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# The ninth case:The voice that the devil tempts.―悪魔の囁き―
言、十六。
しおりを挟む「しかしある時、突然『これは病に苦しむ者以外にも売れる。悩みや苦しみを和らげてくれる素晴らしいものだ』と旦那様は私共に製造量を増やすようお命じになられました。薬を使用した妻を傍で見ていた私も息子も、これを普通の人々が使うのは危険だと理解しておりましたので必死にやめてくださるよう懇願致しましたが聞き入れてはいただけませんでした。旦那様にも雇われた薬師達にも既に材料や製造法は話してしまっていたため、私共が口を噤んだところで今更何の意味も成さなかったのです」
その辺りで何かしら変化があったのだと思う。
薬について研究している中で健康な人間に飲ませた可能性が高い。
まだこの国では知られていない薬であり、売買しても法に触れないと考えた。
表向きは病に苦しむ人々への薬と謳いながら、裏では違法薬物をそれと悟られぬように物に混ぜて売る。何も知らない人々はそれが同一の物だとは気付かない。
「その後も協力したのは何故だ?」
殿下の質問に男性は項垂れた。
「妻の病のためには薬が必要でした。私と息子が稼いでも、薬代は足りず、旦那様が借金を肩代わりしてくださっていたのです。妻の死後、それを返済するには『幸福』の製造を手伝うしか道はなく……。……息子は『薬師として恥ずべきことをした』と一年ほど前に自ら命を絶ちました」
「そうか、辛いことを思い出させてしまったな」
両手で顔を覆うと嗚咽交じりに「いいえ、浅はかな私共の行いが返ってきたのです……」と男性は首を振った。殿下は「それでも、よくぞ話してくれた」と男性に労いの言葉をかける。
奥さんを病で亡くし、息子を失い、この男性も苦しかっただろうな。
しかも自分達が教えた薬が本来の使用目的とは違う使われ方をしたのだ。
罪悪感や責任感で押し潰されながらも日々を過ごしてきたのかもね。
次に殿下が声をかけたのは腹の出た恰幅の良い男性だった。
その男性は入場した時点から顔色が悪かったが今は忙しなく冷や汗を拭っている。
「其方はジンデル卿の領地に本部を置く商会の長であると聞く。そして伯爵邸より発見された証拠書類の中に其方の経営する商会の名が載っていた。卿の言では『幸福』は幾つかの商会から預かったとのことであるが、其方の商会もこれを扱っていたのか?」
淡々とした殿下の声に男性は両手の指を組むと柵の中で跪こうとした。
ただ男性が太っていたことと、柵が狭いこともあってそれは出来なかった。
それでも中腰の体勢で男性は恥も外聞もなく涙を流す。
「確かに私共の店で違法な薬物を売買致しました! そのことは事実にございます! しかし私共はその薬物の製造はしておりません!! 香も葉巻も、商品はジンデル卿の御指示で作り、販売したことは申開きもございません!! ですが薬物は全てジンデル卿が管理されておりました!!」
中年の恰幅の良い、大の大人がプライドすらかなぐり捨てて泣く様に、見ていた貴族達は失笑する者と唖然とする者とに分かれていた。わたしも流石にちょっと引いた。
でも商人というだけあって損得勘定が即座に働いたらしい。
このままジンデル卿に味方していても活路はないと判断したのだ。
足掻いて処刑されるくらいならば、真実を話して法の裁きによる罰を受けた方が良い。
泣きながらの告白を聞くと自分の罪を認めながらも貴族であるジンデル卿には逆らえなかったのだと言外に述べている風にも聞こえるし、製造も販売もジンデル卿の指示だとも受け取れる。
おいおいと泣く様を殿下と伯爵、そして女王陛下は冷静に見つめている。
まあ、この人達にそういう手は通用しないと思う。わたしも驚いたが同情心は湧かない。
先ほどの家令を見て涙を流せば同情を引けると考えたのならば大間違いだ。
「なるほど、薬物は全てジンデル卿が管理していたのだな?」
念押しする殿下の言葉に商人の男性が何度も頷く。
「はい、はい! その通りでございます! 私共は必要な時に卿の元へ使いを出し、取りに行かせておりましたが薬物が何であるかも存じ上げませんでした!!」
それは完全に商人がジンデル卿を見限った瞬間だった。
ジンデル卿の体がほんの一瞬、ピクリと反応する。
うまい汁を吸い合っていた仲間に目の前で掌返しされたらどんな気分だろうか。
怒りを露わにしないのは見事だけれど、殿下に釘を刺されているせいで反論も出来ずに歯噛みしているのがその背中から伝わって来る。苛立ちや焦燥感で内心では腸が煮えくり返ってるに違いない。
殿下は商人の男性に「そうか」とだけ返した。
思った反応と違ったのか商人の男性が「あれ?」という顔をしたが無視された。
続いて声をかけられたのは使用人の女性だった。
「其方はジンデル卿の王都の屋敷で働くメイドであったな」
「はい、お客様へのおもてなしをさせてただいておりました」
殿下に話しかけられて使用人の女性が深く礼を取る。
緊張で少し顔色は悪いがよく見れば美しい外見の女性だった。
「ジンデル卿の屋敷にはどのような客人が訪れていたのだ?」
その問いかけに使用人の女性はグッと口を引き結ぶ。
使用人は主人達について語ることは本来禁止されている。これに答えるとこの女性は今後使用人としての信用を失い、どこの貴族の屋敷へ行っても雇ってもらえなくなる。だから話すのを躊躇っているのだと分かった。
例え証言することが正しいと理解していても、自分の生活がかかっていては口には出せない。
「陛下、殿下、発言をお許しいただけますでしょうか?」
右手を挙げて伯爵が発言の許可を求めた。
それに対して陛下が「許します」と言い、殿下も頷いた。
伯爵の視線が使用人の女性に移る。
「証人が証言をすることで使用人としての立場と信頼が損なわれる可能性がございます。そこで、この証言により彼女が職を辞する結果となった際には我がアルマン伯爵家にて受け入れる旨をご提案させていただきます」
思わず伯爵の顔を見上げてしまった。
アルマン伯爵家にいる使用人達は行く当てのない者ばかりだが、その理由までは知らなかった。本人が悪い場合もあれば、今回のようにそうでない場合もあり、何故伯爵家にそんな人達が集まるのか理解した。
こういうことをアルマン伯爵家は、この人は繰り返しているんだ。
女王陛下と殿下はその発言を想定した様子で鷹揚に頷いた。
「よろしいでしょう。証人がこの裁判により職を辞することとなった際には、アルマン伯爵家へ引き取って差し上げなさい。……これで真実を口に出来ますか?」
前半は伯爵へ、後半は使用人の女性へ女王陛下が声をかける。
まさか陛下から直に言葉をもらえると思っていなかったのか、動揺しながらも彼女は深く頷いた。
「では改めて、ジンデル卿への来客はどのような要件で来ていたのか話して欲しい」
「……お屋敷にいらした方は客間にお通しします。その時に『旦那様に売って欲しいものがある』とおっしゃられたお客様には別の客間を御用意しており、そこで旦那様がお香や葉巻をお売りになります」
「それが法に触れる物だと其方は分かっていたのか?」
「いいえ。ですがそれに近い物であるとは何となく感じてございました。お香や葉巻を購入される方々は目立たないような恰好で来られ、旦那様もお売りになる際は部屋に使用人を置かないので、人目に触れては困る代物なのはすぐに分かりました」
「売買している場面を見てはいないのか」
「はい。しかしながら商品を運ぶのは使用人の私共です。運び入れた時と片付ける時とで数に違いがあれば、それは訪れたお客様にお売りになったということに他なりません」
「なるほど、それはそうだ」
緊張に震えそうな声を抑え込んで使用人の女性は話す。
その間、彼女はジンデル卿の方を一切見なかった。恐ろしくて見られなかったのかもしれない。主人の目の前で主人に不利な証言をするのだ、怖くない方がどうかしている。
ココでは使用人は屋敷の付属品か道具に近い扱いを受ける。
全ての貴族がそうとは限らないが家令や彼女を見るとあまり良い待遇ではなかっただろう。
話し終えた女性に殿下は「其方の勇気に敬意を」とこの日最初の笑みを浮かべた。
柔らかな微笑に女性が頬を染めて顔を俯ける。
ああ、殿下は驚くくらいの美形だからそうなるよね。従兄弟というだけあって伯爵とどことなく似た顔立ちで、けれど伯爵よりも甘めな顔立ちと明るい色彩はそこに存在するだけで場が華やぐ。
伯爵が月だとしたら殿下は太陽かな。色合い的にも。
微笑みを見た貴族の年若い女性達から小さな感嘆の溜め息が漏れた。
そして最後の年嵩の女性へ殿下が顔を向ける。
「此方の証人はジンデル卿の領地にて『幸福』の原料である植物を栽培していた孤児院で、子供達の世話をしながら暮らしている者だ」
どうやら最初の証人である家令と共に早馬を駆けさせて呼び寄せたらしく、そのことについて殿下は「無理を強いてすまぬ」と謝罪の言葉を口にした。
女性は驚き、うろたえたが素直に謝罪を受け入れた。
そこから証言が始まっていく。
「孤児院で植物を栽培し始めて何年目になる?」
口調が先ほどよりも僅かに柔らかいのは威圧を感じさせないためか。
女性が思い出すように自分の手で指折り数えて言う。
「ええっと、二、三……四年目になります」
「この植物がどのようなものかは知っていたか?」
「いえ、あたしらにはよく分かりませんで……。ただ、とても高い薬になるという話は耳にしたことがあります。それでうちも実入りが良くなって、無理に出稼ぎに出る子も減って、最近は食べるものも増えて――……あ、も、申し訳ありません!」
質問には関係のないことまで話し始めたことに気付いた女性が頭を下げる。
それに殿下は「良い、気にするな」と鷹揚に頷いた。
違法薬物の原料を栽培するお蔭で孤児院は救われているという話を聞いて内心は複雑だろうけれど、女王陛下も殿下も、伯爵もその感情を面に出すことはなかった。
薬となる、ということしか知らないのだから仕方がない。
「植物の栽培は誰が指示したのだ?」
「それは勿論、領主様ですが……?」
「其方の住む場所の領主は誰だ?」
「え? あの、そこにいらっしゃるジンデル伯爵様ですけれど……」
何故そんな当たり前のことを聞くのだろうと不思議そうに女性が小首を傾げる。
その様に殿下は「そうか」と頷いた。
「ジンデル卿、これらの証言に何か申すことはあるか?」
ジンデル卿はすぐに口を開く。
「殿下、家令は嘘を申しております。確かにあの者には妻の病で金を貸しておりますが返済を迫ったことなど一度もなく、子が自死したことも私は今知ったばかりでございます。孤児院へ植物の栽培を促したのもあの者が代理人として行ったのでしょう」
「そうだとして、商人とメイドの話は何とする?」
「あの商人とは懇意にしていましたが、まさか私に罪を被せようとするとは思いもよりませんでした。私は彼の商品を勝手に売り払いました。その件につきましては返す言葉もございません。けれど小さく、あまり肥沃でもない我が領地で幅を利かせている商会に他の貴族と商売をするために間を取り持って欲しいと頼まれれば断ることは難しいのです。品が卸されなくなれば民の生活もままならなくなりますので……」
「ふむ、貴族の、伯爵家の当主ともあろう貴殿が商人に脅されたと?」
「いいえ、そこまでは申しませんが……。メイドが言っていたのも貴族と商人の間を繋ぐためや、その、私が勝手に売り払ったりしたところを見ていたのでしょう。ですが、恐ろしい薬を使ったものだと知っていたら私は絶対に売るようなことは致しません」
ジンデル卿の凄いところは決して焦った顔をしない点だ。
苦しい言い訳でも、自分に不利な証言をされても、全くそんな素振りがない。
今もまるで自分は騙されて良いように扱われてきたのだと言いたげだ。
普通の貴族であればそのようなことをされたと口にするだけでも屈辱だろうに、ジンデル卿はそこに迷いがなく、それ故に彼の弁は聞く者に真実味を感じさせてしまう。
実際、貴族達の様子も半々といった風だった。
最初から関わっていなければわたしだって騙されていたかもしれない。
不意に女王陛下が手を叩いた。視線が玉座に集中する。
「その言葉に噓偽りはありませんわね?」
陛下からの問いにジンデル卿が礼を取る。
「ございません」
力強く断言したジンデル卿に女王陛下が僅かに目を伏せた。
「そう、残念だわ。……リーニアス」
「はい」
名を呼ばれた殿下が陛下に近付く。
同時に、銀盆を持った侍女が恭しい仕草で陛下の側に寄り、運んできたそれを差し出した。
陛下は銀盆に載っていたものを手に取ると殿下へ手渡す。
受け取った殿下の手に、元は丸められていたと思われる書類が何枚かある。
それを広げて中身に目を落として内容を確認した殿下が眦を釣り上げた。
「ジンデル卿、其方、恐れ多くも女王陛下を、そして私を謀ろうとするとは何事だ!!」
その甘い顔立ちから出たとは思えないほどの怒号が謁見の間に響き渡る。
怒鳴り付けられたジンデル卿は何が何やら訳が分からぬ顔で体を揺らし、すぐに焦った様子で身を乗り出して返答をした。
「お、お待ちください、殿下。一体何のことをおっしゃっていらっしゃるのですかっ?」
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