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六、海を去る日
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私は今日、お嫁に行きます。
……そうよ。どうせ自分で言っておきながら照れているわよ! こんな台詞、前世でも使ったことがないもの!
長きに渡る説得を終え、いよいよ最後の挨拶を済ませた私は海の国に背を向けて泳ぐ。
それにしても三日以内に間に合って本当に良かった。説得が難航することは予め想定していたけれど、自分から宣言しておいて遅刻するなんて格好が付かないにもほどがある。
ところがしばらく泳いだところで待ち構えていたのは二つ年下の妹、レイシーだった。
「エスティ姉さん……。本当に、行ってしまうの?」
金の髪は不安げに舞い、瞳は潤んでいた。悲壮な面持ちの原因は、どう考えても今まさに海を去ろうとしている姉の存在だ。
レイシーは最後までこの決定に反対していた。儚げな風貌のどこにそんな力が隠されているのか、父よりも説得に難航した相手だ。
「可哀想なエスティ姉さん。人間と結婚なんて、人間になれだなんてあんまりよ。姉さんは本当にそれでいいの!?」
レイシーだけじゃない。姉たちから、友人から、たくさん同じ事を言われた。一応許可が下りたとはいえ笑顔で送り出されるとは思っていない。だからこそ見送りは不要だと伝えていた。
「ありがとう。私のこと、心配してくれたのね」
「当たり前じゃない! 大切な姉さんなのよ。それなのにどうして……姉さんまでいなくなってしまうの!?」
納得はするけれど、心ではまだ認められていないというのが本音だ。
「レイシー、私は可哀想じゃないわ。これは私が自分で決めたことですもの」
「でも……」
「みんなには、私の我が儘を聞いてもらって感謝しているわ。そんなに心配しなくたっていつでも会えるのよ? 自由に里帰りしても構わないって、ラージェス様は許可してくれたもの」
それは船が到着するまでに決めた私たちのルール。お互いの取引条件が正しく機能していることを確認するため、私の里帰りは自由に認められることになっている。
「けどエスティ姉さんは……姉さんはもう私たちとずっと一緒にはいられない! 私、何度も聞かされたわ。一度でも人間になってしまったら、私たちも人間のように死んでしまうって!」
私たちが人間になることで失うもの。それは永遠にも等しい時間。人魚の寿命は怖ろしく長く、尽きることはない。ただし死なないというわけではなく、身体の強度は人間と同じだ。怪我をすることもあれば、何かにぶつかると普通に痛い。
人魚と人間。二つの種族はとてもよく似ているが、それは遠い昔、同じ存在であったからだと海の世界には語り継がれている。
かつてこの海を治めていた女神は何よりも孤独を怖れ、一人でいることを嫌った。
寂しさをまぎらわせるために歌を口ずさめば、いつしか彼女を中心に人は集い、国と呼ばれるようになる。
しかし長い年月を海で過ごすうち、外の世界に憧れる者が表れた。
孤独を嫌う女神はそれを許さず、海に留まることを望む。そばにいてくれるのなら特別な力を授けるとまで彼女は言った。
それでも一部の者たちは女神の意思に反して国を去る。
悲しみに嘆く女神は留まることを選んだ者たちには自らが寂しくないよう、永遠の命と海の世界で自由に泳ぎ回れる身体を授けた。
それと同じく、外の世界を選んだ者たちには激しい怒りを覚えた。だから女神様は私たちが一度でも人の姿を取ることを激しく嫌う。自身を裏切り、陸を選んだ人間と同じ姿をとることさえ許さない。永遠の命は不要とみなし、人間と同じ寿命にされてしまうのだ。
私たちはみな、幼い頃から同じ話を聞かされて育つ。女神の庇護を離れ国を去った者たちこそが、この世界の人間なのだと教えられた。
私にしてみれば随分と壮大なおとぎ話という感覚だけれど、人魚たちはそれを真実として受け入れている。
まあ、その話が本当であるからこそ、一度でも人間の姿になってしまった人魚は永遠の命を失うのよね……
そんなレイシーは考え直してほしいと顔を被って泣き出してしまった。
「まだ間に合うから、だから!」
私だって妹の泣き顔には弱いのよ。これが最後のチャンスだとわかっているからこその、なりふり構わない精神攻撃ね。
「すぐにといっても数十年はあると思うわ。人間だって長生きなんだから。えっと……六十年くらい、とか?」
この世界の平均寿命って、いくつなのかしら。前世より少し低めに見積もってはみたけれど。
「そんなのすぐじゃない!」
人魚換算だと六十年はすぐらしいですよ……
「確かに永遠に比べたらほんの一瞬かもしれないけれど、限りあるものも素敵だと私は思うわ」
きっとこの先も、仲間たちに理解されることはない。家族も、友人も、普通に受け入れているようだけれど、前世の私は平凡な人間だった。つまり……
寿命はあって当たり前! むしろ永遠に終わらないってどういうこと!?
魅力的ではあるけれど、人間としての生を謳歌した私にとっては想像も出来ない尺度なのよ。
「未練はないと言ったでしょう。それにあの人、ラージェス様は悪い人には見えなかったもの」
いきなり抱き着いたあの所業、今だけは忘れてあげるわ!
あれほど熱烈に助けられたことに感謝してくれたんだもの、悪い人ではないと思う。リヴェール国に到着してからも、ラージェス様からは約束を守るという意思が感じられた。
「嘘! エスティ姉さんはすぐに人間の肩を持つのよ! 何かあると悪い人間ばかりじゃないって、そればかり!」
仕方がないのよ、レイシー……私、元人間なの。それは判定も甘くなるわ。
「確かに、何度も言ったわね。そしてこれも何度も言ったけれど。人魚だから嘘をつかないというわけじゃあないでしょう? 人間も同じよ。みんなが言うほど、全員が怖ろしいってわけじゃないと思うの」
悲しいことだけれど、海の世界にだって偽りは存在する。だから人間だけを悪く言うのは間違っている。信じてみてはどうかと私は説得を続けてきた。
「エスティ姉さんは王様になることも出来たのよ。それなのに女神様の怒りをかってしまったら……」
「大丈夫よ。陛下にも話したけれど、この瞳が愛された証だというのなら、青い瞳を持つ私こそが適任じゃない。ちょっとくらい女神様に嫌われたって、プラマイゼロだと思うの!」
「なあに、それ? エスティ姉さんのお話は、時々難しいの……」
「私なら大丈夫ってことよ。それに、私は王様には興味ないわ」
「せっかく青い瞳なのに?」
そう呟くレイシーの瞳は金色だ。人魚の瞳は金色に生まれるのが普通。けれど稀に海の青を宿して生まれる者がいる。それは海に愛された証、青い瞳を持つ者こそが海の王になる資格と力を保持しているのだとか。
私は今まさに時代の王への資格を返上したところだ。
「王になれる人は私以外にもいるわ。それにお父様は現役なのですから、私の力は今の海には必要ないと思うの。それよりも、私は自分の力を発揮出来る場所で生きるべきだわ!」
丁寧に説き伏せるとレイシーは急に俯いてしまった。幾重にも回り道したけれど、きっとこれが本当に伝えたかったことなのでしょうね。
「私のせいでしょう。マリーナ姉さんのこと……」
一年前に突如として姿を消した私たちの姉マリーナ。
大人しそうな外見でありながら、マリーナ姉さんは好奇心旺盛な人だった。姉さんが姿を消してから一日目はみんなで海中を探し回った。二日目になっても姉さんの姿はどこにも見当たらなくて、やがてみんなは諦めてしまった。
ああ、マリーナは人間に捕まってしまったんだって。
仲間たちは仕方がないと言った。父も姉たちも、家族でさえも口を揃えて仕方がないと言う。
けれどそれは私にとって身近な存在を失った初めての出来事だった。もちろん妹であるレイシーも同じように……。
レイシーは毎日のように泣いていた。泣きじゃくる妹を前に、私は仕方がないとは言えずにいた。
泣き続ける妹を前に、私がなんとか出来たらと考えるようになっていた。元人間の私なら何かを変えられるかもしれないと思った。
私がこの世界に生まれ変わった意味があるとしたら、この時だって、心から感じたの。
でもそれは私の勝手な覚悟、幼い妹に理由を背負わせるつもりはない。
「私はもういいの! もうエスティ姉さんを困らせたりしない。私も仕方がないって笑うから、だから行かないで! 私のせいでエスティ姉さんまでいなくなるなんて嫌よ!」
確かにマリーナ姉さんのことは人間との交渉を提案した切っ掛けの一つ。けれどあの時、ラージェス様のプロポーズに即答をさせたのはまた別の理由だ。
「私はレイシーのために行くんじゃないわ。私は自分のために行くのよ」
「嘘!」
「嘘じゃないわ」
「エスティ姉さんは死ぬのが怖くないの!?」
怖くないかと聞かれれば怖いけれど……
「終わりが来るのって案外普通のことだと思うのよ。確かにレイシーたちほど長い時間を生きることはもう出来ないけれど、それまでの間、たくさん会って話しましょう。私、飽きられてしまうほどたくさん帰ってくるわ。だから今は、どうか笑顔で送り出してほしいの。私は不幸になりに行くわけじゃない。陸にだって楽しい事や、美しい物がある。幸せだってきっとたくさんあるわ。だから笑ってほしいの。私は大丈夫だから、ね?」
顔を上げたレイシーの瞳から涙が零れた。けれど今度はその涙を拭い、ぎこちなくも笑顔を作る。
「エスティ姉さん……狡いわ。そんな風に言われたら私、送り出さないわけにはいかないじゃない!」
「ごめんなさい」
「……いいの。私、もうわかったから。……行ってらっしゃい」
「ありがとう。レイシーにそう言ってもらえて嬉しいわ」
みんな悲しそうな顔をしていたけれど、本当は笑顔で送り出してほしかった。でもこれ以上、私の我儘を押し通すわけにはいかないと思った。だから妹がこうして送る出してくれることが嬉しくてたまらない。
「エスティ姉さん、私、本当は寂しかったの。だから我儘を言って困らせて……ごめんなさい」
「我儘だなんて思わないわ。私、嬉しかったもの。見送りに来てくれてありがとう。私だってレイシーと毎日会えないのは寂しいから」
これからは家族も友達もいない場所で暮らす。唯一夫となるべき人は待っていてくれるだろうけれど、それさえも愛のない結婚だ。
「たくさん帰ってきて! 私、待ってるから!」
未だ涙の残る表情で微笑む妹には胸が痛むけれど、ごめんなさい。私の心はラージェス様にプロポーズされた瞬間に決まってしまったの。
私は人間になって海の世界の平和に貢献致します。そして残りの人生を使ってこの世界の美味しい物を食べ尽くします!
……そうよ。どうせ自分で言っておきながら照れているわよ! こんな台詞、前世でも使ったことがないもの!
長きに渡る説得を終え、いよいよ最後の挨拶を済ませた私は海の国に背を向けて泳ぐ。
それにしても三日以内に間に合って本当に良かった。説得が難航することは予め想定していたけれど、自分から宣言しておいて遅刻するなんて格好が付かないにもほどがある。
ところがしばらく泳いだところで待ち構えていたのは二つ年下の妹、レイシーだった。
「エスティ姉さん……。本当に、行ってしまうの?」
金の髪は不安げに舞い、瞳は潤んでいた。悲壮な面持ちの原因は、どう考えても今まさに海を去ろうとしている姉の存在だ。
レイシーは最後までこの決定に反対していた。儚げな風貌のどこにそんな力が隠されているのか、父よりも説得に難航した相手だ。
「可哀想なエスティ姉さん。人間と結婚なんて、人間になれだなんてあんまりよ。姉さんは本当にそれでいいの!?」
レイシーだけじゃない。姉たちから、友人から、たくさん同じ事を言われた。一応許可が下りたとはいえ笑顔で送り出されるとは思っていない。だからこそ見送りは不要だと伝えていた。
「ありがとう。私のこと、心配してくれたのね」
「当たり前じゃない! 大切な姉さんなのよ。それなのにどうして……姉さんまでいなくなってしまうの!?」
納得はするけれど、心ではまだ認められていないというのが本音だ。
「レイシー、私は可哀想じゃないわ。これは私が自分で決めたことですもの」
「でも……」
「みんなには、私の我が儘を聞いてもらって感謝しているわ。そんなに心配しなくたっていつでも会えるのよ? 自由に里帰りしても構わないって、ラージェス様は許可してくれたもの」
それは船が到着するまでに決めた私たちのルール。お互いの取引条件が正しく機能していることを確認するため、私の里帰りは自由に認められることになっている。
「けどエスティ姉さんは……姉さんはもう私たちとずっと一緒にはいられない! 私、何度も聞かされたわ。一度でも人間になってしまったら、私たちも人間のように死んでしまうって!」
私たちが人間になることで失うもの。それは永遠にも等しい時間。人魚の寿命は怖ろしく長く、尽きることはない。ただし死なないというわけではなく、身体の強度は人間と同じだ。怪我をすることもあれば、何かにぶつかると普通に痛い。
人魚と人間。二つの種族はとてもよく似ているが、それは遠い昔、同じ存在であったからだと海の世界には語り継がれている。
かつてこの海を治めていた女神は何よりも孤独を怖れ、一人でいることを嫌った。
寂しさをまぎらわせるために歌を口ずさめば、いつしか彼女を中心に人は集い、国と呼ばれるようになる。
しかし長い年月を海で過ごすうち、外の世界に憧れる者が表れた。
孤独を嫌う女神はそれを許さず、海に留まることを望む。そばにいてくれるのなら特別な力を授けるとまで彼女は言った。
それでも一部の者たちは女神の意思に反して国を去る。
悲しみに嘆く女神は留まることを選んだ者たちには自らが寂しくないよう、永遠の命と海の世界で自由に泳ぎ回れる身体を授けた。
それと同じく、外の世界を選んだ者たちには激しい怒りを覚えた。だから女神様は私たちが一度でも人の姿を取ることを激しく嫌う。自身を裏切り、陸を選んだ人間と同じ姿をとることさえ許さない。永遠の命は不要とみなし、人間と同じ寿命にされてしまうのだ。
私たちはみな、幼い頃から同じ話を聞かされて育つ。女神の庇護を離れ国を去った者たちこそが、この世界の人間なのだと教えられた。
私にしてみれば随分と壮大なおとぎ話という感覚だけれど、人魚たちはそれを真実として受け入れている。
まあ、その話が本当であるからこそ、一度でも人間の姿になってしまった人魚は永遠の命を失うのよね……
そんなレイシーは考え直してほしいと顔を被って泣き出してしまった。
「まだ間に合うから、だから!」
私だって妹の泣き顔には弱いのよ。これが最後のチャンスだとわかっているからこその、なりふり構わない精神攻撃ね。
「すぐにといっても数十年はあると思うわ。人間だって長生きなんだから。えっと……六十年くらい、とか?」
この世界の平均寿命って、いくつなのかしら。前世より少し低めに見積もってはみたけれど。
「そんなのすぐじゃない!」
人魚換算だと六十年はすぐらしいですよ……
「確かに永遠に比べたらほんの一瞬かもしれないけれど、限りあるものも素敵だと私は思うわ」
きっとこの先も、仲間たちに理解されることはない。家族も、友人も、普通に受け入れているようだけれど、前世の私は平凡な人間だった。つまり……
寿命はあって当たり前! むしろ永遠に終わらないってどういうこと!?
魅力的ではあるけれど、人間としての生を謳歌した私にとっては想像も出来ない尺度なのよ。
「未練はないと言ったでしょう。それにあの人、ラージェス様は悪い人には見えなかったもの」
いきなり抱き着いたあの所業、今だけは忘れてあげるわ!
あれほど熱烈に助けられたことに感謝してくれたんだもの、悪い人ではないと思う。リヴェール国に到着してからも、ラージェス様からは約束を守るという意思が感じられた。
「嘘! エスティ姉さんはすぐに人間の肩を持つのよ! 何かあると悪い人間ばかりじゃないって、そればかり!」
仕方がないのよ、レイシー……私、元人間なの。それは判定も甘くなるわ。
「確かに、何度も言ったわね。そしてこれも何度も言ったけれど。人魚だから嘘をつかないというわけじゃあないでしょう? 人間も同じよ。みんなが言うほど、全員が怖ろしいってわけじゃないと思うの」
悲しいことだけれど、海の世界にだって偽りは存在する。だから人間だけを悪く言うのは間違っている。信じてみてはどうかと私は説得を続けてきた。
「エスティ姉さんは王様になることも出来たのよ。それなのに女神様の怒りをかってしまったら……」
「大丈夫よ。陛下にも話したけれど、この瞳が愛された証だというのなら、青い瞳を持つ私こそが適任じゃない。ちょっとくらい女神様に嫌われたって、プラマイゼロだと思うの!」
「なあに、それ? エスティ姉さんのお話は、時々難しいの……」
「私なら大丈夫ってことよ。それに、私は王様には興味ないわ」
「せっかく青い瞳なのに?」
そう呟くレイシーの瞳は金色だ。人魚の瞳は金色に生まれるのが普通。けれど稀に海の青を宿して生まれる者がいる。それは海に愛された証、青い瞳を持つ者こそが海の王になる資格と力を保持しているのだとか。
私は今まさに時代の王への資格を返上したところだ。
「王になれる人は私以外にもいるわ。それにお父様は現役なのですから、私の力は今の海には必要ないと思うの。それよりも、私は自分の力を発揮出来る場所で生きるべきだわ!」
丁寧に説き伏せるとレイシーは急に俯いてしまった。幾重にも回り道したけれど、きっとこれが本当に伝えたかったことなのでしょうね。
「私のせいでしょう。マリーナ姉さんのこと……」
一年前に突如として姿を消した私たちの姉マリーナ。
大人しそうな外見でありながら、マリーナ姉さんは好奇心旺盛な人だった。姉さんが姿を消してから一日目はみんなで海中を探し回った。二日目になっても姉さんの姿はどこにも見当たらなくて、やがてみんなは諦めてしまった。
ああ、マリーナは人間に捕まってしまったんだって。
仲間たちは仕方がないと言った。父も姉たちも、家族でさえも口を揃えて仕方がないと言う。
けれどそれは私にとって身近な存在を失った初めての出来事だった。もちろん妹であるレイシーも同じように……。
レイシーは毎日のように泣いていた。泣きじゃくる妹を前に、私は仕方がないとは言えずにいた。
泣き続ける妹を前に、私がなんとか出来たらと考えるようになっていた。元人間の私なら何かを変えられるかもしれないと思った。
私がこの世界に生まれ変わった意味があるとしたら、この時だって、心から感じたの。
でもそれは私の勝手な覚悟、幼い妹に理由を背負わせるつもりはない。
「私はもういいの! もうエスティ姉さんを困らせたりしない。私も仕方がないって笑うから、だから行かないで! 私のせいでエスティ姉さんまでいなくなるなんて嫌よ!」
確かにマリーナ姉さんのことは人間との交渉を提案した切っ掛けの一つ。けれどあの時、ラージェス様のプロポーズに即答をさせたのはまた別の理由だ。
「私はレイシーのために行くんじゃないわ。私は自分のために行くのよ」
「嘘!」
「嘘じゃないわ」
「エスティ姉さんは死ぬのが怖くないの!?」
怖くないかと聞かれれば怖いけれど……
「終わりが来るのって案外普通のことだと思うのよ。確かにレイシーたちほど長い時間を生きることはもう出来ないけれど、それまでの間、たくさん会って話しましょう。私、飽きられてしまうほどたくさん帰ってくるわ。だから今は、どうか笑顔で送り出してほしいの。私は不幸になりに行くわけじゃない。陸にだって楽しい事や、美しい物がある。幸せだってきっとたくさんあるわ。だから笑ってほしいの。私は大丈夫だから、ね?」
顔を上げたレイシーの瞳から涙が零れた。けれど今度はその涙を拭い、ぎこちなくも笑顔を作る。
「エスティ姉さん……狡いわ。そんな風に言われたら私、送り出さないわけにはいかないじゃない!」
「ごめんなさい」
「……いいの。私、もうわかったから。……行ってらっしゃい」
「ありがとう。レイシーにそう言ってもらえて嬉しいわ」
みんな悲しそうな顔をしていたけれど、本当は笑顔で送り出してほしかった。でもこれ以上、私の我儘を押し通すわけにはいかないと思った。だから妹がこうして送る出してくれることが嬉しくてたまらない。
「エスティ姉さん、私、本当は寂しかったの。だから我儘を言って困らせて……ごめんなさい」
「我儘だなんて思わないわ。私、嬉しかったもの。見送りに来てくれてありがとう。私だってレイシーと毎日会えないのは寂しいから」
これからは家族も友達もいない場所で暮らす。唯一夫となるべき人は待っていてくれるだろうけれど、それさえも愛のない結婚だ。
「たくさん帰ってきて! 私、待ってるから!」
未だ涙の残る表情で微笑む妹には胸が痛むけれど、ごめんなさい。私の心はラージェス様にプロポーズされた瞬間に決まってしまったの。
私は人間になって海の世界の平和に貢献致します。そして残りの人生を使ってこの世界の美味しい物を食べ尽くします!
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