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八、五月十三日 水曜日 十九時
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「それ食べたら、そこのホテルに話つけときましたから、そっちに泊まってください」
「イヤよ。お金ないもの」
まあ、腹の立つガキだこと。
良平が、高広の用意した三人分のまかないをカウンターに並べた。
今日のまかないは、タラのムニエル。冬が旬のタラだが、冷凍ものが安く出回る。それとキャベツの蒸しもの。野菜をたっぷり食べると、精神が安定するような気がする。近頃疲れると肉より野菜が欲しくなるのは、歳のせいか。
高広はガラス越しにドリンクストッカーをながめ、少し考えた。何だかえらく疲れた気がしていた。肉体的にはさほどではない。客数もほどほどだった。何が疲れるかといえば、端的に言って「サヤカ」であった。
「従妹」と言うのも本人の自己申告で、ありもしない「遺産」を要求して店内を探し回る。どんな詐欺師か泥棒か……という状況なのに、本人はまだ若くて(実際のところ年齢不詳だが)、点数稼ぎかもしれないがキビキビとよく働くし、悪意があるようにも見えない。
この、「いいコ」か「悪いヤツ」か判別のつかない人間にうろちょろされるのが、とても疲れるのだ。
言動をひとつひとつチェックする、こちらの身にもなって欲しい。
面接で選んだ訳でもない押しかけバイトが不用意なことをしでかさないか。
「遺産」に目を向けさせて、もっと別のものを盗もうとしていないか。
かと言って、商社で海千山千の妖怪たちと渡り合い、ひとを見る目が鍛えられた高広は、サヤカが悪い人間だとも思えない。悪くないコを疑って、いちいち疑惑の目で見続けるのも、ちょっと気の毒な気がしてしまう。
高広とバイトの良平、ふたりで切り盛りしている小さな喫茶店に、このサヤカの存在はとてつもなく大きなノイズなのだ。
考えた末、高広は「よし」と呟いて、ビール缶を取り出した。
今日は飲む。
良平が高広の動きに気付いて、棚からピルスナーを取り真ん中の皿の脇に置いた。
「お、サンキュー。お前も飲むか?」
高広がそう言うと、良平もやはり少し考え、自分用に小さなタンブラーを出した。
「じゃあ、ちょっとだけ」
「おーし」
高広は大きさの異なる二つのグラスに、順にビールを注ぎいれた。
良平とグラスをカツと触れ合わせて、高広はシュワシュワと咽を通りすぎる爽快さを楽しんだ。
「何よぉ、ふたりだけで」
その様子を横目で見て、面白くなさそうにサヤカは言った。
「お前も好きなもの出してきて飲めば。ご自由にどうぞ。金は払ってもらうけどな」
プハッと唇に泡をつけたまま、良平がサヤカに毒づいた。
高広は確信を口にした。
「だって君、未成年でしょ?」
サヤカはバレたかという顔をしたが、良平を指差して言い返した。
「そっちだって変わらないじゃない」
「うるせェな。俺はもう二十一だよ」
「あら、結構いってるのね」
高広は遮った。
「はいはいはいはい。そこまでにして。ね?」
疲れているときに言い合いは聞きたくない。高広はここで、先ほどの台詞を口にした。
「それ食べたら、そこのホテルに話つけときましたから、そっちに泊まってください」
サヤカは反射的に言い返した。
「イヤよ。お金ないもの」
高広は頭をボリボリ掻いた。
「部屋代はウチに請求してもらいますから。立て替えときます」
「立て替えとくって何よ」
「立て替えとくは、立て替えとくですよ。遺産でも、働いたお給料でも、何でもいいから後で返してください」
サヤカは悔しそうに唇をかんだ。
良平はムニエルをつつきながらサヤカに訊いた。
「それで、何か見つかったのか?」
「はあ?」
「台本。家捜ししたんだろ?」
「『家捜し』って」
ひと聞きの悪い……とか何とか言おうとしたらしいが、サヤカのしたことは家捜し以外の何でもない。
サヤカは箸を下ろした。
「……なかったわ」
今日探し回った店内と車庫について、サヤカは結果を報告した。
「だから言ったろ。そんなものないって」
良平はキッパリそう言い切った。
高広はのどをゴクゴクと鳴らしてグラスを空けた。それを見て良平は腰を浮かせた。
「もう一本飲む?」
高広は手を振った。
「ああ。いい、いい。飲みたくなったら自分で取りにいくよ。良は座ってて」
高広に止められて、良平はスツールに座り直した。
「良は? もう少し飲むか?」
「うーん、どうしようかな……。マスターが飲むなら、俺ももうちょっと飲もうかな」
サヤカはコップに汲んだ水をガブッと飲んで、食器洗いに立ち上がった。
高広は少し古くなってきて、お客さんには出しにくいナッツをつまみに出した。これもまかないだ。追加のビールと一緒に、店で使っている銀のトレイに載せた。上でテレビでも観ながら、良平とのんびりやろう。
洗いものが済んで、サヤカは悔しそうに、ふたりの方を振り返り振り返りホテルへと向かった。
「イヤよ。お金ないもの」
まあ、腹の立つガキだこと。
良平が、高広の用意した三人分のまかないをカウンターに並べた。
今日のまかないは、タラのムニエル。冬が旬のタラだが、冷凍ものが安く出回る。それとキャベツの蒸しもの。野菜をたっぷり食べると、精神が安定するような気がする。近頃疲れると肉より野菜が欲しくなるのは、歳のせいか。
高広はガラス越しにドリンクストッカーをながめ、少し考えた。何だかえらく疲れた気がしていた。肉体的にはさほどではない。客数もほどほどだった。何が疲れるかといえば、端的に言って「サヤカ」であった。
「従妹」と言うのも本人の自己申告で、ありもしない「遺産」を要求して店内を探し回る。どんな詐欺師か泥棒か……という状況なのに、本人はまだ若くて(実際のところ年齢不詳だが)、点数稼ぎかもしれないがキビキビとよく働くし、悪意があるようにも見えない。
この、「いいコ」か「悪いヤツ」か判別のつかない人間にうろちょろされるのが、とても疲れるのだ。
言動をひとつひとつチェックする、こちらの身にもなって欲しい。
面接で選んだ訳でもない押しかけバイトが不用意なことをしでかさないか。
「遺産」に目を向けさせて、もっと別のものを盗もうとしていないか。
かと言って、商社で海千山千の妖怪たちと渡り合い、ひとを見る目が鍛えられた高広は、サヤカが悪い人間だとも思えない。悪くないコを疑って、いちいち疑惑の目で見続けるのも、ちょっと気の毒な気がしてしまう。
高広とバイトの良平、ふたりで切り盛りしている小さな喫茶店に、このサヤカの存在はとてつもなく大きなノイズなのだ。
考えた末、高広は「よし」と呟いて、ビール缶を取り出した。
今日は飲む。
良平が高広の動きに気付いて、棚からピルスナーを取り真ん中の皿の脇に置いた。
「お、サンキュー。お前も飲むか?」
高広がそう言うと、良平もやはり少し考え、自分用に小さなタンブラーを出した。
「じゃあ、ちょっとだけ」
「おーし」
高広は大きさの異なる二つのグラスに、順にビールを注ぎいれた。
良平とグラスをカツと触れ合わせて、高広はシュワシュワと咽を通りすぎる爽快さを楽しんだ。
「何よぉ、ふたりだけで」
その様子を横目で見て、面白くなさそうにサヤカは言った。
「お前も好きなもの出してきて飲めば。ご自由にどうぞ。金は払ってもらうけどな」
プハッと唇に泡をつけたまま、良平がサヤカに毒づいた。
高広は確信を口にした。
「だって君、未成年でしょ?」
サヤカはバレたかという顔をしたが、良平を指差して言い返した。
「そっちだって変わらないじゃない」
「うるせェな。俺はもう二十一だよ」
「あら、結構いってるのね」
高広は遮った。
「はいはいはいはい。そこまでにして。ね?」
疲れているときに言い合いは聞きたくない。高広はここで、先ほどの台詞を口にした。
「それ食べたら、そこのホテルに話つけときましたから、そっちに泊まってください」
サヤカは反射的に言い返した。
「イヤよ。お金ないもの」
高広は頭をボリボリ掻いた。
「部屋代はウチに請求してもらいますから。立て替えときます」
「立て替えとくって何よ」
「立て替えとくは、立て替えとくですよ。遺産でも、働いたお給料でも、何でもいいから後で返してください」
サヤカは悔しそうに唇をかんだ。
良平はムニエルをつつきながらサヤカに訊いた。
「それで、何か見つかったのか?」
「はあ?」
「台本。家捜ししたんだろ?」
「『家捜し』って」
ひと聞きの悪い……とか何とか言おうとしたらしいが、サヤカのしたことは家捜し以外の何でもない。
サヤカは箸を下ろした。
「……なかったわ」
今日探し回った店内と車庫について、サヤカは結果を報告した。
「だから言ったろ。そんなものないって」
良平はキッパリそう言い切った。
高広はのどをゴクゴクと鳴らしてグラスを空けた。それを見て良平は腰を浮かせた。
「もう一本飲む?」
高広は手を振った。
「ああ。いい、いい。飲みたくなったら自分で取りにいくよ。良は座ってて」
高広に止められて、良平はスツールに座り直した。
「良は? もう少し飲むか?」
「うーん、どうしようかな……。マスターが飲むなら、俺ももうちょっと飲もうかな」
サヤカはコップに汲んだ水をガブッと飲んで、食器洗いに立ち上がった。
高広は少し古くなってきて、お客さんには出しにくいナッツをつまみに出した。これもまかないだ。追加のビールと一緒に、店で使っている銀のトレイに載せた。上でテレビでも観ながら、良平とのんびりやろう。
洗いものが済んで、サヤカは悔しそうに、ふたりの方を振り返り振り返りホテルへと向かった。
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