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# The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―
蔦、六葉。
しおりを挟むその後、ディジャールさんが戻って来たので女性とのお茶会は終わった。
それからあちこちの家に水を運んで回り、わたしはその様子を追いかけて眺めたり、お客さんから話を聞かせてもらったりしたが、どの家でも彼は好評だった。
最初の家で聞いた話は他の家でも同じでディジャールさんは水売りをしながら、孤立しがちなお年寄りを見て回ったり、ちょっとした生活のお手伝いをしたり、それもあってお年寄りには子か孫の如く可愛がられているようだ。
元の広場に帰ってきた時には大分日が傾いてしまい、退屈そうにしていたリースさんがわたし達を見つけると噴水の縁から立ち上がって近付いて来る。
「お待たせしました」
長時間一人で待っていて暇だっただろう。
だがリースさんは首を振って、ディジャールさんとわたしを交互に見遣る。
「いえ、それは大丈夫です。……彼が失礼なことをしませんでしたか?」
少し不安そうに眉を下げるリースさんにわたしはニコリと笑った。
「何もありませんでしたよ。水売りという仕事も見られて、それを利用されるお客様の話も聞くことが出来て、とても有意義な時間でした」
「それは良かったです」
ホッとした様子で胸を撫で下ろすリースさんにディジャールさんがムッとした顔をする。
「アンタは俺の母親か」
それにリースさんが眦を吊り上げて振り向く。
「なっ、わ、私は身元引受人として貴方のことを心配してるの!」
「身元引受は『小鳥の止まり木』が、だろ」
「それはそうだけど……!」
広場の真ん中で言い合いを始めた二人を、通りがかった人がくすくすと笑って見た。
すぐにそれに気が付いたので喧嘩にまでは発展しなかったものの、お互いにどことなく言い足りない様子なのが可笑しかった。
リースさんは自分が見つけて世話をしたディジャールさんのことが心配で仕方ないのだ。
多分、ディジャールさん自身もそれに気付いている。
言い合いをするのも、方向を変えて見れば、それだけお互いを知ってるから出来るのだろう。
二人が口を噤んだので間に入ってわたしは二人へ浅く頭を下げる。
「リースさん今日はありがとうございました。ディジャールさんも、お仕事の見学をさせていただき大変勉強になりました」
これ以上はないだろうけれど、二人がまた言い合いを始めないうちに感謝を伝えておく。
バイロンさんやディアドラさんのような支援の仕方があることも知れたし、粉挽や洗濯、水売りなども知識としてはあったが実際に目にすると想像していたよりも苦労する仕事なのだということも分かった。
それから『小鳥の止まり木』が真面目に活動していることも理解した。
「いえ、こちらこそ見学に来てくださりありがとうございます」
「俺は別に礼を言われることはしてないしな。まあ、これで『小鳥の止まり木』に金が入れば俺みたいなのが減って嬉しいがな」
「ディジャールさん!」
リースさんに睨まれ、ディジャールさんは「明日も早いから、じゃあな」とあっさり別れを告げて帰っていった。あれは怒られる前に退散したと言ってもいいだろう。
怒るリースさんの気を落ち着けて『小鳥の止まり木』まで送り届けてから帰路につく。
日が落ちて辺りは薄暗くなり、そろそろランタン持ちが現れる頃だ。
馬車の中で揺られながら今日見学した場所をわたしは思い出した。
* * * * *
「以上が今日見学して分かったことです」
屋敷に戻ってすぐさま伯爵の書斎へ赴き、今日の内容を報告した。
慈善団体『小鳥の止まり木』の活動と内容、見学場所のバイロンさんとディアドラさんの家、粉挽屋、洗濯屋、そして水売りがどんな場所で、どのような仕事環境と内容で、どのような人達がいたのか出来うる限り細かく説明をした。
伯爵は説明している間はあまり口を挟まず、こちらが一通り話し終えてから疑問に思った点を聞いてくる。つまり途中で話の腰を折られることがなく話しやすいのだ。
木製の重厚な机を挟んだ向こう側に座って伯爵は両手を顔の前で組んで黙ったままだ。
何か考えているのだろう。
伏せていたブルーグレーの瞳がこちらへ向けられた。
「聞く限りではまともな慈善団体のようだな。建前上の援助申し入れだったが、本当に行うのもいいかもしれん」
「はい、わたしもそうなればと思いました」
伯爵の考えに同意を込めて頷き返す。
しかし「だがその前に……」と伯爵の言葉が続く。
「今日、お前が出掛けた後に鴉の一人が来た」
「三つ目鴉が? 一体何の用事でこちらに?」
「そうだな、最初から説明しよう。鴉から手紙が届いたのが事の発端なのだが――……」
なんと今回伯爵が『小鳥の止まり木』を調査しようと思ったのは三つ目鴉が関係しているらしい。
彼らの傘下にある店や職業のうち、幾つかで『小鳥の止まり木』より人を雇っているが、その雇った人間はある日突然姿を消してしまうという。それが何度か起こり、これがまだ続くようでは人手不足が解消出来ず、利益にも影響が出て来るので姿を消した人間の行方を調べて教えて欲しいのだとか。
三つ目鴉の方でも行方は調べたが分からず仕舞いで伯爵へ連絡を取ったようだ。
だからこの間の新聞で熱心に記事を読んでいたのだろうか。
それにしても、三つ目鴉からの依頼となると少し思うところはある。
まあ、これはわたしが彼らを好きになれないという個人的なものなのだけれど。
でも伯爵も三つ目鴉も双方色々承知の上で今の関係を保っているのだから、わたしが好こうが好かまいがどうでも良いことで、今後もこの関係は続いて行く。
……あのいけ好かない奴らに貸しを一つ作れると思えば悪くはないが。
「リースさんは『辞めたり戻ってしまう人はいる』とおしゃっていましたが、団体に戻ってこられる方もいるそうです。それも半分以下のようですが」
そう話していたリースさんの様子からして、残りの行方は分かっていなさそうだった。
分かっていればもっと話してくれただろう。
「その残りの半数はどこへ行ったかという話だな」
「ええ。もしお許しをいただけるのでしたら、もう一度お話を伺いに行ってみようと考えているのですがいかがでしょう?」
伯爵は考えるように顎に手を添えたが、すぐに首を縦に振った。
「分かった、後で手紙を送っておこう。私も余所の地区に浮浪者が流れていないか警察署の方で聞いてみる」
「ありがとうございます」
これでまた行って調べることが出来る。
今日は見学だったのであまり突っ込んで聞くことはなかったが、二度目なら、もっと内情を聞くことが出来るだろうし、場合によっては利用している元浮浪者の人々から直接話を聞けるかもしれない。
忘れないうちに疑問に思った点を纏めておかないとね。
そんなことを頭の片隅で考えていれば伯爵に名前を呼ばれる。
「セナ」
ほんの僅かに甘さの含んだ響きに「はい」と返事をして近寄った。
伯爵の真横へ行けば、伸ばされた腕に抱き締められる。
マイルズ=オアの件の後で伯爵と二人で話し合って取り決めをしたのだ。
わたしと伯爵の関係はまだ公にしない。これに関しては「後二年……いや、一年半待ってくれ」と言われた。
女王陛下の娘、つまりは王女様は未成年で、その婚約者候補の中に伯爵がいるのだという。ただしこれはデモンストレーションのようなもので実のところはもう婚約者が内定しており、伯爵は他の候補達が妙な気を起こさないように抑え込む役割らしい。王家の血を濃く引く現女王の甥である伯爵を差し置いてしゃりしゃり出るような輩はそう出まい。
「そうだとしたらセラフィーナを連れて社交に出たのはマズかったのでは?」
王女の婚約者候補が他の女性を連れ歩くのは問題だろう。
「いや、あれは事前に陛下より許可をいただいている。そもそもあの時は『幸福』についての件だったからな、対外的にはお前は私に協力したという格好にしてある」
「そうですか」
というやり取りも既にしていた。
それから仕事中や人目のある場所ではお互い以前通りに接すること。
特に屋敷の中でも他の使用人がいるところでのスキンシップなどは控えるようにして欲しいと言えば、若干ごねられたけれど、上級使用人の大半がわたし達の関係に気付いていることや刑事さんにまで勘付かれていることを説明して分かってもらった。
これも一年半という制約がついている。
そして人目のない場所であれば多少はまあ目を瞑ることにもなった。
公にする時は、わたしはセナではなくセラフィーナとして出ることになる。『幸福』の時と同様に暫くセナとセラフィーナを行ったり来たりすることになりそうだ。
戸籍上セナは男なので結婚は出来ない。「結婚するならばセラフィーナとだ」と伯爵に言われて「もう結婚まで考えているのか」と思ったが、貴族にとってお付き合いするというのは――それが火遊びでなければだが――普通はその相手との結婚を考えることらしい。
わたしの感覚では恋人同士だが、伯爵の感覚ではもう婚約者ぐらいの位置取りかもしれない。
一年半後でもわたしはまだ二十歳前なんだけど、この世界じゃあ女性は成人してから二十歳までが結婚適齢期だからギリギリセーフ? でもすぐさま式を挙げる訳ではなさそうなので若干適齢期は過ぎるか。
その辺りはまだ一年半もあるで話し合って決めていくことだ。
どちらにせよ、あまり人に悟られないようにしなければならない。
それは最初からそうなるだろうと分かっていたから否やはない。
目の前にある銀灰色の髪をそっと撫でながら昼間のことを思い出した。
「そういえば水売りのディジャールさんという方が、伯爵に少しだけ似ていたんですけど、もしかして伯爵の御先祖様に別の国の御出身の方とかいらっしゃいました?」
ディジャールさんは鉄色だったけれど、伯爵の方はもっと透き通った明るい色だ。
肩口に寄せられていた頭が少しだけ身じろぐ。
「ああ。以前にも話したが、元々我が家はリディングストン侯爵家と王家の両者から生まれた家だ。リディングストン侯爵家は建国時から続く由緒ある家柄で、王家も当たり前だが長く続いている。その間に他国の姫や貴族の娘を娶ることもそれなりにあったはずだ。……父も私も銀髪なのは恐らく先祖返りだろう」
「御両親のお顔は肖像画で拝見しました。確かお母君もお父君もエメラルドグリーンの瞳でしたね?」
「そうだ。その点ではわたしの方が先祖返りの血が濃いな」
どこか物寂しげな声に伯爵はエメラルドグリーンの瞳が良かったのかなと気付く。
早くに亡くした両親の色が本当は欲しかったのかもしれない。
「わたしはあなたの瞳の色、好きですよ。あまりキラキラしてると落ち着かないですし」
背中に回された腕に力が込められ、伯爵が微かに笑って「そうか」と呟く。
冷淡な外見とは裏腹に繊細で傷付きやすい人だ。こんな仕事をしてるのに血も苦手で、真面目だけど面倒臭がりな側面もあって、そういうところを見ると何となく放っておけないと思ってしまう。
痘痕も靨というやつか。嫌いなところを探す方が難しい。
恥ずかしいから絶対に本人には言わないけどね。
最後にギュッと抱き締め返して手を離せば、それに気付いた伯爵も名残惜しそうに腕の力を緩める。
「そろそろ夕食のお時間ですね」
「そうだな」
一度伏せ、そして上げられたブルーグレーは静かに凪いでいた。
何だかんだ言ってもきちんと切り替えが出来るようだ。
一歩離れて主人と従者の距離を保つ。
「『小鳥の止まり木』に送る手紙ですが、案内は不要と書いていただけますか? 辞めていった人々の話を聞く時に団体の方がいると流石にお互い気まずいので。一度行って場所も把握したから今度は一人で伺いたいのです」
リースさんの目の前で「辞めていった人達はどうしていなくなってしまったのでしょう?」なんて聞くのは憚られるし、聞かれた側も答え難い。
こういう話はこっそりするから聞けるのだ。
伯爵が訳知り顔で頷き、机の引き出しから小さな袋を取り出してわたしへ寄越す。
手に伝わる感触からして袋の中身は貨幣だろう。
チップを渡してでも話を聞いて来いということだ。
「幾ばくか謝礼を添えてそう書いておくとしよう。援助についてはこの件が片付けば改めて検討する」
「よろしくお願いします」
袋をポケットに仕舞い、浅く頭を下げる。
そこでふと伯爵にお願いことがあったんだっけと顔を上げた。
「そうでした、リーニアス殿下と連絡を取りたいのですがよろしいでしょうか?」
伯爵が少しだけ眉を寄せて不思議そうにわたしを見上げた。
「リーニアスに?」
「『幸福』の件で保留になっていた褒美でやっと欲しいものが浮かびましたので、それがいただけるかどうかの確認をしたいのです」
「あれか。アランへ伝えておくから手紙が書けたら渡してくれ」
「はい、分かりました」
まるでタイミングを計ったかの如く書斎の扉が叩かれた。
伯爵が入室を許可すれば執事のアランさんが夕食の時間を告げにやって来た。
「セナ、お前は一度下がれ」
完全に甘さの消えた声に礼を取る。
「畏まりました。……失礼します」
さて、今のうちに仕事をやっておかないと。
アランさんと入れ替わるように書斎を出て、わたしは寝室を後にした。
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