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やけどした記憶

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「エリー!」
 重たげな窓を小突くと、本を読んでいたエリーは少し驚いた顔をして俺を見た後、顔をほころばせた。
「アーサー! どうしたの?」
「菓子を持ってきた! さっき、市場で買ってきた。お前の好きなナッツがどっさり入ったクッキーだ」
 袋に入ったクッキーを見せてやればいっそう、エリーの顔が華やぐ。
「お菓子! 嬉しい、食べたい!」
 お茶にしましょう。中へいらっしゃい。窓からじゃなくて、ちゃんと玄関から回ってくるのよ。そう言ってエリーは、本を閉じて椅子から立った。俺の主君は今日も慈悲深い。身分の垣根を越えた友人として、俺とお茶をしてくれるらしい。俺が嬉々として、主君の待つ部屋の入り口に向かおうとした時のことだった。
 痛っ。頭の後ろ側を固く重みのあるもので小突かれた気配がした。誰だ! 主君の前でこんな、野蛮なことをする奴は。
「エリーじゃなくてエリザベート様だろ。アーサー、身の程をわきまえろ。そして王族に毒味を介していない食べ物を献上することは禁止されている。従者見習いならそれくらい分かっていて欲しいけどな」
「兄さん」
 青いロープコートを上品に纏った兄様が眉を寄せて俺を見ていた。さすが魔法界期待の新人。魔法界の法令のみならず、王族のたしなみも完璧って感じか。俺と同じロープコートを着ているはずなのに、近寄りがたさを感じさせる兄は、俺よりもずっと城の者らしい。
「アスラン、あなたも来てくれたのね!」
 窓の方に戻ってきたエリーが弾んだ声を出した。嬉しさを前面に出したエリーを、少し柔らかな表情で見た後、兄さんは一歩窓から後ろへ下がった。
「エリザベート様、弟がとんだ過ちを」
 兄さんが深々と頭を下げる。
「顔を上げてちょうだい、アスラン、アーサー。それにエリーと呼んでっていつも言っているでしょ」
「ありがたきお言葉」
 対等に接するエリーをいつも兄さんは、遠くから見ているような気がする。わざわざよそよそしい演出をして、互いの距離を近づける努力をしない。そういうところが魔王そっくりで、不快感を覚える。本当は一言文句を言ってやりたいけど、そんなことをすれば優しいエリーは悲しむ。やりきれなくて、言葉にしないと決めた思いごと拳を握りしめると、外から声がした。
「アスラン先生―、どこにおられますかー?」
「ここにいる。しばし待て」
 真面目な兄さんが職務をサボってまで城に来た理由はもう分かっている。嫌だな、わざわざ。俺だって分かっているのに。理屈は分かっているけど、頭だと納得がいかないから、実行しないだけなのに。
「そうだ、アーサー。明日は聖なる祝祭の日だ。この世で友達や家族と出会えた喜びを分かち合う日だ。今日くらい、「城の者」や「魔法使い」としてでなく「家族」とゆっくり過ごしたらどうだ?」
 余計な一言を。兄さんだって俺のことは分かっているはずなのに。俺にはもう兄さん以外に、「家族」と呼べる人間がいないことは分かっているはずだろ。
「そうよ、アーサー。今日は街の皆が幸せな日であるべきよ。どうせ私は大勢の警備の元、ありがたいパーティーに出席する予定なんだから、従者の仕事はお休みにして、お父様に顔を見せてきなさい」
 エリーまでそんなことを。理解して欲しい、俺には帰る場所なんてないのに。
 あの事件があった日、真っ赤に燃えさかる家と同時に、信じていたはずの愛が一瞬にして燃え尽きて無機物に変わる瞬間を目にした。
 信じたくないけれど、信じざるを得なかった。この世にはもう、母さんはいないことも、「父親」なんて初めから存在しなかった、一緒に暮らしていたあの男は、冷酷極まりない魔王だったということを。
 あの日から俺は、父親と呼べる人間なんて失ったはずなんだ。
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