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第五十八話【引き寄せ体質】中

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 冬真が職員室に向ってから少し時間が経過した。いまだ戻ってくる様子のない冬真に、暇を持て余した力也は、日課のトレーニングをすることにした。
 怪我をしないように柔らかい素材の床に、両手をつき腕立て伏せを始めた力也の様子を最初は何を始めたのかと訝しげに見られていたが、少しすると子供たちが集まってきた。

「おにいちゃんなにしてるの?」
「ハイハイ?」
「腕立て伏せだよ」
「うてたてふせぇ?」
「そうそう、腕を鍛えてるんだ」

 答えながらも腕立て伏せを続ける力也の腕の筋肉に気づいたのだろう、子供たちの目が腕に集まる。

「ムキムキ」
「すごい!」

 きゃあきゃあ、興奮して声をあげる子供たちの様子に先ほど中に案内してくれた女性が近寄ってきた。

「こらこらだめよ。邪魔しちゃ」
「いえ、大丈夫ですよ。そうだ、ついでだから手伝ってもらえないかな?」

 不思議そうに首を傾げる子供たちに、背中に乗ってくれるよう頼めば大喜びで背中に乗った。いい感じに負荷がかかった状態で腕立て伏せを再開する。
 子供たちに手伝ってもらって、腕立て伏せと腹筋をしたが、まだ戻ってこないので今度はスクワットをしていると子供たちも参加してきた。

「はい、いーち」
「いーち!」

 そうしてきゃあきゃあ、騒いでいると先ほどまで見ていただけの女性も参加していいかなと躊躇いがちに聞いていた。
 最近運動不足で体型が気になるという彼女を巻き込んでスクワットをして、いると次第にほかのSubたちも参加し始め、結局みんなでストレッチをすることになった。

「痛っ……」
「無理はしなくていいんで、止めれるとこで止めてください」
「ママ、体かたい!」
「わかってる!」
「カウントします!1、2……」

 盛り上がる中、コーチにでもなったかのように、力也は仲間たちに丁寧に教えていた。
しかし、ストレッチの最中に、力也は不意に立ち上がった。力也だけでなく、Subは動きを止め不安そうにあたりを見回した。中には突然体を震わせたSubもいた。

「いま……」
「誰か怒られたのかな?」

 凶悪なほどのグレアはおそらく隣の職員室から漏れたものだろう。なにかがあったのかもしれないと思い、力也は部屋のドアへと向かった。

「どこにいくんですか?」
「もちろん隣の部屋に。皆さんはこのままここにいてください」

 隣が職員室の関係上、悪さをした生徒たちを叱る教師たちのグレアが漏れることもある。と知っているからだろう、不安そうにしていたSubたちもすぐに落ち着きを取り戻していた。

「心配しなくても、誰かが怒られただけだって」
「そうそう、よくあるって」
「そうですよ。なにかがあったなら逆にここにいないと」
「それでも気になるんで、行ってきます」

 職員室はDomだらけなのだから、行かないほうがいいと止められ、言い分はわかるが、それでも気になった力也は部屋の外に出た。
 廊下に出て、隣の職員室に向おうとした時、先ほど入ってきた来客用の入り口の方から声が聞こえてきた。

「待ちなさい。今、先生に声をかけるから」
「うるせぇ! どけ!」

 聞こえてきたのはドカドカと荒々しい足音と、怒鳴り声、それを遮る様に先ほど挨拶した用務員の声が聞こえる。更に漂ってきたそれに、力也は即座にSubルームのドアを閉め守る様に前に立った。
用務員を突き飛ばしこちらに来たのは、高校生ぐらいの少年が二人、小柄な一人はガタガタと震えもう一人の青年に抱きかかえられていた。
抱きかかえた青年からは明らかに苛立ったグレアが発せられている。

 明らかに可笑しい状況に、警戒を高め近づいてくる青年たちに睨むような視線を送っていた力也の前で職員室のドアが開いた。

「力也!」

 真っ先にドアから飛び出してきた冬真は力也の傍に走り寄ると、その前に立ち憎々し気な視線を向かってくる青年に向けた。

「なんの騒ぎだい?」
「どうやらうちの生徒じゃないみたいだな」

 冬真に続き次々に教師たちが職員室からでると、これ以上先にはけして行かせないと言うように廊下を塞いだ。

「彼らはだれか教えてもらえるかい?」
「それが、自分も教えてもらう前に緊急事態だからと無理やり通られてしまって……」

 困ったようすの用務員はここにいる教師たちと違い、ダイナミクスを持たないUsualだ。二人がDomとSubだとはわかっても、怒り狂うDomに手を出すこともできずに必死で落ち着くように声をかけてここまで来たのだろう。

「そうか、ご苦労だったね。ここからは私たちが受け持つから君は自分の持ち場に戻っていいよ」

 そう言われ、ほっとした様子で用務員は持ち場に戻っていき、青年たちと教師と力也たちだけが残された。

「さて、とりあえずそのグレアを押さえてもらおうか?」

 高齢の教師が代表するように、Domの青年へと落ち着いたようすで声をかけた。しかし、彼は冷静さをなくしているのか、高齢の教師を警戒するようににらんだ。

「その子も、辛そうだ。早くグレアを止めなさい」

 ここで青年を押さえつけるために、グレアを発するのは簡単だが、それをしてしまうとただでさえ辛そうなSubの青年を更に追い詰めることになる。
 教師たちは、苛立ちを押さえそれでも逃すまいと青年を取り囲むように回り込んだ。

「やっぱりだめだ! こんなとこいられるか!」
「とおる……」
「帰るぞ!」

 腕の中のSubの青年がそう必死で名前を呼ぶが、彼はそれさえも無視するように、踵を返し元来た道を戻ろうとした。

「待ちなさい」
「どけ!」

 手を出そうにも出せずに困っている中、不意に力也が冬真の肩に手を置いた。

「冬真、俺が行く」
「ダメだ」
「あの子もう持たない。大丈夫、俺に任せて」

 ぐいっと力を込め、力づくでどかされてしまえば冬真では追いかけることしかできず。どんどんと歩き、教師たちと同じ位置に立った力也の後ろについた。

「君は後ろにいなさい」
「大丈夫です。俺にやらしてください」

 庇おうとしている教師にそう言うと軽く深呼吸をして、教師たちの後ろから青年に向い声をかけた。

「待て! 帰るなら、その子は置いてけ!」
「ああ!?」

 振り返った青年が力也を捕らえた次の瞬間、興味を持ったかのように視線が変わる。力也がDomではなくSubだと気づいたのだろう

「てめぇSubか」
「ああ、喧嘩をしにきたんじゃないんだろ。グレアを押さえて話を聞かせて欲しい」
「とおる……お願い」

 Subの力也の言葉と、腕の中の青年の声に、落ち着きを取り戻したのか、彼の体からグレアが消えていった。

「ありがとう、じゃあ話を聞こう。こちらへ」
「とおる……」
「わかってる」

 高齢の教師に、来客用の部屋に案内され青年は腕の中の小柄な青年を離さずにその後に続いた。

「ここで話を聞くよ」

 高齢の教師は彼らを中に入れると、冬真と力也にも視線を送った。

「すまないけど、二人もいいかな? 残った先生方は隣の部屋のフォローを」

 そう言われ、二人は頷き合うと部屋の中に入った。高齢の教師ともう一人の教師は青年たちに自分たちの正面に着席を勧め、改めて自己紹介をした。

「力也、Good Boy」【よくできました】
「うん、でもまだだ」

 壁際に立ちながら、力也の頭を撫でた冬真はその言葉に、頷き視線を青年たちに向けた。グレアが止んだのに、Subの青年は未だに小刻みに震え息をするのさえ辛そうにしている。そんな青年の肩をもう一人の青年は抱き込むように、捕まえていた。

「サブドロップ」
「多分、ギリギリだと思う」

 おそらくSubの青年はギリギリのところで、サブドロップしないように押さえているのだと力也には思った。既に限界が訪れているのに、堕ちていないのは、先ほど声をかけていたことからも判断できる。
 サブドロップに陥ったSubではDomをなだめる様なことはできない。

「じゃあ、ここに来た理由を話してくれるかな?」
「……こいつが声がでないんだ」
「声が?」

 先ほどから名前を呼んでいたSubへと、教師たちの視線が確認するように向く。青年は震えながらも、小さく頷いた。

「普段はいいんだけど。Playになると話せなくなって、はいと俺の名前しか喋れなくなるんです」
「つまり、君の名前と肯定しかできなくなるということだね?」
「大方、発言制限でもしたんだろ?」

 青年が教師の確認を肯定する前に、冬真が一蹴するように言った。今まで、青年たちに向いていた視線が冬真へと集まるも、本人は顔色を変える様子もなく青年に冷たい視線を送る。

「発言制限? なんですかそれ?」
「わかんねぇのか? そのまんまの意味なんだから、考えなくてもわかんだろ馬鹿か」

 今日会ったばかりの青年に向けるものではない、冷めきった視線と蔑んだ言い方に彼の目が怒りに変わる。確かに助けを求めてきたのは自分たちだが、見も知らぬ男にこんな風に言われる覚えはない。

「……てめぇ」
「あ? そうやって吠えれば教えてもらえると思ってんのか?」

 まだ十代の青年相手に大人げないと言える態度で、鼻で笑うようにつづけた冬真だが、不意に服を引っ張られ力也の方を向いた。

「……冬真、ごめん。俺もバカだ。わかんない……」

 考えてもわからなかったのだろう、恥ずかしそうな瞳と教えて欲しいと懇願するように声をかけられ、冬真の表情が途端に柔らかい物となる。

「悪い、説明不足だったよな。力也はバカなんかじゃねぇよ」

 先ほどまでの態度はなんだったのだろうかと言いたくなるほどの、優しい声色で答えがわからず不安そうな力也の頭を撫でると説明を始めた。

「発言制限ってのは、自分に都合のいい言葉しか聞きたくないDomがよくやるPlay内容だ。否定はするなとか、決まった言葉しか言っちゃいけないとか、Subに命令してそれ以外の言葉を奪うんだ」
「あー、なにをされてもありがとうございますって言えとか言ったりすること?」

 その説明で、過去にされて思い当たった内容を尋ねれば、一瞬冬真の表情が固まった。その一瞬で、しまったと思った力也だが冬真の表情はすぐに元に戻った。

「そうそう、そうやって発言できる言葉を制限するんだ」
「それの何が悪いんだ。Playだろ、セーフワードだってちゃんと決めてる」

 ちゃんと理解できたなと、褒めるような笑みを浮かべていた冬真は、青年のその言葉にまた冷め切った視線を向けた。

「あ゛ぁ? 今この状態でよくそんなことが言えるな。発言制限の危険性も知らねぇで、言わせたいことだけ言わせた結果がいまだろ? 認めろよ、臆病もん」

(やっぱ、不良だ)

 あまりにも、ガラが悪いとしか言えない喧嘩口調に、引きはしないが力也は確信した。冬真は以前否定していたが、相当荒れていた時期があるのだろう、そうでもなければこんなにスラスラと言えるわけがない。
 そんな悲しい、勘違いをされているとも知らず冬真はこの学校で覚えてしまった罵詈雑言を吐き捨てる。
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