妖狐の寵愛～影無し少女の嫁入り～

奏白いずも

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二、始まりは夜に

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　刀が異形を切り裂いた。二つに引き裂かれたそれは形を失い、水のように揺らいで地面に叩きつけられる。形を保っていたものが崩れゆく様は不気味だけれど、もう慣れてしまった。
　それが何だったのか。正確にあれが何と呼ばれていたのかを知る術はないし興味もない。四足歩行、鋭い牙と爪を誇示し、人に襲いかかる危険な存在。それがあやかしという事実だけで私には十分だ。

　ここは都から離れているが山間にしては賑わいのある町らしい。多くの長屋が居を構え、商店も栄えている。都には劣るがそれなりの規模らしい。といっても私には想像が難しいけれど。
　明るいうちに訪れたことのない私にとっては全てが他人事、あるいは想像の中の出来事だ。この地を訪れたのは偶然で、人の気配が多ければあやかしも出没しやすいと聞かされたからにすぎない。そうしてあやかしを狩り、今夜も生き残ったのは私だけとなった。
　月光を浴びる黒い刃だけが私の味方。せめてもの情けに与えられた武器はどこにでもあるような無名の安物だけれど、私にとって縋れる唯一の何かだった。
　役目を終えた私は刀を鞘に収める。

「八百三」

　抑揚のない自分の声が嫌いだった。とはいえ生き残ることができた安堵、先ほどまで戦っていた緊張のせいか、平時よりは高ぶりを感じている。
　この目は人ならざる者を映し、この手にはあやかしを狩る力がある。今日までに私が斬ったあやかしはこれで八百三匹目。

「けれどまだ足りない……」

　感傷に浸っている暇はない。役目を終えたのなら次を、あるいは戻らなければ。けれど今夜に限っては私を引き止める者がいた。

「おい、そこの女！」

　無遠慮な物言いで声をかけるのは二人組の役人――人間だった。二人とも同じような黒い服を着て腰には刀が見える。いずれも年配の男だ。

「帯刀など、廃刀令を知らぬ訳はないだろう！」

　かつては当たり前のように帯刀が許されていたけれど、時代の流れと共に定められた法律では庶民が刀を所持していてはいけないのだとか。

「女がこんな時間に何をしている。名は？　何者だ？」

　代わる代わる質問攻めにされる。
　私は誰？　そんなもの、私が一番知りたかった。

「名乗る名はない」

　明らかに怪訝な顔をされているけれど事実なので仕方がない。さすがに生れ育った家の名は記憶しているけれど、それを告げてはいけない決まりとなっている。
　私が生まれた望月家はこの辺り一帯を管理する名家であり神職の家系だ。けれど私は生まれただけ。一切の繋がりを知られてはならない。
　捕まってしまえばそれで終わり。私は望月家から見放されてしまう。信頼を集める神職の家系から影の無い女が生まれたなどと言えるわけがないのだから。

「私は忙しい。お互いのためにも見逃してほしい」

「ふん、何が忙しい？　悪事でも働く気か？」

「ああ、そうに違いない」

　私の言葉など聞こえていないように男たちは勝手に決めつけていく。

「近頃不審な事件が相次ぐと住民が不安を訴えてな。嘆願書まで出される始末だ。おかげで我々もこうして見回りに駆り出され迷惑している」

「さあ答えろ。女、貴様何をしていた？」

　人間相手に手を上げたくないけれど、見逃してくれないのなら仕方がない。たとえ実力行使になろうと私はこの場から逃げきってみせる。

「自分の身が大切なら質問は控えて」

　言葉を返しながら手は刀に伸びていた。この場でいくら言葉を重ねたところで結果は目に見えている。
　けれど鞘に納めた黒い刃はあやかしを斬るためのものだ。みねうちなら――そんな風に考えた時、私の作戦を否定するように邪魔が入った。

「夜道に女が一人歩きとは感心しない」

　艶のある男の声。最初に異変を察知したのは私だった。顔を上げ、いち早く声の出所に視線を向ける。

「誰？」

　屋根の上に佇む人影が私たちを見下ろしている。役人たちは釣られるように私の視線を追った。

「ほう、君は良い反応をする」

　感心するような響きだ。影が動くと身構えた時にはすでに視界から相手の姿は消え風が吹き抜ける。瞬きほどの一瞬に役人たちは呻きを上げ地面に倒れていた。血が出ていないのなら強い衝撃で気絶しただけだろう。

「さて。君は先ほど同胞を斬っていたな」

「――っ！」

　今度は後ろ！？　
　まるで風のよう。いつの間に背後へ回ったのか、目で追えなかった
　男は確かに同胞と言った。私は人間に手を上げたことはない。先ほど斬ったのもあやかしだ。となれば声の主もまたあやかしなのだろう。今度こそ躊躇うことなく刀を抜いた。この時点で大分後れを取ったことは否定できないけれど。

「報復を？」

　振り向いた私は絶望を知る。暗闇でも劣ることのない目が初めて疎ましく思えるほど、見間違えであればどんなに良かっただろう。
　派手な着流しを纏う男は静かに佇んでいた。刀を向けられた焦りなど微塵も感じさせず、腰ほどまで伸びた見事な白髪を揺らし、容赦のない美しさが夜の闇に浮かび上がる。
　それだけなら普通の光景だが男には耳と尻尾がある。白く輝かんばかりの尾が九本、私の絶望を嘲笑うように揺れていた。

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