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# The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―
蔦、四葉。
しおりを挟む「じゃあ何だ、言われてないことまで先回りしてやれってことか?」
「有り体に言えばそうなりますね」
物凄く分かりやすい言い方に頷けば「面倒臭そうだな」と若干嫌そうな声で返される。
主人の考えや行動を先読みして仕事をしろというのは厄介だし、主人の性格を把握していなければ難しく、余計なことをし過ぎれば逆に怒られることだってある。給料は良いけれど、あれこれと気を遣う仕事だ。
それでもわたしにとっては楽しいし、やりがいもある。
好きな人の側にいられるという点も大きい。
「こっちが仕事場だ。ちょっと粉っぽいけど我慢しろよ」
開けられた扉の向こうは広い空間になっていた。
石造りの室内は高い場所に小さな窓が幾つかあり、それら全てに鉄格子が嵌(は)められ、午後の日差しが差し込んで空気中に漂う微量の粉がその光に反射してキラキラと輝く。
部屋に足を踏み入れると言葉通り少し粉っぽい。
室内には数人の男性がおり、大きな石臼が三つ設置され、それぞれに二人か三人ほどついて臼から伸びた棒を押して回している。臼は直径八十センチほどの大きなもので重そうだった。
石同士の擦れるゴリゴリとした音と臼を回すための掛け声が部屋に響く。
事前に話がされているのか部外者のわたし達が入って来ても仕事の手を止めることはない。
壁の方に麦の入った麻袋が複数置かれているのは今日やらなければいけない分だろう。毎日消費されるものだから挽いても挽いても終わりはないし、休みの日もない。
交代制で休日はあるだろうから雇用される側は多少は休めるとは思うが。
意外なことに埃が溜まっているとか薄汚れているといった感じはなく、挽いた麦の粉が多少散って粉っぽいものの、そこそこの清潔さは保たれていた。
「あんな感じで粉を挽くんだ。二、三人で臼を回して、ある程度の量が溜まってきたら纏めて袋に移す。物によっては更に挽いて細かくするし、逆に荒く挽く時もある。荒挽きの臼は別の部屋だけどな」
小さくくしゃみをしてベンジャミンさんが説明をする。
「細かく質の良い小麦は貴族などの白パンに、荒く挽いたものはグリュエルなどに?」
「そうだ。だがグリュエルの時はもっと質が悪いのを細かく挽くけどな。あれは食えたもんじゃねぇ。……今日は確か上等な小麦だったか。おい! トリスタン!」
ベンジャミンさんが人の名前を呼ぶと男性が一人こちらへ駆けて来る。
「はいっ、何すか?」
赤みのややあるブラウンの髪に同色の瞳で、細く、あまり肉体労働には向いていなさそうな体格だ。
「ちょっと挽いた粉見せてやれ」
「分かりました!」
指示を受けるとまた走って部屋の隅へ行き、一抱えもある袋を持って戻って来る。
見た目に反して力はあるらしく軽々とそれを運んでいたので、筋肉はあるのだろう。
「これが今日挽いたばっかりの小麦の粉っすね」
そう言って開いた袋の口から小麦の粉が覗く。
肌理の細かい粉は白色だけれど、ほんのり小麦の黄色味があり、これで作ったパンは確かに色の白い美味しそうなものになるだろうと予想がつく。
「綺麗な粉ですね」
わたしの感想に袋を持つ男性がニッと嬉しそうに笑った。
「何時も人手不足と聞きましたが、どうしてとお聞きしても?」
「あー、ほら、ココって粉っぽいし、体力いるし、休みが少ないっすからね。毎日粉挽かなきゃパン屋も困るんで、そうそう休めないんすよ。量もいるから朝早くから夕方まで同じ作業ばっかりだし。それが嫌なのか辞める奴も多くて」
「そうなんですか……」
咳が出そうになり、顔を背けてからけほ、と小さく咳をする。
この粉っぽさは問題だ。いくら綺麗にしていても粉塵までなくなるわけではない。
舞ってしまうのは仕方ないにしても吸い込まないようにする方法はある。
「あの、ここで働く人はマスクはしないのですか?」
男性に仕事へ戻るよう指示を出したベンジャミンさんが振り向く。
「マスク?」
「お医者様が手術をされる時に口と鼻を布で覆うもののことです。気休めにしかならないかもしれませんが、あれをつけた方が咽ずに済むのでは?」
「あー……、あの当て布か。そういやぁそんなのあったな」
「肉体労働ですから呼吸がし難いとどうしても仕事の速度が落ちるでしょう? 目の粗い布を何枚か重ねて使用すれば質の良いものを買う必要もありません。こんな環境ではすぐに体調を崩してしまいますよ」
「確かに。粉挽きが人気のない理由の一つはこの息苦しさだ」
空気中の粉を吸ってしまったのか声の出し難さを感じながらも話をする。
短時間いるだけのわたし達ですらこうなのだ。一日中ここで仕事をする人はもっと辛いだろう。事実、見ていると男性達は何度も咳き込みながら臼を回している。
これでは作業効率も落ちるし労働者も体調を崩す。
やはり思うところはあったらしくベンジャミンさんが納得するように頷いた。
「あれで息がしやすくなるなら使ってみるのも良いかもしれん」
「是非、御検討をお願いします」
「ああ」
リースさんもけほこほと咳を繰り返し始めたため、三人共部屋を出ることにした。
廊下へ戻ると粉っぽさのない空気を深く吸い込む。
あのまま何年も粉っぽい場所で仕事を続けたら気管か肺に問題が起こりそうだ。
人手不足なのはそういう理由もあるかもしれない。
次もあるということで粉挽屋の見学は以上で終わりとなった。
建物の外に出て、日の光の下に来ると服がやや白くなっていることに気付き、全身を叩くと纏わり付いていただろう粉が落ちた。リースさんも服を払っている。
……あそこで一日中働くのは心身共にキツそうだなあ。
空気に混じって吹かれていく粉を眺めながら心の底からそう思った。
リースさんと共に馬車に乗り、次の洗濯屋のところへ向かう。
「次の洗濯屋は先に申し上げた通り、女性にだけご紹介しております。うちを利用される方には少ないですが女性もいらっしゃるので。でも女性の方の浮浪者は少ないですね」
「女性は教会へ行かれないのですか?」
「そうですね。仕事を紹介して欲しいとおっしゃられる方は大抵、夫を亡くされたり、何かしら事情があって一人で暮らさなければならないなど色々ございますが、殆どは自立を希望しておりますので。教会では女性はシスターとしての役目があります。けれどそれは自立とは違いますから」
なるほど、生きていくためという点は同じでも確かに両者は違う。
教会はどちらかと言えば支え合って生きていく共存型だ。
自立したい、一人で生活出来るようになりたいと考えるならそちらへ行くことは少ないだろう。
それに寡婦が自身で生活していく手立てを持つのは良いことだ。
先ほどの粉挽屋から然程離れていなかったようで馬車が静かに停まる。
下りた先にあったのは木造の古い建物だった。しかし、古いと言ってもボロボロという意味ではなく、年季が入っているものの手入れがされて人の気配を感じられるような雰囲気は、先ほどの粉挽屋とは正反対であった。
出入口らしき場所から出て来る人は手に綺麗に畳まれた衣類やリネンを持っている。
人がいなくなったタイミングでリースさんが出入口の扉を開けた。
「こんにちは、先日お願いした見学の件で参りました」
リースさんのその言葉に受付らしき場所にいた女性が建物の奥へ引っ込み、すぐにやや年嵩の女性を連れて戻って来た。
どちらもくすんだブラウンの髪に明るいブラウンの瞳で、どこか顔立ちも似ている。
もしかしたら親子なのかもしれない。
「ああ、ミレアさんかい。遅かったね」
年嵩の女性が少し首を左右に動かして、凝りを解すような仕草をしながら問うてくる。
それにリースさんが軽く頭を下げた。
「すみません、他の場所も回っていたので。……アンさん、もう仕事は終わりですか?」
「いや、まだまだあるよ。今日はちょいと忙しいんで好きに見てっておくれな」
前半はリースさんへ、後半はわたしへ向けられたので会釈を返しておく。
そうして女性二人は少しだけやり取りを交わし、年嵩の女性は奥へ戻って行った。
リースさんは受付に残った女性に挨拶をして外へ出た。
わたしも続いて外へ出て、建物の脇の細い路地を通って裏へ回ると、そこには井戸があった。
井戸の周りは浅く、広く水が流れるスペースが設けてあり、石造りのそのスペースで女性達がわいわい騒ぎながら洗濯をしている。
棒で衣類を叩く人、足で踏んで汚れを落とす人、手揉み洗いをする人、こびりついた汚れとブラシで格闘する人。その脇では水洗いをしたり、絞ったり、それらの作業を終えて干したりする人もいた。
女性ばかりだからお喋りをしながら行っているようだ。
「最近、うちのところのパン屋のパンがなんだか味が落ちてねぇ」
「小麦の質、落としてるんじゃあないの?」
「パンよりもたまには肉を食べたいね。鹿とか」
「あたしゃあ鳥がいいよ」
「そういえば聞いたかい? 五軒向こうのディアナんとこの娘がやっと結婚するってさ」
「ああ、あの子! もう二十七だっけ? どこに嫁ぐって?」
「川向うの石工のアーサーの息子のところらしいね」
「あの頑固者の? そりゃあ苦労しそうだわ!」
取り留めもない会話をしながら仕事をする女性達は楽しげだ。
大変な仕事だろうに、笑顔が絶えず、そして話しながらもしっかり手は動いている。
女性達の姦しさにリースさんは頬を掻いて「話しかける隙がありませんね」と苦笑する。
わたしも苦笑を返し、そうして建物の陰から出てゆっくりと近付いて行く。
「こんにちは」
なるべく柔らかな声を意識して挨拶の言葉をかける。
するとこちらに気付いた女性達が振り向き、パッと表情を明るくする。
「あら、こんにちは、どちら様かしら?」
「随分若い子ねぇ」
「うちの息子より小さいわ」
興味津々といった体の女性達へニコリと笑いかける。
「お仕事中にすみません。見学させていただきたくて来たのですが、邪魔はしませんので、皆さんのお仕事を見させてもらってもよろしいでしょうか?」
「アンさんの許可はもらっています」
わたしの言葉にリースさんが付け足すと「それなら構わないよ」と女性達が頷いた。
止まっていた手を動かしながらも女性達はわたしの方へ顔を向けている。
「良い身なりだけどどこぞのお貴族様の子かい?」
「いえ、使用人をしております。今日は主人に代わって見学に来ました」
「使用人ってのはそんなことまでするんだねぇ」
どこか感心したような、呆れたような口調に黙って小さく微笑んでおく。
厳密には使用人と言ってもそれぞれ仕事内容は違うし、わたしが就いている近侍は屋敷のことを基本的には行わないが主人に関する仕事は多い。
そう考えると近侍のわりにわたしは主人の側をよく離れている。
従僕が三人もいるので、交代して他の仕事を行うこともある。
女性達の手元を眺めながら、そういえば伯爵の衣装の直しもしなきゃなあと思い出した。
「皆さんとても楽しそうですが、このお仕事は長いのですか?」
随分と手慣れた様子で洗濯物を洗っていくので聞いてみた。
「そりゃあね、あたしはもう七年はやってるよ」
「私は五年目だね」
「わたしはまだ入ったばかりさ」
「あたしゃあ十五からだから、二十年以上かねぇ」
「マーサは古株も古株だからね! どんなものだって綺麗に出来るのよね!」
「そうよ、どんな汚れ物だって綺麗にしてみせるわ」
袖を巻くって握り拳を見せる女性の腕は筋肉質で、よく日に焼けていた。
屈託なく笑う表情からも、この仕事にやりがいを感じてるのが伝わって来る。
こういうのを見ると女性は強いなあと思う。
リースさんがどうして見学にここを選んだのか分かった気がした。
ただ生きるためだけに仕事をするのではなく、こうして人と関わり、楽しんだり喜んだりしながら毎日働くことがどれだけ貴重か。
男性が優位な社会において女性がこうも気分良く働ける場所は少ないだろう。
見上げた空は晴れ渡り、建物の間から差し込む光が心地好い。
「ここは良いところですね」
「ええ、私もそう思います」
零れた呟きにリースさんが頷いた。
「ただ最初は大変なので辞めてしまう方もいるんですよ」
「ああ、まあ、覚えることも多くて体も使いますからね。そういった方には新しい仕事を紹介するのですか?」
「はい。でも中にはうちから離れていく人もいます。やっぱり仕事をするのは大変ですから、貧しくとも元の生活の方が楽でいいと戻ってしまったり、他所へ行かれる方も少なくないです」
そう話すリースさんの表情はどこか暗い。
頼られたのに結局は力になれなかったのは色々と思うところがあるのだろう。
でもそれは本人が選んだものなのだからリースさんのせいではない。
「戻って来られる方はいないのでしょうか?」
「半分以下ですが、います。そういう人もきちんと自立出来るような支援をしたい。もっと沢山の人が普通の生活を送って、あんな風に毎日困らず暮らせるようになって欲しい。それが私の目標です」
女性達を見て、リースさんが目を細める。
わたしは生まれた疑問を胸に秘めたまま黙ってそれを聞いていた。
辞めた人のうち、戻って来るのは半数以下。
では残りの半数ちょっとはどこへ行ったというのだろうか?
その疑問を今、口にするのは何となく憚られた。
そのまま三十分ほど働く女性達の様子を見学させてもらい、私達は次へ行くことにした。
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