アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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#The tenth case:Hell's vengeance boils in my heart.―復讐の炎は地獄のように我が心に燃え―

揺らめき、三つ。

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「二人の手助けとリディングストン侯爵家の後押しのお蔭で私は父を襲撃した犯人とそれを依頼した貴族が誰なのか知ることが出来た。真相は思った通り、父に悪事を暴かれ、爵位を落とされた者の犯行だった」



 クロードの父親はアルマン伯爵家当主としての仕事をしたに過ぎない。

 しかし、それにより己の地位が落ちたと思ったのだろう。

 依頼した貴族にとっては父親が無理に調べなければ白日の下に曝されることもなかった、他の貴族も大なり小なり悪事に手を染めてるのに何故己だけ、と逆恨みで襲わせたのだ。

 実際は己の犯した罪を贖った結果の自業自得な話だったのだが。



「この話には続きがある」

「? 続き、ですか?」



 黙って聞いていたセナが小首を傾げた。

 父を襲った者達と依頼した貴族は逮捕され、裁判にかけられた。

 全員に殺人罪、共謀・共犯罪、強盗罪が適用された。

 金品の財産没収に加え、両手又は両足の切断の後に襲撃を実行した者達は斬首、依頼した貴族は絞首の公開処刑が下された。彼らの家族も磔の後に絞首刑に処され、他の一族郎党も地位を剥奪して国外追放となった。

 殺された父親は女王の義理の弟であり、王家の血筋を濃く引く人物であり、減刑は一切ない。

 公開処刑時には女王陛下と共にクロードも立ち会った。

 あの日のことは今でも鮮明に覚えている。

 誰も彼もが謝罪の言葉を口にし、泣き叫び、怨嗟の声を上げ、暴れた。

 だが、そのどれもがクロードの心に響くことはなかった。

 どれほど後悔し、謝罪されようとも、もう父親は帰って来ないのだ。



「父が何故あの時間帯にあの場所を通っていたのか。当時から陛下は治安の問題に取り組んでおられたが、父が襲われた貧民街はこの王都の中では最も治安が悪く、その頃は貴族どころか一般人ですら近寄らない場所だったんだ」



 闇市は管理下にはあったものの、わざわざその時間帯に出掛ける理由はない。

 その疑問は女王陛下も持っていたもので、殿下とリディングストン侯爵家、そうして陛下が信を置く幾つかの貴族の手を借り、一年かけて父親があの場所にいた理由が分かった。

 クロードの母親は元々あまり体が丈夫な人ではなかった。

 しかしだからと言って子を成せないほどでもない。

 父親はクロードを生んでから体調を崩したままの妻をとても気にしていた。

 それは心配もあったが、同時に何時まで経っても良くならないことに疑念を抱いてもいたのだ。

 密かに伯爵家で雇っている医者の身元と交友関係を洗い出し、定期的に会う人間がいることに気付くと今度はその人物の素性を調べ、その人物から更にと糸を手繰るような調査を続けたところ、女王派閥のアルマン伯爵家と対立する貴族派閥の家の一つに辿り着いた。

 数名の人間を介してその貴族は医者と接触している。

 クロードを出産して体調を崩したのは本当だが、その後も体調を崩しがちであったのはその貴族が医者に指示を出し、妻に少しずつ薬と称して毒を与えていたことを父親は突き止めたのだ。与えられていた薬は猛毒ではないが摂取していくと体内に毒が溜まり、やがて体を壊して死んでしまう。そういう類いの薬であった。

 父親は確実にその証拠を得るために、あの晩は対立派閥の貴族と接触していたらしい。

 貴族の方もこの事実を暴かれることだけは避けなければならず、人を雇ってクロードの父親の動向を探り、爵位を落とされて憎悪に燃えていた貴族を唆して襲わせたのだ。

 あの時間帯にあの場所を通るように仕向けられたものだった。

 このことを知ったクロードはすぐさま行動に出た。

 対立派閥の貴族とその周辺を調べ上げ、雇った人間を全て突き止め、遠方へ逃げていた医者の居場所も見付けてその家族や交友関係まで徹底的に調査し、他人を雇い、その医者が王都へ戻って来るように仕向けた。

 妹を殺され、怒り心頭の女王陛下に少し時間が欲しいと頭を下げ。

 そうしてクロードが正式にアルマン伯爵家の当主の座に就いた十九歳の秋に公の場で断罪した。

 両親の死の真相と共にその貴族のこれまでの悪事を余すことなく暴露した。

 当然だが王妹であり降嫁したと言えど王族を殺したのだから、貴族も、雇われた人間も、そして医者も一族郎党全てが斬首刑に処された。中でも貴族と医者は王族殺しとして王都内を引き回しした後に鞭打ちの刑、磔による石打ちの刑、両手足の切断、親族の処刑を見させられた上で斬首された。最初から最後まで公開されたその処刑には女王陛下やクロードだけでなく他の王族や王家の血筋を濃く引く者達も立ち会った。

 貴族は最後まで地位は剥奪されず、王族を暗殺した謀反者として歴史に名が残る。

 一族は女も子供も関係なく処刑されたが、そちらは鞭打ちの刑と絞首刑であった。



「私は殺すつもりであの男達の罪を暴き、そして死に追いやった。それでも未だにあの男を、医者を、憎いと思っている。既にこの世にはいないのに殺してやりたいと思う。しかしそれはもう叶ったことだ。あれから四年。私はアルマン伯爵家ここの当主として生きて来た。他の道を選ぶこともなく、憎悪に身を焦がしながら、ただ日々を生きている。……奴らを殺した罪悪感など一度も感じたことはない」



 他の罪人に対しては多少感じられる憐れみや同情もない。

 祖父や父のような当主となり、女王陛下の信に応え、それでも渇きは癒えない。

 血腥い世界に身を置き、事件を解決している時だけは少しばかり癒される。

 それでも殺したはずの相手を憎み続けて生きるのは空しいものだ。



「人を殺めたことに罪悪感や自責の念を覚えるのは正しいことだ」



 それは人間として当たり前のことである。

 完全に忘れてしまわぬように自身が関与した事件の犯人の処刑には立ち会ってきたが、恐らくクロードの感じている罪悪感や自責の念は他の人間よりもずっと軽い。

 その感情はアルマン伯爵家当主には不要だと切り捨ててしまった。



「私はこの座に就く以上、罪人に情けをかけることは許されない」



 だからだろうか。悩み、苦しみ、しかし目を逸らさぬセナが眩しく見える。

 思えばセナを側に置いてからの日々は心穏やかなものだった。

 破天荒な行動に振り回されるものの、そうしているうちに胸の中に燃え続けていた憎悪は次第に弱まり、ここ半年ほどは奴らの顔を思い出すこともなかった。

「セナ」と名を呼べば静かに側へ寄って来る。

 そのダークブラウンの瞳に映る感情はクロードを案じるものだけだ。

 責めることも、慰めることも、恐れることもない。

 伸ばした手でセナの手に触れても拒絶されることはなく。

 ただただ静かにそこにいて受け止めてくれる。

 触れた手の温もりが憎悪に燃え、渇いた心に一滴、また一滴と雫を落とす。

 この胸の内にある炎が消えることはないのだろう。



「……ずっと側に」



 お前がいてくれたなら、この炎が大きくなることはない。

 触れた手の、己よりも細い指に口付ける。

 この気持ちを抑え込むことなど出来なかった。

 最初から出来るはずもなかったのだ。



「私の側に、いてくれ」



 こんなに弱く、醜い男だが、この気持ちだけは偽れない。

 顔を上げて見上げれば、驚きに丸くなったダークブラウンの瞳と視線が絡む。



「お前が欲しい」



 赤く染まった頬に少しは期待してもいいだろうか。





* * * * *





 取られた右手に恭しく唇を押し当てて伯爵がそう言った。

 突然のことに返す言葉が出て来ない。

 くすんだブルーグレーがジッと熱心に見上げてわたしを待っている。

 冷たい相貌とは裏腹に触れれば火傷しそうな感情がその瞳に宿っていた。

 振り払えば簡単に解けるだろう弱い力で繋がれた手の、その頼りない力加減と縋るような眼差しは、まるで伯爵がわたしに拒絶されることを恐れている風だった。



「……それは、どういう意味で?」



 側に置きたいのならば今のままでも充分なはずだ。

 欲しいと言うなら、もう既に使用人として手にしている。

 ドキドキと早鐘を打つ心臓のせいで声が震えてしまう。

 繋がれた手に少しだけ力がこめられた。



「男が女を想う意味で」



 ぶわりと顔が真っ赤になる自覚があった。

 何時からとか、どうしてとか、そういうことよりも喜びが胸に広がる。

 伯爵も。……クロードも同じ気持ちでいてくれたんだ。



「ですが、わたしは使用人です」



 それなのに口から零れたのは皮肉交じりの言葉だった。

 違う、そんなことを言いたい訳じゃあない。

 思わず逸らした顔の、頬に伯爵の手が伸びてきて正面に戻される。

 珍しく困ったように眉を下げて微笑んでいた。



「問題ない。他国であろうとも、お前は貴族の子だ」

「それは事実ではありません」

「この国ではそうなっている」



 だから貴族同士の婚姻だと伯爵は言う。



「それにわたしは、教会に……」



 使徒もしくは使徒と同郷の者だと思われている。

 何時また教会側から勧誘が来るか分からない。

 わたしは伯爵の下にいると表明したけれど、女王陛下にもそう言って許可をもらえたけれど、それで教会側があっさり手を引くだなんて楽観視は出来なかった。

 ……今でさえ離れがたく感じているのに。

 もしも思いが通じ合ってから引き離されたらわたしは耐えられないだろう。



「フレドリック神父にお前について他言、勧誘をしないと宣誓させてある。教会に属する者にとって宣誓とは信仰する神と己の名において行うものだ。信仰心の篤い者ほどそれを破ることは難しい」

「……あの神父様、フレドリックさんというんですね」

「知らなかったのか」

「だって名乗られておりませんし」

「全く、お前はそういうところは適当だな……」



 仕方のない奴だと言いたげに伯爵が微苦笑する。

 頬に触れた手の親指がわたしの目元を優しくなぞる。



「例えお前が教会に連れて行かれたとしても、私は持てる権力全てを使って取り戻す」



 どうして、伯爵は……。

 瞬きをする度に瞼が熱くなる。



「わたしは普通の人間ではないかもしれませんよ」

「私には普通の人間にしか見えない。笑い、怒り、泣き、喜び、悲しみ、悩み、苦しむ、ただの人間だ。何より私も普通の人間とは言えないからな、普通ではない者同士丁度いい」



 血腥い世界もお前とならば悪くはないと口角を引き上げる。



「…………お淑やかでもないですし」

「そうだな、何時も振り回されてばかりだ」



 溜め息混じりの言葉にグッと言葉に詰まる。

 振り回してる自覚もある。言い付けを守っていない自覚もある。

 頬に触れていた手が外れた。

 だが、と伯爵は続けた。



「その何ものにも囚われない自由な様に私は救われている」



 繋がれた手の、わたしの手の甲に伯爵の額が触れた。



「本当は故郷に帰りたいだろう。家族に会いたいだろう。……叶えてやれなくてすまない」



 触れた額は少し温かくて、伯爵の体温も上がっているのだと気付く。



「あちらには大切な者が大勢いたのだろう。それを全て捨ててくれとは言わない。忘れる必要もない」



 瞬きのせいで堪え切れなかった涙が零れ落ちた。

 それが嬉しくて泣いているのか悲しくて泣いているのは自分でも分からない。



「此処で、この世界で、私の横にいて欲しい」



 なんでこの人は、こんなにわたしの欲しい言葉をくれるのだろうか。



「愛してる。セナ。……誰よりも、お前を愛してる」

 

 顔を上げた伯爵のブルーグレーを見てしまえば迷いは消えてしまった。

 元の世界に残した人々の顔が脳裏を過ぎる。

 ごめん、と心の中で呟いた。

 この人と離れるなんてもう無理なんだ。

 もう一度、心の中で謝罪の言葉を呟きながら、伯爵に顔を寄せる。



「絶対に手放さないで」



 重なる唇の温もりをわたしは一生忘れないだろう。

 握られた手の力強さも、驚きと喜びに染まるブルーグレーも。

 あなたがわたしを手放さずにいてくれるなら何時までも側に。

 時間にして数秒。重なっていた唇が離れる。

 伏せていた瞼を上げれば怜悧な顔立ちが目の前にある。

 色白なせいか、くすんだブルーグレーの目尻がほんのりと赤みを帯びていた。

 離れようとしたわたしの頬に伯爵の手が触れ、誘われるままにもう一度顔を寄せた。

 言葉では表現出来ない不思議な高揚感と幸福感がじんわりと広がっていく。

 そうして名残り惜しげに唇が離れていった。



「……例え逃げ出したとしても、地の果てまで追いかけると誓おう」



 至近距離でそう囁かれ、一瞬、早まったかなとも思った。

 でも良い気分だ。溜め息が漏れるほどの充足感がある。

 ずっと、そうであったらいいのにと願っていたことが現実になった。

 大切なものを愛でる優しい手付きで頬を撫でられ、それに擦り寄り、身を任せられる安心感は心地好くて、少しだけくすぐったさと気恥ずかしさが混じる。

 今なら伯爵があんなに過保護になっていた理由も分かる。

 わたしがじゃじゃ馬だから心配と不安で落ち着かなかったのだろうな。

 ふと机についた手が置いてあった書類に触れた。

 何とはなしに視線を落とすと、それは報告書であった。



「伯爵もマイルズ=オアの処刑を見に行かれるおつもりで?」



 書類に書かれた名前を口にすれば呆れ半分といった様子で頷き返される。

 こういう状況でそんな話題を出すのはまずかったかもしれない。

 けれど伯爵は気分を害した風でもなく書類へ視線を向ける。



「ああ、あれには少しだが関わったからな。私『も』ということは、行くつもりだったのか?」



 戻って来た視線にわたしも頷き返す。



「はい。実はアンディさんに『人の生き死にに慣れないと辛いのはお前だ』と言われまして、確かにその通りですから、これからは自分の関わった事件の処罰は出来る限り立ち会おうかと」

「そうか。……あまり無理はするな」

「善処します」



 絶対にしないとは確約は出来ないけどね。

 わたしがニコリと微笑んだからか伯爵が短く嘆息する。



「……処刑日は供としてついて来い」



 諦めた感じの伯爵の額に、慰めの代わりに唇を押し当てておいた。





* * * * *
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