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第五十七話【忘れられた記憶】中

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「うぇっ……キッツ!」
「大丈夫か?」
「ああ……腹いてぇ」

ハァハァと息を切らせながらフラフラと腹を押さえ歩く、冬真の様子を力也は心配そうに見た。大した距離でもスピードでもないのに、長距離を走ったランナーのようになっている。

「ちょっと休憩」

 水をがぶ飲みした冬真は橋の欄干にもたれ掛かった。背中を預け、ズルズルとその場に座り込むと大きく息を吐く。

「情けねぇ……これぐらいなら行けると思ったのに……」
「俺が早かったんだろ? 悪かった」
「気遣うぐらいなら、いっそ笑い飛ばして」

 ただの運動不足を気遣われるのがいたたまれなくて、そう言えば力也は腰をかがめた状態で首を傾げた。つらそうな人を嘲笑うという感覚が分からないのだろう。

「俺もジムとか行ったほうがいいかな」
「一緒に通う?」
「いいなそれ……絶対ついてけねぇけど」

 予想できる展開にそう言えば、今度は可笑しそうに笑われた。地べたに座り込んだままの冬真に合わせるように、しゃがんだ力也は笑いながら手を伸ばしてきた。

「残念、一緒にトレーニングできるかと思ったのに」
「無理、俺が死ぬ」

 冗談めかし言われた内容に、そう返すと差し出された手を取り一緒に立ち上がった。一緒に行きたいのはやまやまだが、確実に足を引っ張ることしかできない。

「で、学校ってもうすぐ?」
「ああ、橋わたって向こう側のあの辺。ほらちょっとみえるだろ?」
 川の向こう側に見える懐かしの学校を指させば、力也はそちらを見るとわかったと言うように冬真を見た。

「あそこならフラフラのままでもたどり着けそうだな」
「この野郎」

 からかうように言われ、仕返しとばかりに掴まっている手に体重をかける。歩くのがめんどくさいとばかりにすると、力也は仕方なさそうにズルズルと引っ張り出した。

「はい、頑張って」
「力也、抱っこ」
「わかった」
「冗談だ。やめろよ」

 本当に抱き上げられそうな気がして、即座に止めれば力也はまた可笑しそうに笑った。
 そうして、橋の中心まできたときにいきなり力也が立ち止まった。どうしたのかと思えば、手を離すと何も言わずに欄干に近づき身を乗り出し、下を覗き込んだ。

「力也? なんかいた?」

 川になにか鳥でもいるのかと思い同じように、見てみるが見えたのは狭い川岸に映える草だけだった。

「うーん、そうじゃなくて……もしかしたらここかなって」
「来たことあるのか?」
「多分だけど、よく思い出せなくて」

 そう言うともういいのか、欄干から離れ、行こうと言うように歩き出した。

「何しに来たんだ?」
「お祭りかな」
「あー、じゃあここかもな。たしか、毎年その辺の神社でやってたから」
「冬真も行ったことある?」
「あるある。ダチと行った」

 夏休みが終わる頃だったため、少し早めに帰ってきた友人たちと、出かけた覚えがある。Dom科の生徒と違い、Sub科には実家に帰らない生徒もいたため、彼らと祭りに行きたいと教師に頼み込んだこともあった。

「結構賑やかだよな。屋台も色々出て」
「それがよく覚えてないんだよな」
「そうなのか。早い時間だと神輿とかもでたりするんだけど、みてねぇ?」
「見てないな~」

 祭りを見に来たとはっきり断言しなかったから、昼間にたまたま来たのかと思えばそうでもないようだ。祭りのこともあまり覚えていないようだし、なにより先ほどからの歯切れの悪さが気になる。

「力也、本当は誰と何しに来たんだ?」

 消えない嫌な予感のまま、しっかりと力也に向き合い瞳をみて尋ねれば、困ったように苦笑を返された。それだけでろくでもないことがあったのだとわかる。

「簡単でいい、話せるとこだけで」
「うーん、そう言われてもなんかあの頃の事あんまり覚えてなくて……」

 そう言いながらも、断片的に話した内容に、冬真は嫌悪感と心配を露わにした。

「力也、帰るか」
「え?」
「そんなことあったとこじゃキツイだろ」
「いや、忘れてたぐらいだし、大丈夫ってか平気だって」
「平気じゃないだろ! 強制露出に、強姦に、輪姦! 挙句にサブドロップまで起こして平気なわけがないだろ!」

 そう、力也が疑問形で言った通り、ここには祭りが目的できたとはいなかった。
 中学二年の頃に先輩Domに目をつけられた力也は、あろうことかそのDomの知り合いのDomにまで弄ばれた過去があったのだ。
 毎日のように、呼び出されては好奇心のままに色々なことをされていたらしい。
 祭りに連れてきたのもその一つで、その日は玩具を入れたままこの町までやってきて、この川まで歩かされ気づいたらこの川の橋の下で輪姦されていたらしい。

「むしろ、サブドロップの所為かもしれないんだよな。なんかこう靄掛かってて夢の記憶みたいな感じで」
「それは自己防衛で記憶を封印してるからだろ」
「まあ、そうかもしれないけど。だから意外と平気ってか、せっかく来たんだから冬真が行ってた王華学校見たいなって」

 力也が辛いだろうと心配して言っていたのに、ご機嫌伺いをするように尋ねられ、冬真は眉を潜めた。誰の為にとは思うが、自分の通っていた学校を見たいと言ってくれたのは嬉しい。それに、言葉の通り力也につらそうな様子はない。

「少しでもダメな感じがしたら直ぐに言う事」
「はーい」

 元気に返事をする様子に、嘘はないようだと頷く。つらい記憶を無意識に軽く捕らえ口にするのも、自己防衛の一つだとはわかっているが、それにしても気持ちを押さえられない。

「お前、結構ヤバい目にあってんだからあんま軽く考えるなよ?」
「最近冬真と話してて、自覚はしてきているんだけど、なかなか切り替えられなくて……そうだ。じゃあ、今度祭りに連れてきてくれる?そうすれば記憶塗り替えられるから」

 重い空気を吹き飛ばすような、可愛いお願いに一瞬言葉を失う物の、直ぐに冬真は蕩けるような笑みに変わった。

「わかった。今度二人でお祭り来ような。沢山楽しませてやるから」
「やった、楽しみだな」

 本当に嬉しそうに子供のような、笑みを浮かべる力也を冬真は抱きしめた。

「二人で浴衣きてこよう。うまいもんたくさん食べて、神輿みて、花火もみよう」
「うん、神輿担いでみたい」
「飛び入り参加できっかな~」

 予想以上に本気で楽しむ気満々の様子に、笑いながら前に見たことある神輿の光景を思い出す。チラッと見ただけだから、わからないがあれは慣れている人しかいなかった気がする。

「そこは押し切る!」
「なんでそこだけ、強気なんだよ。まぁ、あの神輿用の衣装着てる力也は見たいけど」

 短い法被も、鉢巻も似合うだろうと思っていったのに、そう言った瞬間力也がなんとも言えない顔になり少し警戒するように、冬真の腕の中から逃げ出した。

「……ふんどし?」

 眉を潜められ、そう言われ一瞬なにを言われたかわからなかったが、直ぐ誤解されていることに気づいた。

「違う、違う。ちゃんと下も履いてたって!」

 そう返してもまだ疑うような視線を送ってくる。確かに、散々面積の少ない下着に興奮していたのは認めるが、それを想像していたわけじゃない。それに、本当にそんな恰好なら人には見せたくない、見るのは自分だけにしたい。

「まぁ、Tバックぐらいなら履いたことあるけど、流石にふんどしはないし、そう言うのともちょっと違うよな」
「え、Tバックあるのか?」
「衣装の関係上履かなきゃいけない時ってあるだろ?」

 流れで昔の相手達の関係かと警戒した冬真だが、返ってきたのはいたって普通の理由だった。変に勘ぐって悪かったというか、その可能性を同じ業界でありながら思いつかないことに、バツの悪さを感じる。

「見たい?」

 そこまで言うなら、そういう目的は考えていないのだろうと思っていたのに、力也から持ち掛けてきた甘い誘惑に冬真は思わずその顔を凝視した。

「見せるようじゃないしすげぇシンプルだけど、それでいいなら」
「いい! 二人きりの時でいいから見たい!」
「わかった、わかった。今度見せるから」
「よっしゃ!」

 あまりの食いつき型に、押されるようにしながらも、仕方なさそうに笑い承諾した力也に思わずガッツポーズした。

「楽しみだな」
「それはどっちが?」
「もちろん、両方」

 二人で祭りに来るのも、Tバックを付けた力也を見ることも冬真にとっては同じぐらい楽しみだった。同列に並べるには欲が丸出しすぎるが、それを気にする冬真ではない。

「スケベ」
「煽っといてよく言うよ」

 そう言えば確かに、それは自覚が合ったのだろう。恥ずかしそうにしながらも、冬真を睨み唸るような声を上げた。

「むっつり、変態、いじわる」

 冬真からすれば可愛いだけの、憎まれ口に笑いながら力也の頭を少し押さえつけるように撫でれば途端に瞳が緩み、あっさりと口を塞いだ。

「しょうがないだろ。Domなんだから。お前が耐えられるなら色々してぇんだよ」
「別に、冬真相手ならいいけど……」
「え?」
「露出と野外と玩具ぐらいなら恥ずかしいけど、頑張れると思う。むしろ本当にできなくなる前に冬真がやりたいなら、やってほしい」

 それは本当に驚くような、告白ともとれるほどの誘惑でもあった。自分にとって都合のよすぎる言葉に、思わず無理をしているのではと力也を見るが、そこにあったのは自分で言っていて恥ずかしくなったのか誤魔化すような笑みと、強請るような瞳だった。

「わかった。俺がそいつらに味合わされたのとは、全く違う羞恥にまみれた快感をみせてやるよ」
「お願いします」

 支配のグレアを込め、見つめれば力也の瞳にSubの色が宿る。ほんの少しの脅えと、期待、そして不安、その全てに冬真への信頼が含まれていた。

「力也、Kiss」【キスしろ】

 唇に人差し指で触れながら言えば、力也は一瞬周囲を見た。
今二人がいるのは橋の終わり頃、目に見える信号の前には車や人々の姿が見えた。二人のすぐ隣を車が通りすぎる。
人目の多い場所で、出されたコマンドに、恥ずかしそうな笑みを浮かべるとためらうことなく抱き着きキスをした。
 軽くバードキスを交わし、互いに差し出すように舌を絡め、至近距離で瞳を合わせると、そっと唇を離した。

「全部俺に任せろ」
「うん」

 照れ臭そうに、それでも幸せに満ち溢れた笑みを浮かべた力也に、冬真も止めどないほどの幸せを感じる。
 可愛い、可愛い、愛しの俺のSub、お前が幸せでいられるように、楽しいと笑って過ごせるようにこの力を使う。
 お前を苦しめてきたもの取り除くのは自分の役目で、主人である自分だからこそできることだ。お前が望んでくれるなら、何でもする。
お前は知らないだろうな、俺が使うコマンドよりも、お前のお願いのほうがずっと価値があるなんて。それは当たり前のことなのにSubだけが知らない真実だった。

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