう大人だ。……おめでたいことを優先しても、悪くはないよ」
少し申し訳なさそうにするローゼに、母が笑ってそう言ってくれた。……ほんの少し、胸のつっかえが消えていく。
「ところで、ローゼ。もう、つわりのほうは大丈夫なのか?」
「えぇ、先生にも安定期に入ったとお墨付きをもらったわ。だから、多少は動いてもいいそうなの」
「そっか。どういう子が産まれてくるか、楽しみだね」
母がそう声をかけてくるから、ローゼはにっこりと笑って頷いた。
「どうか、元気に産まれてきてほしいの。それ以外は、望まないから」
腹を撫でてそう言えば、両親は笑っていた。父が少々微妙そうな表情をしていたのは、大切な娘が母親になることへの不安なのかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。
ローゼは、そう悟った。
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