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# The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―
蔦、七葉。
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* * * * *
一度目の見学から数日後、予定を調整して二度目の見学に行くことになった。
七月も中旬に入り、朝から天気が良く、風通しの悪い馬車の中にいるとじんわり汗を掻いてしまう。
人目がないのを良いことに少しだけシャツの襟元を開けて手で扇ぐ。
シャツにジレとアビ、キュロットという格好は体にピッタリとしていて暑いのだ。それでも着崩す訳にはいかず、馬車の窓を僅かに開けて室内の空気を入れ替える。
これでも午前中なのでまだ涼しい方だ。
午後の暑さを考えるとそれだけでうんざりしてしまう。
出掛ける前に顔を合わせた伯爵もアビを脱いで、シャツとジレ、キュロット姿で書斎にいた。何時もは風が入ると書類が飛ぶからと閉められている窓は開け放たれ、書類の束の上に文鎮代わりにあれこれと置いていたが、いっそのこときちんとした物を買ったほうがいいだろうに。
あれでは物を整理出来ない人みたいに見えてしまう。
思わず荒れ果てた書斎の真ん中で仏頂面になる伯爵を想像して吹き出してしまった。
……それはそれで見てみたい気もするが。
くだらない想像を頭の中から追い払って今日の予定について考える。
回る順番は前回と同じでいい。バイロンさん宅、ディアドラさん宅、粉挽屋のベンジャミンさん、洗濯屋のアンさん、水売りのディジャールさん、最後に『小鳥の止まり木』だ。……ディジャールさんだけはちょっと不安だ。あの人の仕事を考えると行動範囲が広いのでタイミングを外すと会えない可能性も高い。
ただ個人的な意見を言うならばディジャールさんはシロな気がする。
そもそも水売りという仕事自体が一人で完結してしまうから他の浮浪者と関わることが少ない。
あの何かと世話焼きな性格を考えれば仲間が仕事を辞めたと聞いたらすぐにその人物の下へ行って次の就職先を一緒に探してあげそうな人なのだ。
例えば他の水売りを辞めさせたとして、その分をディジャールさんが受け持つことになれば確かに彼の利益にはなるが、仕事も増える。井戸と家とを何度も往復しなければならない重労働が更に一人分増えてもやり切れないだろう。需要と供給に差が出て追い付かなくなる。そうなると仕事が増えるのはマイナスだ。
むしろ仲間を増やして自分達が出来る範囲でカバーし合うのがベストだろう。
全員が全員こういう考えを持てるとは限らないが、わざわざ他人の領分を侵してまで利益を求めるような人には感じなかった。
ガタゴトと揺れの感覚が開いて行くのを感じてシャツの襟元を正す。
とりあえず全部で話を聞いて『小鳥の止まり木』であれば資料を見せてもらおう。
新聞に載せるくらいなのだから利用している浮浪者に関する書類は多少でもあるはずだ。
第一の目的地に着いたのか馬車が停まり、御者の声がする。
荷物を手に、馬車から降りて顔を上げればつい先日見たばかりのバイロンさん宅があった。
改めてよく見ると奥へ細長いこの建物は淡いモスグリーンの壁に白い屋根、窓から少しだけ飛び出した小さな柵の部分などに花の植えられた鉢が置かれている。玄関先の花壇の花とどうやら同じ種類のようだ。
前に来た時に「男ばかりだ」と言っていたが壁の塗装は最近塗り直されたのか綺麗だ。
今日も花壇の前で座り込んでいるバイロンさんに声をかける。
「こんにちは」
驚かせないようにそっと声をかければバイロンさんが振り返った。
「ん? お前さんは確か……セナ、だったか?」
「はい、覚えていていただけて嬉しいです」
小首を傾げながらもわたしの名前をきちんと憶えていたバイロンさんへ頷き返す。
両手の汚れを払い、バイロンさんがゆっくりと立ち上がる。
「今日はミレアは一緒じゃないんだな」
「ええ、今日は一人でお話を聞きたくて参りました。前回の見学で疑問に思う点が出てきたのですが、リースさんの前でそれを聞くのは少々憚られるものでして。あ、こちらをどうぞ。中身は日持ちのするお菓子の詰め合わせです」
持ってきていた荷物を渡すとバイロンさんが頭を掻いた。
「そうか、変に気を遣わせちまって悪いな。せっかく持って来てくれたんなら、ここで立ち話するより中に入って茶でも飲みながらにするか」
菓子折りを片手に持ち、空いたもう片手で手招きされて家の中へ入る。
今日は人がいるらしく上階から物音が時折聞えた。
入って左手の食堂へ行くと菓子折りを置いてバイロンさんが手を洗いに廊下へ出て行き、わたしは言われた通りに適当な椅子に腰掛けて待つことにした。
前回と様子が変わらないことから、一度目の見学の時も普段通りに過ごしていたのだろう。
戻って来たバイロンさんの後ろには初めて見る顔が二つあった。
「話を聞くっていうなら俺だけじゃなくて、こいつらもいた方がいいだろ?」
一人はくすんだ金髪に淡いブラウンの瞳の二十代前半ほどの青年だった。
もう一人はダークブランの髪に同色の瞳の三十代後半ほどの男性だ。
どちらもあまり人に慣れていないのかわたしを見て居心地悪そうに視線を落としている。
「はい、御迷惑でなければお話を聞かせていただきたいです」
大丈夫ですか、と聞くと黙って頷いたので何とか話は聞けそうだ。
バイロンさんが気にせずお茶の準備を始めたので、もしかしたら何時もこういう感じなのかもしれない。
「じゃあお前達は皿を用意して、そこの箱を開けて、中身を分けてくれな。ああ、此処にいない他の二人の分もちゃんと残しておくんだぞ」
「はい……」
「分かりました」
まるで父と子のようなやり取りだ。
おどおどした様子の二人だったが箱を開けて中身を見ると途端に表情が明るくなる。
元浮浪者であったなら毎日生活するだけでいっぱいいっぱいだっただろう。元々砂糖自体が高価なものだから彼らにとって、甘いお菓子はそうそう手に出来るものではなかったはずだ。
嬉しそうな顔をする彼らにバイロンさんが「そこのセナが持ってきてくれたんだ」と言えば二人の雰囲気が和らぐのを感じた。
食べ物で釣るなんて古典的な手法だが、突然訪問するのだから手土産の一つくらい持参しても不自然ではあるまい。
皿にお菓子を分け終えた二人はバイロンさんとわたし、そして自分達の分をテーブルに並べ、残りの二皿分が入った箱を大事そうに棚へ仕舞い、それぞれわたしの向かい側にある椅子に座った。
バイロンさんが来るのを先ほどとは違う落ち着きのなさで待っている。
「ほら、待たせたな。もう食べて良いぞ」
お盆にティーセットを載せて戻ったバイロンさんがわたしの前にティーカップを置きながら言う。
すると二人はすぐに自分の皿へ手を伸ばし、お菓子を一つ口に入れた。
黙って、よく味わって食べている。
その間にバイロンさんは全員分のカップを置き、私の横に座った。
「それで、聞きたいことってのは何だ?」
自分で淹れた紅茶を一口飲んだバイロンさんに問われる。
わたしもティーカップとソーサーを置いて話に集中することにした。
「実は前回聞けなかったのですが『小鳥の止まり木』から就職先や住む場所を紹介されても出て行ってしまう、という方は少なからずいらっしゃるのですよね? こちらはリースさんが教えてくださいました」
「ああ、いるな。うちも今まで二十人ほど紹介されたけど、そのうち四、五人は出て行った」
「その方々はまた別の場所を紹介していただけたのですか? それとも自分で出て行って、もう『小鳥の止まり木』を利用することはなかったのでしょうか?」
「全員、別のところをミレアが紹介してやってたな。でも他のところでは勝手に出て行っちまう奴や、元の生活の方がいいって諦める奴もいるってのは結構聞くぞ。なあ?」
バイロンさんが話を振れば、お菓子を食べていた二人の手が止まる。
「え? ええ、その、働かなくても何とか日々の食い扶持が何とかなればいい、と思う人はいます」
「俺はやだな。たまに働くの疲れるって思うけど、あの暮らしには戻りたくない」
「それは俺もそうだよ。……でもこうして他の人と暮らすのが無理だって出て行く人は多いです」
「うん、慣れるまで大変だったし」
男性と青年の話にバイロンさんが苦笑を零す。
こればかりは本人達の意思の問題なのでどうしようもないか。
ただ、この目の前にいる二人は今の暮らしを維持したいと考えているようなので勝手に出て行くことはないだろう。帰る場所があるというのは何よりも安心出来るから。
しかしバイロンさん宅は全員ミレアさんが次を紹介済みだとしたらハズレかな。
「そうでしたか。この地区の浮浪者の数が減っていると新聞で読んだものですから、辞めた方が戻らなかったのかなと疑問に感じまして」
新聞のことを持ち出せばバイロンさんが嬉しそうに目を細めた。
「ああ、この間の記事か。ミレアも頑張ってるからな、ああして目に見える形で出ると嬉しいもんだ」
「そういえば最近、俺達みたいなのあんまり見なくなった」
「『小鳥の止まり木』の人達が手を尽くしてくれているんでしょうね」
青年と男性も嬉しそうなのは自分と似た境遇の人が減ったからだろうか。
わたしも意識して嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、本当に『小鳥の止まり木』の活動は素晴らしいですね」
* * * * *
午前中のまだ暑さが弱いうちに用事を済ませてしまおう。
誰もがそう考えたせいか、よく晴れ渡った空の下に続く道は人で溢れていた。
その間を黒塗りの馬車が一台走っていく。華美な装飾は殆どないものの、所々に使われた金とそれで描かれた家紋から一目で貴族の馬車だということが分かる。御者台に座る使用人が風を受けて涼し気だ。
セナがバイロン宅で話をしているのと同時刻、馬車に揺られながらクロードは小さく息を吐いた。
夏の暑さもだが、今回の件も漏れた溜め息の理由の一つである。
三つ目鴉から手紙が届いた時はまさか姿を消した浮浪者達の行方を調べることになるとは思ってもみなかったので、面倒事に関わってしまったと少しばかり後悔していたのだ。
青からの願いを断ることは容易いが、その後を考えると受けるべきではあった。
この程度で破綻するほど脆くはないと言えども、互いの協力関係を維持するために、時には向こうの相談を聞き入れねばならない。今回がそうだっただけの話だ。
……しかしただの人探しなど私の仕事の範疇ではないんだがな。
三つ目鴉が人海戦術で見つけ出せないということは何らかの出来事が起きているのは確かだが、それがどのようなものであるのか、警察やクロードが介入するほどのことなのかと疑問を持ってしまう。
セナへ三つ目鴉が関わっている旨を告げた際、ほんの一瞬だが冷たく目を細めていたのを考えるとあまり向こうを良く思っていないのだろう。
そもそも初めて顔を合わせた時から険悪な雰囲気だった。あれらと馬が合わないのか、裏社会というものに反感を覚えているのか。セナの性格を思うと前者な気がするが、兎に角、必要以上に会わせない方が良さそうなのは確かである。
窓の隙間から覗く景色で目的地が近いと気付き、首元のクラヴァットを整える。
やがて馬車の揺れの感覚が広がり、最後に小さく揺れると停車した。
外から御者が到着した旨を告げて扉が開けられる。
そこには従者としてアルフが立っていた。
夏場になると従僕達は外の御者台か馬車の後ろに乗ることが多い。暑い車内よりも、日が当たっていても風通しの良い外の方が幾分マシなのだろう。
道行く人々は上着を脱いでおり、こういう時は貴族の体面というものが酷く面倒なものだと思う。着崩すことも出来ず、どんなに暑くても涼しげに振舞わなければならない。暑ければ上着を脱いだり袖を捲ったり出来る庶民の自由さが羨ましい。
馬車から降りて目の前の建物を見上げた。
石造りだがどこか洒落た雰囲気のあるそこは警察署だ。昔、此処は豪商の邸宅だったそうだが今現在こうして別の使われ方をしているということは元の家の血筋が途絶えたか、はたまた別の場所へ越したのか。
その辺りのことは知らないが長くこの場所が警察の本部としてあるのは事実だった。
階段を上がり大きな玄関口を潜ると、中はそれなりに人がいる。
受付へ行き、いつも通りクロードはデールを呼び出した。
そうして然程待たずにその相手は廊下の向こうから欠伸を零しつつ姿を現した。
「おはようございます、今日はどんな御用件で?」
こちらも常の如く警察署に寝泊まりでもしたのか、大柄な体躯に相変わらず皺の寄った服を着て、今日は普段よりも少し眠そうな面持ちで歩いて来た。
「調べたいことがある」
クロードが端的にそう言うと慣れた様子でデールは頷いた。
「じゃあ応接室へ」
「ああ」
立てた親指で背後を示し、デールが背を向けて廊下の奥へ行く。
貴族に対してするにはあまりにも雑な態度であったが、初めて合った時よりこのような感じなのでクロードの方もいちいち気にしてはいない。
デールが途中で見かけた者に茶を持ってくるよう頼んでいた。
貴族や裕福な家の者を通すために設けられた応接室はそれなりに広い。
警察署という場所柄、華美なものはないが置かれた机や椅子、棚などは重厚な木製のものが多く、誰かが毎日水を替えているのだろう花が飾られていたり、掃除がされていたりと綺麗に整えられている。
その部屋の椅子に対面して腰掛け、暫し待てば先ほど声をかけた者がティーセットの載った盆を持ってやって来て、テーブルの上に置くとそそくさと部屋を出て行った。
クロードの後ろに控えていたアルフがポットの中身などを確認して紅茶を淹れる。
二人分のティーカップとソーサーがそれぞれの前に置かれ、アルフが元の位置に戻り、デールが紅茶を一口飲んで「いい茶葉を出してきたな」と呟いた。
「それで? 旦那は何を調べたいんですかい?」
一度目の見学から数日後、予定を調整して二度目の見学に行くことになった。
七月も中旬に入り、朝から天気が良く、風通しの悪い馬車の中にいるとじんわり汗を掻いてしまう。
人目がないのを良いことに少しだけシャツの襟元を開けて手で扇ぐ。
シャツにジレとアビ、キュロットという格好は体にピッタリとしていて暑いのだ。それでも着崩す訳にはいかず、馬車の窓を僅かに開けて室内の空気を入れ替える。
これでも午前中なのでまだ涼しい方だ。
午後の暑さを考えるとそれだけでうんざりしてしまう。
出掛ける前に顔を合わせた伯爵もアビを脱いで、シャツとジレ、キュロット姿で書斎にいた。何時もは風が入ると書類が飛ぶからと閉められている窓は開け放たれ、書類の束の上に文鎮代わりにあれこれと置いていたが、いっそのこときちんとした物を買ったほうがいいだろうに。
あれでは物を整理出来ない人みたいに見えてしまう。
思わず荒れ果てた書斎の真ん中で仏頂面になる伯爵を想像して吹き出してしまった。
……それはそれで見てみたい気もするが。
くだらない想像を頭の中から追い払って今日の予定について考える。
回る順番は前回と同じでいい。バイロンさん宅、ディアドラさん宅、粉挽屋のベンジャミンさん、洗濯屋のアンさん、水売りのディジャールさん、最後に『小鳥の止まり木』だ。……ディジャールさんだけはちょっと不安だ。あの人の仕事を考えると行動範囲が広いのでタイミングを外すと会えない可能性も高い。
ただ個人的な意見を言うならばディジャールさんはシロな気がする。
そもそも水売りという仕事自体が一人で完結してしまうから他の浮浪者と関わることが少ない。
あの何かと世話焼きな性格を考えれば仲間が仕事を辞めたと聞いたらすぐにその人物の下へ行って次の就職先を一緒に探してあげそうな人なのだ。
例えば他の水売りを辞めさせたとして、その分をディジャールさんが受け持つことになれば確かに彼の利益にはなるが、仕事も増える。井戸と家とを何度も往復しなければならない重労働が更に一人分増えてもやり切れないだろう。需要と供給に差が出て追い付かなくなる。そうなると仕事が増えるのはマイナスだ。
むしろ仲間を増やして自分達が出来る範囲でカバーし合うのがベストだろう。
全員が全員こういう考えを持てるとは限らないが、わざわざ他人の領分を侵してまで利益を求めるような人には感じなかった。
ガタゴトと揺れの感覚が開いて行くのを感じてシャツの襟元を正す。
とりあえず全部で話を聞いて『小鳥の止まり木』であれば資料を見せてもらおう。
新聞に載せるくらいなのだから利用している浮浪者に関する書類は多少でもあるはずだ。
第一の目的地に着いたのか馬車が停まり、御者の声がする。
荷物を手に、馬車から降りて顔を上げればつい先日見たばかりのバイロンさん宅があった。
改めてよく見ると奥へ細長いこの建物は淡いモスグリーンの壁に白い屋根、窓から少しだけ飛び出した小さな柵の部分などに花の植えられた鉢が置かれている。玄関先の花壇の花とどうやら同じ種類のようだ。
前に来た時に「男ばかりだ」と言っていたが壁の塗装は最近塗り直されたのか綺麗だ。
今日も花壇の前で座り込んでいるバイロンさんに声をかける。
「こんにちは」
驚かせないようにそっと声をかければバイロンさんが振り返った。
「ん? お前さんは確か……セナ、だったか?」
「はい、覚えていていただけて嬉しいです」
小首を傾げながらもわたしの名前をきちんと憶えていたバイロンさんへ頷き返す。
両手の汚れを払い、バイロンさんがゆっくりと立ち上がる。
「今日はミレアは一緒じゃないんだな」
「ええ、今日は一人でお話を聞きたくて参りました。前回の見学で疑問に思う点が出てきたのですが、リースさんの前でそれを聞くのは少々憚られるものでして。あ、こちらをどうぞ。中身は日持ちのするお菓子の詰め合わせです」
持ってきていた荷物を渡すとバイロンさんが頭を掻いた。
「そうか、変に気を遣わせちまって悪いな。せっかく持って来てくれたんなら、ここで立ち話するより中に入って茶でも飲みながらにするか」
菓子折りを片手に持ち、空いたもう片手で手招きされて家の中へ入る。
今日は人がいるらしく上階から物音が時折聞えた。
入って左手の食堂へ行くと菓子折りを置いてバイロンさんが手を洗いに廊下へ出て行き、わたしは言われた通りに適当な椅子に腰掛けて待つことにした。
前回と様子が変わらないことから、一度目の見学の時も普段通りに過ごしていたのだろう。
戻って来たバイロンさんの後ろには初めて見る顔が二つあった。
「話を聞くっていうなら俺だけじゃなくて、こいつらもいた方がいいだろ?」
一人はくすんだ金髪に淡いブラウンの瞳の二十代前半ほどの青年だった。
もう一人はダークブランの髪に同色の瞳の三十代後半ほどの男性だ。
どちらもあまり人に慣れていないのかわたしを見て居心地悪そうに視線を落としている。
「はい、御迷惑でなければお話を聞かせていただきたいです」
大丈夫ですか、と聞くと黙って頷いたので何とか話は聞けそうだ。
バイロンさんが気にせずお茶の準備を始めたので、もしかしたら何時もこういう感じなのかもしれない。
「じゃあお前達は皿を用意して、そこの箱を開けて、中身を分けてくれな。ああ、此処にいない他の二人の分もちゃんと残しておくんだぞ」
「はい……」
「分かりました」
まるで父と子のようなやり取りだ。
おどおどした様子の二人だったが箱を開けて中身を見ると途端に表情が明るくなる。
元浮浪者であったなら毎日生活するだけでいっぱいいっぱいだっただろう。元々砂糖自体が高価なものだから彼らにとって、甘いお菓子はそうそう手に出来るものではなかったはずだ。
嬉しそうな顔をする彼らにバイロンさんが「そこのセナが持ってきてくれたんだ」と言えば二人の雰囲気が和らぐのを感じた。
食べ物で釣るなんて古典的な手法だが、突然訪問するのだから手土産の一つくらい持参しても不自然ではあるまい。
皿にお菓子を分け終えた二人はバイロンさんとわたし、そして自分達の分をテーブルに並べ、残りの二皿分が入った箱を大事そうに棚へ仕舞い、それぞれわたしの向かい側にある椅子に座った。
バイロンさんが来るのを先ほどとは違う落ち着きのなさで待っている。
「ほら、待たせたな。もう食べて良いぞ」
お盆にティーセットを載せて戻ったバイロンさんがわたしの前にティーカップを置きながら言う。
すると二人はすぐに自分の皿へ手を伸ばし、お菓子を一つ口に入れた。
黙って、よく味わって食べている。
その間にバイロンさんは全員分のカップを置き、私の横に座った。
「それで、聞きたいことってのは何だ?」
自分で淹れた紅茶を一口飲んだバイロンさんに問われる。
わたしもティーカップとソーサーを置いて話に集中することにした。
「実は前回聞けなかったのですが『小鳥の止まり木』から就職先や住む場所を紹介されても出て行ってしまう、という方は少なからずいらっしゃるのですよね? こちらはリースさんが教えてくださいました」
「ああ、いるな。うちも今まで二十人ほど紹介されたけど、そのうち四、五人は出て行った」
「その方々はまた別の場所を紹介していただけたのですか? それとも自分で出て行って、もう『小鳥の止まり木』を利用することはなかったのでしょうか?」
「全員、別のところをミレアが紹介してやってたな。でも他のところでは勝手に出て行っちまう奴や、元の生活の方がいいって諦める奴もいるってのは結構聞くぞ。なあ?」
バイロンさんが話を振れば、お菓子を食べていた二人の手が止まる。
「え? ええ、その、働かなくても何とか日々の食い扶持が何とかなればいい、と思う人はいます」
「俺はやだな。たまに働くの疲れるって思うけど、あの暮らしには戻りたくない」
「それは俺もそうだよ。……でもこうして他の人と暮らすのが無理だって出て行く人は多いです」
「うん、慣れるまで大変だったし」
男性と青年の話にバイロンさんが苦笑を零す。
こればかりは本人達の意思の問題なのでどうしようもないか。
ただ、この目の前にいる二人は今の暮らしを維持したいと考えているようなので勝手に出て行くことはないだろう。帰る場所があるというのは何よりも安心出来るから。
しかしバイロンさん宅は全員ミレアさんが次を紹介済みだとしたらハズレかな。
「そうでしたか。この地区の浮浪者の数が減っていると新聞で読んだものですから、辞めた方が戻らなかったのかなと疑問に感じまして」
新聞のことを持ち出せばバイロンさんが嬉しそうに目を細めた。
「ああ、この間の記事か。ミレアも頑張ってるからな、ああして目に見える形で出ると嬉しいもんだ」
「そういえば最近、俺達みたいなのあんまり見なくなった」
「『小鳥の止まり木』の人達が手を尽くしてくれているんでしょうね」
青年と男性も嬉しそうなのは自分と似た境遇の人が減ったからだろうか。
わたしも意識して嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、本当に『小鳥の止まり木』の活動は素晴らしいですね」
* * * * *
午前中のまだ暑さが弱いうちに用事を済ませてしまおう。
誰もがそう考えたせいか、よく晴れ渡った空の下に続く道は人で溢れていた。
その間を黒塗りの馬車が一台走っていく。華美な装飾は殆どないものの、所々に使われた金とそれで描かれた家紋から一目で貴族の馬車だということが分かる。御者台に座る使用人が風を受けて涼し気だ。
セナがバイロン宅で話をしているのと同時刻、馬車に揺られながらクロードは小さく息を吐いた。
夏の暑さもだが、今回の件も漏れた溜め息の理由の一つである。
三つ目鴉から手紙が届いた時はまさか姿を消した浮浪者達の行方を調べることになるとは思ってもみなかったので、面倒事に関わってしまったと少しばかり後悔していたのだ。
青からの願いを断ることは容易いが、その後を考えると受けるべきではあった。
この程度で破綻するほど脆くはないと言えども、互いの協力関係を維持するために、時には向こうの相談を聞き入れねばならない。今回がそうだっただけの話だ。
……しかしただの人探しなど私の仕事の範疇ではないんだがな。
三つ目鴉が人海戦術で見つけ出せないということは何らかの出来事が起きているのは確かだが、それがどのようなものであるのか、警察やクロードが介入するほどのことなのかと疑問を持ってしまう。
セナへ三つ目鴉が関わっている旨を告げた際、ほんの一瞬だが冷たく目を細めていたのを考えるとあまり向こうを良く思っていないのだろう。
そもそも初めて顔を合わせた時から険悪な雰囲気だった。あれらと馬が合わないのか、裏社会というものに反感を覚えているのか。セナの性格を思うと前者な気がするが、兎に角、必要以上に会わせない方が良さそうなのは確かである。
窓の隙間から覗く景色で目的地が近いと気付き、首元のクラヴァットを整える。
やがて馬車の揺れの感覚が広がり、最後に小さく揺れると停車した。
外から御者が到着した旨を告げて扉が開けられる。
そこには従者としてアルフが立っていた。
夏場になると従僕達は外の御者台か馬車の後ろに乗ることが多い。暑い車内よりも、日が当たっていても風通しの良い外の方が幾分マシなのだろう。
道行く人々は上着を脱いでおり、こういう時は貴族の体面というものが酷く面倒なものだと思う。着崩すことも出来ず、どんなに暑くても涼しげに振舞わなければならない。暑ければ上着を脱いだり袖を捲ったり出来る庶民の自由さが羨ましい。
馬車から降りて目の前の建物を見上げた。
石造りだがどこか洒落た雰囲気のあるそこは警察署だ。昔、此処は豪商の邸宅だったそうだが今現在こうして別の使われ方をしているということは元の家の血筋が途絶えたか、はたまた別の場所へ越したのか。
その辺りのことは知らないが長くこの場所が警察の本部としてあるのは事実だった。
階段を上がり大きな玄関口を潜ると、中はそれなりに人がいる。
受付へ行き、いつも通りクロードはデールを呼び出した。
そうして然程待たずにその相手は廊下の向こうから欠伸を零しつつ姿を現した。
「おはようございます、今日はどんな御用件で?」
こちらも常の如く警察署に寝泊まりでもしたのか、大柄な体躯に相変わらず皺の寄った服を着て、今日は普段よりも少し眠そうな面持ちで歩いて来た。
「調べたいことがある」
クロードが端的にそう言うと慣れた様子でデールは頷いた。
「じゃあ応接室へ」
「ああ」
立てた親指で背後を示し、デールが背を向けて廊下の奥へ行く。
貴族に対してするにはあまりにも雑な態度であったが、初めて合った時よりこのような感じなのでクロードの方もいちいち気にしてはいない。
デールが途中で見かけた者に茶を持ってくるよう頼んでいた。
貴族や裕福な家の者を通すために設けられた応接室はそれなりに広い。
警察署という場所柄、華美なものはないが置かれた机や椅子、棚などは重厚な木製のものが多く、誰かが毎日水を替えているのだろう花が飾られていたり、掃除がされていたりと綺麗に整えられている。
その部屋の椅子に対面して腰掛け、暫し待てば先ほど声をかけた者がティーセットの載った盆を持ってやって来て、テーブルの上に置くとそそくさと部屋を出て行った。
クロードの後ろに控えていたアルフがポットの中身などを確認して紅茶を淹れる。
二人分のティーカップとソーサーがそれぞれの前に置かれ、アルフが元の位置に戻り、デールが紅茶を一口飲んで「いい茶葉を出してきたな」と呟いた。
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