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十七、約束と信頼

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「仲間? そうね、仲間よ。あなたを葬るために手を組んでいたわ」

「ならどうして!」

「別にどうということはないでしょう。あやかしの生死なんて。もちろん私だって初めからこうするつもりはなかったのよ。ただ、あなたが予想外にしぶといから困ってしまって……」

 眉を寄せ、憂い顔で長く息を吐かれた。いくら弁明されようと、困った顔を浮かべられたところで行いが消えることはない。

「予定を変更しないとね。本当は始末して欲しいと言われているけれど、難しいようなら貶めるだけでも構わないそうよ。だから、あれを殺したのはあなた。そして私にも襲いかかってきた」

 このあやかしは何を言っているの?

「私は朧以外に刀を向けない」

「誰が信じるのかしら。せいぜいあなたの立場を悪くしてあげる」

「朧は……」

 私は朧を信じている。けれど朧はどうだろう。信じてくれるのか、根拠はどこにもない。

「あなた、邪魔なんですって」

「知っている」

 言われるまでもなく最初から理解している。人間を食らうでもなく囲うなんて可笑しなこと、いかに主命であろうとあやかしたちが疎まないはずがない。
 藤代だって、野菊だって……この屋敷のあやかしはおかしい。平然と私に近づいて、声をかけて、笑いかけて――

 理解しているつもりだった。それなのに私の動きは鈍っていた。体が思うように動かないのは事実を突きつけられたせい? このあやかしの言葉に傷ついたとでも?
 鋭い爪を避けた拍子に腕を引かれて畳みに倒れ込む。頬が擦れて熱を持った。

「あら、案外私でも殺せそう? 特に恨みはないけれど、緋月ひづき様の命には私も逆らえないの。あなたも災難ね。あの方に目をつけられるなんて」

 私の体に乗り上げたあやかしは優位な状況に口が緩むのか饒舌だ。刀があればこの状況を打破できる。でも傷つけてはいけない。相反する感情がせめぎ合い、やがて身動きが取れなくなっていく。

「悪く思わないでね」

 女は私の胸に狙いを定めている。刀さえ抜いていればこんなことにはならなかった。でもそれをやってしまえば私は私を赦せない。
 だからこれで良かったの。望月家からの言いつけを破ってしまった私が、今度は最後まで約束を違えずにすんだ。たとえあやかし相手の約束であってもそのことが誇らしい。

「覚悟なさい!」

 長く伸びた爪は霞めただけでも肌を傷付ける。このまま胸に突き立てられたらそれで終り。こんなところで終わるのかと問い掛ける自分がいて、それも悪くないと導きだされる結論に驚く。
 私が『生きてきた時間』と『朧と出会ってからの時間』、秤にかけたところで比重は圧倒的に後者の方が軽い。けれど私の秤は後者に傾く。それくらい充実した日々を送っていた。道具のように扱われるのではなく、名前のある一人として扱われていたから。
 全部、朧が与えてくれた。こんな場面で実感するなんて遅すぎる。感謝くらいはもっと伝えておけば良かった。減るわけでもないのに意地を張って、ちっても伝えられていない。

 朧――

 叶うことならもう一度、名前を呼んでほしかった。このあやかしは私を『あなた』と呼ぶばかり。でも私には名前がある。朧がくれた――

「椿っ!」

 女に奪われていた視界に色がよみがえる。
 ああ――、偽物とまるで違う。こんなにも想いがこもっているのに、今まで何を聞いていたのか。声に誘われるように目を開くと私はまだ生きていた。

「どう、して……」

 視線の先で驚いているのは女も同じ。けれど私の驚愕とは違い、表情には恐怖が交じっている。先ほどまでの嘲笑は消え震えていた。

「無事か!?」

 僅かに顔を動かせば、朧が女の手を掴んでいた。怖ろしい力が込められているのか、みしみしと不穏な音がする。このまま握っていれば折れるのではないか、不安が現実になる前に藤代が女の身柄を拘束してくれた。
 重みが消えた私は身を起こす。肩を負傷したことを忘れ畳みに手をつけば、傷を庇おうとして均衡が崩れた。

「椿!」

 傷に触れないように、けれど力強く朧が抱きとめてくれる。おかげでまた頬をするという事態は避けられた。ああ、こういう時はお礼を言えばいいのかと口を開くが先手を打たれる。

「野菊に様子を見に行かせたが、姿が見えないと聞いた。何かあったのではと、探して回ったよ」

 部屋から出ないと言ったことを思い出す。そんな些細な言葉さえ信じてくれていたの?

「朧様、この女が仲間を刺したのです。ですから私が裏切り者を捕らえようと――」

 藤代に拘束されながら女は叫んでいる。

「うるさい、黙れ」

 朧にぴしゃりと言い切られ女は声を失くした。

「言っただろう、椿は約束を違えるような女ではない」

「な、何を申します。騙されてはいけません! この女は同胞狩りをしていたと聞きました。そんな女を囲うなど、どうかしています。朧様に卑怯な手でも使って取り入ったに違いありません。だからこそ――」

 言葉は濁されたけれどその先に続く言葉を私は知っている。だからこそ『ひづき』という存在は私が邪魔だった。

「いつ椿が俺に取り入った? むしろ多少は色でも使って取り入ってほしいくらいだが」

「朧様、そこまで言っておりません」

 藤代が呆れた反応を示し、ようやく生きている実感が湧き始める。

「な、何をおっしゃって……? と、とにかく私はこの目で見たのです!」

「ほう、なにを見たと?」

 まるで試すような言い方だ。

「ですから、この女が刀で私の友を刺したのです!」

「椿が?」

「はい!」

 それをしたのは自分なのに、なおかつ嘲笑っていたはずの女は平然と嘘を吐く。
 朧は興味なさそうにあやかしの亡骸に刺さる刀を見遣った。

「彼女の刃は黒い」

「は?」

 女は意味がわからないという表情で目を丸くする。

「確かに椿様は刃を黒く染めてしまいますね」

 当然のように藤代が言い、朧が刀を抜き拾い上げた。
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