多分、そういうこと

鈴木

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上司の永瀬さん

好きな子にはグイグイ言っちゃうタイプ

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 残業はするけど休日出勤は絶対にしない。
帰れてしまうのであれば上司がまだ仕事をししていようとも帰る。
その代わり自分がすべきことはしっかりやり切る。

 数年の社会人経験を経て、上司にも会社にもびびっていた新社会人はどこかへなりをひそめ、少し図々しさを得た。そうやって自分の仕事のスタイルを確立し始めた頃だった。

 いつも通りの休みの前日。
最近営業課に配属になったイケメンが頭角を表し始めたらしいと噂を聞いた。
そのおかげで事務作業をするこちらの部署も忙しくなっていて、日中はまだ入って半年ほどの社員のお世話もしつつ、なり続ける社内外からの電話対応、急ぎの仕事を優先的におこなって入ればいつのまにか定時。

 イケメンめ、仕事を持ってくるのはいいが、できればいい感じの程度で持ってきてくれ打なんて罰当たりな願いさえ生まれてしまいそうだった。

18時を過ぎたあたりでぽつぽつと席を立つものが増え始めてきて、そのタイミングで新入社員にももう大丈夫だよ、と言って帰した。
使えないなんて偉そうなことは言わないが、今日に関しては面倒を見ながらでは進められないと判断した。
それをなんとなく彼女も感じているのか、引き出しからお菓子を渡しに差し出し

「お先に失礼します」

といって帰って行った。そしてーー。


「俺帰りますけど、佐伯さんどうしますか?」

社内に残っていた最後の1人が遠慮がちに声をかけてくる。
多分、彼は私が何ていうか知っていて、一応声をかけてくれただけなのだ。

「私もう少しやってから帰ろうと思ってます。お疲れ様でした」

お疲れ様です、と会釈して帰って行った。うん、扉もしまった。

それを確認した私は大きく伸びをした。
パソコンに長い時間向かっていたからかいろんなとろが伸びて気持ちいい。

そして自分のデスクの引き出し、上から2番目。私んお秘密の引き出しだ。

そこからお高めのティーバッグを取り出して給湯室へ。

誰もいないこの社内で私は1人で美味しい紅茶を飲みながら携帯で音楽を聴きながら残業をするのが嫌いじゃなかった。というか嫌いじゃなくするために始めたティータイムだった。

月に2、3回だけのお楽しみの時間。

お湯を入れたタンブラーに蓋を軽く乗せてしっかり2分蒸らす。この待ち時間に携帯で今日のニュースを少しだけチェック。あぁ、あの芸能人結婚したんだーとか。


そんなことをしていればすぐに2分。乗せただけの蓋をとれば紅茶の芳醇な香りが広がって口角が自然と上がる。
ティーバックを捨て、タンブラーの蓋をしっかり閉めて、ルンルンでさっきもらったお菓子一緒に食べようかな、なんてのんきに考えながらデスクに戻ってくると、


「お、今日もいいもんもってんな」


だなんて悔しいほどにいい声した読んでない客、私の上司の永瀬さんが私の席の隣に座っていた。

「今日は直帰だとホワイトボードには買えてありませんでしたか?」

「帰宅途中に会社の前通るじゃん?電気ついてるじゃん?誰かなー?って思うじゃん?」

頭を抱える、という単語が頭に浮かぶ。
私はどうもこの上司が苦手だ。仕事もできて、わざとかと思うほどに目を合わせて話をしてきて、その瞳は全てわかってるぞと、見透かされているような気になってくる、そんな目。

「誰か、は私ですし、あと1時間くらいしたら帰りますよ。永瀬部長は打ち合わせで疲れでしょう?早く帰っておやすみされたらどうですか?」

平たく言えば、私の時間を邪魔するな、と言っている。
多分それに気づいていて彼は楽しそうに笑うのだ。

「明日休みだし死ぬほど寝るから大丈夫。心配無用。それよりも部下の仕事を見守るのも俺の仕事だしね。どうせなら俺も1時間くらい休憩して、施錠の確認して帰ろうかなって思うんだけどどう?」

見守るんじゃなくて手伝ってくれよ。とは言えないし、私が1時間で帰る気がないのをわかって
言っている。食えない上司。

「好きにしたらいいんじゃないでしょうか?」

負けた。

せめてもの抵抗で、同じように営業スマイル貼り付けて言ってやった。
楽しそうにデスクで頬杖ついてにこにこしている永瀬部長。
若くして部長まで登り詰めただけあってやり手だなんて思うが、その実力は別にここで発揮しなくてもいいと思いませんか?最近残業のたびにこんなふうにこの上司はふらりと現れて私の仕事が終わるのを見届けているような気がする。

それからどれくらいたっただろうか。
初めは、この上司邪魔だな、気が散るな、なんて思っていたけれどいつのまにか気にならなくなりついでに存在さえも忘れるほどに集中していたようだ。

ふと隣を見るといつの間にか書類のチェックを始めていた永瀬さん。結局この人も大概ワーカーホリックだ。
そしてちょっと俯き加減のその角度の顔までかっこいい。ちょっとむかつくまである。

他の部署の女の子たちが永瀬さんがかっこいいと言っているのを何度も聞いたことがあるし、紹介してくれと言われたり、うちの部署の飲み会になんとかして参加できないかと言われたことも数えきれない。
すべて めんどくさいし、永瀬さんがそう言ったことが嫌いなのを知っているのでお断り申し上げているものの、
そうなると今度は永瀬さんに彼女はいるのかだとか、どんな人がタイプなのかなどと、情報を欲しがる人が多いこと。
多分それにうんざりしていたのもあると思うし、時計を見れば時間はすでに22時を超えていた。
だからだと思う、永瀬さんにこんなことをペロっと聞いてしまったのは。


「永瀬さんって彼女とか、同棲してる彼女とか、結婚間近の彼女とかいないんですか?」


いっそのこといてくれ、と。
思ったり、思わなかったり……?


「ん?なに急に」


目線は手元の書類のまま気の抜けた返事が返ってくる。


「金勢さんに彼女ができるか、いるってわかれば渡しに紹介してくれとか言ってくる人が減るかなと思ったんですけどそこんとこどうなんですか?イケメン部長」

「彼女はいないね。すまんな、俺のイケメンさのせいで面倒かけて」

多分微塵もすまんな、なんて思ってないな、この人。

「好きな人とかいないんですか?」

「いるよ」

低い、今までに聞いたことのない少しの色気を含んだ、でも少し楽しそうな声。
ゆっくりとその目線が手元から上がる。

そしてバチっと音が鳴ったんじゃないかと錯覚するほどしっかりと目が合った。


「……、好きな人、いるんですね」


「俺にだって好きな人くらいいるよ」

普段あまり聞いたことのない声に、聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がする。
そして目をそらせないついでにいうとやっぱ顔はどんでもなくイケメンだな。
相変わらず目はそらせない。いつもと違う声や真剣な顔にまたドキっとする。
それを悟られたくなくて話題を変えたらいいのになぜか深掘りしてしまう。もう私の仕事は手についていない。


「どんな人だと思う?」


部長が立ち上がり一歩近づく。


「いや~、さぞか美人なんでしょうね……、それかどっかのお嬢様ですか?」


また一歩、こちらに。


「ん~、美人っていうよりか可愛い系かな」


どんどん許は近づいてくる。なぜか私が椅子ごと後ろにすこしずつ下がっている。


「へぇ……。なんとなく年上のえげつない美人とかかと思ってました」


わかってる、もうなにもいうな私の口。そう思うのに、目が合ったままの永瀬さんの目力と色気にやられて、いつの間にか話題は深掘りする方へ誘導されているよな気にさえなってくる。


「何だそれ。どんなイメージだよ」


「永瀬さんの彼女とか、そういう人じゃないと釣り合いとれなさそうっていうか……」


「ふ~ん、そんなイメージあるのか」


どんどん近づいてくる。なぜだ、なぜ近づいてくるんだ。


「ってか俺可哀想だからね。結構ぐいぐいいってんのに、全然気づいてくれいんだもん」

また一歩。


「へぇ、永瀬さんにぐいぐいこられても気づかないような変わった人いるんですね」


もう椅子ではこれ以上後ろに下がれない。


「そうだよな、ほんとアホだよなぁ、休みの前の日とかよく残業してるようなやつでさ」

あ、捕まる。そう思った時にはもう遅い。
永瀬さんの手が私の椅子を掴んだ。


もう後ろにも下がれないし、永瀬さんの手のせいで私は椅子からも立てない。


「そのたびに一緒にいたりとかしてるんだけどさ、俺の気持ち全く気づいてないんだよな、そいつ」


「そんなあほ、いるんですね……」


多分間違えたと思う。


「そのアホはお前だよ、ばーか」

目は、そらせないまま。
ついでにいうと今このオフィスには私だけ。
永瀬さんの目に私の後ろに誰も写っていないのであれば、永瀬さんがいう“お前”は私のこと……か?


とりあえず一回ふざけてっ見るか……?


「近くで見ても永瀬部長の顔はイケメンですね」

「今日は逃さねえからな」

ダメそうです。

真剣な顔と、近すぎるが故にふわりと香る彼の香水の匂いに頭が爆発しそうになる。なんなら多分爆発してる。


「ちょ、近いです」


「近づいてんだよ」

「何でですか、もう少し離れてください」

「慣れろ」

なぜ私が怒られているのか。逃げ出してしまいたい。
数時間前に最後に帰ったあいつを呼び戻したい。ついでに目はなんとか逸らした。


「なぁ」


またあの低い色気を含んだ声……。


「俺の目を見ろ」

「無理です勘弁してくださいほんと無理です」


最後の力を振り絞って目線を外したのに、また目を合わせようもんならもうダメだ。
終わる、何が終わるのかは知らんが終わるのだ。


「強制的に向かせるのと、自分でむくのとどっちがいい?」

「自分で向きます」

さっきのきついは一瞬で散って、また永瀬さんを見た。
うん、終わった。

その表情は今まで見たことのないものだった。
なんでそんな優しい顔をしているんだろう。
揺さぶられるからやめてくれよ。

「なぁ、そろそろ俺の気持ちに気づいてくれてもいいんじゃない?ってか俺の気持ち伝えさせてくれても良くないか?いつもなんとなくはぐらかして逃げてくけど今日は逃さねえからな」

少しだけ楽しそうに目の奥が揺れた気がした。


「仕事頑張ってるのも知ってる。今は新人の教育係もあるし自分の仕事ろくにできてねぇだろ。金曜以外も残ってるもんな」


気づいてないと思ってた。


「お前がコーヒー淹れてくれる時、俺のだけちょっと温くしてくれてるよな、俺が猫舌だから」


いつも熱々のはしばらく置いてあるから、そうなのかと思って。


「昔お前が新入社員の頃、失敗するとここでは泣かないくせに資料室の端っこで泣いてるのも知ってるぞ」


「なんでそんなことまで知ってるんですか……」

自分で思うよりも自分の声が弱々しいことには気づいている。


「お前のこと、見てたから」


新入社員の面倒はあなたがしてくれたようにしているだけだし、コーヒーだって気づいたからそうしているだけだ。ただ、そうしたらいいだとうとおもったからしたまでだ。

誰かに評価されたくてしたわけじゃなかった。
なのに、見ていてくれて気づいてくれた人がいて、嬉しいと思ってしまっている自分がいるのも事実だった。

そしてそれがこの人であればいいのに、と心のどこかで思ってしまっていた事実にも気づいてしまった。


「あの時からどうせ泣くなら俺が近くにいる時にしてくれたらいいのに、って思ってた。近くにいたら話聞いてやれるのに、って。はちゃめちゃに甘やかしてやるのにな、って」


この人の言葉がどんどん私の心を温かくしていく。

「とにかく俺は、お前の上司だからじゃなくて、もっと近い関係でそばにいたいと思ってる。できれば彼氏がいいんだけどな」


ずるい、最後に笑うなんて。


距離は近いままだ。でもそんなことはもう気にならなくなっていて。


行き場のなかった私の手が無意識に永瀬さんの袖を掴む。
これが今の私の精一杯だ。


それに一瞬だけ目をやって永瀬さんは満足そうに微笑んだ。


「私、別に可愛くないです」

「俺には十分すぎるほど可愛いけど」

「朝起きるの苦手だし」

「俺が得意だから別にいい」

「意外と家ではくっついてたいタイプだし」

「いいんじゃない?他は?何かあれば今のうちに言っとけば?まぁ全部潰すけど」

その自信満々な言動さえもキュンとしてしまっている。
どうかしてるな、私。

「もう、ないです……」

そういうと今までに見たことない無邪気な笑顔を見せた。
多分、私はもうずっと前からこの人に捕まっていたんだと思う。


「じゃあとりあえず抱きしめてもいい?」


「それは話が違います」

「違わないだろ。ってか聞いただけで聞き入れるとは言ってない」

そう言ってあの香りが私を包んだ。

「あー、やっとだわ」ぎゅっと抱きしめ、私の頭を撫でる大きな手になぜか泣きそうになった。
そして恐る恐る彼の背に手を回せばより強く抱きしめられた。


「なぁ、キスしてもいい?」

「何言ってんですか、会社ですよここ」

多分私の心臓はドキドキしすぎて寿命が3年は縮んだ。


「へぇ~、会社じゃなかったらいいんだ」

ニヤニヤ、その言葉が一番合う。
あ、また初めての表情だ。
今日1日でどれだけ初めての表情を見るんだろう。
でもその表情の一つ一つが仕事ではなくてプライベートの表情で、永瀬さんに近い存在になったことを嫌でも実感する。

「いや、会社じゃなかったらとかそういうのでは……」

「とりあえず俺んち帰ろう」

「え?」

「はい電源落として~、カバン持って~、電気消すぞ~」

勝手に電源を落とされ、机に広げていたものはなんとなく端に寄せられて。


「タンブラーはもったいないからそのまま持って帰ろう」

タンブラーとカバンを持たされてあれよあれよというまに会社の鍵を鼻歌まじりで施錠する彼。

「え、ちょっと待ってください、なんでそんな楽しそうなんですか?」

焦る私に彼は真面目な顔でこう言うのだった。


「長年の片思いが実ったんだから鼻歌くらい歌いたくなるだろ」

と。


もう無理、爆発する。





終わり

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