アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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#The tenth case:Hell's vengeance boils in my heart.―復讐の炎は地獄のように我が心に燃え―

揺らめき、二つ。

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「そんで、物音に気付いた使用人が寝室に入ると血の海だったそうだ。ナイフで散々刺された義理の両親は既に息絶えていて、ベイジル=ガネルは凶器を持ったまま実の父親と弟の名前を泣きながら呼び続けていたらしい」



 使用人が警察署に駆け込み、未成年のベイジルは保護という形で警察へ連行された。

 ベイジルの状態は不安定で人と話せる状況ではなく、数日経ってようやく落ち着いてから事情聴取を行い、事の次第が分かったのだ。



「では、その書類はベイジル=ガネルの弟についてでしょうか?」

「そういうこった」



「見てみろ」と渡された封筒から書類を出してザッと目を通す。

 ベイジル=ガネルの弟は奴隷商で罪人として売り出され、隣国の奴隷商に買われて出国し、他国の貴族に買われ、そして既にこの世にはいなかった。購入先の国は奴隷の扱いが酷く、罪人ともなれば人として扱われず、買った主人に暴行を受けた末にその怪我が原因で半月ほど前に死亡している。



「裁判もあるからベイジル=ガネルは保護してるけどよ、それについて伝えなきゃあならんと思うと気が進まねぇもんさ。……いまだに精神状態は酷いってのに……」

「そんなに?」

「一日中ぼんやりしてるかと思えば、突然実の親父と弟の居場所を聞いてきたり泣き叫んだり、殺したはずの義理の両親がそこにいるっつって暴れることもある。事件について話を聞けたのも、弟が今どこにいるか調べて教えるのが条件なんだがな、死んだなんて言えば、それこそおかしくなっちまうだろ。……な? 胸糞悪い話だろ?」



 ベイジル=ガネルにとっては心が壊れてしまうほど辛く悲しい現実なのだろう。

 信じていた義理の母が父親の死に関与し、弟を売り払った。義理の父親であり、父親を支え、家業を継いでくれているとばかり思っていた男が本当は父親の憎い仇でもあった。

 そこに最後の家族の弟の死を告げなければならない。

 刑事さんでなくとも憂鬱に感じる役回りだ。



「そうですね。元凶が死んだとしても、もうベイジル=ガネルの家族はもう誰一人として戻ってはこないのですから。……それに彼の心も」



 わたしの言葉に頷いた刑事さんが立ち上がる。



「さて、長話しちまったな。坊主に聞いてもらったら少しは気分もマシになった。ありがとな。それから旦那にもこれについて礼を言っといてくれ」



 腹を括ったのか刑事さんがわたしの手から封筒を抜き取って苦く笑う。

 わたしも立ち上がり、その大柄な体躯を見上げる。



「畏まりました。話を聞くくらいで良ければ、またお相手になりますよ」

「お、坊主にしては珍しく優しいじゃねえか」

「わたしは真面目な人が好きなだけです。……それでは失礼致します」



 少し嬉しげな刑事さんの横を通る際に、太い腕を軽く二度ほど叩いて過ぎる。

 背後から「気を付けて帰れよ」という声に背を向けたまま右手を挙げて応えておいた。

 廊下を戻り、警察署の外へ出て、辻馬車を拾う。

 伯爵家のそれよりも揺れの強い馬車にガタガタと揺られながら考える。

 よく「復讐は何も生み出さない」とか「死んだ人がそれを望み、喜ぶのか」と言うけれど、そんなものはただの綺麗事に過ぎない。憎しみを捨てることも抑え込むことも人間には難しい。

 復讐しなければ前に進めない人も、そうするしか心を守れない人もいる。

 ベイジル=ガネルは後者だったのかもしれない。

 だが常識的に育ったのであれば殺人は精神的に多大な負荷がかかるはずだ。復讐を完遂したとしても、義理とは言え、両親という人間を殺す大罪と積もった心労に精神が耐え切れなかったのだろう。

 両親を失い、信じていた人間に裏切られていたと知り、父親をその人間に殺され、家業すら奪われた。そうしてトドメとばかりに弟の死を聞いたベイジル=ガネルがどのような反応を示すのか薄々予想がついてしまう。



「……本当の地獄はこの世なのかもね」



 掌に残る銃の感触と発砲の衝撃を思い出して目を閉じる。

 瞼の裏に見えたヘレン=シューリスの最期は嫌味なくらい鮮明だった。





* * * * *





 最近塞ぎ込みがちなセナが気になり、気分転換にでもなればと簡単な使いを頼んだ。

 しかし警察署から戻って来ても時折意識を飛ばしているような気がする。

 書類を捌きながらも視界の隅にひっそりと佇む姿をチラと見遣る。

 主人の邪魔にならぬように目立たず騒がず静かに側に控えているが、床へ向けられた視線はどこにも焦点が合っておらず、思考の海に沈んでいるのが分かった。

 ヘレン=シューリスの一件から口数も減っている。

 恐らくこれに関しては本人も無自覚なのだろうと思い言及せずにいた。

 仕事上の支障もなく、だからこそ気になってしまう。

 いっそのこと泣き叫んでくれたなら慰めの言葉もかけられよう。




「セナ」

「はい、何でしょうか」




 名を呼べば即座に反応が返って来る。

 書類を執務机に置いて振り向いても、此方を見る瞳には先ほどまでの暗い光がない。

 だがクロードは思い切って踏み込むことを選んだ。



「人の生き死にに関わるのはつらい。自らの手で行ったものであれば尚更だろう。しかしそれを胸の内に秘め続けるのは延々と傷を抉るようなものだ。……辛ければ、吐き出してもいいんだ」



 ハッとセナが小さく息を詰め、そしてそれに対して「しまった」と言いたげな表情が一瞬垣間見えた。

 その表情を誤魔化すように目が伏せられる。

 他人が見れば無表情と受け取るかもしれないが、クロードはまるで痛みを堪える子供のような顔だと感じ、そのまま泣き出すのではとすら思えた。

 一年も側にいたお蔭で小さな表情の変化や動きで感情を読み取ることが出来るものの、近侍に就いた当初は全く分からなかった。貴族にとって内心を隠して表情を取り繕うことは当たり前のものであるけれど、全く同じものを貼り付けたようなセナの微笑は壁と距離を感じさせられるものだった。

 ずっと引き結ばれていた唇が薄く開いては閉じてを繰り返し、小さな声が聞こえた。



「…………後悔はありません……」

「そうか」

「あれは正当防衛ではなかった」

「お前が動かなければエドウィンは危うかった」



 ゆっくりと上げられた瞳が揺れている。

 ふっと浮かべられた泣き笑いに耐え切れなかった雫がセナの頬を伝う。



「わたしは、わたしを赦すことは出来ません」



 手招くと素直に近付いて来る。

 側へ来たセナの顔に手を伸ばし、涙を拭った。



「お前が自分自身を赦せずとも、私はお前の罪を赦す。例え他の誰もがお前を非難しても、私はお前を受け入れよう。悩み、苦しみ、それでも罪から目を逸らさぬお前の強さが、私は羨ましい」



 セナの瞳が丸くなる。驚きからか涙は流れ落ちなかった。



「羨ましい?」

「ああ、この重責から逃げ出したい。血腥い世界から抜け出したい。血も死体も苦手だ。私は平凡な貴族になりたい。けれども祖父や父の生き様に憧れ、陛下の期待にも応えたいと思う自分もいる。……お前はただ惰性でこうしている私とは違う。苦悩しながらも己の道を歩んでいる。それが少し、眩しい」



 道を選択することも、意思も、選び取る苦悩も。

 私が遠いあの日に全て捨ててしまったものだ。

 それなのに何故かセナには聞いて欲しいと願ってしまう。

 大切に想っているからこそ己が如何に弱い人間なのか知って欲しい。

 それを知っても尚、側にいてくれたならと思わずにはいられなかった。





* * * * *






「父上、ただいま戻りました!」



 学院の長期休暇に入り、静かだった屋敷に明るい声が響く。

 その声に書斎の机にいた人物が顔を上げる。

 窓から入る光に当たる髪は透き通った銀だが、所々で反射すると僅かに銀灰にも見える不思議な色味の長い髪は後頭部で一つに纏められ、切れ長の瞳は美しいエメラルドグリーンである。目鼻立ちのくっきりした顔に線の細いその男性は冷たく神経質そうな印象を与えるが、入室した者を見てほんの僅かに目を細めて微笑んだ。



「ああ、おかえり。クロード」



 扉の前にいる少年はやや灰色がかった銀髪で、ブルーグレーの瞳をしている。

 駆け寄ってきたその少年を男性は抱擁して迎え入れた。

 手紙のやりとりはあるけれど、数ヶ月ぶりの親子の再会だ。



「学院では不自由はないか?」



 体を離した男性が腕の中にいる少年を見下ろす。



「ありません。……でも父上や屋敷の皆と会えないのは少し寂しいです」

「そうか、私もお前がいないと少し寂しい。しかし学ぶということはとても大切なことだ。知識がなければ物事を理解することも、気付くことも出来ない。今後もきちんと勉学に励むように」

「はい、父上」



「その代わり屋敷にいる間は好きに過ごしなさい」と柔らかな声音で告げられた少年は「では父上の邪魔をしないので、ここで読書をしてもよろしいですか?」と聞き返した。

 男性がそれに頷けば少年は嬉しそうに「本を取ってきます」と慌ただしく書斎を後にする。

 廊下を足早に歩く少年――……クロード・ルベルス=アルマンは父親が大好きだった。

 母親は幼い頃に亡くした。その儚げな姿を朧気に覚えている。

 寂しいと思うこともあったが、それでも父親が母親の分まで愛情を注いでくれていると感じていたから辛くはない。むしろ他の子よりも親の愛情を明確に受け取れる分、幸せだ。

 貴族の家では子育ては乳母ナニーが、教育は女家庭教師カヴァネスが行い、親が子に会うのは日に一度か二度。下手をすれば数日顔を合わせないというのも珍しい話ではなく、ごく普通のことである。

 だからこそ、忙しい当主の身でありながら毎日食卓を共にしたり短くとも顔を合わせて会話をしたりと気にかけてくれる父親へクロードが愛情と尊敬を抱くのは自然なことだった。スクールに通い始めてからマメにくれる手紙も嬉しかった。

 周囲からは恐れられ、遠巻きにされる父だが、本当は心優しく家族想いな人だ。

 自室から本を取って戻って来たクロードは父親の邪魔にならぬよう、書斎にあるソファーの一角に座ってページに視線を落とす。休暇の間にこの本を読んでおかなければならないのだ。

 室内には父親が書き物や書類を移動させる音、クロードが本のページを捲る音が響く。

 親子の会話がなくとも、そこにいるだけで心が温かくなる。

 この静かな時間はクロードにとって特別なものだった。

 伯母である女王陛下も甥として可愛がってくれるけれど、そこには常に『母親を亡くした子』という同情と『亡き妹の忘れ形見』という意味合いが含まれており、純粋な愛情だけではないのだと思うとどうにもクロードは伯母に甘えることが出来なかった。

 何より実子である殿下よりも可愛がられる居心地の悪さもあった。

 その殿下もまるで兄弟のように接してくるのでやはり少し落ち着かない。



「王家の血を引いてはいても我々は伯爵位だということを忘れてはいけない。我々は王族の方々を敬い、女王陛下に仕える臣下に過ぎないのだから。そして我々は女王陛下の憂いを払う剣の一つである。時にはこの命を投げ打ち、時にはこの身が血に染まろうとも、王国のために尽くさなくてはならない」



 そんな父親の言葉とは対照的過ぎた。

 家族の如く触れ合おうとする女王陛下と殿下が少し苦手だった。

 |何(いず)れはアルマン家の当主となり『ルベリウス』の名を受け継ぐ身。

 役目を全うするためにも父親の言葉を胸に刻み、クロードは日々を過ごしていた。

 十三歳で入学した学院では基礎科目の履修後、選択学科ではほぼ全ての学科に顔を出した。剣術と馬術も鍛え、当時はまだ一般的ではなかった銃器の扱いや構造も学んだ。寝る間も惜しみ、遊ぶ時間も削り、時間の許す限りを勉学に費やした。

 様々な知識と経験を経て、父親のような立派な人間になりたかったのだ。

 だが十七歳の秋も終わりの頃、深夜に屋敷から使用人がやってきた。

 真っ青な顔の使用人を見たクロードは内容を聞かずとも理解してしまった。

 急いで屋敷へ戻ったが、物言わぬ父親と三人の使用人の姿に恥も外聞もなく泣き縋ったことをよく覚えている。二人の使用人は父親が連れ歩いていた供の者で、一人は御者で、最期まで主人を守るために身を挺したのだろう。遺体はどれも酷く損傷しており、父親も全身傷だらけであった。

 何者かに馬車が襲われ、四名は命を奪われた。

 貴金属などが盗まれているので物盗りだろう。
 
 闇夜に紛れての犯行と遅い時間帯のせいで目撃者もおらず、犯人も不明。

 貴族の子息と言えどもまだ成人したばかりのクロードに対する警官の態度はやや横柄だった。

 この頃にはアルマン伯爵家の担う仕事がどのようなものか学んでいたので、それが物盗りなどではなく、伯爵家に対する怨恨からくるものだとピンときた。

 けれどもクロードのその訴えは退けられた。

 形式上はきちんとした捜査がなされたように見えて、その実は何も行われなかった。

 そうしてクロードは当主の座を引き継ぐにはあまりにも若過ぎた。

 十九歳で卒業するまでの二年間はアルマン伯爵家は事実上の王家預かりとなり、その二年間、クロードは勉学に励む一方で父親と使用人達を襲った犯人を追い続けた。

 その時に出会ったのがデール=バジョットとその上司だった。




* * * * *
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