影武者として生きるなら

のーが

文字の大きさ
36 / 37

第35話

しおりを挟む
 ゲートの先へ行くよう指示した久田は一歩も動いていない。鉄の網目の隙間から見つめられる。久川はまだ目の前で起きている出来事を飲み込めない。平然とした久田の顔以外を認識できない。 

「楓ちゃんを救った方法は、こんなに単純なことだったんです。つまり〝最後の全影〟がここに残るから。〝全影〟の一族はこれで絶滅します。最後ですからね。追われる心配は無用です」 

 反応がなく硬直したままの久川。久田は一歩後ろにさがる。 
 遠のいた久田の行動に焦りを覚え、久川は鉄格子を掴む。 

「なに、それ……私を助けるって、そういうことだったの?」 
「正式に許可される形で里を出ますから、最良の方法でしょう。今回の依頼で影武者が犠牲になれば、全影を継承してきた一族は滅びる。それでも構わないと判断した管理組織が依頼を引き受けたのです。天音さんは約束を反故にするような人ではないと、二年も面倒を見てもらっていた楓ちゃんならわかりますよね?」 
「碧ちゃんが代わりになるだけじゃん! そんなの何の解決にもなってないっ!」 
「ボクは死んだはずの存在ですから。失ったはずの命で楓ちゃんを救えるなら、これ以上は望みません。最後の最後に化けるのが親友とは、悪くありませんね」 
「なに、それ……なんなのそれぇッ!」 

 鉄格子を握る掌が痛い。痛いのに更に力を込めるから皮膚がめり込む。それでもまだ強く握ろうとして、顔を鉄格子に押し付けた。 
 熱い感情が溢れていた。前に頬を濡らしたのも、親友と永遠のお別れをした日だった。 
 でも、あの日は最後ではなくて。 
 今日こそが、本当の別れ。 

「もっと早くに気づけばっ! 私が外に出なかったら碧ちゃんが助かったかのにっ!」 
「それでは数年間の計画が台無しになってしまうではありませんか」 
「里を出る前から、ホントにここまで?」 
「どうやって助けるかまでは考えていませんでしたよ。天音さんが協力的だったので、最も安全な方法で実現できました」 
「どんな方法を使ってでも、私を逃がすつもりだったの?」 
「死者のくせに何年も生き延びてきたのは、そのためでしたから」 

 赤く腫れた目に映る久田は微かに笑みを見せる。満足した表情だった。 
 背後でエンジンのかかる音がした。背中を白光で照らされる。手を傘に確認した先で、武林の待機する車のヘッドライトに眩い光が灯っていた。 

「ボクだけではありません。楓ちゃんのお母さんと協力して進めてきた計画なのです」 
「お母さんが碧ちゃんの命を犠牲にするって言ったの!?」 

 久田は静かに首を横に振る。 

「それはボクの提言です」 
「そんな認めるなんてありえないっ! 碧ちゃんが犠牲になってもいいなんて!」 
「本来なら影武者が自由になるだなんて成立するはずがないのです。お母さんを責めないでください。これは、ボクが無理をいって許可いただいた方法ですから」 
「そんなの私の知ってるお母さんじゃないっ! お母さんなら碧ちゃんを見捨てたりしないっ!」 

 掌に太い痣ができていたが、久川は格子から手を離さない。 
 役所から天音が出てきた。二人の管理者を連れてゲートに近づいてくる。久田は天音の様子を横目で見て、久川に視線を戻す。 

「行ってください。事の最中を大勢に見られるよりは、事後に周知させた方が印象が薄くて済みます。面倒なことにならないように、早く」 
「こんなのがお別れなんて、まだ私なにもっ――」 

 それまで平気そうだった久田の顔に変化があって、久川は思わず声を止めた。 
 悲哀に満ちた表情ではなかった。絶望でもなく、希望であるはずもない。 
 その表情は、唖然と表現するしかない。目を丸くした久田を見つめ返して、彼女の見ている対象が自分ではないと気づいた。 
 音が近づく。まだ車道を挟んで遠くにいる天音たち管理者も足を止めている。 
 近づいてきたのはエンジン音。森閑とした闇に反響した車のエンジン音が急激に大きくなって、音は久川の横を駆け抜ける。 
 刹那、耳にしたことのない圧倒的な物と物の激突音が轟く。鉄の網目で構築されたシャッターは流石に頑丈で、車の突進を受けても僅かにひしゃげただけに留まった。しかし、変形した分だけシャッター下部と地面との間に隙間が生まれた。 
 車は大破していなければ道理に反する衝撃だった。にも関わらず、フロントバンパーが外れ、フロントライトが割れる程度に収まっている。まさに道理に反した軽傷だ。 
 久田は開いた口が塞がらない様子。久川の真横で交通事故を起こした車の運転席から、無謀運転をした張本人が顔を出した。変形したシャッターの向こうで呆けている久田を見る。 

「さ、行くよ。 早く乗って!」 
「え、そんな、どういう――」 
「グズグズしない! こうなったら他に選択できないでしょうが!」 

 天音たちはまだ動けずにいる。 
 一秒だけ元同僚たちを見て、次の一秒後に久田はひしゃげたシャッターに駆け寄っていた。 
 武林は続けて我が子に目をやる。 

「話はあと! 楓も早くッ!」 

 ああ、お母さんだ。十年ぶりの再会なのにどうしてゆっくり喋れないのだと不満を感じつつも、久川の足は助手席に向かっていた。 
 シャッターと車道との間にできた隙間を抜け、久田は後部座席に飛び乗った。武林が早めに車を発進させたせいで、飛び乗らなければならなかった。ドアを開け、久川は無事に座席に転がり込んだ。 
 運転席にいる女性は間違いなく自分の母親だった。変わっていない。辺りが暗くて皺が目立たないからなのか。声をかけたくても、後部座席の久田と問答しているから口を挟めない。 
 周囲を監視していた管理者が続々と歩道の脇から現れ、立ち尽くした。天音から待機を命じられていた面々らしかった。手も足も出ず見送るしかできない管理者たちの眼前を武林の車が走り抜ける。 
 後ろのガラスから、シャッターの向こうで指示を飛ばす天音が見えた。混乱する部下に何事かを言いつけ、携帯電話を耳に当てる。 

 彼の口元が一瞬だけ緩んだように見えたのは、きっと気のせいではない。 
 運転席と後部座席では、久川を救ったふたりの口論が続いていた。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

処理中です...