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56、それぞれの別れ

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「私、カルミアが現れた時、逃げられないと思ったんです」

「逃げられない?」

「目の前にカルミアが現れて、逃げられるわけがない、そう言われたみたいで怖かった。私、それまでの学園生活でも毎日のように怯えていたんです。攻略対象とはまともに顔を合わせることも出来ませんでした」

 おそらく初日に学食で逃げ出されたのはこれが理由だろう。カルミアの初登場にオズを添えては刺激が強すぎたらしい。

「今度オズに声をかけてあげたら? 寂しがっていたわよ」

「さ、寂しがって? でも、あの、迷惑じゃないでしょうか……」

「きっと喜ぶわ。オズはそういう人でしょ? 彼は変わらないみたいだから」

 安心安全のメインヒーローである。レインにならこれで彼の人となりは伝わるだろう。カルミアが接してきたオズはゲーム通りの人物だった。
 レインは強く拳を握る。

「わかりました。カルミアがそう言うのなら、頑張ってみます!」

 レインは意気込むが、この反応はカルミアにとって予想外のものだった。

「私が言ったことだけど、無理はしないでね」

「いえ、私が頑張ってみたいんです。これからは自分の世界を広げたいので……。そうしないと校長先生にも、カルミアにも恩が返せません」

「恩?」

「はい。いつかカルミアや校長先生の役に立てるような、立派な魔女になりたいんです。あの時助けておいて良かったと思えるくらいの魔女に。そのためのは今のままだといけないって」

 照れながらも告げるレインにカルミアは勇気付けられる。レインの強い意思を感じられたことで不安が一つ消えていた。

「良かった。出発前にレインさんの決意が聞けて」

「カルミア、どこかへ行くんですか?」

「レインさんだから話すけど。私ね、リシャールさんに学園の危機を救ってほしいと頼まれてここへ来たの。けど、私はもう必要なさそうね。これからは家業の手伝いに戻るわ」

 それを告げた瞬間、またレインの表情が沈んでしまう。わなわなと唇を震わせているのは躊躇いからだろう。やがてゆっくりと話し始めるが、やはり声には元気がなかった。

「こんなこと、今更私が言っても迷惑だと思っています。わかってはいるんです。でも……」

 レインが告げようとしている想いには心当たりがある。カルミアは思いきって続きが聞きたいと強請ってみせた。

「迷惑なんて思うはずないわ。聞かせて」

「私、寂しいです。せっかく友達になれると思ったのに、もうお別れなんて……」

 カルミアはぱっと顔を綻ばせた。その言葉を待っていたのだ。

「嬉しい! でも、もうとっくに友達よね。それは私が学園を去っても変わらないわ。ねえ、休みが合う時は一緒に遊びましょう? 話したいことや、行きたい場所がたくさんあるの」

「もちろん、喜んで! 私もカルミアに会いたいです。ずっと、友達でいたい」

「次に会った時は友達らしく盛り上がりましょう。お互いにこれまでのことを話すの。それから買い物にって、美味しいものを食べたりね。きっと楽しいわ」

 頷き笑う少女から、憎しみの感情は消えていた。これが本来のレインという少女なのだろう。

「レイン」

 新たな関係を結んだカルミアは彼女の名前を呼んだ。カルミアにはこの絆が生涯続くという予感があった。

「貴女は素晴らしい魔女になるわ。私とリシャールさんが保証する。この私、カルミア・ラクレットの感覚は当てになるわよ! その日を楽しみにしているわ」

「ありがとう。その時は、ラクレット家で雇ってもらえたら嬉しいかな」

「優秀な人材はいつでも大歓迎」

「ふふっ」

 レインの口調もいつしか砕けたものとなっていた。彼女が声を上げて笑うところはを初めて目にした気がする。

「ありがとう、カルミア。何度お礼を言っても足りないけど、私の間違いを正してくれて。貴女のおかげで大切なことに気付けた。確かにカルミアは悪役令嬢。でもカルミアは、違う生き方があるとを示してくれた。ここはゲームの世界だけど、自由に生きてもいいのよね」

「そうね、確かに私は悪役令嬢だった。でもその通りに生きる必要はないわ。ラクレット家だって没落しないし、させない。シナリオなんて関係ないわ。主人公だって、自分の意思に従って生きるべきよ」

「うん。学園のことは私に任せて。あまり役には立たないかもしれないけど、しっかりこの世界を見つめておくわ」

「お願いね」

 学園はレインに任せておけば問題が起こっても駆けつけることが出来るだろう。生徒ではないが、一度は籍を置いた学園だ。未来を知る者としても放ってはおけない。
 最後に豚汁を勧めてカルミアは部屋を後にする。豚汁の感想は後日連絡をさせてもらおう。出航前に寄りたい場所は他にもある。

 レインの部屋を出たカルミアはそのままアパートの食堂へ向かった。このアパートの売りはなんといっても深夜まで営業している食堂だ。学生たちは登校前に帰宅後、そして休日と、いつでも温かいご飯を食べることが出来る。利用者からは大変好評な制度だ。
 学生たちは学園が再開したためレイン以外はほとんど登校している時間だ。いくらか落ち着いた食堂を訪れると、カルミアは彼女を労った。
 
「お疲れ様です」

「なんだ、小娘かい」

 学園にいた時と変わらない態度で調理を続けるベルネは、今やこのアパートの臨時職員として腕を振るっている。もちろん学食が再開するまでの働き先として紹介したのはカルミアだ。

「馴染んでいるようで安心しました」

「あたしに出来ないことがあるわけないだろ」

 アパートの従業員とは仲良くやっているようで、初日から喧嘩をしていた自分たちのことを思うと複雑でならない。ここで新たな料理を習得し、学食に帰ってくると張り切っているようだ。誰かのために料理をする喜びを思い出したベルネは学生たちとも上手く付き合っているらしい。
 ドローナは学園教師の仕事に専念しているが、営業が再会すれば戻ってきてくれると言っていた。ロシュも同様だ。

「もう行くのかい?」

「はい、船を待たせていますから。短い間でしたが、お世話になりました」

「本当だよ。世話が焼ける小娘だったねえ」

「ええと……今後も相談役として学食経営には携わるつもりでいますから、また会えた時はよろしくお願いします」

 清々するとそっぽを向かれたカルミアは苦い笑いで答えていた。
 宣言通り、カルミアはメニュー等の相談役として学食の手伝いをすることを決めていた。リシャールが目覚めれば正式に許可をもらう予定でいる。
 特別顧問の活動範囲が少しくらい増えてもいいだろう。父には内緒でカルミアは新たな仕事を手掛けようとしていた。

「せいぜい励むんだね。けど、なんだ」

「ベルネさん?」

「うるさいのがいなくなってせいせいするよ!」

 最後まで想像通りの反応に苦笑する。食堂の時計に目を配ったカルミアは次の行き先に向かおうとしていた。

「ベルネさん。私、もう行きますね。お元気で」

 ベルネからの反応はない。しかしカルミアは進まなければならなかった。名残惜しいが、時間が迫っている。
 静かに食堂を出ようとすれば、もう一度呼び止められていた。

「元気でやりな……カルミア」

 カルミアはぱっと振り返る。空耳かとも思ったが、背を向けているベルネの耳は赤い。

「ベルネさん、今っ!」

 名前を呼ばれたのはこれが初めてだった。むしろ覚えていてくれたのかと、驚きと感激が同時に襲う。
 カルミアは思い切り駆け寄るとベルネに抱き着いていた。これが永遠の別れではない。けれど離れがたいと思ってしまう。

「私の名前、憶えてくれたんですね」

 引き剥がそうとしていたベルネも最後には諦めたように力を抜いた。

「あんたみたいに強烈な人間、忘れるわけないだろう。これからだって忘れやしないさ。あたしの長い人生に名を刻んでやるんだ、光栄に思いな」

 変わらぬ態度に悪態は冷たくも見えるが、ベルネはベルネなりに別れを惜しんでくれていた。それだけでカルミアは泣きたくなるような幸せを感じていた。
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