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第六十八話【価値】中

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 人の気配とベッドのきしむ音で力也は目を覚ました。暗い室内で、窓から差し込む月明かりの下、自分を見下ろしているのは知らない男だった。

(ヤバい)

 今までも何度も見たことのあるその欲望にまみれたその瞳と、あふれ出す人を支配しようとするグレアに力也の頭の警報が鳴る。
 なんでこんなところに欲求不満のDomがいるのかと問いたいぐらいだが、服装をみればすぐにこの病院の医師の一人だと理解できる。

(冬真と違ってあんまついてないよな)

 意外と運に恵まれている冬真と違い、運に恵まれているとは言えない。飢えたDomの医者がいる病院にSubがたまたま緊急で入院するなど、そうそうないだろう。
 とはいえ、力也は動けないわけではなく、検査入院だ。なすがままになるつもりなどない。

(しっかり休めっていわれたし)

 冬真の顔と声を思い出すと、力也は息を飲み込んだ。従うつもりなどないと言うように、にらみ返す。

「なんのようですか?」
「なにって診察だよ」
「診察なら明日でもいいはずです。出て行ってください」

 ニヤリと鳥肌が立つような笑みを浮かべる医師へにらみ返し、よけるように体を起こした。

「随分かわいげのないSubだこと」
「可愛くないと思うならほっといてください」
「それでも、君は患者だからね。ほっとくわけにはいかないんだよ」

 こんな手段にでながら何を医者のようなことをいっているのだろうか。医者には違いないのかもしれないが。

「もう一度言います。出て行ってください」
「本当に可愛くないSubだ。しかたない、Strip」【脱げ】

 そのコマンドと同時に、ベタベタと粘り着くようなグレアが力也を逃すまいとするかのように、へばりつく。

(気持ち悪ぃ)

 以前のように拒否反応がでているわけではないが、純粋に気持ち悪いグレアに顔をしかめるも、力也は服を脱ぐことはなくナースコールへ手を伸ばした。

「俺には貴方の力は効きません。出て行かないなら、これ鳴らします」
「チッ、命令してもらえれば誰でも言いSubの癖に」
「俺にはちゃんとご主人様がいるんで、誰でもいいなんてことありません」

 なおも負けずとにらみ付けてくる力也の様子に、これは、無理だと悟ったのか。医者は忌々しそうに、ベッドから離れた。

「君みたいなのを相手にするDomもかわいそうに、こんな生意気なSubじゃ楽しくないだろうに」

 グレアを抑えることもなく、嘲るように口にしながら大げさな動きで、窓側へと寄る。その瞬間、ベッドサイドに置いてあったCollarを手に取った。

「それに触らないでください」
「ああ、なるほどタグ付きか。あの学校のDomのSubじゃ、可愛くないのも頷ける」

 唸るように、そう言う力也の様子に医者はタグに触れると、蔑むようにそう言った。
 戻す様子のない医者の姿に、力也はベッドを降りた。

「返してください」
「Subを甘やかしてばかりだから、こんな屑のSubができるんだ。Domに対する態度も口のきき方もまるでなってない。返して欲しければ、土下座して頼むのが筋だろう。Downだわかるか?」【伏せ】

 立ち上がれば力也の身長は相手をゆうに超していた。見下ろすような様子が気に食わないのだろう、貶めるようなトゲのある言葉と共に、コマンドが飛んでくる。

「俺にコマンドを使っても無駄です。俺は貴方のコマンドには従いません」
「コマンドのありがたさもわからないのか、価値のないSubというのは君みたいなのを言うんだろうな」

 それは、冬真のコマンドが好きだと口にする力也に対する言葉ではなかった。それでも力也は言い返すよりも、Collarを取り返すほうを優先した。

「俺の価値とかどうでもいいです。それを返してください」
「そんなに欲しいか? 仕方ない、ほらとってこい!」

 そう言うと、医者は窓を開けると外に向かいCollarを投げた。

「な!」

 慌てて、医者を突き飛ばすようにして窓に近寄ると、Collarは近くの木の枝に引っかかっていた。

(よかった)

 手を伸ばせば届きそうな距離に、力也は窓から身を乗り出した。

「もうちょい」

 持ち前の腕力とバランスを使い、窓枠を片手でつかんだまま、大きく身を乗り出す。

(よしっ)

 届いた、そう思った瞬間だった。窓枠をつかんでいたはずの手に痛みを感じ、力が抜けた。

「あっ・・・・・・」

 深夜の病院内に、無情にも落下音が響き渡った。

 朝の仕事を終えた冬真がさて、力也の元に向かおうと思い楽屋に戻るとそこに力也のマネージャーである氷室がいた。

「氷室さん!? どうしたんすか?」
「すぐに荷物もて、力也が落ちた」
「え? それもう聞きましたけど、大丈夫なんですよね?」
「そんときとは違うんだよ」

 昨日連絡を貰った時は問題なと言ってたのに、なにがあったのかと思いながら、せかされるまま冬真は氷室の車に乗りこんだ。
 走りながらされた説明に、怒りと絶望、後悔と不安、次々と色々な感情がわき上がる。急いでいる氷室をそれ以上急がせることもできず、冬真は早く着くことだけを願っていた。

 車がついたのは病院の裏口だった。そこで待っていた結衣とマコに案内されできるだけ足音に気をつけながら、病室へ急ぐ。

「傑さん!」
「来たか、すまん。こんなことになってしまって」
「力也は!?」
「中だ」

 病室の入り口の前に、まるで門番のように立っていた神月に言われ、病室の中へ入ろうとすると目の前でドアが開いた。

「孝仁さん」

 パン! その瞬間左頬へ強い痛みと衝撃が走った。叩かれたと理解するよりも、孝仁の瞳が赤いのが目に映る。

「冬真君、僕は応援しようと思ったんだよ!? 力也君が幸せなら認めようと! それなのに!」
「すみません、孝仁さん」

 涙をこぼし怒りをぶつける孝仁へ冬真は頭を下げた。

「すみません。俺が悪かったんです。俺がCollarの価値を、教えていなかったから・・・・・・」
「あんな物の為に力也君は!」
「本当にすみません。お願いです中に入れてください」

 そうもう一度頭を下げた冬真を睨むと、孝仁はドアからどき道を空けた。冬真は病室の中に入ると、ベッドに眠る力也の傍へ駆け寄った。

「二人きりにしてやろう」

 ベッドの傍へ膝をつく冬真の様子を見ながら、孝仁は病室のドアを閉めた。
 ベッドの上の力也は傷だらけだった。腕と足に包帯が巻かれ、顔や頭にも包帯が巻かれていた。

「力也・・・・・・」

 そんなボロボロの力也の手にはCollarがしっかりと握られていた。

「こんな物のために、なにやってんだよ」

 震える声で、呟くその瞳からは涙がこぼれ落ちた。こんな物の為に、力也は二階の窓から落ちた。幸い、木々がクッションになり、傷だらけだが大きな怪我にはいたらなかった。
 おそらく、何度もスタントで落ちている経験も役に立ったのだろう。打ち所が悪かったらもっと大事になっていただろう。

(セカンドCollar買えばよかった)

 そうすれば、こんなに必死になって取らなかったかもしれない。なくしても他にもあるとわかっていれば、後で取ろうという気にもなったかもしれない。
 だが、きっとそれでも力也は手を伸ばしてしまっただろう、それほどまでにSubにとってのCollarは大切な物で、Domにとってのただの印とは違う物なのだ。

「力也・・・・・・」

 今、この手に宝物のように握られているCollarをあげた本人である冬真が憎らしく思っているなど、誰が想像するだろうか。
 どれが似合うだとか、どれがいいだとかあんなに時間をかけてこだわったそれさえも、力也自身と比べればなんの価値もない。
 おそらく、力也はなくしたら怒られるなどと思ったわけではない。ただ、奪われるのが嫌で、なくすのが嫌で手を伸ばしただけだろう。

「そんなのほっときゃいいのに・・・・・・馬鹿」

 もし、一晩放置され木の上に引っかかっていたのを見ても、冬真は医者を怒るだけで力也に対して文句を言ったりはしない。困っている力也と一緒に、どうにかして落とそうとするだけだろう。

「痛かっただろうに」

 そっと手を伸ばし頬を撫でれば、力也のまぶたが震えた。ゆっくりと瞳を開くと、ベッド脇にいる冬真に瞳を見開く。

「冬真?」
「痛みは?」
「大丈夫」
「痛いところがあるなら撫でてやるのにどこもないのか?」

 尚も耐えようとする力也に、もう一度尋ねれば、困ったような苦笑を浮かべた。

「うーん、じゃあ頭かな」

 正直に白状した力也の頭を痛くないように、優しく撫でる。しかし、触れるような撫で方が物足りないのか力也が自ら頭をこすりつけてきた。

「Collar取ろうとしたんだって?」
「あ・・・・・・」

 けして褒められた行為ではないとわかっていたのだろう、力也はその質問に顔色をうかがうように冬真をみた。

「なんでそんなことしたんだ?」
「手を伸ばせば届くと思ったんだよ。でも、なんか力がうまくはいらなくなっちゃって・・・・・・」

 おそらく一度川に落ちたときの衝撃がまだ残っていたのだろう。いつもなら支えられる筈の自分の体の重さに手が耐えきれなかったのだ。

「Collarはそんなに大事か? 俺が一番大事にしてるお前自身よりも大事な物なのか?」
「そんなことないけど・・・・・・」

 怒りを押し殺すようにしながら、問いかける冬真からはグレアが立ち上り始めていた。危険なことをしたら怒られるのはわかっていたが、今回は夢中だった。

「こんな物の為に、お前が怪我をする理由があるのか?」
「ないけど・・・・・・」

 どう返していいのかわからず、顔を伏せる力也の手からCollarが取り上げられた。
 いつもならこうして奪ったら、首にはめてくれるのに、冬真は憎々しげにそれを持つだけで力也の首にはめようとはしない。

「あの・・・・・・冬真・・・・・・」
「お前、俺がお前が怪我をしたと聞いた時どれほど苦しかったかわかってないだろ」
「ごめんなさい」

 散々なにが一番大切なのか示したと思ったのに、まだ通じてはいなかったらしい、力也の謝罪に冬真はため息をついた。

「わからないならわからせてやる」

 ため息を聞き震え始めた力也の体を抱きしめ、抱き起こす。

「傑さん、孝仁さんまだそこにいるならこの部屋から離してください。ちょっと本気出すんで」
「わかった」

 本気のグレアを出したら、離れていても孝仁が当てられてしまう。それを心配して頼めば、孝仁がにらみ付けるように顔をだした。

「冬真君、なにするの?」
「ちょっとお仕置きです」
「力也君、怪我してるんだよ?」
「わかってます。でもこのままではよくないので・・・・・・すみません、わかってください」

 けが人に何をするのかと詰問する孝仁は、冬真のその静かな怒りを含んだ落ち着いた声色に、悔しそうにするもしかたなくその場を離れた。

「傑さんも、すみません。これからコイツちょっと大きな声出すと思うんで、看護師さん達に説明をお願いします」
「わかった」

 いくら角部屋とはいえ、大きな声を出したら、看護師だけでなく、患者をも不安にさせてしまうだろう。
 そう考え、頼んだ冬真の言葉に、なにをするかもわからないまま傑は頷きその場を離れた。

「力也、今回はセーフワードは俺が出す。お前は出すな」
「はい」

 セーフワードを初めて取り上げられてしまい、逃げ場も逆らうこともできなくなってしまった力也に、冬真の容赦のない本気の支配力を帯びたグレアが浴びせられた。
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