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第4章
訪問者 1
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「奥様。来客でございます」
執事がローゼにそう声をかけてきたのは、舞踏会から一週間が経った日のことだった。
(お客様? イグナーツ様からは、何も聞いていないけれど……)
イグナーツは律儀だ。だから、来客の予定があればローゼに教えてくれると思うのだけれど……。
そう思いローゼが眉をひそめていれば、執事は少し眉を下げた。……もしかしたら、好ましくない来客なのかもしれない。
(最近押し売りが多いというし、その類なのかしら?)
もしもそうだとすれば、迷惑だとはっきりと言わなければ。
中途半端な断りだと、彼らはまた来るだろう。それは、ローゼとて容易に想像が出来た。
「応接間にお通しして頂戴。すぐに行くわ」
ローゼがそう答えると、執事は深々と頭を下げて部屋を出て行った。だからこそ、ローゼは少しだけ身支度を整える。
ラフなワンピースから応接用のワンピースに着替え、結んだ髪の毛を解き、櫛で梳く。
「ところで、お客様ってどちら様なのでしょうね?」
ローゼの身支度を手伝っていたハイケが、そう声をかけてくる。なので、ローゼは少し肩をすくめた。
「でも、彼のあの態度からすると、好ましくはなさそうね」
「そうですねぇ」
ハイケが淡々とローゼの身支度を手伝う。
正直なところ、好ましくない来客ならばラフな格好のまま応対してもいいだろう。
が、ローゼは仮にもマッテス伯爵家の夫人なのだ。ローゼが下手なことをすれば、それすなわちイグナーツの風評被害へとつながる。
(あそこの家の妻は、来客にラフな格好で応対したなんてたたかれたら、ろくなことにならないものね)
貴族とは足の引っ張り合いで蹴落とし合い。特に伯爵以上の爵位を持つ貴族ともなれば、虎視眈々と相手の足を引っ張る隙を狙っている。それを、ローゼは学んだ。
子爵令嬢だった頃は、そこまで考えなくてもよかったというのに。
「はい。出来ましたよ」
そんなことをローゼが思っていれば、ハイケがローゼの肩を軽くたたく。鏡に映るローゼは、何処からどう見ても美しい若奥様だ。
「万が一イグナーツ様のお知り合いだったときのことを考えて、あなたにもついてきてほしいのだけれど」
控えめにハイケにそう打診をすれば、彼女は頷く。
ローゼはイグナーツの知り合いを全員把握しているわけではない。それに、未だに貴族の名前と顔が一致しないのだ。
もちろん、努力はしている。出来ることはしている。ただ、元々記憶力はあまりよくないローゼである。好きでもない人間の顔を覚えるのは、確かな苦痛だった。
そのままマッテス伯爵邸をゆっくりと歩き、応接間へと向かう。すると、応接間から甲高い女性の声が聞こえてきた。
……それに、ローゼは目を見開く。
(押し売りでは、なさそうね……)
声からしてまだ年若い女性のようだ。もちろん、年若い女性の商人だっている。でも、何となく。声の感覚からして、貴族っぽい。
(もしかして、イグナーツ様絡みかしら?)
イグナーツは大層モテる。名門伯爵家の当主でもあるし、何よりも騎士団長だ。その精悍な顔立ちも、女性受けが大層いい。
それは、ローゼが騎士団に従事していたころから変わっていない……と、思う。
「……このお声、は」
ハイケがハッとしたようにそう呟く。なので、ローゼは彼女に視線を向けた。
でも、このまま甲高い声の主を放置することは出来そうにない。……使用人たちだって、迷惑だろう。
そう思ったローゼは、ハイケの言葉を聞くことなく応接間の扉をノックする。そうすれば、中の声が止んだ。
「お待たせいたしました」
ゆっくりと扉を開けて、ローゼがそう言う。出来る限りにっこりと笑って応接間の中にあるソファーを見つめる。
……そこには、一人の女性がいた。
「……あんたが、ローゼ?」
お世辞にも好意的とは言えない態度だった。
それに眉間がぴくりと動くものの、ローゼはその動揺を覆い隠す。
「えぇ、そうでございます。マッテス伯爵夫人のローゼ・マッテスと申します」
澄み切った声でローゼが自己紹介をすると――女性は、おもむろにカップに手を伸ばした。
「この、尻軽女!」
不意に女性がそう叫んで――カップをローゼのほうに投げつけてくる。
(……なに!?)
ローゼは咄嗟にカップを避ける。カップの中に入った紅茶が、ふかふかの絨毯に染み渡っていく。
……何とも虚しい光景だ。
「あーあ、あんたが避けるから、絨毯が台無しじゃない」
女性は勝ち誇ったように笑っていた。
……多分だが、彼女はローゼが避けても避けなくても、どっちでもよかったのだろう。
避けなければのろまと罵り、避ければ絨毯が汚れたと罵る。
何とも姑息な手だと思った。
(なによ、この人……!)
何となく、この女性とはなれ合えないような気がする。
心の奥底がそう叫んで、ローゼは鋭い目で女性を睨みつけた。
そうすれば、彼女はやれやれとばかりに肩をすくめる。
「本当に野蛮な貧乏女ですこと」
「……なんですって?」
「え、もう一度言ってあげましょうか? 女なのに騎士として従事する野蛮な貧乏女って、言ったのよ」
挑発的に笑って、女性がそう言う。……さすがにその言葉には、怒りの沸点が低いローゼでも、カチンときてしまった。
執事がローゼにそう声をかけてきたのは、舞踏会から一週間が経った日のことだった。
(お客様? イグナーツ様からは、何も聞いていないけれど……)
イグナーツは律儀だ。だから、来客の予定があればローゼに教えてくれると思うのだけれど……。
そう思いローゼが眉をひそめていれば、執事は少し眉を下げた。……もしかしたら、好ましくない来客なのかもしれない。
(最近押し売りが多いというし、その類なのかしら?)
もしもそうだとすれば、迷惑だとはっきりと言わなければ。
中途半端な断りだと、彼らはまた来るだろう。それは、ローゼとて容易に想像が出来た。
「応接間にお通しして頂戴。すぐに行くわ」
ローゼがそう答えると、執事は深々と頭を下げて部屋を出て行った。だからこそ、ローゼは少しだけ身支度を整える。
ラフなワンピースから応接用のワンピースに着替え、結んだ髪の毛を解き、櫛で梳く。
「ところで、お客様ってどちら様なのでしょうね?」
ローゼの身支度を手伝っていたハイケが、そう声をかけてくる。なので、ローゼは少し肩をすくめた。
「でも、彼のあの態度からすると、好ましくはなさそうね」
「そうですねぇ」
ハイケが淡々とローゼの身支度を手伝う。
正直なところ、好ましくない来客ならばラフな格好のまま応対してもいいだろう。
が、ローゼは仮にもマッテス伯爵家の夫人なのだ。ローゼが下手なことをすれば、それすなわちイグナーツの風評被害へとつながる。
(あそこの家の妻は、来客にラフな格好で応対したなんてたたかれたら、ろくなことにならないものね)
貴族とは足の引っ張り合いで蹴落とし合い。特に伯爵以上の爵位を持つ貴族ともなれば、虎視眈々と相手の足を引っ張る隙を狙っている。それを、ローゼは学んだ。
子爵令嬢だった頃は、そこまで考えなくてもよかったというのに。
「はい。出来ましたよ」
そんなことをローゼが思っていれば、ハイケがローゼの肩を軽くたたく。鏡に映るローゼは、何処からどう見ても美しい若奥様だ。
「万が一イグナーツ様のお知り合いだったときのことを考えて、あなたにもついてきてほしいのだけれど」
控えめにハイケにそう打診をすれば、彼女は頷く。
ローゼはイグナーツの知り合いを全員把握しているわけではない。それに、未だに貴族の名前と顔が一致しないのだ。
もちろん、努力はしている。出来ることはしている。ただ、元々記憶力はあまりよくないローゼである。好きでもない人間の顔を覚えるのは、確かな苦痛だった。
そのままマッテス伯爵邸をゆっくりと歩き、応接間へと向かう。すると、応接間から甲高い女性の声が聞こえてきた。
……それに、ローゼは目を見開く。
(押し売りでは、なさそうね……)
声からしてまだ年若い女性のようだ。もちろん、年若い女性の商人だっている。でも、何となく。声の感覚からして、貴族っぽい。
(もしかして、イグナーツ様絡みかしら?)
イグナーツは大層モテる。名門伯爵家の当主でもあるし、何よりも騎士団長だ。その精悍な顔立ちも、女性受けが大層いい。
それは、ローゼが騎士団に従事していたころから変わっていない……と、思う。
「……このお声、は」
ハイケがハッとしたようにそう呟く。なので、ローゼは彼女に視線を向けた。
でも、このまま甲高い声の主を放置することは出来そうにない。……使用人たちだって、迷惑だろう。
そう思ったローゼは、ハイケの言葉を聞くことなく応接間の扉をノックする。そうすれば、中の声が止んだ。
「お待たせいたしました」
ゆっくりと扉を開けて、ローゼがそう言う。出来る限りにっこりと笑って応接間の中にあるソファーを見つめる。
……そこには、一人の女性がいた。
「……あんたが、ローゼ?」
お世辞にも好意的とは言えない態度だった。
それに眉間がぴくりと動くものの、ローゼはその動揺を覆い隠す。
「えぇ、そうでございます。マッテス伯爵夫人のローゼ・マッテスと申します」
澄み切った声でローゼが自己紹介をすると――女性は、おもむろにカップに手を伸ばした。
「この、尻軽女!」
不意に女性がそう叫んで――カップをローゼのほうに投げつけてくる。
(……なに!?)
ローゼは咄嗟にカップを避ける。カップの中に入った紅茶が、ふかふかの絨毯に染み渡っていく。
……何とも虚しい光景だ。
「あーあ、あんたが避けるから、絨毯が台無しじゃない」
女性は勝ち誇ったように笑っていた。
……多分だが、彼女はローゼが避けても避けなくても、どっちでもよかったのだろう。
避けなければのろまと罵り、避ければ絨毯が汚れたと罵る。
何とも姑息な手だと思った。
(なによ、この人……!)
何となく、この女性とはなれ合えないような気がする。
心の奥底がそう叫んで、ローゼは鋭い目で女性を睨みつけた。
そうすれば、彼女はやれやれとばかりに肩をすくめる。
「本当に野蛮な貧乏女ですこと」
「……なんですって?」
「え、もう一度言ってあげましょうか? 女なのに騎士として従事する野蛮な貧乏女って、言ったのよ」
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