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第32話
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そこにいない、いるはずのない人物を目の当たりにした時、人は幽霊を見た気分になるものだろう。久田碧が亡くなってから、久川は何度か彼女と再会したことがあった。
夢のなかでだけ会える彼女は、何年経っても外見は変わらない。影武者としての役目を果たす直前、本物の彼女と最後に話した日の姿で必ず現れた。久川の身長が伸び、女性らしさが増して髪を茶色に染めても久田碧は幼い日のまま。それは、確かに幽霊に近しかった。
これは違う。久田碧と名乗る人物は久川の記憶にある幼い日の姿ではなく、久川と同じように身長が伸び、女性らしさが増している。髪色は変わらないが、久川の知っている久田碧とは違う。久田碧の成長した姿と言われれば疑う余地はない。大人になれるはずのない彼女が大人になったら、こんな姿に成長したのだろう。目の前の人物に想像を重ねる久川は、自分の抱く感想を自分で理解できていない。
「カミングアウトしたものの、なにから話すべきか考えておりませんでした。打ち明けようとは決めていたのですけれど。とりあえず、久しぶり、でしょうか。二週間ぶり、というわけではありませんよ?」
久田は右手を腰に当てたかと思えば腕を組む。困っている様子なのは久川にも伝わったが、久川に気を遣える余裕なんてあるはずもない。天音は口を半開きにしたまま硬直している。
「参りましたね。質問でもして頂けたら会話の糸口が見つかるのですが、何かありませんか? って、他人任せなのはよくありませんね」
「……どうして、ここにいる」
かすれた声で天音が口火を切った。久川もまずはそれを訊きたい。
「まぁ、そうですよね。それが一番不思議でしょう。ボクは――ああ、長いこと男性として生活していましたからこの一人称が定着してしまいましたが、気にしないでください。話を戻しますが、ボクは八年前に亡くなったはずでしょう? 国の記録には影武者の名前なんて初めから除外されていますけれど、管理機関の記録には記されているはずです。誰の身代わりとして命を捧げたか、の情報も添えて。
例の国の重要人物に化けたボクは偽者とバレないよう編成された護衛部隊と共に行動している最中、対抗勢力の襲撃を受けて命を落とし、最後には篭城していた建物に火を放たれ焼死しました。対抗勢力が犯行声明と勝利宣言をした数日後、潜伏していた本物の〝彼女〟が指揮する精鋭が浮かれた敵を一網打尽にして混乱を収めることが叶った。なんて、そんな風に書かれているのではありませんか?」
「身代わりとなった者が事の顛末まで仔細に知っているなんてな。ひどく矛盾している」
「でなければボクが天音さんの前に立っているなんてありえませんから」
「左手の刻印はどうした。アレは全影であっても消せないはずだ」
「消えていないですよ」
答えながら、久田は左手の甲を伸ばして天音に見せ付ける。久川も注目したが、久田の主張と実物は乖離している。影武者ならば誰にでもあるはずの刻印が、久田の左手には見当たらない。
反応を窺ったあと、久田は手品でも披露するような手つきで、右手の親指と人差し指で左手の指先をつまんだ。なにをしているのかと訝しげに見守る久川の前で、久田がつまんでいた指先の皮膚がゴム手袋みたいに異様に伸びる。
左手の皮膚が引っ張られた下から、わずかに色の違う皮膚が現れた。日焼け跡と隠れていた箇所の境目が明瞭すぎるから、晒された皮膚のほうが偽者にも思える。そうではないと久川が確信できたのは、色の違う皮膚には確かにあったから。久田碧が生まれてすぐに刻印された彼女を示す管理番号、左手の甲に〝01〟の数字が残っていた。
「小細工か。それも、加藤に化けるマスクを作った奴の仕業か」
「雑貨店を営む武林さんには多方面の人脈があります。ジョークグッズを作る職人との繋がりがあったとしても、パーティグッズが店に並んでいればおかしくありません。彼女を頻繁に監視していたと思いますが、気づけなかったようですね」
「だが亡くなったはずの影武者との接触を見落とすほどの腑抜けが監視についているとは思えん。どうやった? 事前に久川くんの母親と打ち合わせていなければ柊落葉として堂々と姿を現すのは不可能だ。どこで話した? いつ会った?」
「ごもっともな見解ですし、監視の方も見落としたわけではありません」
「そうでなければ、役目を終えたあとで里を出た彼女に直接会いに行ったとでも? ありえん。事前に知っておかねば久川くんの母親がどこに住んでいるか確認のしようがない。久田碧が亡くなった当時、彼女はまだ里にいた。久川くんと二人で暮らしていた。その一ヵ月後に久川くんを残して里を出て、我々の支援によって雑貨店が開店する頃には久田碧の死から半年が経っていた」
言葉を切り、首を横に振って天音は自己否定する。
「だから、ありえない。久川くんの母親と久田くんが結託する機会はなかったはず」
「先ほどから、その点は否定しておりません」
「ならどうやった? どうやって生き延び、半年後に彼女の店にやってきたんだ」
「人並みはずれて勘の良い天音さんでも、さすがにわかりませんか」
「降参だ。未だに目の前にいる君を亡霊なんじゃないかと疑ってさえいる」
久田も苦笑した。生存している経緯を説明したところで、久田碧が亡霊なのは変わらない。久田自身でさえもそう思う。
「役目を果たす前から計画していたんですよ」
簡素な種明かしを受け、天音は目を細めた。
「どうやって合流するか打合せもせずに実現できる計画じゃない。久川くんの母親と打合せの機会があるとしたら……そういうことか」
「ご推察の通り、計画はボクが里にいた末期に画策したものです」
毅然と答える久田の前に、静観していた久川が立った。どこか疲れた様子の天音との間に割り込み、彼女は久田を見据える。
「じゃあ、私がやるはずだった影武者を交代したのも計画の一部だったの?」
「一部どころか、それこそが計画の発端です。ボクが選ばれていたら、柊落葉なんて辛気臭い偽名を使う羽目にもならなかったでしょうね」
「気に入ってないなら、そんな名前にしなくても良かったのに」
「実は気に入っていないわけでもありません。既に命を落としたボクが名乗るには悪くない偽名ですし」
深刻そうな久川の顔に戸惑いが混じる。
「碧ちゃんが代わりを引き受けてのは、お母さんから頼まれたから? 私のお母さんが頼んだの?」
「頼んだのはボクです」
「碧ちゃんが、お母さんに?」
「今回避けても、役目を強制される日は必ず来る。十年先ならマシで、二十年も生き長らえるのは過去の例になくありえない。あなたに将来を与える方法はいくつかあれども達成すべき目標は明白で、つまり影武者として生きる必要がなくなればいい。その実現方法として、まずボクが代わりになりました」
「お母さん何も言わなかった? 私の代わりを碧ちゃんが引き受けると決めた時とか」
「感謝なのか謝罪なのか不明瞭な口調で気を遣われてはいました。勘違いしないでほしいのですが、計画が武林――あなたの母親が立てたものだとしても、提案したのはボクです。あなたの母親がボクを犠牲にすると決めたわけではありません」
真実は虚しかった。久田が命を懸けてまで守ってくれたのに、結局また彼女に助けられたのだ。助けられてばかりで、まるでお姫様のよう。親友になりきり、自分で行動できる人になろうと決意したはずなのに、自分はまるで成長できていない。
視線を感じて久田は天音を見た。彼の醸す空気に威厳が戻っている。
「我々の記録では、久田碧は火事で亡くなったことになっている。遺体は見つかっていないし、焼け跡の様子から判断して捜索も行わなかった。それがまさか、生きていたなんてな。そのくせ生き延びた目的が久川くんを救うため、なんてな」
語りかけるでもなく呟く天音。黙っていた久田に、天音は矛先を向けた。
「どう実現するつもりか、教えてもらおうか」
「もちろんです」
即答して、久田はちらりと久川を見た。
「ただ、まずはふたりで話をすべきと思います」
「ここで話せない事情でもあるのか?」
「そんなところです。あとで絶対に話しますから、少し休んでてください」
久川の返答を待たず、ふたりは戸を開けて廊下に出た。
夢のなかでだけ会える彼女は、何年経っても外見は変わらない。影武者としての役目を果たす直前、本物の彼女と最後に話した日の姿で必ず現れた。久川の身長が伸び、女性らしさが増して髪を茶色に染めても久田碧は幼い日のまま。それは、確かに幽霊に近しかった。
これは違う。久田碧と名乗る人物は久川の記憶にある幼い日の姿ではなく、久川と同じように身長が伸び、女性らしさが増している。髪色は変わらないが、久川の知っている久田碧とは違う。久田碧の成長した姿と言われれば疑う余地はない。大人になれるはずのない彼女が大人になったら、こんな姿に成長したのだろう。目の前の人物に想像を重ねる久川は、自分の抱く感想を自分で理解できていない。
「カミングアウトしたものの、なにから話すべきか考えておりませんでした。打ち明けようとは決めていたのですけれど。とりあえず、久しぶり、でしょうか。二週間ぶり、というわけではありませんよ?」
久田は右手を腰に当てたかと思えば腕を組む。困っている様子なのは久川にも伝わったが、久川に気を遣える余裕なんてあるはずもない。天音は口を半開きにしたまま硬直している。
「参りましたね。質問でもして頂けたら会話の糸口が見つかるのですが、何かありませんか? って、他人任せなのはよくありませんね」
「……どうして、ここにいる」
かすれた声で天音が口火を切った。久川もまずはそれを訊きたい。
「まぁ、そうですよね。それが一番不思議でしょう。ボクは――ああ、長いこと男性として生活していましたからこの一人称が定着してしまいましたが、気にしないでください。話を戻しますが、ボクは八年前に亡くなったはずでしょう? 国の記録には影武者の名前なんて初めから除外されていますけれど、管理機関の記録には記されているはずです。誰の身代わりとして命を捧げたか、の情報も添えて。
例の国の重要人物に化けたボクは偽者とバレないよう編成された護衛部隊と共に行動している最中、対抗勢力の襲撃を受けて命を落とし、最後には篭城していた建物に火を放たれ焼死しました。対抗勢力が犯行声明と勝利宣言をした数日後、潜伏していた本物の〝彼女〟が指揮する精鋭が浮かれた敵を一網打尽にして混乱を収めることが叶った。なんて、そんな風に書かれているのではありませんか?」
「身代わりとなった者が事の顛末まで仔細に知っているなんてな。ひどく矛盾している」
「でなければボクが天音さんの前に立っているなんてありえませんから」
「左手の刻印はどうした。アレは全影であっても消せないはずだ」
「消えていないですよ」
答えながら、久田は左手の甲を伸ばして天音に見せ付ける。久川も注目したが、久田の主張と実物は乖離している。影武者ならば誰にでもあるはずの刻印が、久田の左手には見当たらない。
反応を窺ったあと、久田は手品でも披露するような手つきで、右手の親指と人差し指で左手の指先をつまんだ。なにをしているのかと訝しげに見守る久川の前で、久田がつまんでいた指先の皮膚がゴム手袋みたいに異様に伸びる。
左手の皮膚が引っ張られた下から、わずかに色の違う皮膚が現れた。日焼け跡と隠れていた箇所の境目が明瞭すぎるから、晒された皮膚のほうが偽者にも思える。そうではないと久川が確信できたのは、色の違う皮膚には確かにあったから。久田碧が生まれてすぐに刻印された彼女を示す管理番号、左手の甲に〝01〟の数字が残っていた。
「小細工か。それも、加藤に化けるマスクを作った奴の仕業か」
「雑貨店を営む武林さんには多方面の人脈があります。ジョークグッズを作る職人との繋がりがあったとしても、パーティグッズが店に並んでいればおかしくありません。彼女を頻繁に監視していたと思いますが、気づけなかったようですね」
「だが亡くなったはずの影武者との接触を見落とすほどの腑抜けが監視についているとは思えん。どうやった? 事前に久川くんの母親と打ち合わせていなければ柊落葉として堂々と姿を現すのは不可能だ。どこで話した? いつ会った?」
「ごもっともな見解ですし、監視の方も見落としたわけではありません」
「そうでなければ、役目を終えたあとで里を出た彼女に直接会いに行ったとでも? ありえん。事前に知っておかねば久川くんの母親がどこに住んでいるか確認のしようがない。久田碧が亡くなった当時、彼女はまだ里にいた。久川くんと二人で暮らしていた。その一ヵ月後に久川くんを残して里を出て、我々の支援によって雑貨店が開店する頃には久田碧の死から半年が経っていた」
言葉を切り、首を横に振って天音は自己否定する。
「だから、ありえない。久川くんの母親と久田くんが結託する機会はなかったはず」
「先ほどから、その点は否定しておりません」
「ならどうやった? どうやって生き延び、半年後に彼女の店にやってきたんだ」
「人並みはずれて勘の良い天音さんでも、さすがにわかりませんか」
「降参だ。未だに目の前にいる君を亡霊なんじゃないかと疑ってさえいる」
久田も苦笑した。生存している経緯を説明したところで、久田碧が亡霊なのは変わらない。久田自身でさえもそう思う。
「役目を果たす前から計画していたんですよ」
簡素な種明かしを受け、天音は目を細めた。
「どうやって合流するか打合せもせずに実現できる計画じゃない。久川くんの母親と打合せの機会があるとしたら……そういうことか」
「ご推察の通り、計画はボクが里にいた末期に画策したものです」
毅然と答える久田の前に、静観していた久川が立った。どこか疲れた様子の天音との間に割り込み、彼女は久田を見据える。
「じゃあ、私がやるはずだった影武者を交代したのも計画の一部だったの?」
「一部どころか、それこそが計画の発端です。ボクが選ばれていたら、柊落葉なんて辛気臭い偽名を使う羽目にもならなかったでしょうね」
「気に入ってないなら、そんな名前にしなくても良かったのに」
「実は気に入っていないわけでもありません。既に命を落としたボクが名乗るには悪くない偽名ですし」
深刻そうな久川の顔に戸惑いが混じる。
「碧ちゃんが代わりを引き受けてのは、お母さんから頼まれたから? 私のお母さんが頼んだの?」
「頼んだのはボクです」
「碧ちゃんが、お母さんに?」
「今回避けても、役目を強制される日は必ず来る。十年先ならマシで、二十年も生き長らえるのは過去の例になくありえない。あなたに将来を与える方法はいくつかあれども達成すべき目標は明白で、つまり影武者として生きる必要がなくなればいい。その実現方法として、まずボクが代わりになりました」
「お母さん何も言わなかった? 私の代わりを碧ちゃんが引き受けると決めた時とか」
「感謝なのか謝罪なのか不明瞭な口調で気を遣われてはいました。勘違いしないでほしいのですが、計画が武林――あなたの母親が立てたものだとしても、提案したのはボクです。あなたの母親がボクを犠牲にすると決めたわけではありません」
真実は虚しかった。久田が命を懸けてまで守ってくれたのに、結局また彼女に助けられたのだ。助けられてばかりで、まるでお姫様のよう。親友になりきり、自分で行動できる人になろうと決意したはずなのに、自分はまるで成長できていない。
視線を感じて久田は天音を見た。彼の醸す空気に威厳が戻っている。
「我々の記録では、久田碧は火事で亡くなったことになっている。遺体は見つかっていないし、焼け跡の様子から判断して捜索も行わなかった。それがまさか、生きていたなんてな。そのくせ生き延びた目的が久川くんを救うため、なんてな」
語りかけるでもなく呟く天音。黙っていた久田に、天音は矛先を向けた。
「どう実現するつもりか、教えてもらおうか」
「もちろんです」
即答して、久田はちらりと久川を見た。
「ただ、まずはふたりで話をすべきと思います」
「ここで話せない事情でもあるのか?」
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