アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The ninth case:The voice that the devil tempts.―悪魔の囁き―

言、六つ。

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 本当に、どこに照れる要素があったのか分からない。

 伯爵は両手の甲に顔を押し付けたまま呻くように言った。



「むしろ、何故平然としていられるのか分からないんだが……」

「私はドレスの色について答えただけで……。もしかして、伯爵の瞳や髪の色に合わせたことに照れていらっしゃるのですか?」

「他にあるか!」



 珍しく勢いよく顔を上げて振り向いた伯爵がわたしの手から書類を奪う。



「でもこういう時はパートナーの色のドレスとか装飾品とかを身に付けるものですよね?」



 そのまま書類を机に乱暴に置いた伯爵が溜め息を零す。



「仲の良い夫婦や婚約者同士で同じ匠の衣装や装飾品、互いの色の装飾品を身に付けることはあるが、自分よりも高位の者と被らなければ色は何を着ても構わない」

「では良いではありませんか。伯爵の瞳の色は綺麗ですし、お針子の方々にも好評でしたし」

「そのドレスや装飾品を贈るのは私だぞ? 事情を知らぬ者には『自分の色を全身に纏わせるほど御執心』だと勘違いされることになる」

「ああ、なるほど。ならば尚更良いですね。誰が見ても『アルマン卿は異国の娘に夢中』だと思っていただけるのできっと演技も楽になりますよ」



 ムスッとした顔で黙り込んだが、やがてもう一度息を吐いて伯爵は書類に視線を落とす。

 わたしも伯爵の横から元の位置へ移動した。



「伯爵が気恥ずかしいというのであれば変更致しますが」

「いや、元々そういうだ、それで良い」

「畏まりました。そのように進めさせていただきます」



 書類に集中し始めてしまったらしく「ああ」と短く返事をして伯爵が静かになった。

 邪魔にならない壁際にそっと移動し、その横顔を眺めながら考える。

 物凄く照れていたけれど嫌悪感はなかったな。

 あまり嫌がるなら色を変えても良いと思ったが、伯爵はそのままで良いと言った。

 あの盛大な照れは独占欲丸出しのドレスを作ることへの羞恥か、それともわたしがそれを着ることへの照れか。後者であったなら嬉しいが分からない。

 最近、明確に伯爵との関係が変わってきている。

 わたしが自分の気持ちに気付いたのも理由の一つかもしれない。

 だが伯爵も前よりも過保護になった感じがするのだ。

 しかしそれがどういう感情から来てるのかがイマイチ判然としないので、ぬか喜びしないためにもあくまで『従者を心配してる』だけだと思うことにしてる。伯爵は使用人には基本優しいしね。

 何時か、伯爵が他の貴族の御令嬢と結婚することになったら、泣くな。

 ひっそり泣いて、引きずってるのを悟られないように、二人に祝福の言葉を投げかけるんだろう。

 それはそれでかなり精神的につらい。

 でも現状、わたしは伯爵と結婚することは厳しい。

 王家の血筋って知ったら尚のこと遠退いてしまった気がする。

 いざとなったら使徒の同郷説を使って――……ダメだ、そんなことをしたら伯爵に嫌われるかもしれないし、教会に今度こそ引っ張り込まれるかもしれないし、何より最強の切り札は出来る限り使わずにギリギリまで残しておきたい。

 せめて伯爵がわたしをどう思っているか聞けたらいいんだけどね。

 怖くて聞き出せなくて堂々巡りに陥ってる自覚もある。

 伯爵にバレないようにそっと息を吐く。

 どうして伯爵の瞳の色を選んだのか気付いてくれないかなあ。





* * * * *




 午前は主に令嬢としての立ち居振る舞いや言葉遣い、衣類や化粧について学び、午後はダンスで気分を変えて学ぶスケジュール。しかし午前中も歩き回ったりすると午後にダンスは少しキツい。

 歩くだけならば兎も角、頭に物を載せてとなると全身の神経を使うのだ。

 そうして午後のダンスは普段使わないような筋肉を使うので気分転換とはとても言えなかった。

 しかも伯爵に来てもらうことが多くなるので出来る限り失敗で時間を取られたくない。



「右手は上げて、体を男性より半歩左へズラすように寄せて、左手は旦那様の右腕の外側に添えて、背筋はやや反らして。ええ、そうです。顔は左右にのみ動かします。視線は遠くの床を見るように。決して足元を見てはなりません。両腕の肘の水平に保つと踊りやすいですよ」



 今回学ぶのはワルツの基本的なステップだ。

 それも、病弱設定と異国の人間だからこの国のダンスは殆ど知らないというゴリ押しで、とりあえずゆったりとしたテンポの一曲くらいは見れる程度に踊るのが目標だ。夜会で一度も踊らないというのは無理だった。

 髪型も変えて化粧もしてドレスも着て、出来る限り本番に近い状態にする。

 ただし靴は布製のもので動きやすい。

 伯爵の左手に右手を包まれ、右手が背中に添えられる。

 ……これ腹部から腰辺りまで密着しちゃってるんだがいいのか?



「いきなり曲に合わせては難しいので一、二、三の拍子に合わせて動きましょう。まずは私とアンディさんでゆっくりと動きますので見ていてください」



 わたし達の横にカーラさんと今日の伯爵の側仕えであるアンディさんが同じ体勢になる。

 そしてカーラさんの掛け声に合わせて動き出す。

「一」でアンディさんの体とカーラさんの体が僅かにその場で踏み込む。

「二」で左足に体重がかかるのが分かった。

「三」で右足を大きく右斜め後ろへ一歩下げる。

「一」で左足を右足に寄せて下げる。

「二」で右向きに体を回させつつ体を後方へ移動させる。

「三」で右足が横に動き、独特な間を持って左足がゆっくりと右足に寄せられる。

「一」で右足を左斜め前に出す。

「二」で左足を前に出して一瞬止まる。

「三」で少し狭い歩幅で右足を下げる。

 カーラさんが足首までのドレスを着てくれているため、靴の部分だけだがステップが見える。



「まずは基本のナチュラルターンとアウトサイドチェンジで拍子の取り方と感覚を覚えていただきます」



 一で動き出すステップと三から動き出すステップとがあった。

 どうやら最初の一、二、三は予備動作らしいが、その三から一歩下がる動きが始まっている。

 そうして次の一、二、三で一度足が纏まり、最後の一、二、三で次の動作に入るために中心へ寄る。

 よく社交ダンスの拍子は取り難いと聞くけれども、確かに拍子は単純な一、二、三ではない。特に一と三の動作が繋がっていて一なのか三なのか判断に迷う。

 わたしと伯爵に視線が向けられてカーラさんが「一、二、三」と大分ゆっくり手を叩く。

 その音を三度ほど聞かせてくれた伯爵の体が「一」で浅く床を踏み込んだので、それに合わせて自分も踏み込み、「二」で左足を僅かに横へズラし、「三」で大きく一歩下がる。

 伯爵が歩幅を合わせてくれているらしく互いの体は離れることなく後方へ下がった。

 次の「一」で左足を右足に寄せ、「二」でゆっくり体を右に回す。

 そして「三」で体を止めて右足に重心を置いたまま、やや離れていた左足をゆっくりと右足に寄せる。

 三度目の「一」で右足を左斜め前に出し、「二」で左足を前に――……



「あっ」



 左足で伯爵の足を踏んでしまった。慌てたら体も離れてしまう。

 途端に、伯爵がピタリと動きを止めた。



「申し訳ありません、大丈夫ですか……?」

「いや、布靴で痛くない。気にするな。初めてダンスを習うと大抵は互いの足を踏んでしまうからな」



 ああ、だから布の靴なんだ。

 足元へ視線を落とすと伯爵も似たような布靴を履いていた。

 こちらの足を踏んだ時のことも考えてわざわざ履き替えてくれたのだろう。

 パンパンとカーラさんが空気を一新するように手を叩く。



「セラフィーナ様はもう少し旦那様に体を預けて、リードに任せて動いてください。自分だけではなく旦那様の動きにも意識を向けるのですよ」

「はい」

「では、もう一度始めから」



 右手を上へ上げて伯爵の左手に添え、体を寄せて左手を伯爵の右腕に添える。

 カーラさんの「一、二、三」に合わせてもう一度ステップが始まった。

「一」で踏み込み、「二」で僅かに左足を動かし、「三」で右足を後方へ。

「一」で左足を下げ、「二」で体を回転させ、「三」で一旦止まり左足を寄せる。

「一」で右足を左前へ出し、「二」で左足も前へ、最後に「三」で歩幅を短く右足を下げる。



「ややぎこちないですがステップはきちんと踏めましたね」



 今度は伯爵に少し体を預けてステップを踏んだ。

 先ほどはガチガチで、自分で体勢も動きもバランスを取らなければと体が固まっていたけれど、伯爵の左手に引かれながら右手で肩を支えて動きを促されると非常にやりやすい。

 もう一度同じステップを三回繰り返す。

 何となく、こうかなと感覚が掴めてきたような気がする。

 カーラさんが見計らったように「では一連の動きを続けてやってみましょう」と言う。



「続ける際には最初の予備歩はいりません。ナチュラルターン、アウトサイドチェンジ、ナチュラルターン、アウトサイドチェンジ、ナチュラルターンで、アウトサイドチェンジ、ナチュラルターンの順です」



 ……長い。イケるかな。

 不安に思っていると伯爵の手がわたしの手と背中に少し強く触れる。

 それによって密着した部分から衣装越しに男性特有の固い感触が伝わってくる。

 長身で細身に見えるが実は筋肉質なのは毎朝手伝う着替えで知っていた。

 しかしこうして体を寄せ合うと嫌でも意識してしまう。

 だが伯爵は何時もと変わらず凪いだ瞳でわたしを見下ろした。



「焦らずやれば出来る。ステップが分からなくなっても止まらずに私に任せておけ」

「……よろしくお願い致します」
 


 女性として意識されていないのか。ダンスに集中しているのか。

 ダンスの度に女性と密着する格好になるのを考えれば、もう散々踊って来て、この程度では気にならないのかもしれない。伯爵にとって、この体勢はダンスでは当たり前のものだから。

 そう思うと恥ずかしかった気持ちもスッと消える。

 背筋を少し反らして顔を横に向け、姿勢を整えた。

 そうして今度は長いステップを踏むために拍子が取られる。



「一、二、三――――……」





* * * * *




「うう、体中の筋肉が痛い……」



 ダンスレッスンを終えて休憩も兼ねたティータイムになった。

 伯爵とわたしが同席し、アンディさんとカーラさんは近侍と侍女となり、紅茶の用意をしてもらう。カーラさんに給仕してもらうなんて緊張するが、本番の夜会でも侍女として来てくれるそうなので今のうちから慣れろということだろう。

 ぎこちない動きでティーカップとソーサーを持つわたしに伯爵が小さく笑う。



「まるで出来の悪い人形だな」



 からかうような口調にツンとそっぽを向いてやる。



「まあ、初めて何かに挑戦する者を笑うなんて酷いお方」

「そうだな、すまない、初めてにしてはお前はよく頑張っている。なあ、カーラ?」



 伯爵の問いかけにカーラさんが「ええ」と頷いた。



「まさか今日だけで六つもステップを踏めるようになるとは思いもよりませんでした。これなら夜会の頃には問題なくワルツを踊れるでしょう」

「ありがとう、カーラ。あなたの教え方が上手だから覚えられたのね」

「勿体ないお言葉でございます。ですが、全てはお嬢様の努力の賜物ですよ」



 慣れない口調で何とか話すとカーラさんが微笑ましそうな顔をする。

 わたしのことを知ってる人達の前で猫を被るって気恥ずかしいからちょっと苦手なのだ。

 ココに一人でもわたしのことを知らない人がいれば多分、上手く演じられる。

 あと、やっぱりステイズがキツくて紅茶を飲むだけで精一杯だ。お菓子だのケーキだの軽食だのを摘まめる余裕が物理的に腹部にない。この二ヵ月でダイエット出来るな。

 この世界に来て以降、働いて三食しっかり食べて、健康的に痩せてきた。

 代わりに筋肉がついてきているのは考え物だけれど、この二ヵ月で更に痩せるだろう。

 ドレスを着るのであればその方がいいか。

 その後は伯爵はアンディさんを連れて書斎に戻ったのでカーラさんと今日の復習を行った。

 一人の方がやりやすいかと思ったがそんなこともなく、ダンスは伯爵のリードがあったからこそスムーズに出来たのだ。特に動く方向は困った。今日のダンス中はずっと伯爵に導かれて踊っていて、一人になるとどのように部屋の中を動いて踊れば良いのか迷ってしまった。

 迷えば足元が疎かになり、ステップもズレる。

 それでも伯爵がいた時を思い出して中央に寄ったり端に移動したり、まるで花丸を描くように内と外とを交互に繰り返す。ステップに関しては夜にでもこっそりもう一度自室で練習しよう。



「お嬢様、足は爪先から床につくのを忘れてはいけません。実際は布靴ではなく踵の高い靴を履くので――……そう、歩く時と同じですよ。それを踏まえてもう一度最初からやりましょう」

「はい」

「では。……一、二、三……」



 カーラさんの声と手拍子に心を鎮める。

 伯爵のダンスを思い出せ。三時間もずっと踊ったのだから覚えてる。

 重なった右手を包み込む大きくやや筋張った手、背に添えられた手はわたしを支え、導いてくれた。密着した体は体幹がしっかりとしてブレることもなく、身長差があるにも関わらず歩幅や動きをこちらに合わせ、向けられる視線は常に穏やかさを感じた。

 まだ残っている感覚に意識を集中し、伯爵のダンスを辿る。

 練習だからか型通りの踊り方だったが一つ一つの動作は丁寧だった。

 ダンスには性格が出るというのは本当らしい。



「――……一、二、三。お嬢様、よく出来ておられました。今日の中で最も美しいステップでした」
 


 それはなぞった伯爵のダンスが美しいからだろう。

 満足そうなカーラさんの笑みにわたしも釣られて微笑み返す。

 ダンスは独りよがりではいけない。パートナーの呼吸、動き、体勢を読み取り、次の動きに互いが合わせなければ上手くいかないのだ。今はまだ伯爵に合わせてもらっているけれど、夜会に出るまでにはわたしも少しくらいは伯爵に合わせられるようになりたいし、踊りながら会話を交わせるくらいの余裕が欲しい。

 そして踊っている間は二人の距離はとても近く、互いに意識する。

 今、漸くダンスの楽しさが分かった気がした。





 
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