アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The ninth case:The voice that the devil tempts.―悪魔の囁き―

言、十一。

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* * * * *





 淑女教育をしながら過ごすこと更に二週間。

 何度か調整を繰り返したドレスを今、わたしは身に纏っている。

 朝から風呂に入れられ、体を擦られて香油を使ったマッサージという慌ただしい始まりだった。髪を乾かしてこちらにも香油を馴染ませ、ブラシで何度も髪を梳いた。

 マッサージの途中で寝てしまい、目が覚めたら髪をブラッシングしてたのには驚いたっけ。

 思わず「起こしてくれれば良かったのに」と零したわたしに「どうせこれから疲れるんですから、今のうちに少しでも休んでおいた方がいいんですよ」とベティさんが笑っていた。

 締め付けのキツいステイズをこれでもかと絞り、ショースを履いたら三枚もペティコートを穿いて、ローブ、付け袖、ストマッカーを付け、引きずってしまう裾を後方の二箇所で留めて動きやすくする。

 色はやや灰色がかったくすんだ青い無地。ただし上半身には同色で光沢のある糸によって薔薇の刺繍がされているので地味ではない。後ろで纏めたローブの裾はドレスの上でふんわりくしゅくしゅとした部分を生み出しスカートにボリュームを持たせる。ドレスの生地の下と袖には真っ白なフリルが覗き、首元は同じ布地と白いレースのチョーカー、両手首もチョーカーと揃いのもの。ドレスの胸元とチョーカーには同じ布地と白のレースで作った薔薇のコサージュもつく。

 ……ドレスって結構重たいんだよねえ。

 そこに化粧に髪型とヘッドドレスのセットにと時間をかけて漸く完成するのだ。

 もはや見慣れてしまったセラフィーナの外見は違和感がない。

 近侍の服装では大股な足取りも、ドレスを身に纏えば自然と小さくなる。

 必要な物をドレスの隠しとローブの下に仕舞っておく。

 上から防寒用のローブを羽織って姿見の前で最終チェックをしていれば扉が叩かれた。



「どうぞ」



 かけた声に扉が開かれる。



「用意は出来たか?」



 入って来た伯爵もまた、普段よりも上等な衣装で固めていた。

 白いシャツ。黒のキュロットとアビには襟や袖、裾に銀糸で刺繍が施されていた。刺繍はわたしと同じ薔薇のようだが、こちらは花が小さく、植物の茎や葉を多めに縫われている。中のジレはやや灰色がかった薄い水色で、同じ糸を使い小さな植物が細かく描かれており、動く度にそれを浮かび上がらせる。

 どうやらわたしが伯爵の色で固めたため、伯爵もわたしの色である黒を選んだらしい。

 カフスなどの装飾品も銀と青い宝石で纏められており、髪を縛るリボンも黒だ。

 マントも黒だけれど、その内側はわたしのドレスと同じ色である。

 束の間、互いの姿を確認し合う。



「はい、問題はございません」

「そうか、では行こう」



 差し出された左腕にわたしは右手を添えるように絡める。

 ドレスのスカートの膨らみで密着することはないが、それでも普段よりずっと近い距離だ。

 この二か月間、ずっとダンスの練習を共にしてもらったお蔭なのか、わたしの歩みに伯爵はピッタリと歩幅を合わせてくれている。

 夜会に出席するために朝から準備が始まるとは思わなかったが。これはわたしが毎日他の御令嬢のように肌や髪の手入れが出来ていないため、当日に出来る限り行うという理由もあった。

 むくんだ足を細くしたり、腰や背中もマッサージされ、ステイズで腰を絞り、胸を押し上げ、髪も香油を馴染ませて何度も何度も梳られたのでまるで絹のように艶が出た。全てはメイド達の努力の賜物だ。

 二階から一階へと降りれば玄関にはアランさんが待機していた。



「では留守は任せた」

「畏まりました。行ってらっしゃいませ、旦那様、お嬢様」



 お手本みたいな礼を取るアランさんに見送られて屋敷の外へ出る。

 空は薄っすらと暗い。時刻は午後の六時を過ぎた頃だった。

 馬車に乗り込み、目的地へ向かってゆっくりと走り出す。

 これから大勢の前に出ることを考えると緊張のあまり息が詰まりそうだ。

 わたしの外見はこの国の人々と違うのでどうしたって目立ってしまうだろう。

 どこかでリーニアス殿下が見てると思うと余計に不安になってくる。

 カーテンの隙間から覗く車窓は薄暗く、気分はなかなか晴れなかった。時折、ランタン持ちファロティエの明かりと掛け声が通り過ぎて行くのが何とも言えない気分にさせる。



「セナ」



 名を呼ばれて顔を正面に向ける。



「セラフィーナ、ですわ。クロード様」

「今はセナで良い。緊張しているのか?」



 あっさり躱され、問いかけられた内容に頷き返す。

 隠す理由がなかった。



「……はい、緊張しています。こういう場に出るのは初めてなので」



 元の世界でだって夜会なんてないし、この世界でも縁のないものだと考えていたから。

 自ら囮になると言い出しておいて何だが実はちょっとだけ後悔してる。淑女教育は大変だし、ダンスレッスンもなかなか思うようには上達しないし、想像していたよりも貴族の令嬢という立場は窮屈で大変だった。

 個人的な利点も幾つかあるが正直その利点よりも欠点の方が多い気もする。

 俯きかけたわたしの頬に伯爵の手袋に包まれた手が触れ、それ以上俯くことを許さない。



「お前が異国の者なのは一目瞭然だ。多少の失敗ならば私が何とか出来る。だからお前は何時も通り役を演じろ。近侍を演じるように、セラフィーナという娘になりきって、そして楽しめば良い」



 伯爵の言葉に小首を傾げた。



「楽しむ、ですか?」

「そうだ。お前は近侍として、男として振舞うのを楽しんでいる。それと同じだ。今日は貴族の令嬢として、女として振舞うのを楽しめ。相手を誘い込むために最高の餌を演じ切ってみせろ。そういうのが好きなのだろう?」

「……よくご存じで」



 確かに近侍を演じるのは楽しい。男の振りをするのも気楽だ。

 わたしが囮になり、犯人を逮捕出来るのであれば、確かに最高に愉快なことだ。

 つい笑み零れたわたしに伯爵が「お前は性質が悪いからな」と口角を引き上げる。

 今日は侍女としてカーラさんもおり、侍従としてアンディさんもいて、伯爵もいる。わたしが失敗しそうになったり、もしもしたとしてもこの三人ならば上手く対処してくれそうだ。

 そう思うと一気に心が軽くなった。

 わたしはわたしに出来る限りのことを演じれば良い。



「常に微笑みを絶やすな。相手に内心を悟らせるな。騙し騙されは社交界では当たり前のことだ。お前も他の者達を全員欺いてやれ」



 そう言った伯爵は、随分と悪そうな顔をしていたのだった。





* * * * *





 到着したジンデル伯爵家のタウンハウスは随分と立派だった。

 石造りということもあり、家というよりかは小さな城のようだ。三階建ての建物には小さいながらも塔がついており、そこかしこでランタンや蝋燭の明かりが灯り、暗闇の中で煌々と輝いていた。

 既にそれなりに他人が集まっているらしい。

 玄関前で馬車を停め、カーラさんが出て、それから伯爵が降りる。

 アンディさんは馬車に乗ったまま待機するように最初から決めてあった。

 最後にわたしが差し出された手を借りてドレスの裾を踏まないよう優雅に舞い降りた。

 そこからしてジンデル伯爵家の使用人達の視線を感じたが、気付かない振りをして伯爵の左腕に右腕を軽く絡ませ、開かれた屋敷の玄関へ歩き出す。



「ようこそ、お越しくださいました。招待状とマント、ローブをお預かり致します」



 アランと同年代くらいの使用人が玄関ホールで待機していた。

 それぞれマントとローブを脱いで他の使用人へ渡し、二人分の招待状を見せる。

 受け取ったそれを確認すると使用人は恭しく礼を取って屋敷の中を案内する。



「どうぞ、此方へ」



 歩きながらこっそり屋敷の中を見る。

 同じ伯爵家でありながら、こちらの屋敷は広く、内装も彫刻や骨董品、美術品などが飾られて豪奢だった。アルマン伯爵家も結構広いがそれ以上だ。

 余程、領地が栄えているのか『幸福フェリチタ』で利益を得ているのか。こういう時は後者でがっぽり儲かっているのがセオリーというものだが、だとしたらどれほどの利益が出ているのやら。
 
 案内された先には観音開きの大きな扉があり、左右に待機していた使用人が扉を開け放つ。

 案内してきた使用人が伯爵と私の名を会場に響かせる。

 一斉に突き刺さる視線に笑みが強張りかけた。

 視線というものが物理的に影響を及ぼすものであったなら、わたしの体は今この瞬間に穴だらけになったことだろう。それほど多くの視線がわたし達へ向けられたのだ。

 だが伯爵は我関せずといった様子で礼を取る。

 わたしもそれに合わせてカーテシーを行う。

 そして伯爵の腕に自分のものを絡めて入場した。どこからともなくヒソヒソと聞こえるのは会場にいる人々が囁き合っているからだ。小さな声でも幾つも重なれば結構うるさいものである。

 まだ招待客は集まり切っておらず、とりあえず出入口のよく見える場所を陣取った。

 それとなく会場を見渡してしてもまだユミエラ様の姿はない。



「爵位の高いものほど入場する時間は遅くなる。私達は伯爵家でも最後だろうから、侯爵家はこれからだ。当主夫婦以外、例えば子などは自身の立場に合った時間帯を選んで来る」



 わたしの思考を読んだかの如く伯爵が囁き声で説明する。

 なるほど、爵位によって来る時間が違うのか。つまり今会場にいる人々は伯爵かそれより下の爵位の者達ということで、時間ごとに招待客を分ければ会場へ来るまでも混まずに済む。

 大きな夜会であればまた話は違って来るかもしれないけれど、見た感じ、伯爵家の夜会ならば問題なくスムーズに招待客が会場へ入ることが出来る。子爵や男爵の家の者は多いので多少混雑するが一気に大勢が押し寄せるよりかは合理的だ。

 わたし達の次に現れた夫婦らしき男女の名が呼ばれる。彼らは侯爵家だった。

 それでも知り合いはいないだろうかと扇子で顔の下半分を隠しながら視線を巡らせる。

 すると、見覚えのある人影を二つ発見した。



「クロード様、あちらにお茶会で親しくさせていただきましたサリーナ様がいらっしゃいますわ。御挨拶をしたいのですがよろしいでしょうか?」



 一瞬だけ視線を向けた伯爵が「ああ」と頷く。

 向こうもこちらに気付き、サリーナ様は夫だろう人と共に近寄って来た。

 伯爵が体を向けると先にサリーナ様とその夫が礼を取る。それに伯爵とわたしも礼を返す。わたし達が礼を解いてからあちらも解いた。

 基本的に知り合いでなければ直接声をかけることはマナー違反で、知り合いであっても高位の者に話しかける場合は相手が誰とも会話をしていない時でなければならない。

 先に向こうが礼を取るということは伯爵よりも地位が下なのだろう。

 ただしわたしはこの国では爵位がないため、必然的にサリーナ様が口を開いた。



「御機嫌よう、セラフィーナ様」

「御機嫌よう、サリーナ様。クロード様、こちらは先日お茶会にお招きいただいたウィットフォード夫人の御親戚のサリーナ様ですわ」

「初めまして、サリーナ・ウェラ=レミントンと申します。こちらは夫のベイジルでございます。あなた、こちらが以前お話したセラフィーナ様よ」

「初めまして、ベイジル・ロブ=レミントンです」



 だから面倒でもこうして紹介しなければ交友関係は広げられない。



「セラフィーナ・シヴァ=ソークと申します。サリーナ様、この方はわたくしがお世話になっておりますアルマン伯爵家の御当主のクロード様ですわ」

「初めまして、クロード・ルベリウス=アルマンです。先日の茶会ではセラフィーナが素晴らしい方々と出会えたと話していたので、こうしてお会いすることが出来て良かった」

「いいえ、私こそセラフィーナ様とお話するのはとても楽しい一時でございました」



 声を落としたサリーナ様に「また一緒にお茶を致しましょう」と言われて頷き返す。

 そのまま一言二言話していると、また出入口の扉が開いた。

 聞き覚えのある名が呼ばれて振り返ると丁度ユミエラ様が夫と共に来たところだった。サリーナ様とわたしが一緒にいる姿を見つけて一瞬驚き、それから夫に話しかけると嬉しそうな顔で近付いて来る。

 そこで今度はわたし達四人揃って礼を取り、ユミエラ様夫婦を迎え入れた。



「サリーナ、セラフィーナ様、御機嫌よう」

「御機嫌よう、ユミエラ様」

「御機嫌よう、ユミエラ」



 その流れで伯爵にユミエラ様を紹介する。

 夫のウィットフォード卿は伯爵と面識があるため、伯爵がわたしへ紹介してくれた。

 ちなみに今回はこのウィットフォード卿も共犯なので顔が知れて良かった。ユミエラ様にわたしをお茶会に誘うよう言ってくれたのも、この夜会に来ることを勧めさせたのも、この人なのだ。そしてこの人の裏にはリーニアス殿下がいる。

 ウィットフォード卿はユミエラ様よりもかなり年上らしく、髪がほぼ白髪で、鳶色の瞳を持つ六十前半ほどの渋い男性だ。あまり口数は多くないけれどユミエラ様に向ける瞳は優しく、愛妻家というのは事実のようだ。

 その場でお茶会でのことを話していると、それまで流れていた曲が止んだ。

 振り向けば演奏者達が楽器を構え直し、ホールの中央に一組の男女が進み出て、流れ出す曲に合わせて踊り始めた。これが夜会の始まりの合図となる。

 この男女が一曲踊り終えれば次々にダンスを踊るために男女がホールに出て来る。

 決められた順番で弾かれる曲に合わせて複数の男女がクルクルと踊る様は優美だった。


 
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