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十、五月十四日 木曜日 十時
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「えーっ! 川ピこれゲトしたんだあ! 見せて見せて。どうやったの。販売開始直後に瞬殺だったでしょ!?」
「そうそう! そうなんだけどぉ。実は親切なおトモダチがね」
「だぁから川ピ。そゆことするから、自分で欲しい訳じゃないみなさんが参入して、俺らが手に入んないんじゃん。ダーメだよぉ、転売ヤーさんの懐を肥やすようなことしちゃあ。で、いくらだったのよ」
「それがさあ」
「ふんふん」
「で、…………の……が揃わなくって、そっちの方は今……」
「やーらーしー!」
「いやあー!」
センセエと川崎さんは、趣味のグッズを拡げられるよう、カウンター側のボックス席に陣取っている。これは四十も五十もすぎたおっさんたちの会話だ。わあきゃあ言いながら何かを見せ合ってはしゃいでいる。
ふたりとも心なしか手許を隠し、肝腎なところはテーブルにかぶさってヒソヒソ小さな声になるので、高広は見ないフリをして放っておいた。いつものヲタ話だが、今日はいつも以上にノリノリだ。新しいグッズが発売されたらしいが、いったいどんなブツなのだろう。
今日はふたりで、ジョージは来ていない。こうしたオタ系の情報交換は、大体この三人で、たまに別のヲタ友が加わることもある。オタ友の輪を拡げていただいて、いつもこの店を使ってくれればありがたい。
「喫茶とらじゃ」には今日、サヤカと常連のごいんきょ、センセエ、川崎さんがいた。
ごいんきょはいつもと同じくカウンターで、良平と話したり、センセエと川崎さんのはしゃぎように目を細めたりして、楽しそうに過ごしている。
良平は来年に控えた就職活動に備え、ごいんきょからポツリポツリと予備知識を仕入れているらしい。どんな職業を志望しているのか、高広はあえてその話には加わらず、そっとしておいてやっている。
若くてカワイイ女性枠に突如出現したサヤカだが、三日目ともなるとレア度が薄れ、ただそこにいるだけではチヤホヤされなくなってきた。
木曜は講義のない良平がずっと店にいるせいで、「従兄の店を、かいがいしく手伝う健気な女のコ」という役も失ってしまったようだ。高広も、お客さまがヒマそうにしていれば適度に話しかけることもあるが、何かと面倒なことになりそうで、あえてサヤカを構いにはいかなかった。
サヤカは奥のボックス席で、憮然としてスマホをいじっている。
開店してすぐにやってきた数客がお会計を済ませて出ていった。そこへ、カスガ・フーズの酒井さんが現れた。
「毎度っ! マスター、あの話考えてくれた?」
良平がカウンター席に水を出した。酒井さんのいつもかける、入り口に近いスツールの前に。
「毎度さまです。お忙しそうですね」
「いやあ、まあね。いろいろと」
酒井さんは良平がグラスを置いた席に、浅く腰かけた。
「お、良平くん、今日は学校は?」
「あー、木曜は講義ないんで」
酒井さんはよく気のつく営業で、バイトの良平にも分け隔てなく声をかけてくれる。良平の愛想ないのがかえって申し訳ない。酒井さんは今日も「ブレンドを」とオーダーを入れてくれた。高広は軽くうなずいて、コーヒーポットにドリッパーをセットした。
高広はドリッパーに湯を細く注ぎ始めた。挽いたコーヒーが水分を吸って膨らんでいく。新鮮な豆は湯を注ぐとふっくらと泡立ち、馥郁とした香りが立ち昇る。ここで湯滴のペースが速くても遅くても、泡は壊れ、香りが逃げていって、落ちたコーヒーの味が落ちる。
決して不器用な方ではないが、高広が安定してこの細さで湯を注げるようになるのに三ヶ月かかった。失敗して、おいしくないコーヒーになってしまったときは、赤字覚悟で廃棄した。
カスガ・フーズさんには大層お世話になった。というか、一杯のコーヒーを出すのに三杯分、四杯分の豆を無駄にしたり。その三ヶ月間というもの、カスガ・フーズさんからの仕入れ額は、売上の割にとっても大きかったものだ。
酒井さんは、おいしいコーヒーの落とし方を、繰り返しレクチャーしてくれた。営業さんというのは、ここまで自分でできるようになるものなんだと、高広は内心驚いた。それほど、自社の供給製品に責任を持って取り組んでいる。酒井さんは、取り扱い商品に対してマニアックで、追求型の営業スタイルなのだった。
「昨日のお話も急でしたけど、お返事もそんなにお急ぎだったんですね。昨日の今日ですよ」
高広は嫌みに取られないよう、なるべく穏やかな口調を心がけて酒井さんにそう言った。
「いやあ、急かせるみたいで、ごめんね。でも、いい物件だしさ。正直、先着順みたいなとこがあってさあ」
酒井さんは申し訳なさそうに早口で言った。
高広は酒井さんが謝るのを、軽く首を振って遮った。
確かに、入るなら、早い方がいい。
店舗が空いたままで長く経つと、それまで入っていたお客さんが離れてしまう。その建物なり地なりの「気」が薄らいで、ひとの流れが絶えてしまうのだろうか。高広の脳内には、誘引剤に惹かれて集まってくるアリのイメージが浮かんでいた。
早く新しいオーナーに引き渡したい、ご店主さんの事情も聞いている。
高広が酒井さんの注文したブレンドを落としている横で、良平は黙々とレタスをちぎって水に放していた。高広の指示を仰ぐことなく、ランチ用のサラダの仕込みを始めていたのだ。
よく働く子だ。高広は良平の指が荒れていないか気になった。真冬の頃よりは、多少水もぬるんできた。高広には分かっていた。良平は、高広が酒井さんの話にどう返事するのか気になっている。
「お待たせしました。ブレンドです」
高広はカウンター越しに腕を伸ばした。酒井さんは「いただきます」とカップを取った。
常連さんたち……ごいんきょ、センセエ、川崎さん、みんなが良平と同じように、固唾を飲んで自分がどう返事をするのか見守っている。
「みなさん、注目度が異常に高いんですけど」
視線が痛すぎる。
「そうそう! そうなんだけどぉ。実は親切なおトモダチがね」
「だぁから川ピ。そゆことするから、自分で欲しい訳じゃないみなさんが参入して、俺らが手に入んないんじゃん。ダーメだよぉ、転売ヤーさんの懐を肥やすようなことしちゃあ。で、いくらだったのよ」
「それがさあ」
「ふんふん」
「で、…………の……が揃わなくって、そっちの方は今……」
「やーらーしー!」
「いやあー!」
センセエと川崎さんは、趣味のグッズを拡げられるよう、カウンター側のボックス席に陣取っている。これは四十も五十もすぎたおっさんたちの会話だ。わあきゃあ言いながら何かを見せ合ってはしゃいでいる。
ふたりとも心なしか手許を隠し、肝腎なところはテーブルにかぶさってヒソヒソ小さな声になるので、高広は見ないフリをして放っておいた。いつものヲタ話だが、今日はいつも以上にノリノリだ。新しいグッズが発売されたらしいが、いったいどんなブツなのだろう。
今日はふたりで、ジョージは来ていない。こうしたオタ系の情報交換は、大体この三人で、たまに別のヲタ友が加わることもある。オタ友の輪を拡げていただいて、いつもこの店を使ってくれればありがたい。
「喫茶とらじゃ」には今日、サヤカと常連のごいんきょ、センセエ、川崎さんがいた。
ごいんきょはいつもと同じくカウンターで、良平と話したり、センセエと川崎さんのはしゃぎように目を細めたりして、楽しそうに過ごしている。
良平は来年に控えた就職活動に備え、ごいんきょからポツリポツリと予備知識を仕入れているらしい。どんな職業を志望しているのか、高広はあえてその話には加わらず、そっとしておいてやっている。
若くてカワイイ女性枠に突如出現したサヤカだが、三日目ともなるとレア度が薄れ、ただそこにいるだけではチヤホヤされなくなってきた。
木曜は講義のない良平がずっと店にいるせいで、「従兄の店を、かいがいしく手伝う健気な女のコ」という役も失ってしまったようだ。高広も、お客さまがヒマそうにしていれば適度に話しかけることもあるが、何かと面倒なことになりそうで、あえてサヤカを構いにはいかなかった。
サヤカは奥のボックス席で、憮然としてスマホをいじっている。
開店してすぐにやってきた数客がお会計を済ませて出ていった。そこへ、カスガ・フーズの酒井さんが現れた。
「毎度っ! マスター、あの話考えてくれた?」
良平がカウンター席に水を出した。酒井さんのいつもかける、入り口に近いスツールの前に。
「毎度さまです。お忙しそうですね」
「いやあ、まあね。いろいろと」
酒井さんは良平がグラスを置いた席に、浅く腰かけた。
「お、良平くん、今日は学校は?」
「あー、木曜は講義ないんで」
酒井さんはよく気のつく営業で、バイトの良平にも分け隔てなく声をかけてくれる。良平の愛想ないのがかえって申し訳ない。酒井さんは今日も「ブレンドを」とオーダーを入れてくれた。高広は軽くうなずいて、コーヒーポットにドリッパーをセットした。
高広はドリッパーに湯を細く注ぎ始めた。挽いたコーヒーが水分を吸って膨らんでいく。新鮮な豆は湯を注ぐとふっくらと泡立ち、馥郁とした香りが立ち昇る。ここで湯滴のペースが速くても遅くても、泡は壊れ、香りが逃げていって、落ちたコーヒーの味が落ちる。
決して不器用な方ではないが、高広が安定してこの細さで湯を注げるようになるのに三ヶ月かかった。失敗して、おいしくないコーヒーになってしまったときは、赤字覚悟で廃棄した。
カスガ・フーズさんには大層お世話になった。というか、一杯のコーヒーを出すのに三杯分、四杯分の豆を無駄にしたり。その三ヶ月間というもの、カスガ・フーズさんからの仕入れ額は、売上の割にとっても大きかったものだ。
酒井さんは、おいしいコーヒーの落とし方を、繰り返しレクチャーしてくれた。営業さんというのは、ここまで自分でできるようになるものなんだと、高広は内心驚いた。それほど、自社の供給製品に責任を持って取り組んでいる。酒井さんは、取り扱い商品に対してマニアックで、追求型の営業スタイルなのだった。
「昨日のお話も急でしたけど、お返事もそんなにお急ぎだったんですね。昨日の今日ですよ」
高広は嫌みに取られないよう、なるべく穏やかな口調を心がけて酒井さんにそう言った。
「いやあ、急かせるみたいで、ごめんね。でも、いい物件だしさ。正直、先着順みたいなとこがあってさあ」
酒井さんは申し訳なさそうに早口で言った。
高広は酒井さんが謝るのを、軽く首を振って遮った。
確かに、入るなら、早い方がいい。
店舗が空いたままで長く経つと、それまで入っていたお客さんが離れてしまう。その建物なり地なりの「気」が薄らいで、ひとの流れが絶えてしまうのだろうか。高広の脳内には、誘引剤に惹かれて集まってくるアリのイメージが浮かんでいた。
早く新しいオーナーに引き渡したい、ご店主さんの事情も聞いている。
高広が酒井さんの注文したブレンドを落としている横で、良平は黙々とレタスをちぎって水に放していた。高広の指示を仰ぐことなく、ランチ用のサラダの仕込みを始めていたのだ。
よく働く子だ。高広は良平の指が荒れていないか気になった。真冬の頃よりは、多少水もぬるんできた。高広には分かっていた。良平は、高広が酒井さんの話にどう返事するのか気になっている。
「お待たせしました。ブレンドです」
高広はカウンター越しに腕を伸ばした。酒井さんは「いただきます」とカップを取った。
常連さんたち……ごいんきょ、センセエ、川崎さん、みんなが良平と同じように、固唾を飲んで自分がどう返事をするのか見守っている。
「みなさん、注目度が異常に高いんですけど」
視線が痛すぎる。
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