アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―

蔦、十一葉。

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 屋敷と逆方向の地区にいたため、戻るにはやや時間がかかった。

 それでも聞きたい話も聞け、欲しかった情報も手に入れた。

 見慣れた景色が車窓を横切り始めたことで屋敷が近いことを知る。

 馬車の揺れの感覚が広がって次第に速度が落ち、そして屋敷へと到着する。

 封筒を手に馬車より降り、御者へ声をかける。



「今日はありがとうございました」



 ついでにディアドラさんからもらった包みの布を回収する。

 御者は「いや、セナもお疲れさん」と朗らかに笑って馬車を車庫へ仕舞いに行った。

 わたしも使用人棟へ向かい、中へ入ると、二階の自室へ上がる。

 窓が締め切られた部屋は蒸し暑い。窓を開けて風通しをよくしておこう。

 帽子と上着を脱いで椅子の背にかけ、鏡の前で身嗜みを整えてから封筒を持って自室を出る。

 向かう先は伯爵の書斎だ。懐中時計で時刻を確かめたが、午後のティータイムには早い時間帯なので報告をしに行っても邪魔にはならないだろう。

 早足で廊下を抜けて建物の反対側へ向かい、伯爵の寝室の扉を叩く。



「……誰ですか」



 恐らくアルジャーノンさんだ。



「セナです」



 返事をすれば扉が開いてアルジャーノンさんが顔を覗かせた。

 寝室へ入ると、アルジャーノンさんは書斎へ続く扉へ寄り、ノックをする。

 中から聞こえた誰何の声にわたしが来たことを告げればすぐに入室の許可が下りた。

 アルジャーノンさんが開けてくれた扉を潜り書斎へ入る。

 重厚な木製の机の向こう側には伯爵が、その横にはアルフさんがいた。



「それは?」



 持っていた封筒を目で示されて差し出す。



「『小鳥の止まり木』の活動内容の資料です」



 アルフさんがそれを受け取り、封を開けて中身を伯爵の前へ置く。

 それなりに厚いその書類を手に取った伯爵が書かれている内容を流し読みする。

 わたしもアルフさんも伯爵が読み終えるのを待った。

 出掛ける前よりも机の上がすっきりしているのは片付けたからか。

 しかし相変わらず窓が開け放たれ、書類の上に文鎮代わりに物が載せてある。



「お前も読んでおけ」

「はい」



 目を通し終えた書類を伯爵がアルフさんへ渡す。

 

「報告を」



 アルフさんはまだ書類へ目を向けたままだがいいのだろうか。

 ……まあ、伯爵が話せというなら話すけど。

 頷き返したわたしは今日見聞きしたことを出来うる限り細かく説明することにした。





* * * * *





「――……最後に『小鳥の止まり木』に寄り、こちらの資料をお借りして参りました。お手数ですが書類の借り受けと必ず返却するという旨の手紙を『小鳥の止まり木』へ書いていただきたいのですが、お願い出来ますでしょうか?」

「後ほど書いて送らせよう」

「ありがとうございます」



 わたしが報告をしている間にアルフさんも読み終えたようだ。

 机の上に戻された書類の上に伯爵が替えのインク壺を載せて文鎮としていた。



「アルフ、書類をセナへ」

「畏まりました」



 次に、恐らく伯爵が調べてきたのだろう書類がアルフさん経由で渡される。

 受け取ったそれに目を通せば王都の――厳密に言えばノース方面の――ここ五年ほどの浮浪者数などについて書かれた資料だった。

 全体の浮浪者数と各地区の数、どの地区のどの辺りが浮浪者の巣窟になっているか、一年毎に調べたのか前年との増減数には何故そうなったかの簡単な分析が添えられている。

 四、五年前は然程数に変化は見られないが、三年前からは変動していた。

 確か『小鳥の止まり木』が活動を始めたのが五年前なので、そこから考えて二年は小規模の活動を行い、三年目より本格的に浮浪者の生活や職に関わる活動へ移行していったのだろう。

 他の方面よりもノースの浮浪者数が減ったのは『小鳥の止まり木』のお蔭か。



「『小鳥の止まり木』の活動時期と浮浪者が減少し始めた時期は一致している」

「ええ、そのようですね」



 隣接する他の方面でも多少の変動が見られるのは少なからずノースへ流れたせいか。

 そうは言っても驚くほど数が減ったわけではない。

 大体の情報を頭に叩き込んで書類を返す。

 伯爵は先ほど渡した書類の中から一枚だけ引き抜き、わたしが返したばかりの書類からも数枚抜き出すと、それらを机の上へ広げた。

 風で飛びそうだと思ったがアルフさんが窓を閉めたのでそれは杞憂に終わる。

 指先で呼ばれて机へ近付けば、置かれた書類は『小鳥の止まり木』の支援者の活動場所が書き込まれた地図とここ数年の浮浪者の数についてのものであった。



「……ここ、おかしくありませんか?」



 両者を並べて見比べ、そしてある地区に目がいった。



「お前もそう思うか」



 その地区の浮浪者数だけは他の地区よりも頭一つ分ほど少なかった。

 『小鳥の止まり木』が本格的に動き出すまでの二年は他と同じような数であったのに、活動が始まってからは、まるでそこから集中的に人を選んでいるかの如く数が右肩下がりになっている。

 その地区が『小鳥の止まり木』の本部がある場所ならばまだ理解出来る。

 しかし、そこに本部はなく、同じノース方面と言えどもやや距離が空いていた。

 本部のある地区の数もそれなりに減少しているが差があった。



「その辺りは支援者が他よりもやや密集傾向にはあるが、だからと言って浮浪者が減る道理はない」

「そうですね。食事や衣類などの配給は出来ても職や住居には限りがありますから、全てを受け入れていくことは流石に無理でしょう」

「そうであるにも関わらず、では何故、此処だけが数が減り続けているのか」



 アルフさんが伯爵の意見に同意しながら己の考えを口にすると、伯爵もまた、アルフさんの意見に頷き返しながら新たな疑問を提示する。

 数が減り続けている地区には『小鳥の止まり木』へ協力している支援者の家や職場が複数ある。

 その住所を確認しつつ、わたしは伯爵とアルフさんへ質問を投げかけた。



「根本的な問題になりますが、今回の件は本当にただの人探しなのでしょうか?」



 伯爵が顔を上げて首を振った。



「いや、それは違うと私は考えている」

「理由をお聞きしても?」

「まず第一に、三つ目鴉ほどの組織ならば人探し程度に然程苦労はしないはずだ。少なくとも王都内に探し人がいて行方が分からないなどということはない」

「花街やその辺りにいるゴロツキ、もしくは闇市に来る人々を使って探させることが出来るからですね」



 見つけ出したら幾何かの金銭を与えると言えば人探しは容易いだろう。



「第二に、私の下へ持って来た点だ。ただの行方不明者の捜索で私に頼る意味がない。私や警察よりもあちらの方が人手があるからな」



 それもそうだ。伯爵が関わるのは大抵が大きな事件である。



「そうして、は『行方を調べて欲しい』と言った。捕まえるでも、探すでもなく、調べろとは少々不思議ではないか? 普通は『探し出して捕まえてくれ』だろう? しかも『見付けたら自分達で回収・・する』と」

「……物扱い、ですかね? でもそれにしては妙な言い回しに聞こえますが……」



 元々わたしのことも付加価値のある商品のような扱いをしていた奴らだ。

 浮浪者なんてそれこそただの道具くらいにしか考えていなくとも不思議はない。

 けれども伯爵が小さく首を振る。



「行方を調べるのは『忽然と姿を消した者達』についてだが、その者達が『生きている』とは一言もあれは口にしなかった。そして私へ依頼するような案件ということは……」

「何らかの事件――……いえ、殺人が絡んでいると伯爵もお考えなのですね?」

「それしかあるまい」



 小さく息を吐いた伯爵につい苦笑が漏れてしまう。



「そもそも伯爵が仰る通り、当家に人探し程度で依頼するとはわたしも思えません。何より、その可能性を考えざるを得ないことが少々ございましたので」

「何があった?」

「確証はありませんが御説明します。地図をお借りしても?」

「構わん、好きにしろ」



 やや身を乗り出した伯爵の前に出してもらった新しい地図を置いた。

 ペンを拝借し、そこに前回と今回見学に行った場所を×印で記していく。



「わたしは前回と今回、この五つの場所を回りました。これらは三つ目鴉が調査するよう指定した場所でしたね?」

「ああ、そうだ」



 それを書き終えると次に浮浪者の数についての書類を手に取る。



「そして浮浪者が明らかに前年より減っている地区がこちらです」



 そう言いながら、前年よりも浮浪者数の減った地区を〇で囲んでいく。

 それまで黙っていた伯爵が残りの書類を手に取った。

 わたしが羽ペンを渡すとそれで更に地図へ◎印で書き込みを入れる。

 その書類は『小鳥の止まり木』の協力している支援者の活動場所についてのものだ。

 それら三つが全て重なる箇所が地図の上に二つ、浮かび上がった。



「どちらだと思いますか?」



 伯爵へ問いかければ、微かに首を傾げられる。



「現状、どちらとも言い難い。だが此方は何かしら関わっているだろう」



 そう言って指差された方は三つ目鴉の指定した場所の一つである。

 それにわたしも頷き返す。



「三つ目鴉が調査しろと言うくらいですから何かしらあるでしょう」

「むしろ此方の方が私には関りがあるとは思えないが……」



 残りの印の方を見て伯爵が眉を寄せた。

 わたしも何もなければそう思ったであろうし、今でも正直気のせいではないのかと疑う気持ちが強い。

 ……そういえば借りた物を返さないといけないんだった。

 懐に入れたままの物を思い出して伯爵へ聞く。



「明日……いえ、明後日、お時間に空きがあるのでしたら直接確認しに行ってみませんか?」



 ブルーグレーの瞳がこちらの内心を透かし見るように眇められる。



「確証はないのだろう?」



 その言葉に頷いた。

 確証はないけれど、こういう時のわたしの勘はよく当たるのだ。



「ええ、ですので伯爵のお力を少々お借りしたく存じます。埋もれた真実を白日の下に曝し、法による厳正なる裁きによって断罪する。……三つ目鴉にはいそうですかと渡すのも癪ですしね」



 三つ目鴉がどのような結末を望んで伯爵にこの話を持ってきたのかは定かではない。

 ただ、伯爵の下に持ってきた以上、闇に葬り去られるのも何だか体の良い何でも屋扱いされているようで腹が立つので、あちらの思惑通りに動くのは嫌だなとも思っている。

 そんなわたしの考えに気付いたのか伯爵の口元が小さく弧を描いた。



「後であれらから文句を言われるのは私だぞ」



 そこでダメだと止めないところであなたも共犯ですけどね。



「そこはほら、貴族らしくふんぞり返ってしれっとしていればよろしいのですよ」
 
「……お前の中での貴族がどんなものかよく分かる発言だな」

「伯爵の今後の行動次第で如何様にも変えることはできますが?」



 どこか呆れた風に伯爵が頬杖をつく。

 アルフさんが伯爵へ行儀の悪さを注意するべきか、わたしの発言について注意するべきか迷っているのが感じ取れたが気付かないふりをする。

 そしてアルフさん自身もわたしが気付いていて直さないことに考えが至ったようで溜め息を零していた。

 頬杖をついた伯爵が今度は愉快そうに目を細める。



「そこで私を引き合いに出すか」



 それはそうだろう。



「わたしの知る貴族は伯爵かリディングストン侯爵家のお二人しかおりませんから」

「それは責任重大だな」



 クツクツと笑う伯爵にわたしは黙って微笑み返す。

 わたしがこうであって欲しいと思う貴族像はまさしく伯爵のような人だから。

 本当は努力してもらう必要などありはしないのだけど、きっとこう言えば、伯爵は伯爵なりの貴族とはこうあるべきだという考えを体現しようとする。

 そういうのがこの人の可愛いところだ。

 そんなことを言えば嫌がられそうなので多分この先もずっと口には出せないが。





* * * * *





「セナ、貴方宛ての手紙が来ていたわよ」



 今日の仕事を終え、汗も流して部屋に戻ろうとした時にメイドの一人に声をかけられた。

 手渡された手紙は真っ白な封筒に美しい達筆な文体でわたしの名前が書かれている。

 裏返すといんのない赤い蝋封がされていた。差出人の名はない。



「ありがとうございます。お手数おかけしました」

「いいわよこれくらい。それじゃあ、おやすみなさい」

「お疲れ様です。おやすみなさい」



 廊下を抜けて使用人棟へ移り、自室へ戻る。

 暗い部屋の中で燭台の蝋燭に火を灯し、それを机の奥側へ置き、椅子に座ってからペーパーナイフで渡されたばかりの手紙の封を切る。

 中に入っている便箋も真っ白だ。

 けれども、それを開いて蝋燭の明かりに透かすと薄っすらとだが薔薇の透かし模様が入っている。

 机の上へ便箋を下ろして文面へ目を走らせる。

 宛名と同じ美しい文字が並んでおり、内容を読み終えて、ホッと肩の力が抜けた。

 思わず天井を仰ぎ見て大きな息が一つ漏れる。

 見上げた先にあるのは使用人棟の質は良いがシンプルな無地の天井だけだが、手紙の返事を思い返すとそれだけで驚くほどに心が満たされ、安堵感とそれの心強さに喜びすら覚えてしまうほどだった。

 勝手にこのようなことをしていると伯爵に知れたら怒られるだろうか。

 それとも一人で何をやっているのかと呆れられてしまうだろうか。

 だけど、どうしても確かなものが欲しかったのだ。

 伯爵との未来を描くためにはこれだけは譲れない。

 便箋を封筒に戻し、人目に触れないように机の引き出しの最も奥へ仕舞う。

 まだ何一つとして確固たるものはないが、これで充分だ。

 ……よし、明日も早いしさっさと寝よう。

 明日の着替えを机の上へ用意して、サイドテーブルに燭台を置き、ブーツを脱いで揃えたらベッドへ横になると小さく欠伸が漏れた。

 今日はきっとよく眠れるだろう。

 燭台の明かりを消して、眠り慣れた硬いベッドのシーツに潜り込んだ。




 
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