アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―

蔦、一葉。

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 季節は少し飛び、七月上旬。夏場である。

 もう寒さもなくなり気温の高い日が続いているが、梅雨による湿気のないこの国の夏は存外過ごしやすく、寒さの厳しい冬よりも好きな季節だ。

 窓から見える空も高く、青く、眩しいほどの日差しが室内を照らし出す。

 サロンの窓は熱気を逃がすためにいくつか開けられており、風が出入りする度にカーテンが揺れる。

 この小さめのサロンは伯爵の寝室の横に位置し、伯爵が寛いだり、リディングストン侯爵家のあの二人が訪れた時に使われたりする。わたしの肩ほどまである暖炉には偉人らしき人物達が彫られ、低めの飾り棚がいくつかあり、上に陶磁器の飾り皿や人を模した彫刻、小さな銅像のようなものなどが並ぶ。壁には絵画や鏡。床に敷かれた絨毯はよく見るとソファーと同じ植物が描かれている。座り心地の良いソファーや椅子、ローテーブルがいくつか設置され、所々棚やテーブルに飾られた花が場を柔らかく和ませてくれる。

 そんな室内の、ソファーの一角に伯爵は座っていた。

 暑いのかシャツにジレ、キュロット姿で手袋もつけていない。

 アイスティーを片手に今朝の新聞を再度読み直している。

 その斜め後ろでわたしは静かに扇子で風を送る。この暑さではこんな風など微々たるものなのだろうが、扇風機がないので、風量はどうであれ少しでも涼むことが出来れば充分らしい。

 男性でこれだから、ドレスを身に纏う女性はもっと暑くて大変だろう。

 それにしても今朝の新聞に気になる記事でもあったのか、伯爵は開いたままの紙面に目線を落とし、何やら思考の海に沈んでいる。

 横顔を眺めていれば、ティーカップをテーブルに戻した伯爵が首だけで振り向いた。 


 
此処ここを読んでみろ」



 そう言われたので、少し失礼して顔を寄せ、指で示された記事を読む。

 ……どうやら王都内をいくつかの区域に分け、その区域でどれだけの浮浪者がいるのかといったものらしく、ここ最近のそれについての調査内容が書かれていた。

 ちなみに貧困層と浮浪者は別だ。家も家族もなく道端で物乞いをしているような、そういった根無し草の人々のことであり、貧しくとも家があって何とか暮らしている貧困層よりも立場は更に下だ。

 それにしてもこういった調査をしていることは驚きだ。

 一応そういった人々を支援するボランティア団体が存在するらしい。

 この調査はその人々が独自に行ったもので国の公式ではないが、前年と比べて、増えた地区と減った地区の差があるのは活動地域で行われているやり方の違いなのだろうか。



「どう思う?」



 伯爵の問いに首を傾げる。



「どう、と言われましても……。この支援をされていらっしゃる方々がどのような活動をしているかは分かりませんので、地区によって差があるのだということしか読み取れないのですが」



「何か不審な点でもございましたか?」と問い返す。

 すると伯爵は考えるようにやや首を傾け、視線を宙へ投げかけた。



「……私的な見解だが、浮浪者はそう簡単に変われるものではない。家も、家族も、何もかもを失くしたせいか物事に対する意欲が弱く、ほとんどの者は日々食い繋げぐことが出来れば良いという考えが多い。元犯罪者が混じることもあり、見た目もあまり綺麗ではないので雇用者側も大抵は敬遠する」

「まあ、そうでしょうね」

「そのようなことから浮浪者は増えやすいが減り難い。確かに支援してもらえるならば働き出し、真っ当な生活に戻れる者もいるだろう。しかしそれも容易ではない」



 紙面の文字を指先でなぞりながら伯爵が言うのでわたしも考えた。



「つまり、この地区の浮浪者が他よりも常に減り続けているのが気になると?」



 記事の中にはいくつか浮浪者の数が減った区域があった。

 その中でも、前年からずっと減り続けている場所が一つ存在する。

 わたしの問いかけに伯爵が浅く頷いた。



「もしも支援が功を奏しているのなら他の地区でも同様に行い、同じか近い結果になっているはずだ。それに浮浪者同士は我々が思うよりも情報に聡いからな、これだけの実績があると聞けば普通は周囲から流れて来ると思わないか?」

「なるほど、浮浪者から脱したい人が押しかけて数が増えてもおかしくはないですね」

「そういうことだ。……人が押しかけても尚、減らせたのであれば構わんのだがな」



 言われてみればおかしいと思えなくはないけれど。

 伯爵がどうしても気になっているのであれば調べてみればいい。

 これが杞憂に終わればそれならそれで良いことなのだ。

 幸い、今は急ぎの案件も依頼も来ていない。



「それではわたしが調べて参りましょうか?」



 わたしの提案に伯爵は「ああ、頼む」と眉を寄せたまま一つ頷いた。





* * * * *





 あの後すぐに調査を開始した。

 まあ、この世界の調査と言えば地道な聞き込みや調べものになる。

 まずは浮浪者を支援している人々の団体には『小鳥の止まり木』という名前があった。

 木で羽を休め、また飛び立てるようにという願いを込めてつけられたそうで、意外なことにこの団体には老若男女問わず参加しており、自分達の出来る範囲でだが食事の配給や募ったお金で古着を買って与えるといった慈善活動を行っている。

 団体の主だった活動の準備を行う人々は比較的若年者が多いものの、各地区での活動では年配者の協力によるところが大きい。その地区に詳しいお年寄りが浮浪者の状況や足りない物を団体に伝え、若者が団体側でどのような支援をするか、支援に必要な物はどれだけかといったことの把握をする形なのだろう。

 この『小鳥の止まり木』は誰に聞いてもおおむね好意的な内容が返ってくる。

 浮浪者による犯罪が減った、道端や軒先に居座られることがなくなった、雇っているが身嗜みが良くなり雇用する側としても人目を気にしなくなったと感謝する言葉を何度も耳にした。

 全ての浮浪者がこの団体の庇護にあるわけではないものの、活動のお蔭で一般の人々の生活にも僅かながらに影響があったようだ。

 先に下調べをした上で実際に『小鳥の止まり木』に行ってみることにした。

 団体の活動拠点は王都中心より北側にあり、歩いて行くには少々骨が折れるため、辻馬車を拾う。

 伯爵家の屋敷とは、丁度王城を挟んだ対角線上に位置する。思えばあまりノース方面には行ったことがなかった。休日にわざわざ馬車を使ってまで出向く用事もないので考えてみれば当然だった。

 今回訪問するにあたり、事前に伯爵が団体へ手紙を送ってくれている。

 内容は活動への称賛と慰労と、場合によっては支援をしたいのだが使用人に活動内容を確認させたいが向かわせても良いかというものだ。

 返事は予想以上に早く届いた。称賛と慰労への感謝の言葉と、こちらの申し出を非常に喜び了承する旨だったそうだ。

 更に何度か手紙のやり取りを交わし、日程を調整して今日の訪問と相成った。

 支援団体と言って古いアパートを借りた場所が活動拠点らしく、先方より指定された住所へ到着すると、そこには柔らかなミルクティー色に塗られた壁と茶色がかったオレンジ色の屋根の、恐らく奥に細長いであろう建物があった。三階建てで、窓辺には花の鉢植えがいくつか飾られて可愛らしい。

 その前には既に人が待っており、伯爵家の家紋の入った馬車に緊張した面持ちで立っている。

 わたしは御者に開けてもらった馬車から降りて、その人物に一礼した。



「初めまして、アルマン伯爵家にて近侍を務めさせていただいておりますセナ・シェパード=ソークと申します。本日は我が主人の願いを聞き入れてくださり感謝致します」



 出来る限り丁寧な礼を行えば、相手も慌てて頭を下げる。

 目が合った瞬間に驚いた表情をしたのは予想より若い人間が現れたからか。

 年齢的にはそこまで驚かれるほど若くはないのだけれど、如何せんわたしの外見はこの国の人々より幼く見えてしまうため、例に漏れずこの人もこちらの年齢を勘違いしているのだろう。



「あ、は、初めまして、ミレア=リースといいます。『小鳥の止まり木』で支援員の一人をやらせていただいております。こちらこそ本日はよくお越しくださいました。大したもてなしは出来ませんがどうぞ中へ」



 立って待っていたのは二十代半ばほどの若い女性だった。

 この国ではありふれたダークブラウンの髪にやや淡いブラウンの瞳をした、鼻の上のそばかすが愛嬌のある顔立ちをした人で、わたしよりも背が高い。まあ大抵の人はわたしよりも長身なのだが。

 やや強張っていたが微笑まれたので意識して柔らかく笑い返す。



「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます」



 促されるままに建物へ入る。中は小綺麗で、階段を上がり二階へ通された。

 恐らく応接室なのだろう部屋は四畳半ほどでこじんまりとしており「狭い場所で申し訳ありません……」と恐縮されたけれど「このくらいの部屋が一番落ち着きますよ」と言えばホッとした様子ですぐにお茶を淹れに出て行った。

 その間に室内を軽く眺めてみた。外から見た通り、窓辺には植物が置かれ、飾り気のない質素な棚が壁際にある。棚の上には絵が飾られていたが、伯爵家の絵画と違って芸術性はあまりないものの、見る者の心を和ませる優しい色彩の風景画だ。わたしの座るソファーの前に置かれたテーブルの上には花の飾られた花瓶が一つ。

 派手さはないけれどきちんと掃除がされた落ち着ける部屋だ。

 戻って来たイースさんが淹れてくれたお茶を感謝の言葉を述べてから一口飲む。

 一般では貴族が使った後の、いわゆる出涸らしが使われることが多い。

 しかし奮発したのか新しい茶葉の紅茶だったので内心驚いた。

 茶請けに出された菓子もそこそこな値段がするものだと一目で分かる。

 ……うーん、これは金銭的な援助が欲しい故の好待遇かな?

 確かに伯爵も「本当に支援により浮浪者が減るならば援助する」と言っていたので、向こうの人は少しでも主人へ報告するわたしの御機嫌を取っておきたいのかもしれない。

 この程度ならば賄賂でもないし、貴族に仕える使用人もまた貴族という場合も多いため、下手なものを出すことは出来ないと考えている可能性もある。

 伯爵家でも使用人は出涸らしを飲むから新しい茶葉の紅茶って嬉しい。



「とても美味しいです。紅茶を淹れるのがお上手ですね」



 この国ではよく飲まれるからか殆どの人は紅茶を淹れるのが上手い。

 それでもイースさんが淹れてくれたものはかなり美味しかった。



「私の数少ない特技の一つなんです」

「それは羨ましい。わたしは散々練習して先輩方に渋い紅茶を何度も飲ませてしまいましたから」

「……ふふっ」



 冗談交じりのわたしの言葉にイースさんが小さく笑う。

 これは本当のことなんだけど、ただの冗談だと思われたようだ。

 お蔭で緊張が解けたらしくその表情は明るい。



「それでは『小鳥の止まり木』の活動についてお聞かせいただけますか?」

「はい」



 イースさんがティーカップとソーサーをテーブルへ戻して背筋を正す。



「まず我が団体の活動ですが、住む場所のない方々の生活や就職の支援が主になっております。具体的には炊き出しや衣類などの配給を、その中でも働く意欲のある方へは住む場所と就職先の紹介を行います。紹介後は数日から数週間ほど様子を見て、大家の方や就職先との間に問題がないか確認し、もしも何かしら問題が起きた場合は仲裁に入ります。どうしても大家さんや就職先が合わないという時は別の所を紹介し直します」

「炊き出しと衣類の配給はどの程度の頻度で行っていらっしゃるので?」

「炊き出しは週に一度、衣類の配給は月に一度です。出来れば炊き出しは二、三日に一度、欲を言えば毎日行えたら良いのですが、お恥ずかしいことに団体に集まる額ではこれが精いっぱいなのです……」



 残念そうに肩を落とすイースさんに「そうなのですね」と頷き返す。

 この世界の時代と一般的な生活基準を考えれば浮浪者の支援をする団体があるだけでも結構な驚きだったので、その活動実績があまり思わしくないのは想定内だ。

 人々は自分の生活で手一杯だから他へ恵む余力は少ない。

 それでもこうして細々とでもやっていけているのは凄いことだ。



「住む場所のない方々……ここでは団体の利用者としましょう。働きたい利用者全てに紹介出来るほど、家や就職先などの受け入れ先はあるのでしょうか?」

「それに関しては空き家や共同住宅を所有している方に部屋の提供をお願いしたり、人手の足りないお店などで受け入れてくれる場所を定期的に募ったりして、今現在は問題なく紹介出来ております」

「住む場所を紹介した場合、家賃の支払いはどうなりますか?」

「最初の月は半額、それ以降は所定の額をご本人に支払ってもらっています。就職先も紹介するので大体の方は問題なく支払えるようになります」

「なるほど。では、自分に合わなければ利用者は居住場所や就職先を何度でも紹介してもらえるということですか?」

「いえ、こちらが紹介出来るのは一人三回までとさせていただいています。あまり職を転々とするとその方の次の就職先での信用にも関わるので、出来る限り性格に合った場所を紹介するよう心掛けています」

「そうですか」



 慈善団体だけど職業斡旋所も兼ねてるわけだ。

 まあ、浮浪者はどうしたって住む場所や就職先を見つけ難い。

 住む場所を得るには金がなく、金を稼ぐためには就職先が必要で、しかし住む場所がないことには安定して働くことが出来ないという堂々巡り状態だからだ。

 やっと働けても日雇いの低賃金で食い繋ぐだけで精いっぱいだろう。

 以前、事件の起きたタイナーズ・ロークという安ホテルも日雇いで何とか生活している、ほぼ浮浪者と言っても良い人々が集まっていた。

 勿論ああいう所だって宿泊費が払えなければすぐに追い出される。

 そういう人にとっては『小鳥の止まり木』はありがたい団体かもしれない。





 
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