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第八十九話【触れることさえ】後

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 武士の家系とは言え下級武士の子供で、しかも嫡男の地位を失った冬也はなんの地位も持たず、この城の中では平民生まれの下働きの者たちと何も変わらなかった。
 それでも小姓頭の力仁の下男として直々に雇われている事で、地位を持たなくとも特別な位置にいた。
 力仁以外から使われることはなく、力仁の名で城内を自由に動くこともできた。無論入ることはできないところもあったが、本来なら上がれない小姓達の住む場所にもはいれた。
 常に力仁の望むまま動けるように、寝るときも起きるときも常に傍にいる事が許可されていた。
 自分の時間などほとんどないが、それが冬也には心地よかった。もとより、幼い兄弟達や家族の手伝いで自分の時間などほとんど持ったことのない冬也は、自分の時間を必要とはしていなかった。
 そんな時間よりも敬愛する力仁の傍に仕え役に立ちたかった。少しでもふさわしいように、頼りにされるようになりたかった。
 そして今は、日々弱っていく力仁から離れるのが恐ろしくてたまらなかった。
 なぜ、自分は何もできないのだろうと何度も悩み、役に立てないこの身を呪った。
 
 その日、力仁の寝息を聞きながら廊下に座した冬也は柱に体を預けた。冬也は夜といえども下男の部屋に入り眠ることはほとんどない。
 大抵、こうして庭に面した廊下で夜空を見ながら力仁の動く音や呼吸に耳を済ませる。そんな冬也を力仁も気にして、冬の日はついたて越しの部屋の隅に控えるように命じてくれる。
そもそも力仁は夜の番は必要ないと言ってくれて、いざと言うときは護衛も寝ずの番もいる。本来は常にいる必要はない、それでもここにいたい。こうしていると離れているときよりもずっと心が安まるのだ。
 
(今宵はいい夢を)

 少ない睡眠時間を楽しむこともできなくなっている力仁の為に、月に祈り目を閉じる。虫の音を聞きながら目を閉じていた冬也は気づけばどこか知らぬ場所にいた。
 村でよく見たような藁でできた粗末な家、そんな家の庭雪降り積もる中、気づけば一人たたずんでいた。

「ここは?」

 先ほどまで自分はいつも通り、廊下で番をしていた筈だ。何故こんなところにと不思議に思うも、ここに至るまでの記憶がない。
 戻らなくてはと咄嗟にそう思った。力仁の元へ戻らなくてはと思い、家に背を向けて走り出そうとしたその時、家の中から明かりが漏れていることに気づいた。

(誰かいるのだろうか?)

 そう思い、一歩近づいたその時戸が開き、その中から声が聞こえた。

「冬也」
「力仁様?」

 聞き間違える訳がないその声は、けして離れたくないと思っていた大事な人の物で、導かれるように冬也はその家の中に入った。
 家の中に入れば、向き出しの床に小さな囲炉裏がひとつ、粗末なゴザの上に力仁が一人寝間着のまま座っていた。

「力仁様! 何故このようなところに!」
「おかえりなさい、遅かったですね」

 力仁は思わず声を張り上げた冬也の言葉には返事を返さず、いつものような笑みを浮かべ手招きをした。

「疲れたでしょう? 早くこちらへ」

 普段とは違い、親しげに呼ばれ思わず躊躇した。それでも足は勝手に動き、土間から冷たい床へ登る。
 自分の行動に冬也は戸惑っていた。膝をつかなくてはならないとわかっているのに、膝をつかず微笑みを浮かべている力仁の傍にそのまま近寄り、見下ろした。
 正面から見つめる事などほとんどないその瞳は、優しくまるで初めて会った頃のように強く輝いていた。
 どうしていいかわからず、その場から動けずにいると、不意に冷たい風が吹いた。その瞬間震えた力仁の体に思わず、冬也は動いていた。

「力仁様!」

 風から守るように抱きしめれば、その体の冷たさに気づく。当たり前だ、冬の夜に囲炉裏一つのこのような部屋で体が冷えない筈がない。

「気づかず申し訳ございません! すぐになにか暖かい物を・・・・・・」

 そう言いながら辺りを見回すが何もない、仕方なく自分の服を脱ぐとそれを力仁にかけ、消えかけていた囲炉裏に自らの肌着をくべた。
 これで少しは暖かくなるだろうと、上半身裸になった状態で少し離れようとする。

「どこにいくのですか?」
「お目汚しになりますので・・・・・・」

 湯殿でもないのに、このような姿を力仁の目に触れさせるわけに、これ以上許可もなく触れている訳にもいかず離れようとするその手がひかれた。

「行かないでください」
「しかし・・・・・・」
「ここにいてください。ここにいて私を暖めなさい」

 ダメだと頭ではわかっているのに、足は動かず気づけば再びその身を抱きしめていた。冷たい体を抱きしめ、名を呼ぶ。
 その身がゆっくりとゴザの上へ倒れる。優しいその瞳が自分だけを映すそれだけで、ドクッと心臓が動く音がした。

 ガサッ! 大きな木々の音が聞こえ冬也は目を開けた。そこは元の通りの廊下だった。
 どうやら眠ってしまっていたらしい。先ほどまで見ていた夢に、居心地の悪さを覚えながら恐る恐る視線を下へ降ろす。

「・・・・・・俺はなんということを・・・・・・」

 触れなくともわかる下の濡れた感触に、罪悪感が募る。よりによって敬愛する人を夢で汚してしまった。自らも知らぬうちに、自分の中にあった邪な欲はこの日はっきりと冬也の前に現れた。
 
 従の生きる糧とも言える主からの、お言葉と命令を直接いただいたのはいつだっただろうか。そう思うほどに、時間がたったように思える。定期的な連絡も断られ、最近ではご挨拶の時に感じる事ができる圧だけが日々の糧になっていた。
 ご挨拶といえども、多くの家臣と共に頭を下げるだけで、顔を見ることどころか、お声を聞くこともない。
 それでも漏れ出る圧を感じられるだけでも、心が落ち着いた。行きよりも帰りの方が足はしっかりと動く、息が大きく吸える。
 それだけでもまだまだ自分は耐えていけると思っていた。

「力仁様!」

 その声と共に、なにかガッシリとした物に支えられ、力仁はハッと気がついた。孝真の教育を終え、私室に戻ってきた瞬間、不意に立ちくらみが襲ったのだ。

「すみません。大丈夫です」
「いえ、許可なく触れて申し訳ございません」

ほんの一瞬だが意識を失ってしまったのだろう、いつもよりも不安げな表情を浮かべた冬也は手を離してはくれない。

「お叱りは後でお受けします」

 常ならば不敬と教えられているこの状況でも、支える手は離さぬまま、部屋の中に入りゆっくりとその場に力仁を座らせる。

「今宵はこのままお休みください」
「心配はいりません」

 まだ仕事は残っているので、ここで眠ることはできずに文机に近づけばその手を冬也に掴まれた。

「おそれながら、今の貴方様がお仕事に打ち込むのを俺は見過ごせません。お休みください」

 けして折れないと強い意志のこもる手の力としっかりとした口調で言われ、振りほどくこともできずに手を降ろした。
 それを見ると、手を離し畳に額をつけるほど頭を下げた冬也は、静かに寝床の用意を始めた。

「体調が悪いわけではないのです」
「わかっております」
「日々のお勤めが辛いわけでもないのです」
「存じております」

 黙々と就寝の準備をする冬也の様子に言い訳めいた言葉が止まらない。けして自分は無理をしていた訳ではない、自分が体調管理を疎かにし、どれほどの迷惑が周りにかかるのかも心得ている。
 確かに、疲労感も寝不足も食欲不振もあったが、勤めをこなしている時は忘れられた。だから、このような事になるなど考えていなかった。

「今宵はたまたま限界が訪れたのでしょう。どうかお休みください」
「・・・・・・わかりました」

 確かに限界を迎えた体ではそれ以上動くことはできず、静かに了承すると力仁は冬也へ向き直った。

「失礼いたします」

 着物の紐へ手をかけ、脱がしていけば、二人が出会った頃より痩せてしまった体が露わになる。
冬也はその頼りなさに息を飲み、歯を食いしばるその表情を見られないように淡々と着物を脱がし寝間着へ着替えさせた。

「最後に命をいただいたのはいつですか?」
「え?」
「お声をかけていただけたのはいつですか? それとも思い出せないほど前ですか?」

 それが誰を指しているのか、はっきりと言わなくともわかる。冬也はこの原因がなにか、どうしてこうなっているのかわかっていた。その上で危機感を感じている。

「俺が動きましょうか」
「動く?」
「貴方様に直接命をいただけるようにこの身をなげうち、進言いたしましょう。聞いてくださらなくとも、力仁様は呼び出されるでしょう。その時は俺を気狂いと進言なさってください。さすれば、俺を処罰せよとの命をいただけます」
「なにを申しているのですか?」

 信じられないような内容に、思わず己の耳を疑った。無謀とも自殺行為ともいえる内容を冬也は迷いなどない表情で言ったのだ。

「俺がいなくとも、他に優秀な下男は多くいます。大恩ある貴方様に恩をお返しできるのはこれぐらいしかありません。お許しください」
「・・・・・・ダメです」

 自然とその言葉が口から出ていた。緩く微笑みを浮かべる冬也に、もう一度続けた。

「許しません。私の下男は貴方一人です」
「・・・・・・惜しんでくださいますか? とるに足らないこの命を」
「貴方を失うことになれば、私は泣きます。誰にも見せられぬ涙を心で流し続けます」

 例え自分の為だとしても罪を犯した者の為に泣くなど、許される筈もない。そんなことになればおそらく自分は、常の笑みを崩すこともできず心で人知れず泣き続けるだろう。
 弱音を見せる人を、命をかけて慕ってくれる信頼できる友を失うことになる。それは考えるだけで辛いことだ。

「貴方を失えば、例え殿からの命令をいただけたとて、けして心は安らぐことなく、痛み続けるでしょう」
「・・・・・・では、俺は死ぬわけには参りません。貴方様が少しでもお心を痛めるならば、憂いを取り除くのが俺の役目です」

 常にそうするように、両手をつき深く頭を下げると冬也は続けた。

「大恩ありながら碌に役に立てぬこの身ですが、これからも貴方様ただ一人に捧げます」
「頼りにしています」

 主としての力を持たぬ冬也の言葉ではあったが、その言葉は力仁の心に染み渡り、今宵はよい眠りに恵まれそうだと思えるほど心が安らぐのを感じた。
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