砥石に語りて

hidden

文字の大きさ
上 下
3 / 7

三 明滅

しおりを挟む
 料理屋を出て、家へ向かって歩いた。
 部屋の入口に座っていた男たちは、かすかに身構える気配を見せただけで玄馬を通した。脅しのつもりだったのか。
 陽は完全に暮れ、町の灯が寄り添いながらも、あたりは闇に包まれている。わずかに生ぬるく、心地よい夜風が脇を抜けていった。
 玄馬が領主専属の砥師とぎしとなること。田所の求めているのはそれだった。
 看板こそ掲げていないが、玄馬の砥ぎは口伝いに広まり、仕上がりの評判はよかった。一度砥いだら、ほとんど脂が巻かない。斬り口に吸いつくように、刃が入っていく。刀も、庖丁も同様だ。それは、誰にでもできる砥ぎではなかった。
 砥石の選び方にもよる。玄馬は指先だけではなく、刀と語るように、砥石とも言葉をかわすようにしていた。砥石を粗いものから、きめ細かいものへ交換する頃合いなどは、砥石から教えてもらう、という感覚だった。
 玄馬の砥ぎを独占することで、得られる利というものは確かにあるだろう。良質の刀が揃うとなれば、それだけでも領主が抱える兵の質や、格が高まったように印象づけることもできる。しかし、何度も呼び出す理由としては弱い。
 田所の狙いは、それだけではないようだった。玄馬には心当たりがあるが、いまのところ断定はできない。
 不意に、気配が肌を打った。
 斬り合いの気配。人数は少なくない。この先の林の近くに開けた場所がある。おそらくそこだろう。近づき、建物に背をつけて、そろりと覗く。
 衛兵と黒尽くめの集団がやり合っている。立っている衛兵は二人で、数人は地に倒れている。刀を構えているうちの一人は知った顔だ。谷口克也たにぐちかつや、衛兵の副長を勤めている男で、今朝まで玄馬が砥いでいた刀の持ち主である。
 倒れている兵が三人。それはどうにか見て取れたが、黒尽くめのほうは闇に紛れて数がはっきりしない。
 白い光が、踊るように闇を舞う。衛兵がまた一人倒れた。黒い影が六、七、八。身を固くしている谷口に勝ち目はない。
 玄馬は指を咥え、高く長く、笛を吹いた。衛兵の使う指笛の音を真似たのだ。谷口を囲んでいた影が、風に吹かれるように散っていく。
 歩み寄ると、谷口は肩で大きく息をしていた。
「谷口の、無事かね」
 玄馬が声をかけると、谷口が弾かれたように顔をあげた。顔や胸のあたりに血が貼りついているが、谷口のものではないようだ。
「兵藤先生」
 谷口も、穂香と同じように玄馬のことを先生と呼ぶ。玄馬に砥ぎを依頼する者は大抵そう呼ぶのだ。
「何者かね」
「わかりません。みな面体めんていを隠しており、どこの組織か、あるいは使いなのか。女の悲鳴を聞き、駆けつけた者が遭遇しました」
「狙いの見当は?」
「いえ、なにも」
 先ほどの玄馬の指笛を聞いた衛兵が一人、二人と集まってきた。谷口が指示を出している。
 斬られた衛兵の、四人のうち一人は死んでいた。倒れたまま残された黒尽くめの者は、逃げ去る者がとどめを刺しており、一人も息をしていなかった。
「報告によると、約竹殿が手負いのようです。浅傷あさでとのことですが」
「祥太ということは、狙いは薬か」
「しかし、薬店に押し入った形跡はないそうです。茶屋の前の道で、通りがかりに斬られたような恰好ですね」
 谷口が、握りしめたままだった刀を拭い、鞘に収めた。砥ぎに出している間、玄馬が貸し出していたものだ。ものは悪くない。
「取りに来るかね?」
「仕上がりましたか」
「昼過ぎにな。明日、使いをやろうと思っていたところだ。こんなときだ、自分の刀をいていたほうがよかろう」
「助かります。近くですし、ここは任せられそうなので、ご一緒しましょう」
 通りに並ぶかがりの火で眼は利くが、若い衛兵に渡された手灯りを持って歩いた。
 歩きながら、谷口は布を出して汗を拭った。血は先に拭いていたが、汗はまだ出てくるようだ。
 遠くから見ただけで、かすかに肌に粟が生じるような手練れ揃いだった。谷口もかなりの遣い手だが、あの場で死んでいても不思議はなかった。
 家に着き、声をかける。穂香の返答がない。いつもなら、声をかける前に小走りで迎えに出てくる。
 嫌な予感が、全身を走った。
 駆け入り、戸を開け放つ。谷口も、声をあげて穂香を探す。いない。縁に出る戸が、開いたままになっている。庭におりたところに穂香の履物が片方、落ちていた。庭の中央あたりに、点々と黒い染みがある。血痕。命に関わるような量ではない。
 谷口の声。玄馬を呼んでいる。
「先生、これがかまどのところに」
 穂香の、もう片方の履物だった。連れ去られた。あの黒尽くめの一団が関係しているのか。
 谷口が、揺曳ようえいする手灯りでかまどの前の地面を照らす。血痕などは見あたらないようだ。
「あれは?」
 かまどの炭のなかに、なにか光る物が見えた。しゃがみこんでいた谷口が引き出す。
 それは十数本の、刀身が手の小指ほどの、ごく小さな短刀だった。
「谷口殿。砥ぎ終えた刀は返そう」
「先生?」
「今夜は引きあげてもらえんかね」
 説明を求められているのはわかったが、玄馬は谷口のほうを見なかった。怒りだけが、肚の底で冷たく燃えはじめている。
「しかし」
「刀は裏の作業場にある。すまんが、持っていってくれ」
 谷口はまだなにか言いたそうだったが、わかりましたとだけ言い、手灯りを頼りに裏へ出ていった。
 一人、灯りのなくなったかまどの前に立ち尽くす。
 表では秋の虫が鳴く声が、耳鳴りのように響き続けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あやかし娘とはぐれ龍

五月雨輝
歴史・時代
天明八年の江戸。神田松永町の両替商「秋野屋」が盗賊に襲われた上に火をつけられて全焼した。一人娘のゆみは運良く生き残ったのだが、その時にはゆみの小さな身体には不思議な能力が備わって、いた。 一方、婿入り先から追い出され実家からも勘当されている旗本の末子、本庄龍之介は、やくざ者から追われている途中にゆみと出会う。二人は一騒動の末に仮の親子として共に過ごしながら、ゆみの家を襲った凶悪犯を追って江戸を走ることになる。 浪人男と家無し娘、二人の刃は神田、本所界隈の悪を裂き、それはやがて二人の家族へと繋がる戦いになるのだった。

北宮純 ~祖国無き戦士~

水城洋臣
歴史・時代
 三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。  そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。  そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。  その名は北宮純。  漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

仙吉の猫

沢亘里 魚尾
歴史・時代
Some 100 stories of cats(猫にまつわる小篇たち)のシリーズ第20作目。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

処理中です...