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第八十九話【触れることさえ】中
しおりを挟む跡継ぎであるお子の教育係を申しつけられ、今までの仕事の内容は一変した。主君の傍らで控え部下である小姓達に指示を出すことはなくなり、主君の目に触れることもなくなった。
朝は日の出と共に起き、身支度を整え、朝食、その日教える内容を確認し、登城し挨拶を終え、奥の宮に戻ればそこからは教育係の仕事。
ほとんどの時間を孝真と共に過ごし、時折小姓頭として奥の宮でも仕事をこなし、教育の時間を終えれば小姓頭として他の小姓達からの報告を聞く。
本来主君のすぐ傍で動き、采配を握っていた者が完全に場を離れている。初めは混乱することも多く、思い通りに行かず苦労し、時には小姓達が助力を求め駆けつけることもあった。
しかし、今はそれも落ち着きこうして奥の宮にいても多くが滞りなく進むようになった。
おかげで孝真の傍に常にいるようになった力仁だが、時折どうしても孝真の傍を離れなくてはならないときがある。
教育係と護衛を兼ねている身としては離れたくはないが、それが叶わぬ時力仁は冬也を置いていく。触れることも話しかけることもできない冬也では、あまり役にたつとは思えないが、信頼できる者がいると安心するらしい。
信頼されているのはわかっているが、冬也としては複雑な心境だ。
「のう、力仁はいつ戻ってくるのだ?」
「・・・・・・」
庭先に控えたまま、力仁から言い渡された勉学に励む姿を見守っていた冬也は話しかけられ返事を躊躇した。
確かにこちらに目線は向いているので、独り言ではなく問いかけれているのは間違いなさそうだが、だからと言って直接答えていいのだろうか。
「どうした。知らぬのか?」
「・・・・・・あと一時もあればもどるかと・・・・・・思われます」
「一時か。・・・・・・戻ってくる頃には力仁の顔色は良くなっておるかのぅ?」
その問いかけには息を飲んだ。それは化粧で隠した力仁の顔色はもとより、元気がない理由も理解していないとでない内容だ。
冬也が知っているかぎり、従に対する説明を力仁がしていた事はなく、主と従の関係性も知らないはずだ。
ならば何故そのような問いになったのか、もしかすると孝真はこの場を離れた理由を体調管理の為と思っているのかも知れない。
「・・・・・・力仁は寂しいのであろう?」
「何故それを・・・・・・」
「女中達が話しているのを聞いたのだ。力仁は主である父上からのお召しがないことで体調を崩していると」
あまりに聡明な言葉に、冬也は驚きを隠せずいた。まだ自分の地位と他の人々とのかかわりを覚えている途中の幼子のはずがまだよくわからない従の事を理解し始めていた。
彼女たちもまさか孝真が聞いているとは思わず、話していたのだろう。おそらく赤裸々な話しはしていなかっただろうが、孝真は的確に捕らえていた。
「私も力仁や母上がいないと寂しく感じる。早く会いたい、もっと共にいたいと感じる。それと同じであろう?」
「・・・・・・はい」
「父上は何故、力仁に構わない。私がいるからか」
「いえ、孝真様の傍にいることとはそれは関係ありません」
確かにそれが理由で傍に控えることがなくなったように聞こえるが、もとより力仁に対する興味は薄れていたのだろう。教育係はきっかけに過ぎず、力仁も理解している。
それに、力仁は孝真の事を大事に思っている。普段接する態度を見ていればそれはわかる。
「力仁様は、貴方様の教育係という役に誇りをもっていらっしゃいます。貴方に仕えられることを嬉しく思っていられます」
「・・・・・・それでも、私では父上の代わりにはなれぬのであろう? 私では力仁の寂しさを埋めることはできぬ、父上でなければならぬのだろう?」
「・・・・・・力仁様に必要なのは特別な力を持つお方です」
「それが、父上か。私ではいけぬか」
その声色は子供とは思えないほど、憂いに満ち、哀しみさえ含んでいた。そんな声色に、冬也は思わず自らを重ねた。
「恐れながら、孝真様はまだ幼くございます。殿がお持ちの力を授かる可能性はございます」
「・・・・・・私が成長すれば変わると言うことか?」
「断定はできませぬが、可能性はございます」
何も確信がないまま、それ以上話すことはできず、冬也は口をつぐんだ。孝真はその様子を見ると、幼い子供とは思えないように頷いた。
「そうか、ならば早く大人になろう。それ以外に力仁が喜ぶことはないか?」
「・・・・・・ご存じかもしれませんが、力仁様は甘味を好まれています」
「そうか、では戻ってきた際は菓子でもてなそう。そなたも、礼に庭先に置く故食べるといい」
いくら室内にあがることができないからとはいえ、犬のような扱いに思わず笑いがこみあげる。孝真本人は貶しているのではなく、ただ素直に庭先から動けないのならそこで食べればいいと思ってのことだろう。
「ありがたくちょうだいいたします」
気分を害さぬよう、浮かぶ笑みを抑え、聡明で優しい幼子にゆっくりと深く頭を下げた。
小姓というのは主君のすぐ傍に控え、様々なご用を承るのが仕事だ。その仕事内容は多岐に渡り、警護、家臣への指示、主君の業務の補佐、私生活の雑務、秘書、夜とぎのお相手など様々な事を主君の近侍としてこなす。
主君の後ろで控える容姿端麗の年若い少年達と思われる事もあるが、容姿だけでなく幅広い知識と、武芸に秀で、多くのもの達から一目置かれるそんな者達で構成されていた。
特にこの城の小姓達は勤勉で、献身であった。従であることもあり、主君からの信頼も厚く、多くの者達が頼りにしている存在だった。
中でも、小姓頭の力仁と共に勉学に励んだ者達は優秀で、側近に上がった者や影武者、隠密になった者もいる。
少し年が上の彼らの事を力仁は頼りにしていた。
「力仁様、ご用をお聞きします」
「孝真様の、近況をご報告に参りました」
「少々お待ちください」
側近となった元小姓仲間に言われるまま、廊下に控えまつ。孝真の教育係になり、力仁はこうして定期的に報告に来ていた。
孝真は主君にとっての大事な跡継ぎで、一人目のお子様だ。奥方だけでなく、殿にも成長を伝える必要があった。
できたこと、苦手なことなどを報告し、引き続き教育に努めるようにと命令を貰う。その時間が従である力仁にとって重要な時間だった。
褒められることはないものの、自らの勤めを承諾され、継続の指示を出される。それが従のとして重要な時間だった。
障子越しに声も姿も見えない、廊下で静かに待つ。直接お言葉を貰えるのを待つこの時間は、心が落ち着かず期待と不安が同時に訪れる。
「力仁様、報告書を受け取ります」
襖が開き伝えられたその言葉に、体温が一気に引いていくのがわかる。訪れる絶望感を表に出さないよう、成長の記録を纏めた報告書を差し出す。
「確かに。他に殿に伝えたき議はありますか?」
報告書を受け取った一瞬、側近の顔が心配と申し訳なさそうな顔へと変わりそう尋ねられた。
「いえ。・・・・・・失礼いたします」
それだけを答えると、襖の向こうに向かい深く頭を下げ、力仁はその場を後にした。
報告書だけ受け取られ、お言葉をいただくことも命令をいただくこともできないのは、これが初めてではない。
もとより教育に興味がある主君ではなく、教育係を承ってしばらくは定期的な報告を必ず聞いていたが、すぐに聞く回数が減り、今では報告書だけでいいと言う。
信頼されていると考えれば少しは楽だが、主君の人柄をわかっているからこそ、そうは思えない。忙しいのもあるだろうが、要は興味がないのだ力仁の事も、お子である孝真の事も。
主君に興味を持たれていない、そう考えるだけで心が苦しくなるが、お子である孝真の事を考えれば自分が塞ぎ込む事もできない。
幼い孝真の方がよほど、興味をもたれないことを辛く思うだろう。
報告を終え、奥の宮に戻ると襖越しに声をかけるが、部屋からはなにも声がしない。
「冬也」
「ここに」
「孝真様は?」
「奥方とご一緒です」
即座に庭から現れ、膝をついた冬也がそう言った。どうやらいないらしいのがわかり、ならば不在の間の事を聞こうと冬也に向き直った。
「不在の間なにかありましたか?」
「いえ、孝真様は、熱心に勉学に励まれていらっしゃいました」
「そうですか」
「・・・・・・殿にはお会いできましたか?」
頭を下げたまま長い躊躇の後に尋ねられ、力仁は言葉を失うも少しして“いえ”と小さく否定した。
「お言葉は?」
「それも」
「・・・・・・何故です・・・・・・せめてたった一言でも・・・・・・」
その言葉に先ほどまでの自分の思いを見抜かれたように、感じ苦笑を浮かべる。
「お忙しいのです」
「しかし・・・・・・」
「冬也私は大丈夫です。それ以上心配はいりません」
膝の上の手が強く握りしめられているのがわかる。常にこちらに気を配っている冬也はわかっている、主に会えないことで体調を崩している従の性質を理解している。
その気遣いを嬉しく思うと同時に、申し訳なくなる。従でなければ心配をかけることなどだろう。
自分よりも苦しそうな声にどう返事を返したらいいかもわからず、力仁はいつも通りに振る舞うことしかできなかった。
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