アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The ninth case:The voice that the devil tempts.―悪魔の囁き―

言、十四。

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* * * * *





 クロードは先を行くリーニアスの後を追ってその部屋へ立ち入った。

 開ける前から既に見えている扉にはこれでもかと緻密な彫刻が施されていたが、ジンデル伯爵家当主の書斎は「此処は実はギャラリーだ」と言われた方が納得出来る有り様だった。

 具体的に言うならば彫刻や金細工の施された壁に、絵画や高級な花瓶などの調度品が所狭しと置かれ、小さいが煌めきの強いシャンデリアはしかし照明としての役割はあまりなさそうで、家具は明らかに高級品ですと言わんばかりの一枚板や細工の素晴らしいものばかり。床にはビロードで金糸のタッセルが付けられた絨毯。

 他の伯爵家に比べればそれなりに良い領地経営をしてる印象はあったものの、これほど贅沢を味わえるほどジンデル伯爵家の領地は豊かではない。

 室内を見回して思わずクロードは呟く。



「……よくもまあ溜め込んだものだ」

「ああ、全くだ。多少派手好きだとは知っていたけれど、此処までくると目に痛いというか、嫌味過ぎて鬱陶しい。ジンデル卿はあまり趣味が良くないってぶかから聞いていてもちょっとね」



 此処までの道案内をしたリーニアスですら室内の様に呆れていた。

 最後に室内へ入ったブライアンは顔を顰めている。

 王宮も豪奢な造りをしているが、これほど金銀細工や彫刻をしつこいくらいに多用してはいないし、何より所狭しと置かれた調度品は意匠が異なるせいで全体の統一感がなく、ゴテゴテと飾り付けた成金趣味はどう見ても下品だ。

 そういえば今日の衣装もいやに派手で装飾が多かったと思い出して納得する。

 気を取り直したリーニアスが「ええっと……」と右手本棚の入り口から三番目を物色し始める。

 本棚に並ぶ書籍はどれも似たり寄ったりでこれといった目印はなく、やや時間はかかったがリーニアスはそのうちの一つを選び出し、背表紙を遠慮なく奥へ押し込んだ。

 そのまま空いた片手を添えて本棚を押すと滑らかな動きで扉のように奥へ開いていく。

 そこは横長の狭い部屋が一つあり、書斎とは逆に装飾は一つもなく、無機質だった。

 棚が壁一面に並べられて書類が詰め込まれている。



「此処にあるのは取引相手の名簿と『幸福フェリチタ』の原料と精製の毎月の生産量、売り上げ、卸している非合法な店との契約書などらしいよ。帳簿もあるはずだ」



 扉を開けたリーニアスが「全く、困ったものだ」と肩を竦めて中へ入る。

 クロードも中へ入るとすぐに棚に納められた書類に手を伸ばして内容を確認し始めた。

 説明通り取引している者の名簿と取引した量、原料となる植物の栽培量と精製による『幸福《フェリチタ》』の生産量、非合法な店の名と卸した量と金額など様々な証拠が細かく書かれていた。

 事細かに記されているところを見るに全てジンデル卿も目を通したのだろう。

 伯爵家にしては分不相応な額の金銭が書類には明記されている。

 このようなことさえなければ有能な人物だったのだが。

 伯爵家という家柄に元々人脈が広く、有能で、金に溺れずにいれば侯爵位になることもありえない話ではなかった。少なくとも政に関する手腕は他の貴族より頭一つは抜きん出ていた。

 だが金に目が眩んでしまったのが運の尽きだ。

 それも法に触れる薬物を売買するという、女王陛下が厭う行為で。

 これには恩情も情状酌量の余地もない。



「これは証拠として押収させておく」

「ああ、警察署ではなく私の方で預かっておくよ」

「分かった」



 ジンデル卿が逮捕されたことで『幸福フェリチタ』を購入していた貴族達が自分との関りを消すために証拠を揉み消そうとするかもしれないため、警察署に置くのは些か躊躇われた。

 大金を握らされた警官が書類を持ち出してしまうことも、貴族が権力を行使して誰かに盗みに入らせることもある。鍵をかけたくらいでは何の対策にもならないし常に監視を置く訳にもいかない。

 それを即座に察したリーニアスの提案にクロードも否やはない。

 ブライアンがデールを呼びに行き、熊のような大柄のその男を連れて戻って来た。



「あの隠し部屋の書類を全てリーニアス閣下の邸宅へ運び入れてくれ」



 クロードの言葉にやって来たデールが一つ頷き、その場は彼に任せることにした。

 趣味の悪い書斎を後にしたリーニアスとクロード、ブライアンは一階を通り地下へと下りる。

 階下には使用人達が働く場所があり、既に殆どの使用人は上へと出されていたため人気はない。

 壁にかけられていたランタンをブライアンが外して火を灯し、リーニアスに道順の指示を受けながら先導していく。蝋燭代をケチりたかったのか階下は明かりが少なくて随分と暗い。

 あまり広くない通路を歩いて三人は目的のワインセラーに辿り着いた。

 リーニアスが然も当たり前のように鍵束を取り出してセラーの鍵を開けた。

 ……先ほども疑問に感じていたが何時の間に手に入れたのだろうか。

 何事もなかった様子でポケットに鍵束をしまうリーニアスを見ながらクロードはそう思ったが、まあ影《ぶか》に保管場所から取って来させたか使用人から前以って取り上げたかだろうと見当を付けて黙殺する。

 地下にあるセラーは一定の気温に保たれており、中には樽や瓶に詰められた様々な種類の酒が保管されている。横目に見ただけでも高級なワインの樽が複数あった。

 無理に詰め込んだのかセラーの通路は狭く、リーニアス、クロード、ブライアンの順に縦に一列に並んで奥へと進む。

 そう歩かないうちにセラーの壁に突き当たった。

 そこには石積みの壁があるだけだったがリーニアスが手袋に包まれた手を壁に向けた。

 場所を確かめるように肩の高さに上げた拳で壁を叩きながら右から左へ歩いていくと、ある個所から石の壁にしてはよく響く少し濁ったゴンゴンという音に変わる。リーニアスの口元が薄く弧を描く。



「此処かな?」



 体を壁へ向けて両手で触り出したリーニアスにブライアンも加わり、二人が壁を叩いていく。

 するとブライアンが地面に近い場所に位置する石を叩くとそれが奥へ押し込まれる。ガコ、と何かの外れる音がして、微かに目の前の壁が揺れた気がした。

 ブライアンが壁を押すと中央を支点に押した左側が奥へ動き、右側が手前へ開く。いわゆる回転ドアのような造りになっていた。手を離しても壁は締まることなく止まっている。



「私が先に参ります」

「ああ、任せた」



 ブライアンが言い、リーニアスが頷く。

 ランタンを掲げつつ空いたもう片手で僅かに開きかけていた壁をやや強めに押す。

 動いた扉の断面図を見ると、扉に薄い石を貼り付けた張りぼてであることが分かる。

 開いた扉の隙間にブライアンが身を滑り込ませた。

 途端に甘ったるい匂いが鼻孔を刺激し、すぐにハンカチで口を覆い、周囲を見渡す。

 中はセラーの続きのように棚が並んでいるものの、その棚に並んでいるの酒ではなく、小さな木箱や中身が液体ではない瓶だ。

 特に危険はなさそうだと判断したブライアンは扉の隙間からセラーに顔を出す。



「異常はありません。しかし『幸福フェリチタ』の匂いが充満しておりますので、口元を覆って入られた方がよろしいかと」

「分かった」

「確かに此処にいても少し匂いがするな」



 返事をしたリーニアスとクロードもハンカチで口元と鼻を押さえて中へ入る。

 まとわりつく甘い匂いに二人揃って少しだけ眉を顰めたが、構わず室内にある木箱のフタを開けて中身を確認する。緩衝材代わりの藁や布に包まれた香、無造作に瓶に詰められた薬物の粉、乾燥させた原料の植物片などが棚に置かれていた。

 隠し部屋はセラーより狭いと言ってもそこそこの広さがある。

 そこに押し込まれた薬物の量を考えるとゾッとする。

 よく見ると香の収められた木箱はそれぞれ封に使われているリボンの色が異なり、どれも紫色だが濃淡があることが分かった。恐らくだが何かの目印だろう。

 置かれた物の内容が粗方分かったところで三人はセラーに出た。



「……あの部屋に長時間いるのは危険だな」

「そうだね、あの匂いだけでも危険な気がするよ」

「作業をする警官には長時間室内にいないよう注意をしておきます」



 クロードの言葉にリーニアスもブライアンも同意した。

 壁を戻し、きっちり閉じると押し込まれていた壁の石がガコンと元の位置へ戻る。

 それを見届け、扉が開かないことを確かめてから三人は来た道を戻り、セラーを出て上階への階段を上がった。地下から一階へ戻ると三人は誰からともなく一つ深呼吸をした。

 地下の空気と『幸福フェリチタ』の匂いを肺から追い出すように息を吐く。

 新鮮な空気を吸ったことで不快だった匂いがなくなり気分も良くなった。



「後の指揮は私が執るから、クロードはセラフィーナを連れて帰るといい」



「彼女も疲れているだろうしね」とリーニアスが小さくウィンクをする。

 クロードは暫し考えたけれど、これ以上自身がやることはないと考えてその案を受け入れた。

 それに待機させたままの瀬那の様子も気になる。



「ではそうさせてもらおう」

「大丈夫だとは思うけど、もしも彼女に『幸福フェリチタ』の禁断症状が出たら連絡を。この国で最高の医者をお前の屋敷に派遣するよ」

「そうならないことが一番だが、その時は頼む」

「うん。ではまた。陛下の呼び出しがあるだろうから、その時に」

「ああ」



 クロードとリーニアスは互いに右手を軽く叩き合ってその場で分かれる。

 リーニアスはもう一度ジンデル卿の書斎へ、クロードは瀬那が待っている客間へ向かった。





* * * * *





 客間のソファーに腰掛けて待つこと約一時間半。

 出て行った時には三人であったのに、戻って来たのは伯爵だけだった。

 室内へ入ってくると真っ直ぐにわたしの方へ歩いて来る。



「いかがでしたか?」



 そう問いかければ伯爵はわたしへ手を差し出しながら頷いた。



「証拠は見つかった。これで言い逃れが流石に出来まい」

「良かった。わたくしが体を張った甲斐はありましたのね」

「その点については実に遺憾だがな」



 差し出された手に自身の手を乗せれば軽い動作で引き上げられる。

 それに釣られて立ち上がったわたしの腰に伯爵の手が回った。

「事後処理はリーニアスに任せて我々は帰るとしよう」と促されて客間を後にする。

 警察の突入と屋敷の主の逮捕によりパーティーもお開きになってしまい、参加者たちはわたしが客間でぼんやり待っている間に早々に帰ったため、屋敷の中にいるのは警官ばかりである。

 慌ただしく動き回る彼らと擦れ違いつつ正面玄関に出れば馬車とアンディさんが既に待機していた。

 まずわたしが、次に伯爵が乗る。アンディさんは御者台に乗るらしく扉が閉められた。

 ゆっくりと動き出す馬車の中で向かい側に座る伯爵がわたしの片手を取る。裏返した手から手袋を外し、自身の手袋も片方外すと手首に指を当てて脈を計り、顔を覗き込んでくる。



「顔色は悪くないな。脈も異常は見られない」



 どうやらまだわたしの体調を気にしているようだ。



「香の煙もそう沢山は吸っておりませんので大丈夫ですよ。客間で休ませていただきましたし、その間に具合が悪くなることもありませんでした。そこまで心配なさらずとも……」

「馬鹿者、あれは吸って暫くは気分が良くなるものだ。症状は後から現れる。妙に体が軽い、気分が高揚する、落ち着かないといった感覚はなかったか?」

「どちらかといえばステイズの締め付けとドレスの重みで重症です」

「そうか、問題はないな」




 あ、そこは聞き流すんだ。まあいいけど。

 わたしは気を取り直して伯爵へ問う。



「ところで隠し部屋は本当にありましたか?」



 直に見に行けなかったので話だけでも聞きたい。

 伯爵はわたしの質問に一度目を瞬かせ、思い出すためか視線が僅かに斜め上へ向かう。

 そして何故か少しだけ辟易したような表情になった。



「あった。一つは卿の書斎、もう一つはワインセラーの奥。リーニアスの言った通りの場所だった」

「では何でそんな嫌そうな顔に……?」

「卿の書斎が少々酷くてな。ギャラリーと間違えたのかと思うほど高額な調度品が置かれ、室内は目に痛いくらい華美な細工がされていた。あの中で執務に集中出来るのかと疑問になるほど品がない」

「そういえば今日のジンデル卿の衣装もいささか派手でしたね」



 本気で嫌だと思っているのか伯爵は眉間に皺を寄せて溜息を零した。

 伯爵の書斎は本が多いけれど、それ以外はこれと言って華美な装飾や調度品はなく、実用性を重視したもので整えられているために余計にそう感じるのだろう。

 膨張色の真っ赤な衣装に金の細工、少々過多なくらいの装飾品といった出で立ちのジンデル卿を考えれば書斎まで派手にして、それらを眺めながら一人で優越感に浸っていてもおかしくない。

 むしろそういった姿がよく似合いそうな人物だった。



「書斎の隠し部屋には顧客名簿だけでなく領地で栽培、精製した『幸福フェリチタ』の製造量や販売額、卸していた非合法な店との契約書などが収められていた。ワインセラーの方の隠し部屋には原料や精製後のそれを混ぜた香や葉巻が隠されていた」



 それだけ証拠が見つかれば言い逃れは確かに出来ないな。

 もしかしたら他の者に横流しされたり盗まれたりするのを厭ったのかもしれないが、自分の手元に置いておくのもリスクが高いだろうに。せめて自分と関係のなさそうな場所に隠しておけば良かったものを。

 ほんの僅かな量で多額の金銭が手に入る代物だから目の届く場所に保管したかったのか。



「恐らく数日中にジンデル卿の裁判が開かれる」

「え、数日中って早過ぎませんか?」



 貴族の裁判は一年ほどかけて行われるのが慣例だったはず……。



「この件に関しては何年もかけて調査をした。今回は黒幕を逮捕するためであり、ジンデル卿の罪は既に確定しており、陛下は調査報告が上がる度に卿に対する判決を考えていらした」



 なるほど、その数年前からの調査も裁判期間に含んだということか。

 それならば短いということもない。



「即座に処罰が下される可能性が高いのですね」

「ああ。陛下は特にこの手の犯罪を嫌っておられるからな、厳罰に処すだろう」



 そしてふと何かに気付いた様子で伯爵は視線を落とした。

 それを辿るとわたしの手はまだ掴まれたままだった。

 伯爵は無言でわたしの腕に手袋を通し、しかしすぐには離さず、大きな手に緩く手を包まれる。

 壊れ物を扱う丁寧な手付きにドキリとする。



「今日は屋敷の客室で休め。少量とは言えど香を吸ったんだ、誰か人をつけておく。もし少しでも具合が悪いと感じたら人を呼べ。いいな?」

「……分かりました」



 頷くと、満足げに小さく笑みを浮かべた伯爵はわたしの手を解放した。

 過保護なのは自分が拾ってきた者だからか。

 元々使用人にも優しい人だから、その真意が掴めない。

 それでも離れた手の温もりが名残惜しかった。




 
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