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三、五月十二日 火曜日 十九時
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閉店の時間となり、最後まで残った常連さんも帰っていった。
良平は扉の外の「営業中」の札を、「準備中」にかけ替えた。カランと澄んだ鐘の音が響いた。
サヤカは図々しくも「泊めてくださるわよね、お兄さま」と席を動かなかった。
サヤカは長い睫毛を羽ばたかせるように数度まばたきし、強い目力で高広を見た。
これはもう、たとえば栗田さん(闇)辺りなら、間違いなく何でも言うことを聞かせてしまうような魅力だろうか。
川崎さんなら、女性に囲まれなれているので、交渉次第……くらいの影響力かな。
高広は返事を考えるのも煩わしく、ぼんやりとそんな風に考えていた。手だけは休むことなく動かしている。これもこの店を引き継いでからの訓練のたまものだ。
「家出少女かよ」
良平は聞こえよがしにそう言ったが、それで怯むサヤカではない。
「あんた、もう帰れよ」
サヤカのボックス席の前に仁王立ちで良平は言った。
「帰れないわ。もう列車ないもの」
「はあ!?」
良平は腰に手を当てて、サヤカをのぞき込んだ。
「駅まで行きゃ、何かあるだろ」
「動いている列車に乗っても、そこから先のがもうないのよ」
「あんたどんな田舎から来たんだ?」
「うるさいわね。どこだっていいでしょ」
お嬢さまを気取っていたサヤカも、ついに地金が出てきた。良平と言い争っているうちに口調がぞんざいになっている。
「まあまあ、ふたりとも、とりあえず食事にしよう」
なだめるように高広がまかないをカウンターに並べた。
「よかった、今夜はオムライスじゃない」
ホッとしたように良平が言った。
高広を挟んで、両脇に良平とサヤカが座った。食事中はケンカしないでいてくれると助かる。
「良が材料を買ってきてくれたからね。三人分」
大学から戻ってきた良平は、帰りに近所のスーパーに寄ってきていた。
メインは鶏肉と野菜の炒め。仕込んで余ったコンソメスープを均等に分け、ジャーに残った米は少なかったので別にパスタを茹でた。
常連さんたちやカスガ・フーズの酒井さんに教えられ、一介のサラリーマンだった高広も、このくらいはパパッと短時間でできるようになっていた。
それまで自炊だっておぼつかなかったのに。
良平も、高広からとくに細かい指示がなくても、三人分のメイン料理が作れる程度の材料を仕入れてこられた。
人間は成長するものなのだ。
良平は不機嫌そうにパスタをフォークに巻きつけながらこう言った。
「結局、あんたの父さんを産んだばあちゃんは、売れない役者のグルーピーだったってこと?」
「はあ?」
サヤカも不愉快そうに返したが、こちらは意味が分からないようだ。分からないなりに、良平の質問に含まれた微妙なニュアンスだけは感じ取っている。察しのいい、頭の回転の速い子だ。
「お前、ずいぶん古い言葉知ってるねぇ」
わざわざケンカを売りにいかないで欲しい。高広はマイルドに解説した。
「あー、虎之介さんのファンだったのかって」
「ああ、そういう意味」
サヤカはスープを揺らして、表面に浮いたアサツキを眺めながら言った。
「知らないわ。会ったことないもの。早くに死んじゃって」
いろいろ問いただしたいことがあるような気もするが、聞いてしまえば面倒になる予想がつく。高広はとりあえず今晩は、サヤカをそっとしておくことに決めた。
今夜はこの店から出ていってくれないようだし。
「あんたこそ、いつ帰るのよ」
まかないで使った食器はサヤカが洗った。そのくらいの常識はあるようだ。
サヤカにそう噛みつかれた良平は「あんたに関係ないだろ」と返した。高広は「まあまあ」とふたりの間に入った。
「良平くんは住み込みだから」
「ふーん」
サヤカはキュッと蛇口を閉めてニヤリと笑った。
「あんたも家出少年だったりして」
「うるさいな!」
良平は、サヤカの洗った食器を拭いていたふきんを食器カゴの中に投げつけた。
「こーら。大きい声を出さない」
高広はまるで保育園の先生のようだ。
「もう夜遅いんだし、ね? 君らの気が合うのはよく分かったから」
「止めてよ」
そう言って良平は下を向いた。
高広は食材の整理を始めた。
「男ふたりの所帯だからね。君を上には上げられないから。今日は店のソファで寝なさい。明日には帰りなさいよ」
サヤカは鼻の穴を膨らませて講義した。
「わたしは平気よ! そもそもいとこ同士なんだから。結婚だってできるのよ、お兄さま。わたし、お兄さまがどんなところに住んでるか見たい」
「何を言ってるんだか」
高広は相手にせず、冷蔵庫の在庫チェックを続けた。サヤカのような闖入者がいても、ルーティンの仕事はなくならない。むしろその世話をするため段取りが乱されて、いつもより余計に時間がかかっていた。
良平がサヤカのために、上から毛布を一枚持って降りてきた。
「これ、使って」
ドサッと乱暴に、ボックス席のソファに毛布を下ろした。
「ここは修道院じゃないんだからね。純潔証明書は出してあげられないよ」
「何よ! あんた、ケンカ売ってんの?」
もう。どうしてこうも「仲がいい」んだか。
高広は頭を抱えた。
良平は扉の外の「営業中」の札を、「準備中」にかけ替えた。カランと澄んだ鐘の音が響いた。
サヤカは図々しくも「泊めてくださるわよね、お兄さま」と席を動かなかった。
サヤカは長い睫毛を羽ばたかせるように数度まばたきし、強い目力で高広を見た。
これはもう、たとえば栗田さん(闇)辺りなら、間違いなく何でも言うことを聞かせてしまうような魅力だろうか。
川崎さんなら、女性に囲まれなれているので、交渉次第……くらいの影響力かな。
高広は返事を考えるのも煩わしく、ぼんやりとそんな風に考えていた。手だけは休むことなく動かしている。これもこの店を引き継いでからの訓練のたまものだ。
「家出少女かよ」
良平は聞こえよがしにそう言ったが、それで怯むサヤカではない。
「あんた、もう帰れよ」
サヤカのボックス席の前に仁王立ちで良平は言った。
「帰れないわ。もう列車ないもの」
「はあ!?」
良平は腰に手を当てて、サヤカをのぞき込んだ。
「駅まで行きゃ、何かあるだろ」
「動いている列車に乗っても、そこから先のがもうないのよ」
「あんたどんな田舎から来たんだ?」
「うるさいわね。どこだっていいでしょ」
お嬢さまを気取っていたサヤカも、ついに地金が出てきた。良平と言い争っているうちに口調がぞんざいになっている。
「まあまあ、ふたりとも、とりあえず食事にしよう」
なだめるように高広がまかないをカウンターに並べた。
「よかった、今夜はオムライスじゃない」
ホッとしたように良平が言った。
高広を挟んで、両脇に良平とサヤカが座った。食事中はケンカしないでいてくれると助かる。
「良が材料を買ってきてくれたからね。三人分」
大学から戻ってきた良平は、帰りに近所のスーパーに寄ってきていた。
メインは鶏肉と野菜の炒め。仕込んで余ったコンソメスープを均等に分け、ジャーに残った米は少なかったので別にパスタを茹でた。
常連さんたちやカスガ・フーズの酒井さんに教えられ、一介のサラリーマンだった高広も、このくらいはパパッと短時間でできるようになっていた。
それまで自炊だっておぼつかなかったのに。
良平も、高広からとくに細かい指示がなくても、三人分のメイン料理が作れる程度の材料を仕入れてこられた。
人間は成長するものなのだ。
良平は不機嫌そうにパスタをフォークに巻きつけながらこう言った。
「結局、あんたの父さんを産んだばあちゃんは、売れない役者のグルーピーだったってこと?」
「はあ?」
サヤカも不愉快そうに返したが、こちらは意味が分からないようだ。分からないなりに、良平の質問に含まれた微妙なニュアンスだけは感じ取っている。察しのいい、頭の回転の速い子だ。
「お前、ずいぶん古い言葉知ってるねぇ」
わざわざケンカを売りにいかないで欲しい。高広はマイルドに解説した。
「あー、虎之介さんのファンだったのかって」
「ああ、そういう意味」
サヤカはスープを揺らして、表面に浮いたアサツキを眺めながら言った。
「知らないわ。会ったことないもの。早くに死んじゃって」
いろいろ問いただしたいことがあるような気もするが、聞いてしまえば面倒になる予想がつく。高広はとりあえず今晩は、サヤカをそっとしておくことに決めた。
今夜はこの店から出ていってくれないようだし。
「あんたこそ、いつ帰るのよ」
まかないで使った食器はサヤカが洗った。そのくらいの常識はあるようだ。
サヤカにそう噛みつかれた良平は「あんたに関係ないだろ」と返した。高広は「まあまあ」とふたりの間に入った。
「良平くんは住み込みだから」
「ふーん」
サヤカはキュッと蛇口を閉めてニヤリと笑った。
「あんたも家出少年だったりして」
「うるさいな!」
良平は、サヤカの洗った食器を拭いていたふきんを食器カゴの中に投げつけた。
「こーら。大きい声を出さない」
高広はまるで保育園の先生のようだ。
「もう夜遅いんだし、ね? 君らの気が合うのはよく分かったから」
「止めてよ」
そう言って良平は下を向いた。
高広は食材の整理を始めた。
「男ふたりの所帯だからね。君を上には上げられないから。今日は店のソファで寝なさい。明日には帰りなさいよ」
サヤカは鼻の穴を膨らませて講義した。
「わたしは平気よ! そもそもいとこ同士なんだから。結婚だってできるのよ、お兄さま。わたし、お兄さまがどんなところに住んでるか見たい」
「何を言ってるんだか」
高広は相手にせず、冷蔵庫の在庫チェックを続けた。サヤカのような闖入者がいても、ルーティンの仕事はなくならない。むしろその世話をするため段取りが乱されて、いつもより余計に時間がかかっていた。
良平がサヤカのために、上から毛布を一枚持って降りてきた。
「これ、使って」
ドサッと乱暴に、ボックス席のソファに毛布を下ろした。
「ここは修道院じゃないんだからね。純潔証明書は出してあげられないよ」
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もう。どうしてこうも「仲がいい」んだか。
高広は頭を抱えた。
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