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第十七話【マウント】前

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【怪盗と探偵と忍者】の撮影が再開され、久しぶりに俺も現場に呼ばれた。もう体はすっかり全快していて動いても痛むことはない。
 あんなに頑張って俺を傷つけたのに、残念だよなとまた可愛くないことを考える。実際、身体への攻撃よりも心への攻撃の方がずっと傷として残りやすく、全快するのは難しい。棘のようにずっと心に刺さり、永遠に治らないことがある。
 それでも、それは所謂思い出したくない嫌な思い出であり、思い出したくない思い出は悪い方へと塗り替えられ、心の奥深くに押し入られる。
 でも、幸せな思い出は違う。何度でも、どこででも思い出し、その度に心が温かくなりそれだけを糧に生きてこうとさえ思える。
 冬真がくれたのは正にそれだった。あの時のことはずっと消えず、震える声も背中に感じた涙も、俺が痛くないように抱きしめてくれたあの感触もすべて覚えている。
 そして、きっと忘れないだろう。きっともっと欲しくなる。どんどん欲張りになる。けして忘れたくないと思う。その時の気持ちを、声を、体温を…冬真を…。

「力也君!」
「孝仁さん」

 会いたかったというように走ってきた孝仁さんに抱きしめられる。久しぶりの孝仁さんと俺は全く同じ衣装に同じ髪型で笑い合う。

「こうしてると双子みたいだよな」
「将人さん、お疲れ様です」
「ああ」

 スタントブルとしての仕事上、こうやって同じ格好をすることが多く、今日は顔も隠さない撮影だからカツラもつけている。

「それより、気づいてる?じっと見てるよ」
「気づいてないわけないっすよ」

 久しぶりの孝仁さんからのスキンシップをうけながら、視線を移せば冬真がこっちを見ていた。腕を組み、軽く指先で組んだ腕をつついているのは苛立っている証拠だろうか。

(孝仁さんのこと気づいていると思うんだけどな)

軽く手を振れば、手を組んだまま手を振り返された。

「全員集合!」

 監督の声に、走り集合すれば監督の傍に初めてみる男性がいた。少しだけ生えた髭に、きつめの顔立ちの年齢を重ねた男らしい渋みをだしていた。

「こちらが今回映画監督を務めてくださる神月監督だ」
「神月傑という、全力で務めるつもりだ。よろしく頼む」

 よろしくお願いしますと他の役者たちと一斉に挨拶をしながらも、プレッシャーを感じる。神月監督はDomだった。それも、冬真よりもランクの高い最上級のランクのDomだ。

(Sランク初めて会った)

 Subとしての俺のランクはA、自分より下のランクのDomは跳ね返すこともできるし、同じランクの冬真にも反抗できる。でも、神月監督にはそれは通じないと思えた。

「今回は、見学として参加させてもらうだけだ。そう緊張しないでいつも通りを見せて欲しい」

 圧倒的なオーラとプレッシャーを放っているというのに言葉は優しく落ち着いていた。

「特に、スタントブルの二人は危険が伴う。俺のことなんか気にしなくていいから自分の身だけを考えていつも通りに動いてほしい」

 今日スタントブルとして来ているのは俺と修二さんだけだ。俺たちの方へと向き合った神月監督からはさっき感じたプレッシャーは消えていて、その代わりにまるで照らすような笑みを浮かべていた。

「「はい、よろしくお願いします」」
「2人ができる範囲を見せて欲しい、それが一番助かる」
「「はい!」」

 ピシッといつになく、背筋を伸ばし返事をした俺たちの様子に、他の役者さんたちも事情を指したらしく、監督の顔色を伺い始めた。

「俺はDomだから、少し口調がきつくなることがあるが、相談にはのる。いい映画にするためについてきてくれ」

 改めて宣言したことで、その場にいる全員の身が引き締まった。
 挨拶が終わり、撮影に入れば本当に見学と言っていただけあって、口をだすことなく見守っていた。

 しかし、休憩が終わるとそれは変わった。監督に意見を求められたらしい神月監督は俺と修二さんを呼び出した。

「2人とも、とてもいい動きをしている。それを踏まえて、映画ではワイヤーアクションを多く取り入れたいと思っているが、経験はあるか?」
「はい、俺も力也もあります」
「なら大丈夫だな。かなり激しい動きになると思う、実際やってみないと分からないが、改善点は聞く、もし撮影までに練習できるようなら練習しておいてほしい」
「わかりました」
「はい」
「よし」

 はっきりとした口調で返事をした俺と修二さんへと監督は表情をやわらげた。

「次、忍者役の孝人」
「はい!」

 1人だけ呼ばれた孝仁さんは、俺たちの隣に並び気を付けをした。

「お前は、もう少し動きを考えろ。どこで場面が変わるか、スタントブルと入れ替わるか考えてもっとタイミングを合わせることを考えろ」
「すみません」

 自分でも自覚があったのか、落ち込んだ口調へとなった孝仁さんへと神月監督は更に続けた。

「役に入り込む、演技力も、見せ方もわかっている。さっき言ったことはお前ならやれるはずだ」
「はい!頑張ります」
「ああ」

 途端に、嬉しそうな表情へと変わる孝仁さんに神月監督は頷いた。

(なんだ。全然怖くないじゃん)

 将人さんは大げさにいっただけなのかなと思っていると、もう終わったからと手だけで立ち去るように促され俺たち三人はその場を離れた。

「次、怪盗役翔壱と探偵役将人」
「「はい!」」

 初めて見るほどの緊張した表情で、翔壱さんと将人さんが走ってくる。ビシッと背中で手を組みなんでも言えとばかりに背筋を伸ばすその様子はいつもの二人とは全く違っていた。

「発声練習!外郎売!」
「「はい!」」

 その指示に孝仁さんは顔をひきつらせた。見渡すと他の役者さんたちも引き攣った顔をしていた。

「孝仁さん外郎売ってなんですか?」
「僕たちみたいな役者とか声優とかがやる発生練習の中でも有名なお話だよ」
「へぇー」
「翔壱がやっているのを俺も聞いたことがあるが、ヤバいぞ」

 スタントマンばかりであまり声を出していない俺は知らなかったけど、結構有名な内容らしい。修二さんがヤバいって言うのだからヤバいんだろう。

「「拙者親方と申すは、御立会の内にご存知のお方もございましょうが、御江戸も発って……」」

 翔壱さんと将人さんが、饒舌に空気にたたきつける様に読み上げ始めた内容は、聞いているだけでも難しいことがよくわかる内容だった。

「うっわ」
「やっぱ二人とも声通るね」
「いつもより気合入っているな」

 初めて聞いた俺が引くぐらいの長い口上でも、2人は淀みなく一定の音量で読み上げていく。思わず、冬真の方をみると、その顔は圧倒されているように見えた。

「「矢も楯もたまらぬじゃ。」」
「そこまで」

 神月監督はそこで止めた。息つく暇もないような口上を淀みなく読み上げた翔壱さんと将人さんは一度息を吐いた。そして又気合を入れた表情へとなる。

「声出るじゃねぇか、なんで手抜いた?」
「すみません!」
「集中が足りませんでした!」
「わかっているならまあいい、字幕出るわけじゃねぇんだから耳だけで聞いてもわかるように喋れ!お前らがこの現場を引っ張っていくんだ気合入れろ!」
「「はい!」」
「以上」
「「ありがとうございました!」」

 頭を下げるとまるで軍隊のように、回れ右した将人さんと翔壱さんは俺たちの傍まで走ってきた。
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