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第二十六話【いつの日か】後

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 もう一度、心の中で繰り返した力也は思わず笑いがこぼれるのを感じた。そんな呼び方をしようとも思わなかったし、母が聞けば怒るだろう呼び方だが心の中でそう呼ぶだけでも、気分が軽くなるのがわかる。

「糞親父、借金してたらしくて、それの保証人が母さんだったんだ」
「糞親父ってかただの糞野郎だな」
「冬真口悪い」
「だってそうだろ、自分のSubをぶっ壊しといて借金まで押し付けたってことだろ?」
「保証人ってか、むしろ担保ってか…。桐生さんがいうには返せないときは母さん奪うつもりだったらしい」
「ならもっと早く来いよ」

 先ほど、チラリとあっただけだが、話に聞いただけの力也の父親よりもマシな主人になりそうだと冬真は思っていた。多分、あの男なら壊すことなどせずに、うまく支配するだろう。

「俺もそれ思った。で、桐生さんたちも糞親父に連絡したらしいんだけどやっぱりつながんなかったからって俺の家に来たんだって」
「ってまさか…」
「うん、俺がいまも借金払ってる」

 力也が話すのを躊躇したのはこれが原因だった。どんな優しいDomであってもヤクザから借金をしているSubなどお断りだろう。例え、力也が自分で返す気であっても、無関係ではいられない。自分に降りかかることが確実ならば、多くのDomはそのSubから手を引くだろう。

「お前の父親ってわかってるけど、マジぶっ潰してぇ」
「物騒だな~」
「だってムカつくだろ。てめぇの借金、パートナーに押し付けてぶっ壊しといて、結局面倒みてもいねぇ息子に払わせるとか最低だろ」
「……そうだよな…。なんでだろう、今までそんなこと気にしていなかったけど、冬真に言われたらそんな気がしてきた」
「お前は怒っていいんだよ。お前が怒らないなら俺が怒ってやるから」
「ありがとう」

 怒っていいと言われても、うまく切り替えることもできず、どこからともなく罪悪感が湧き起こり怒りに歯止めをかける。父親にされたことを思い出し、怒ろうとしてもそれは次第に哀しみへと変わる。
 それでも、冬真が怒っていいと言っていたのだから怒るべきだろうと、怒りの感情を呼び覚まそうとするが、怒ろうと思えば思うほど今度は意味のわからない気持ち悪さが訪れる。
 これが、ムカつくということなのだろうか、こみ上げる吐き気は力也にとってはただ苦しいだけだった。

「ごめん、無理言った」

 先ほどまでの怒りに満ちた声ではなく、暖かいグレアとともに優しい声をかけられ力也の体は抱きしめられた。

「無理して怒らなくていい、お前たちがそれが苦手だって俺わかってるから」

 多くのDomはSubが怒らないからと言い訳にするが、それは違うのだと冬真は知っていた。Subは怒らないのではなく、怒るという感情が弱いのだ。人の感情を表すときに使う、喜怒哀楽、しかしそれは平等なものではなく個人差がある。すぐ怒る人、すぐに泣く人、いつも笑っている人、世の中にはいろいろな人々がいる。
 それが喜怒哀楽が平等ではない証拠だ。
 第二の性であるダイナミクスを持つ人々はそれが顕著にでやすい。冬真たちDomは喜怒哀楽のうち怒と楽の感情が強めで、そちらを求めてしまう傾向にある。支配するにはそのほうが好都合だからだろう。
 対して、力也たちSubは喜怒哀楽のうち、喜と哀の感情が強めで、怒ることが苦手な傾向がある。これは多くの理不尽にさらされても大丈夫なように、生まれ持っている性質だ。
 だというのに、多くの人々は怒らないからやっていいんだと誤解する。自分がやられたら嫌なことを、到底許せないことを要求する。
 
(だからこそ、俺たちが怒らなきゃ…)
「お前が怒れないなら俺が怒るから。俺がお前の分も、お前の母さんの分も怒る」
「冬真…」
「そのかわり、怒れそうになったらいっぱい愚痴って。俺いくらでも聞くから」
「うん…そうする」

 怒らなくていいと言われ、深く考えるのをやめれば気持ち悪さはどこかへ行った。鋭すぎる言葉に、代わりにうれしさが満ち、力也はその体を冬真へと預けた。

「実は、借金俺のもあるんだ」
「お前の?」
「うん、母さんが施設に入って俺一人じゃ払えないって言ったら、桐生さんが同情してくれたんだよ。俺がしっかり働けるようになるまで、返すのも、利子つけるのも待つって言ってくれて…」
「ヤクザなのに、随分優しいな」
「俺も驚いたんだけど、俺はSubだから絶対逃げないし、後々多めに請求しても必ず返すから、今追い詰めて払わせるより確実だって」

 まともに働けない子供に利子を突き付けても、できることと言えば身を売るぐらいだろう。しかし、未成年をそういうことに使うのはそれなりの危険が伴う。
 ならば後数年待ってから、じっくり取っていったほうが確実だった。

「で、それならって俺思って言ってみたんだ。なら更に借金させてほしいって」
「え?」
「俺は高校まででたいけど、母さんの施設のお金もあるし、稼ぐにも限界があるから。待ってくれるなら、ここで更に借金してそれを生活費に当てようって思って」
「驚かれただろ」
「うん、すごく」

 予想外の交渉に、その場にいた誰もが驚いた。到底受け入れられるはずのない内容に調子にのるなと怒りだした手下たちを諫めたのもまた、桐生だった。
 桐生だけが、いい度胸だと笑い借金の足し増しに応じてくれた。

「未成年じゃ、借金できないし、頼る人もいなかったし、金もないのもわかってたから他に方法なくて」
「お前ほんと度胸あるよな」
「褒めてる?」
「褒めてる、褒めてる。で、母さんは今も施設にいるのか?」

 本心なのかどうなのかわからないような投げやりな言い方で言った後、冬真はそう聞いた。

「うん、いつでれるかわからない。この前行ったけど、まだ戻ってきてなかったから…」
「そっか…。じゃあ会えねぇな」

 冬真は話でしか聞いたことのない保護施設は、Domは立ち入りが禁止されている。そこに例外はなく、だからこそSubを守れるのだ。
 弱り切ったSubばかりの中にDomをいれるなど、なんの抵抗もできない子供たちの中に殺人鬼をいれるようなものだ。

「ごめん」
「だから、お前が謝ることじゃないって。いつか外へ出れるようになったときに会わせてくれればいいから。俺、待つの得意じゃないけど、待てるから」
「ありがとう、俺も会ってほしい。いまも大好きな母さんに冬真を紹介したい。俺を助けてくれるように、母さんのことも助けてほしい」

 いつかその時になったら、一番に会わせたい。信頼できる自慢のご主人様として。そしてできることなら…。

「ああ、俺が受け入れる。お前もお前の母さんも必ず」
「うん、ありがとう。冬真、大好き」
「俺こそ、言いにくいこと話してくれてありがとう。愛してる」

 ぎゅっと抱きしめることで、冬真のあたたかなグレアが力也の全身を覆う。心配ばかりしていたけど、話してよかったと思えた。
 話しているときに感じていた震えも、気持ち悪さも、苦しさも、哀しさも、不快な感情はすべて消えていた。焦らせることもなく、ただ力也の味方でいようと話を聞いてくれた冬真に感謝と幸福しか感じない。
 しばらく、そうして二人で抱き合ってゆったりした時間を楽しんでいたが、不意に冬真が思い出したように切り出した。

「ところで、確認するけどお前が俺に話すのためらったのって俺が離れるかもって思ったからだよな?」

 その言葉に幸せに浸っていた力也の体が硬直した。言葉にしなくとも、それだけでそれが真実だと冬真にはわかった。捨てられたくないと思うのはわかるが、それは冬真の想いを信じられなかったからということになる。先ほどまでのあたたかいグレアが、変わっていく。

「力也?」
「だって嫌だろ?ヤクザに借金あるとか」
「俺がそれで引くと思った?」
「そうじゃないけど…スキャンダルになるかもしれないし、冬真が有名になるのに邪魔に…」
「俺結構お前にストレートに伝えてるつもりだったんだけど?」
「ごめんなさい」

 そう謝れば、冬真は大きくため息を吐いた。確かに人によっては手を引くだろう内容だが、冬真からすればそんな奴らと一緒にされたくない。
 力也が本気で冬真が手を引くと思っているわけはないとわかってるが、それでも不安に駆られたということはなにかが足りなかったのだろう。

「…力也、明日って言ってももう今日だけど、お前仕事は?」
「今日は乱闘シーンのエキストラが入ってるけど…」
「修二さんは?」
「修二さんも一緒だけど…」
「どうしても無理そうなら修二さんなら許すから」

 抱きしめていた体を離され、正面にきた冬真の顔は不自然なほどにニコリと笑っていた。
 役者としてそれでいいのかと思うぐらいのわかりやすい作り笑いに、嫌な汗が止まらない。確実にお仕置きだ。

「あの、冬真ごめ…」
「力也、なんか縛れる物ある?」

 もう一度謝ろうとした言葉は、途中で止められてしまった。代わりに問われた問いの答えを口にする。

「ロープなら…」
「じゃあ、それをTake」【もってこい】
「はい」

 普段とは違う高ランクのDomらしい迫力になにをするのかと聞くこともできず、力也は力なく立ち上がりそれを取りに行った。なんとなく、この後の展開は予想がついていたが…。


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