アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The sixth case:Lonely masked ball.―孤独な仮面舞踏会―

ステップ、五つ。

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 手紙を送ると当日中に返事が来たらしい。

 あまりの早さに伯爵がちょっと引いていたが、三日後にバディット男爵家へ招待された。

 公式な茶会ではないので気楽にどうぞと書かれていたそうだ。

 そういう訳で、三日後の今日、伯爵とわたしは馬車に揺られて男爵家のタウンハウスに向かっている。



はついて来ているか?」



 伯爵の言葉に、馬車後部にある小窓を覗いて後続を確認する。

 細い窓枠の向こう。見難いが茶色いボロ布の張られた大きな馬車がゆっくりと同じ方向へ走っている。

 何の目立つ装飾もないありきたりな荷馬車だ。



「はい、少し離れてついて来ております。荷馬車を借りたようですね」

「そうか、ならば良い」



 満足そうに頷く伯爵を横目に席へ戻る。

 この三日間でやることは伯爵にもあった。然したる労働ではなく、大切な切り札を用意するには三日もあれば充分だった。わたしはすることがなかったので普段の近侍としての仕事をこなしていた。

 あとはタイミングの問題だけれど、これに関してはバートさんに頼むしかない。

 やってくれるか不安はあるが、もしダメそうならばわたしが適当に代役となる。

 馬車の揺れが次第に穏やかになり、やがて最後に小さく揺れると停車した。

 暫《しば》しの間を置いて御者が扉を開ける。



「御到着致しました」



 まずはわたしが出て、礼を取り、伯爵が下りる。

 手紙に書かれた時間通りに来たからか、玄関のノッカーを叩くとすぐに中から扉が開き、大分年嵩の男性が姿を現した。この家の執事だろうか。

 男性は深々と礼を取り、この家の執事であることを告げ、バディット男爵夫人が待っているという中庭へ案内される。今日は良い天気なので外で茶会をすると決めたらしい。

 伯爵家よりもずっと小さな屋敷を抜けて案内される。小さいと言っても一般家庭とは比べるべくもないほど大きく、それでいて男爵家にしては随分と金がかかっている風に思えた。夫人の生家である大商会から援助してもらっている可能性が高い。

 辿り着いた中庭には小さな茶会の準備がされ、日除けのパラソルに似た大きな傘がテーブルに差しかけられている。冬場でも日差しを避けるのは貴族女性ならではだろうな。

 その日陰の中にある席の一つに夫人がいた。

 伯爵を見付け、従者のバートさんに椅子を引かせて立ち上がる。



「アルマン卿、ようこそお越しくださいました」



 ニコリと微笑みそう言った夫人に勧められて伯爵が席に着く。

 椅子は四つほどあったがバディット男爵夫人曰く、今日招く予定だった他の二人が急用で来られなくなり席が二つ余ったのだと、何やら伯爵と二人きりの茶会になることへの言い訳めいたことを述べた。

 いや、最初から誰も呼んでないだろ。絶対そうだ。

 わたしが椅子を引き、伯爵が丸テーブルを挟んだ向かい側の席に腰を下ろすと夫人は少し残念そうな顔をしたが、すぐさま気を取り直して伯爵へ顔を向けた。



「宜しければセナさんも同席させてはいただけないでしょうか? 先日の晩餐会ではうちのバートを助けてくださった御礼をしたいと思っておりましたの」



 おや、わたしも? 貴族にしては珍しいことを言う。

 だが夫人は元は商家の出だ。使用人を同席させることに抵抗は少ないのだろう。

 伯爵も特に気にした風もなく「ええ、構いませんよ」と外行きの柔らかな笑顔で頷いた。

 どうぞ、と勧められて伯爵の左側、バディット男爵夫人との間に座らせてもらう。

 一瞬視線の合ったバートさんが丁寧な目礼を返してくれた。

 動きにぎこちなさがないので折檻は受けずに済んだようで良かった。



「お茶会に同席させていただくのは初めてで、無作法をしてしまいましたら申し訳ございません」



 先に謝罪しておくと夫人がコロコロと笑う。



「あら、いいのよ。お友達が来れなくて空いてしまった席が寂しいもの、あまり堅苦しいことは気にせず楽しんで欲しいわ。先日の御礼の代わりと思って美味しいお菓子を好きなだけ食べていってちょうだい」



 この場面だけを見れば優しく大らかな男爵夫人だ。

 夫人が最初に紅茶を飲んで見せ、次にわたしが紅茶へ手を伸ばす。

 毒殺などということはないが、良からぬものが混入されても困る。

 紅茶の表面に妙なテカリもなく、沈殿物もなく、口に含むと独特のクセが少しあったが爽やかで僅かな渋みが程好く調和して美味しい。変な臭いや味は全くなく、異物がないことは一口で分かった。

 毒に関する知識は殆どないわたしだけど飲食物に異物が入ったかどうかくらいは分かる。

 アランさんやアルフさん、料理長プロフェッショナルにもお墨付きをもらい、伯爵には「セナ、お前は本当は犬ではないのか?」と変な疑いをかけられたが、元の世界でも五感が鋭いとよく言われたので本当にそうなのかもしれない。

 その際に料理長に「どんな匂いや味のものが好きか」と問われて「食べられないほど不味くなければ良い」と答えたら味や匂いの違いが分かるのに勿体ないと酷く残念がられた。

 わたしが二口目を飲んだことで問題ないと判断した伯爵も紅茶を飲む。



「美味しいですね」



 伯爵が微笑み、夫人も満足そうに口元を緩く引き上げた。



「ミルクティーにしても美味しいのですよ」

「これは手に入れるのが難しい茶葉だと記憶していますが……」

「ええ、生家が商会を営んでおりまして、お父様にお願いして特別に御用意致しましたの」

「そうでしたか。心遣い、感謝申し上げます」



 自慢なのかごますりなのか、夫人の微妙な言葉に伯爵はそう答えた。

 これが人気の茶葉かあ。使用人棟で飲むものとは味の濃さや香りがハッキリ違うな。

 この国では井戸水をそのまま飲むことが出来ないため、紅茶や酒など別の飲み物が水の代わりによく飲まれている。貴族も平民も紅茶は生活に欠かせない飲み物となっているけれども、平民は大体、貴族の使った茶葉のを安く買って飲む。輸入に頼るしかないので新品の茶葉は平民には高級で手が届かない。

 味わいながら飲んでいれば夫人がわたしへ視線を向けた。



「さあさあ、セナさんも遠慮せず召し上がって」



 手で示された皿の菓子を手に取る。クッキーだ。

 キツネ色より少し濃いが、食べるとサクリと軽い食感がする。……ジンジャークッキー? あまり甘くないので食べやすい。それに爽やかな紅茶の味とも非常に合う。



「とても美味しいです。このクッキーは紅茶との相性も良いのですね」

「そうなのよ。甘いものとも合うけれど、ジンジャーのピリッとした風味とほのかな甘さが紅茶の爽やかさを増してくれて、どちらもより一層美味しく楽しめるの。こちらのケーキも召し上がってみて?」

「はい」



 ご機嫌な様子でケーキを勧められ、わたしも出されたものを食べる。

 伯爵は然程甘いものを好まないため、ジンジャークッキーなどのハーブを使ったものを中心に少しずつ食べていた。

 しかし食べるわたしの反応が嬉しいのか夫人はやたらと構って来る。

 伯爵狙いじゃなかったのか。何か猫可愛がりされて怖いんだけど。

 お菓子を食べている間は「セナさんたら、無作法どころかとっても所作が綺麗だわ」「お作法もきちんと身に付けているなんて凄いのね」「それに謙虚で良い子ね」「お厳しいアルマン卿がお側に置かれるだけあるわ」と全般的にわたしを褒めちぎる。

 …………あれ? もしかして今狙われてるのはわたしか?!

 そういえば購入してる奴隷や拾った使用人達はだ。

 ハッとして伯爵へ視線をズラすと、目が合ったが、逸らされた。

 この人、気付いてて放置してたな!



「それにしてもセナさんの髪は本当に黒くて艶があって素敵だわ」



 突然頭を撫でられてギョッとした。

 それに気付いた夫人が「ごめんなさいね、つい」と手を引く。



「いえ、その、わたしの生まれ故郷では頭を撫でるのは親しい相手にしかしないので驚いただけで、その、嫌ではありません。……奥様は大変お美しい方ですから」

「まあ、褒めてもお菓子くらいしか出せないわよ?」

「それは私にとっては素敵な御褒美です」



 嫌がらずに少しだけ頭を寄せて差し出せば、夫人が嬉しそうに微笑んでわたしの頭に触れる。

 髪の質感を確かめるように丁寧に優しく撫でる手付きは慣れたものだった。

 ……はっ?! ダメだ、悪い癖が出ちゃったよ?!

 仕事柄、人に好かれるよう行動していたせいか夫人にも同じ対応をしてしまった。

 視界の端で伯爵の微笑みが若干深くなる。あれは笑いを堪えているに違いない。

 しかし一度言ってしまった手前「やっぱやめてください」とも言えず、わたしは夫人が満足するまで頭を撫でられた。



「アルマン卿が羨ましいですわ。こんなによく出来た可愛らしい従者がいるのですもの」

「そんなことはありませんよ。こう見えて暴れ馬なので何時も手を焼かされています」

「それは意外ですわね」



 さて、そろそろ一度席を立つか。



「申し訳ありません、その、御不浄はどちらにあるのでしょうか……?」



 恥ずかしそうに、申し訳なさそうに言えば、夫人が微笑ましい顔で「バート、案内してさしあげて」と、ずっと側に立って控えていたバートさんに声をかける。

 狙い通り彼に案内を任せてくれたのは幸いだ。

 席を立ち、テーブルから離れる。建物に入って声が届かない場所まで来たところで話しかけた。



「バートさん、大事なくて安心しました」

「言われた通りセナさんと親しくなったことを奥様にお話ししたら大変喜ばれまして……」



 恐縮するバートさんに首を振る。



「わたしが自ら申し出たのですから気にしないでください。あなたに怪我がなくて何よりです」



 お互いに微笑み合い、そうして本題に入る。



「実は、今日はお願いがあって参りました」

「はい、何でしょう?」



 立ち止まったわたしに釣られてバートさんも止まり、こちらを向いて表情を引き締めた。

 わたしも負けず劣らず真剣な顔をしていると思う。

 これからお願いする内容はバディット男爵夫人を陥れるためのものだ。

 精神的にも肉体的にも支配下に置かれた彼が断る可能性の方が高く、わたしはそれを覚悟の上で口を開いた。



「バディット男爵夫人を怒らせてもらえないでしょうか? わたし達の目の前で、あなたが恐れる普段の彼女を引き出して欲しいのです」



 バートさんの目が驚愕に見開かれる。



「なっ、何を……何を言っているんですかっ?!」

「しっ! 声が大きい」



 咄嗟にバートさんの口元を押さえて辺りを見回す。

 数秒警戒したが、誰も来ないので人に聞かれてはいないようだ。

「すみません」と謝罪しながら手を離す。

 けれども体は離さず、声量を落として話を続けた。



「ある筋よりあなた方使用人が夫人に非人道的な扱いを受けていると情報を得て、わたし達はそれが法に反していないか調査をしに参ったのです」

「調査……」

「例えば、拾われた者や奴隷が行方不明になってはおりませんか? その方々がどうなったのか、あなた方に一体どのようなことを行なっているのか、それがわたし達の知りたいことです。そして法に触れるのであれば警察が介入します」

「!」



 信じられないものを見るような目をされたが、わたしはその目を見返した。

 今、逸らしたら嘘だと思われるだろう。

 これが事実であると理解してもらうためにも真正面から向き合うしかない。



「使用人は所有物と思っていらっしゃる貴族の方々も多いですが、あなた方もわたしも一人の人間であり、この国の法の庇護を受けています。つまり、夫人が非人道的な行いをあなた方へ強いているとしたら、それは法の下で厳正なる裁判を受けて処罰されなければならないのです」



 恐れか、それとも気圧けおされたのかバートさんが一歩下がる。

 追いかける形でわたしも一歩前へ出た。



「外には警察が待機しています。ですから外より覗ける場所のある、あの中庭で騒ぎを起こすのです。最初の一、二発は折檻を受けることになります。これは待機している警官が現行犯で逮捕するために必要なことで、あなたは怪我を負うかもしれません」



 折檻の恐怖を知っているのだろう。青い顔で震えるバートさんへ笑いかける。



「だから、わたしが行います」

「――――……え?」



 ぽかんと口を開けたバートさんへもう一度言う。



「わたしが、怒るように誘導します。その時は奥様を止めないでください」

「そんな……いけません、奥様の恐ろしさをセナさんは知らないから、そのようなことが言えるのですっ。奥様の御実家は大商会であり、奥様はその家の愛娘、何をしても金でもみ消されてしまいます!」

「声を落として。……大丈夫です、これでも多少の護身術の心得もございます。何より、わたしの仕えるお方は――――……クロード・ルベリウス=アルマン伯爵が最悪の結果など許しはしないでしょう」

「るべリウス……アルマン……? ……まさか、先ほどの方があの?」



 どのアルマン伯爵かは知らないが、多分彼の頭の中に浮かんだものは正しい。

 だからわたしは悠然と微笑む。何も心配はないと。

 バートさんは戸惑うように視線を彷徨わせ、けれどすぐに唇を噛み締めると顔を上げた。

 握り締められた拳が震え、引き結ばれていた唇が動く。



「いいえ、僕がやります。これはバディット男爵家の問題です。……僕がやるべきです」

「大丈夫なのですか?」

「はい……。怖いけど、他の皆のためにも、このまま奥様を放っておく訳にはいきません」



 強い瞳で見返され、そこに覚悟の色が宿る瞬間を見た。

 わたしも頷き返す。



「では、よろしくお願いします。――……っと、その前に」



 体を離したところで当初の目的を思い出す。



「先に御不浄に寄っても構いませんか?」



 ちょっとおどけて言えば、バートさんは少しだけ肩の力を抜いて笑った。

 どうやら自分のために冗談を言って場を和ませてくれたと思ったらしい。

 申し訳ない。人間、生理現象には勝てないのだ。

 トイレに案内してもらい、用を足してからわたし達は中庭への道を戻る。


 
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