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# The fourth case :The people who took the wrong choice.―間違った人々―
道、七路。
しおりを挟む「胸骨柄から恥骨結合部までを切開」
恐らくグループのリーダーだろう院生が、他の四人に確認するように言う。
胸骨柄から恥骨結合部は大雑把に言えば鎖骨下から陰部ギリギリまでで、最初から一気に切り開くつもりらしい。かなり積極的で躊躇いがない。
メスを持つ彼らを見ながらわたしはちょっと考え、一旦このグループから離れることにした。
覚えやすいように三つのグループを頭の中でABC順に分けて次へ行く。
次も最初のAグループと同じく切開を始めていた。
献体はかなり老齢の男性で、背が低く、枯れ木のような手足や体は皴や色素斑だらけだ。上から順を追って解剖するつもりか胸部のみ切開されている。
Bグループは解剖する側と書き留める側を前もって決め、三人が器具を持ち、残り二人は事細かに三人の言葉や献体の様子を書き記している。会話からして解剖する側と書き留める側は交互に代わるらしい。
班員が皆公平に解剖出来る仕組みは、なかなかに効率が良さそうで、話し合う機会も自然と増えるやり方だ。
解剖する院生も器具を選ぶ手に迷いがない。
メスや鉗子から何に使うのか分からない物まで揃っている器具だが、使っているところを見ても意外なことに気分は悪くならなかった。
脇腹辺りを押さえたくなる気持ちはやはり何となく燻っているけれど、無視出来る範囲だった。
……前回はあんなに気分が優れなかったのに。
血の臭いは散々嗅ぎ慣れているからか大して気にならない。むしろ鼻が曲がるほどの腐敗臭を経験している身としてはこの程度可愛いものだ。
伯爵に吹きかけられた香水のお蔭も少なからずあるが全くもって不思議だ。
Bグループから離れて最後のCグループへ行く。
「あれ……?」
彼らはまだ切開すらしていなかった。
献体は子供だ。十歳のイルとそう変わらない体格だ。まだ未発達な体つきの男児は他と明らかに違い、小さな体には手足に擦り傷や切り傷、打撲が多数見受けられる。打撲による痣がどのように出来たかは分からないが擦り傷や切り傷は人的なものではないだろう。
わたしの目には転んだりぶつかったりして付いた傷に見えた。特に胸には一際目立つ大きな痣がある。
院生達も献体の外傷を丁寧に調べ、それぞれ手元の紙に書き記している。
そのグループの中に見知った人物を見付けた。わたしに気付いていないその人物の隣りに歩いて行き、そっと驚かせないように声をかけた。
「すみません、一つ聞いても良いですか?」
「うん、構わないよ。何だい?」
その人物――……カルクィートさんは振り返り、少し首を傾げる。
話しかけたがわたしが誰か分からないらしい。
だが教授同様、何か引っかかっている風だ。
「その、こういった献体はたまにあるんですか?」
「? ああ、あるよ。募る献体に年齢は問わないから」
一瞬不思議そうにされたが、しかしすぐに言葉の意味を理解したのかカルクィートさんは物悲しげに目を伏せる。
子供の遺体など誰だって見たくはないものだ。
「この献体は十中八九馬車による事故だね。胸の痣は馬に蹴られて出来たものだと思う。物凄い力がかかった胸は少しヘコんでいるし、肋骨もほぼ折れてる。かなり大きな馬に蹴られた……いや、恐らく転んだところを見上げる格好で踏まれたのかな」
「そうですか。……教えてくださって、ありがとうございます」
「あ、僕こそ長々とすまない。どう致しまして」
やや目元を和ませてカルクィートさんは視線を戻した。
もし事故で亡くなったのならば擦り傷や切り傷、打撲にあの大きな痣にも納得がいく。
ある程度大きな通りなら歩道と車道に分けられているが、路地や小道では特にそれもなく、人波の中を馬車が走るのは当たり前。馬車の前へ飛び出した子供が馬に蹴られて死ぬというのは現代の自動車事故よりもこの世界では頻繁に起こる。
オマケに貴族の馬車によって平民の子供が死んだとしても、立場の低い平民の方が進行を邪魔したとして貴族側の責任は大半が不問だ。泣き寝入りするしかない。
身分制度が根強いココではそれが現実だった。
献体の外見的特徴をあちこち調べてから漸く、Cグループの人々が器具に手を伸ばす。
カルクィートさんのことは気になるけれど、こちらに気付いて周囲に知り合いだと勘付かれるのは出来る限り避けたい。不用意に彼へ近付き過ぎるのは止めよう。
わたしはAグループの方へ戻ることにした。
献体をハイペースで切り開いていたが、そこにはどこか気楽さが窺い知れる。
「この献体は出産が原因で亡くなったのかもしれない」
「高齢出産は危険なのに」
「骨が太いし栄養状態は悪くなかったみたいね」
「ここに剥がれた胎盤が残ってる。多分出血が止まらなかったんだろうな」
検体の下腹部を覗き込み、院生達が思い思いに意見を述べる。
医者の卵である彼らの見立てが正しいのであれば、その献体は疑う必要がないと言うことだ。もし何かがあったのだとしても、恐らくそちらは解剖学どころか学院にすら関係がない話になるので今回は除外しておく。
医療技術が現代より未発達なこの世界に帝王切開はなく、出産は|産婆(さんば)や医者が行うも、基本的には母親自身が自力で産むしかない。
せめて麻酔や手術に適した清潔な環境などがあれば多少は違っていたかもしれないが、医学の知識に乏しいわたしにはどうしようもない。命を生み出すために命を懸ける。この世界の出産とはそういうものだ。
女性の遺体へ再度黙祷した後にAグループから離れようとした時、肩が叩かれる。
「どうかな、気分は悪くないかい?」
振り向くと教授が立っていた。
「はい、今日は大丈夫みたいです」
「それは良かった」
その口ぶりからして気にしてくれていたらしい。
礼を述べれば「何、大したことではないよ」と軽く首を振り、教授はCグループを見に行った。
それを見送り、わたしは最終的に残ったBグループへ視線を移す。解剖する側と書き留める側が交代したようで、先ほどとは別の院生達が今度は器具を手に献体と向き合っていた。
これはわたしの見立てだが、Bグループの献体は浮浪者ではないだろうか。
一応体は綺麗に拭われているけれど、年老いた人間独特の加齢臭に混じって別の臭いも微かにしていた。それは時折街中で見かける浮浪者達から漂ってくるものによく似ている。
骨と皮だけしかないのも金銭的余裕がなく、充分に食事が出来なかったからだろう。
もしかしたら外見よりも実年齢は若いのかもしれない。しかし痩せて皺と色素斑の多い体のせいで正確な年齢を知ることは無理そうだ。
グループの院生達もそう思っていたようで、一瞬見えたレポート用らしき紙の推定年齢の欄は空白のままである。黙って眺めていれば何やら院生がああだこうだと話し合い始めた。
「何か強い衝撃でも加わったのかな?」
「いや、それなら外傷が残るだろ?」
「でも鬱血してる」
難しい顔で院生達は身体の前面を開かれた献体を見下ろしていた。
その後ろからわたしも覗き見る。
枯木みたいな献体の内臓は他に比べて少し色合いが悪かった。……鬱血?それに他のグループのものと比べて、Bグループの解剖台に敷かれた白いシーツは血で染まっている。
人は死亡すると実は血が固まる。死後凝血といって、血が全て固まる訳ではなく塊が出来るのだ。
けれどもこの検体は血液が凝固していないらしい。
……こういう症状が現れる死因ってなんだっけ。
首を傾げている間に院生達は時間が惜しいと会話を一旦切り上げて解剖を再開する。その不健康そうな色合いの臓器を献体から取り出し、一つずつトレイに移し、それは傍にある別の台へ並べられていく。
何にせよ院生達が解剖している手前、わたしが献体に触れることは出来ないだろう。
首から上もきちんと検分出来れば何か分かることがあるのかもしれないが、死者の尊厳を守るために献体の顔を見ることは叶わない。多分顔を見られるのは教授だけだ。
人の死因は多種多様であり、それらを特定する上では頭部の検分も必要不可欠なのだ。
解剖だけに関するならば何ら問題はなさそうだし、カルクィートさんに怪しい所はなかったと伝えてしまえば今回の仕事は終わるだろう。
でも、それでは納得しないような気がする。
カルクィートさんは医者の卵で、その彼が何か献体に違和感を覚えたのなら、それは献体自身に不自然さがあったか、または彼の知識が足りていないのかだ。
事件の有無をハッキリさせるには、どうにかして献体をもう少し間近で拝まなければ。
小休止を挟みつつ、数時間ほどかけて解剖は行われた。
人形を分解するかの如く献体は部位や臓器ごとにより分けられ、後半ではもはや人の形を成してはいなかった。バラバラになった献体を更に検分し、院生達は手元の紙に書き込む。
Aグループが最初に解剖を終え、CとBグループはかなり時間をかけたものの同じくらいに終えた。
解剖中にグループ内での揉めことがなかったのは、それぞれ割り振られた院生達の性格などが似ているからだと気付いた。Aは積極的、Cは慎重派、Bは多分その中間の院生で構成されているんじゃないかと思う。
提出されたレポートを纏めた教授がそれを手に振り返る。
「お疲れ様でした。セディナ君、良ければ見学した感想をこれから聞かせてもらえるかな?」
「わたしも幾つかお聞きしたいことがあるので是非」
教授の言葉に頷いたけれど解剖室から離れるのは、あまり気乗りしなかった。
何故なら教授が残っていたCグループの院生達へ解剖室の片付けを頼んだのだ。
このままでは調べる前に検体が荼毘に伏されてしまう。
Cグループが器具を片付け始めたため、振り向いてカルクィートさんに視線を送ると何かを感じたのかこちらを見る。
他の人に見られていないタイミングで顔の布を少し上げ、もう片手を胸に当てて一礼する。
カルクィートさんが目を丸くした。
「では、隣へ戻ろうか」
「はい」
何気なくかけられた声に返事をして教授の後を付いていく。
……さて、わたしの正体に気付いたかな?
振り返ることなく解剖室を出て、口元を覆う布を外して専用の捨て場所に入れてから教授の部屋へまたお邪魔する。
教授はレポートをテーブルの端に置き、崩してあった暖炉の薪を丁寧に戻すと古い新聞紙を小さく丸め、マッチを擦ってそれを着火材にして火を熾こした。赤々と燃え出した火が心地好い。
そうして次にアルコールランプに火を灯した。
「ずっと立っていて疲れなかったかい? 長くなるだろうし、話は座ってしようか」
苦笑と共にかけられた勧めに甘えてソファーに座ると、腰辺りからポキッと小気味よい音が漏れる。いい感じに凝っているらしい。教授が背を向けているのを確認しつつ、肩と背中を伸ばしたらパキペキと鳴った。我ながら少々年寄り臭い。
解れた体に息を吐けば、苦笑混じりに振り返った教授が向かいのソファーに腰掛ける。聞かれていたか。
立ちっ放しの解剖は大変だったのだろう。
教授も背凭れに体を預けて深く息を吐く。
「見学して気付いたことはあったかい?」
「はい。まず班分けについて、それぞれ似た性格の方々で構成されているように見受けられました」
「その通り。解剖中に喧嘩は困るからね」
以前に起きたような口振りだった。
「次に献体について、これは院生の方の言葉を聞いての見立てですが、子供の献体の馬に踏まれた痕跡があったので恐らく折れた肋骨が肺や心臓に刺さったのでは。女性は出産時に胎盤が剥がれ出血多量で亡くなったとも言っていました。私もそう思います」
「出産は危険を伴う。特に高齢になれば体力も落ちるし、母体への悪影響も大きくなり、通常より数倍危険度は上がるんだ」
それは元の世界でも同じだった。
帝王切開がないというのは大きな差だ。
「老人の献体は浮浪者かかなり貧しい方ですね。ある程度身綺麗にしてあっても不衛生な臭いが残っていました。痩せ過ぎた体付きは栄養失調によるものでしょうか。ただ、この老人の検体は他の検体と違い血液があまり固まっておらず、内臓の色合いも酷い状態でした」
「うんうん、良く見ているね。君の明察通り浮浪者らしいのだけど残念ながら死因の判断が難しくて、私は栄養失調による心不全じゃないかと思ってはいるけれどね」
そこまで言って教授は立ち上がり、アルコールランプに近寄った。
湯が沸いたのか慣れた手付きで紅茶を入れ、暫し蒸らした後にティーカップに注いで渡される。
温かなそれを教授に倣って一口飲んだ。
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