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「主様、私をこの城の厨房で働かせて下さい」

「城で?」

「はい。もちろん皿洗いからで構いません。すぐに料理長の技術を盗んでみせます」

 正直なところ、私は料理と呼べる代物を満足に作ったことがない。
 前世? 前世ではおばあちゃんのご飯大好きっ子でしたが何か?
 でも私にはゆっくりと料理修行に励んでいる時間はありません。一刻も早く主様のため、城の料理をマスターしなければならないのです。となれば料理長ターゲットのそばで働くことが一番の近道だ。
 たとえ料理が出来なくたって、私は主様の優秀な密偵。不可能なんてあり得ません。おそらく料理技術も密偵技術を習得することと大差ないはず。出来ないことはありません!

「…………サリアが、望むのなら……」

 物事をきっぱり言い切る主様にしてはしては珍しく、煮え切らない口調だった。しかも貼り付けたような笑顔を浮かべている。
 つまりこれは主様にとって望まない結果だったということ。私はそう解釈していた。

「それで、いつから働きたいのかな?」

 城の厨房はいつでも人手不足だと聞いている。望めば直ぐにでも働くことは叶うだろう。しかしその前に、私にはやらなければならないことがあった。

「僭越ながら、一週間ほどお暇をいただけますでしょうか」

「ああ、そうだったね。君はこれまでまともに休暇を取ったこともなかったから、これを機にゆっくり休むといいよ」

「いえ。まずは同僚の素性調査を行いたく思いますので」

「君は料理修業に行くんだよね?」

 やや強め口調で確認されたので、私も主様に合わせて力強く頷いた。

「もちろんです。ですが料理修業も密偵も同じようなもの。まずは円滑な人間関係を形成するために同僚の素性を知ることは重要です。不測の事態が起こった場合、迅速な対処が可能となりますから。このたびは単独での任務となりますので、一週間もの時間を頂いてしまうことは申し訳ないのですが……」

 調査にこれほど時間を割いてしまうことは主様の密偵として情けないことではあるけれど。

「よろしいのですかルイス様! こいつはこういう奴なんですよ! 本当にこいつを厨房に送り込んでよろしいのですか!?」

「ちょっとジオン、私の転職に反対しようって言うの!? せっかく少し見直してあげたのに、自分はもう再就職が決まっているからって狡いですよ!」

「るせー! 俺は純粋にこの城の厨房の行く末を心配してんだよ!」

「なによ! 私が厨房に入ったら問題があるとでも言うの!?」

「だからそう言ってんだろーが! ですよね、ルイス様!?」

「主様!?」

 私たちは同時に判断を仰ぐ。ここで二人で言い争ったところで何も解決はしない。全ては主様次第なのだから。

「いいんだ、ジオン。正直に言って紹介状をかくまでもない希望先である事は少し残念に思うが、俺はサリアの希望を尊重したいと思う」

「主様!」

 その瞬間、勝ったと私は拳を握った。しかし主様は続ける。

「それと、サリア」

「はい!」

「俺に詫びる必要はないよ。君はもう俺の密偵ではないからね」

 主様は優しく、まるで諭すように言って下さる。
 ここに勝ち負けや、まして優劣などは存在しないけれど。その瞬間、敗者は私なのだと痛烈に感じていた。ジオンに怒りを向ける余裕さえなく打ちひしがれている。

 もう主様の密偵ではなくなった。

 その事実が重く圧し掛かる。
 けれど隠し通さなければならない。遠い地へ向かわれる主様に自分という存在を背負わせてはいけない。主様は優しい人だから、私はが悲しい顔をしていては気にしてしまう。
 だから声を震わせないように。平静を装わないと。
 こんなところで主様を困らせてどうするの?
 何でもないふりをしよう。笑顔の仮面を貼り付けて頷いた。

 こうしてやや強引にではあるが、私の転職希望は無事聞き届けられました。心情的にははちっとも無事ではないけれど、絶望的だった解雇通達後からすれば未来は明るい。
 私は意気揚々と部屋を出て行くけれど、羨ましいことにジオンは主様と二人きりで大切な話があるらしい。先んじて聞き耳を立てることを禁じられてしまったので、私は大人しく帰宅することにした。
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