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八、椿の評価(報告者藤代)
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「今宵の月見酒はさぞ美味いだろうな」
夕食時に要望を受け、上質な酒を手土産に赴く。
屋敷の主人は特等席である縁側を陣取っており、促されるまま隣に座ると早急に酒盛りが始まった。
仮にも嫁候補がいるのだから彼女に酌をさせればいいものを――
小さな不満を抱き、わたくしは三日前に紹介されたばかりの少女を思い浮かべることとなる。
「椿の様子はどうだ?」
まるで心を読まれたかのような絶妙な声掛けはさすがだ。なるほど、酒の肴に嫁候補の様子を話して聞かせろと。ですがすんなり話して聞かせるつもりは――
「俺が出向いても良い顔をされないものでね」
――なかったはずが、朧様の発言に同情せざるを得ない。それはいかがなものだろう。主に対して失礼なと憤るよりも純粋に先行きの不安を憶えた。
「ま、まあ構いませんが。わたくしも聞かせていただきたいものですね」
交換条件を突き付ければ不思議そうに「なんだ?」と問い返される。
なんだ、ではありません。何もかも説明不足だと頭を抱える身にもなってほしいですね。そんなわたくしの心情と、これからされるであろう追求がわかっているのか朧様はうんざりした様子だ。
「本当にあの方を妻にするおつもりで? そもそも妻にする丁重に扱えだけでは屋敷の者も混乱しています。わたくしが上手く収めはしましたが、それにしてもいきなり身元不明の半あやかしを連れてこられましても……」
「不満か?」
「そうは言っておりません。わたくしにとって朧様の命は絶対です。ただ、ひっきりなしに使用人たちから彼女について質問攻めにされる身にもなってほしいと申しているだけです。多少の愚痴くらい零しても罰は当たらないでしょう」
あの方は誰?
朧様とどういう関係!?
屋敷にやってきて数日と経たぬうちに何度問いただされたことか。その度に曖昧に誤魔化すしかないこちらの身にもなってほしい。まともな説明をされていないと言う点では大差ないのだ。むしろ訊きたいのはこちらの方である。
「あなたはいずれあやかし弧一族を率いるお方。失礼ながら、どこの誰とも知れぬ相手では血筋、教養、どれをとっても釣り合うとは思えませんが」
「そこを何とかするのが君の役目だろう」
向けられているのはお前ならできるだろうという挑発的な眼差しだ。それでいて深い信頼が込められているので性質が悪い。
仕方がない。無理やりではありますが、話を逸らして痛いところを突いてみましょう。
「仮に、いくら知識を詰め込んだところで血筋の問題が解決するものではありません。何より半分あやかしではまともな世継も期待できませんね」
「それについては後々な」
朧様にしては珍しいことに、はっきりとしない物言いだ。
確かに後々解決する手段はある。なにも正妻に迎える必要もないのだ。仮にそれが嫌なら側室を娶れば問題はないことであり、朧様にもそれくらいの考えはあるのだろう。ならば、わたくしが進言することではない。
「では、ここからは先はわたくしの意見を述べさせていただきます」
「聞こう」
そう、ここまでは妖狐一族に属する者の意見だった。ここから先はわたくしの言葉、朧様に仕える藤代としての想いだ。
「朧様がどこの誰と恋愛されようと構いませんが、事情はしかと説明していただきたいものです」
私的な意見となれば、なんとも飾り気のないものだ。朧様が真に幸福であれば良いと、至って単純なわたくしの行動原理だ。
「話せば小言が煩わしいだろう」
「小言が多くなる自覚があるのですか」
無意識にもわたくしの口元は引きつっていた。なるほど、朧様の顔が面倒くさそうに歪んでいる。
「朧様。正しい報告が聞きたければ、わかりますね?」
朧様は深く長いため息をついてから、重い口を開いた。
「俺を殺せなければ嫁になれと賭けをしている」
「なんですかその、どう聞いても物騒としか言いようのない賭けは。どこをどうしたら、いえ……いったい何をどうしたら、未来の奥方候補と甘いひと時でなく殺し合いが始まるのです? 理解しかねるのですが」
想像以上にめんど――もとい、こじれた事態になっているようで、今度はわたくしが長いため息を吐く番になった。
聞かされたのは闇夜の町で出会ったあやかし狩りの娘の話。
半分はこちら側――人の家系に生まれておきながら、生まれながらに半分あやかしに侵されているとは特異なものだ。とすれば血筋にも何らかの秘密があるかもしれない。
だがいかなる理由があろうと人の中で育てばそれはただの人。それが家族からは見放されあやかしを狩るためだけに利用されていたとは……まあ同情してやらなくもない境遇ではありますが。
なんて哀れな娘だろう。あやかしを狩るために利用されていたかと思えば、今度はそのあやかしに魅入られるとは運のないことだ。
とはいえ朧様に仕えている身には関係のないことだ。
「あなたに仕えてから、それなりの時が経ったと自負していましたが……全くわかりません」
最大の謎は朧様がたかが小娘相手に心を砕く理由だ。
憐れんでいる?
いや、優しい方ではあるが……。
遊んでいる?
確かにからかったような言動が多くはあるが……。
まさか、本心から惚れている!?
それこそ納得のいく理由にして納得のいかない理由だ。この方が懸想するなど我々の生きた長い年月の中であっただろうか。
「彼女に何を求めているのです? 戯れなど、互いのためになりませんよ」
「忠告だけは聞き入れておく。さて、そろそろ椿のことを話してくれないか?」
朧様はここまで黙って話を聞き入れてくれた。であればわたくしもしかと現状を伝えねばなるまい。仕切り直しとばかりに居住まいを正す。
「まずは座学についてですが、読み書きは可能な様子。ですが教養については全く足りていない」
「だろうな」
「ご存じで?」
「戦う術しか必要なかったそうだ」
「なるほど。ですが記憶力は素晴らしい。加えて知識欲が深いのでしょう」
「頼もしいことだな」
「一度お教えしたことはすぐに吸収されます。これまで何も教えられずに育ってきた、というそのままの印象ですね。余計な先入観がない分、受け入れやすいのでしょう。瞬く間に自分のものとされてしまうので、このまま指導し続ければすぐに形になりましょう。本人に至っても勉学は嫌いではない様子。屈辱そうな顔を精一杯無表情で隠しながら積極的に質問されていますよ」
するとそれまで大人しく聞き入っていた朧様の表情が変わる。
「なるほど、お前を任命したのは間違いだったか。その表情、俺も見てみたいものだ。近いうちに見学させてもらおうか」
「おそらく講義が進みませんのでおやめ下さい。盛大に嫌がる椿様が目に浮かびます」
朧様には悪いが即答で切り捨てさせてもらう。
先ほどの話と椿様の様子からしても二人の関係は険悪なのだろう。主に椿様から朧様への印象はあまり良くないと見受けられる。ところがありのままを告げたにもかかわらず、やはり朧様は愉快そうにしており理解し難い。
「問題の稽古の方ですが……」
何が問題かと首を傾げる朧様は放っておく。嫁候補に稽古をつけるなど問題に決まっている――自ら気付いてほしいものだ。
「こちらも非常に筋が良い」
「さすが俺のみ込んだ相手だ」
普通に考えて人間の年若い女が剣術に秀でていると評価しているのですが耳を疑うこともしないとは。つまり思い当たる節があるのでしょう。賭けの内容からしても彼女は腕に自信があったと見える。
「これまでは我流だったのでしょう。刀を振りまわしているだけでしたが、それでも大したものですね。低級なあやかし相手なら引けをとらないでしょう。そこにわたくしが型を指南しているのですから、今後の成長が楽しみです」
「想像以上だな」
「何がです?」
「良い妻になりそうだ」
「はあ……」
呆れ交じりに返答するので精一杯だ。
「彼女に椿の間を与えましたね」
椿、それは朧様の一番好きな花だ。
屋敷の最奥、まるで宝物を隠しているようだと、わたくしにはそう見えた。誰の目にも触れさせないように、自分だけのものだと――執着しているように。
けれどそこまでの価値が彼女にあるのだろうか。
「俺の大切な花になるかもしれない相手だぞ」
愛しげに、または切なげにも見える表情で月を見上げる朧様は何を考えているのやら。けれどその呟きには、そうであってほしいと願いが込められているようだった。
では、彼も持て余している感情ということか……。
殆ど女性相手に執着を見せなかった主にしてみれば、進展ありと喜ぶべきなのでしょうか。いずれにしろ、わたくしごときに図れるものではないでしょう。
さて、明日の講義内容に着いて計画を練るとしましょうか。そうとなれば早めに酒盛りを切り上げねばならない。この酒好き相手に何と言って切り上げさせるか……少し考えて、彼女の名を出せばすぐに解決するだろうと思い至る。
あの椿と言う少女が妻になろうが、別の女が収まろうが関係ない。わたくしの主は朧様、彼の望むままに――誠心誠意、与えられた命令に従うだけだ。
その先に待つのが主の幸福であることを願い、わたくしのすべきことは決まっている。あの少女を、朧様の妻としてどこに出しても恥ずかしくないよう教育を施すだけだ。
ただ正直なところ、彼女の目覚ましい成長ぶりは自分にとっても密かな楽しみでもあった。
夕食時に要望を受け、上質な酒を手土産に赴く。
屋敷の主人は特等席である縁側を陣取っており、促されるまま隣に座ると早急に酒盛りが始まった。
仮にも嫁候補がいるのだから彼女に酌をさせればいいものを――
小さな不満を抱き、わたくしは三日前に紹介されたばかりの少女を思い浮かべることとなる。
「椿の様子はどうだ?」
まるで心を読まれたかのような絶妙な声掛けはさすがだ。なるほど、酒の肴に嫁候補の様子を話して聞かせろと。ですがすんなり話して聞かせるつもりは――
「俺が出向いても良い顔をされないものでね」
――なかったはずが、朧様の発言に同情せざるを得ない。それはいかがなものだろう。主に対して失礼なと憤るよりも純粋に先行きの不安を憶えた。
「ま、まあ構いませんが。わたくしも聞かせていただきたいものですね」
交換条件を突き付ければ不思議そうに「なんだ?」と問い返される。
なんだ、ではありません。何もかも説明不足だと頭を抱える身にもなってほしいですね。そんなわたくしの心情と、これからされるであろう追求がわかっているのか朧様はうんざりした様子だ。
「本当にあの方を妻にするおつもりで? そもそも妻にする丁重に扱えだけでは屋敷の者も混乱しています。わたくしが上手く収めはしましたが、それにしてもいきなり身元不明の半あやかしを連れてこられましても……」
「不満か?」
「そうは言っておりません。わたくしにとって朧様の命は絶対です。ただ、ひっきりなしに使用人たちから彼女について質問攻めにされる身にもなってほしいと申しているだけです。多少の愚痴くらい零しても罰は当たらないでしょう」
あの方は誰?
朧様とどういう関係!?
屋敷にやってきて数日と経たぬうちに何度問いただされたことか。その度に曖昧に誤魔化すしかないこちらの身にもなってほしい。まともな説明をされていないと言う点では大差ないのだ。むしろ訊きたいのはこちらの方である。
「あなたはいずれあやかし弧一族を率いるお方。失礼ながら、どこの誰とも知れぬ相手では血筋、教養、どれをとっても釣り合うとは思えませんが」
「そこを何とかするのが君の役目だろう」
向けられているのはお前ならできるだろうという挑発的な眼差しだ。それでいて深い信頼が込められているので性質が悪い。
仕方がない。無理やりではありますが、話を逸らして痛いところを突いてみましょう。
「仮に、いくら知識を詰め込んだところで血筋の問題が解決するものではありません。何より半分あやかしではまともな世継も期待できませんね」
「それについては後々な」
朧様にしては珍しいことに、はっきりとしない物言いだ。
確かに後々解決する手段はある。なにも正妻に迎える必要もないのだ。仮にそれが嫌なら側室を娶れば問題はないことであり、朧様にもそれくらいの考えはあるのだろう。ならば、わたくしが進言することではない。
「では、ここからは先はわたくしの意見を述べさせていただきます」
「聞こう」
そう、ここまでは妖狐一族に属する者の意見だった。ここから先はわたくしの言葉、朧様に仕える藤代としての想いだ。
「朧様がどこの誰と恋愛されようと構いませんが、事情はしかと説明していただきたいものです」
私的な意見となれば、なんとも飾り気のないものだ。朧様が真に幸福であれば良いと、至って単純なわたくしの行動原理だ。
「話せば小言が煩わしいだろう」
「小言が多くなる自覚があるのですか」
無意識にもわたくしの口元は引きつっていた。なるほど、朧様の顔が面倒くさそうに歪んでいる。
「朧様。正しい報告が聞きたければ、わかりますね?」
朧様は深く長いため息をついてから、重い口を開いた。
「俺を殺せなければ嫁になれと賭けをしている」
「なんですかその、どう聞いても物騒としか言いようのない賭けは。どこをどうしたら、いえ……いったい何をどうしたら、未来の奥方候補と甘いひと時でなく殺し合いが始まるのです? 理解しかねるのですが」
想像以上にめんど――もとい、こじれた事態になっているようで、今度はわたくしが長いため息を吐く番になった。
聞かされたのは闇夜の町で出会ったあやかし狩りの娘の話。
半分はこちら側――人の家系に生まれておきながら、生まれながらに半分あやかしに侵されているとは特異なものだ。とすれば血筋にも何らかの秘密があるかもしれない。
だがいかなる理由があろうと人の中で育てばそれはただの人。それが家族からは見放されあやかしを狩るためだけに利用されていたとは……まあ同情してやらなくもない境遇ではありますが。
なんて哀れな娘だろう。あやかしを狩るために利用されていたかと思えば、今度はそのあやかしに魅入られるとは運のないことだ。
とはいえ朧様に仕えている身には関係のないことだ。
「あなたに仕えてから、それなりの時が経ったと自負していましたが……全くわかりません」
最大の謎は朧様がたかが小娘相手に心を砕く理由だ。
憐れんでいる?
いや、優しい方ではあるが……。
遊んでいる?
確かにからかったような言動が多くはあるが……。
まさか、本心から惚れている!?
それこそ納得のいく理由にして納得のいかない理由だ。この方が懸想するなど我々の生きた長い年月の中であっただろうか。
「彼女に何を求めているのです? 戯れなど、互いのためになりませんよ」
「忠告だけは聞き入れておく。さて、そろそろ椿のことを話してくれないか?」
朧様はここまで黙って話を聞き入れてくれた。であればわたくしもしかと現状を伝えねばなるまい。仕切り直しとばかりに居住まいを正す。
「まずは座学についてですが、読み書きは可能な様子。ですが教養については全く足りていない」
「だろうな」
「ご存じで?」
「戦う術しか必要なかったそうだ」
「なるほど。ですが記憶力は素晴らしい。加えて知識欲が深いのでしょう」
「頼もしいことだな」
「一度お教えしたことはすぐに吸収されます。これまで何も教えられずに育ってきた、というそのままの印象ですね。余計な先入観がない分、受け入れやすいのでしょう。瞬く間に自分のものとされてしまうので、このまま指導し続ければすぐに形になりましょう。本人に至っても勉学は嫌いではない様子。屈辱そうな顔を精一杯無表情で隠しながら積極的に質問されていますよ」
するとそれまで大人しく聞き入っていた朧様の表情が変わる。
「なるほど、お前を任命したのは間違いだったか。その表情、俺も見てみたいものだ。近いうちに見学させてもらおうか」
「おそらく講義が進みませんのでおやめ下さい。盛大に嫌がる椿様が目に浮かびます」
朧様には悪いが即答で切り捨てさせてもらう。
先ほどの話と椿様の様子からしても二人の関係は険悪なのだろう。主に椿様から朧様への印象はあまり良くないと見受けられる。ところがありのままを告げたにもかかわらず、やはり朧様は愉快そうにしており理解し難い。
「問題の稽古の方ですが……」
何が問題かと首を傾げる朧様は放っておく。嫁候補に稽古をつけるなど問題に決まっている――自ら気付いてほしいものだ。
「こちらも非常に筋が良い」
「さすが俺のみ込んだ相手だ」
普通に考えて人間の年若い女が剣術に秀でていると評価しているのですが耳を疑うこともしないとは。つまり思い当たる節があるのでしょう。賭けの内容からしても彼女は腕に自信があったと見える。
「これまでは我流だったのでしょう。刀を振りまわしているだけでしたが、それでも大したものですね。低級なあやかし相手なら引けをとらないでしょう。そこにわたくしが型を指南しているのですから、今後の成長が楽しみです」
「想像以上だな」
「何がです?」
「良い妻になりそうだ」
「はあ……」
呆れ交じりに返答するので精一杯だ。
「彼女に椿の間を与えましたね」
椿、それは朧様の一番好きな花だ。
屋敷の最奥、まるで宝物を隠しているようだと、わたくしにはそう見えた。誰の目にも触れさせないように、自分だけのものだと――執着しているように。
けれどそこまでの価値が彼女にあるのだろうか。
「俺の大切な花になるかもしれない相手だぞ」
愛しげに、または切なげにも見える表情で月を見上げる朧様は何を考えているのやら。けれどその呟きには、そうであってほしいと願いが込められているようだった。
では、彼も持て余している感情ということか……。
殆ど女性相手に執着を見せなかった主にしてみれば、進展ありと喜ぶべきなのでしょうか。いずれにしろ、わたくしごときに図れるものではないでしょう。
さて、明日の講義内容に着いて計画を練るとしましょうか。そうとなれば早めに酒盛りを切り上げねばならない。この酒好き相手に何と言って切り上げさせるか……少し考えて、彼女の名を出せばすぐに解決するだろうと思い至る。
あの椿と言う少女が妻になろうが、別の女が収まろうが関係ない。わたくしの主は朧様、彼の望むままに――誠心誠意、与えられた命令に従うだけだ。
その先に待つのが主の幸福であることを願い、わたくしのすべきことは決まっている。あの少女を、朧様の妻としてどこに出しても恥ずかしくないよう教育を施すだけだ。
ただ正直なところ、彼女の目覚ましい成長ぶりは自分にとっても密かな楽しみでもあった。
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