影武者として生きるなら

のーが

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第24話

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 役所の会議室で天音が待っていた。落葉の次に若い同僚の加藤も天音の横に座っていた。入室すると、先輩管理者は緊張した面持ちで会釈した。天音は挨拶を省略して口火を切った。 

「久川くんとは存分に話せたかい?」 
「それなりに、ですね。ひとまずは喋れる状態で安心しました」 
「俺もそこを心配していた。脱走を阻止するのは仕事だから仕方ないにしても、彼女を傷つけるのは本意じゃない。まぁ、柊くんなら説明しなくてもわかってくれてるか」 
「彼女、これからどうなるんです? 最後の全影として派遣する話は結論が出たんですか?」 

 歳の割に皺の少ない額に険しさが浮かぶ。 

「現時点では決まってないが、今夜にも意見がまとまるだろうな」 
「全影の絶滅を容認する方針でほぼ確実、なんでしょうね」 
「『ほぼ』すら付かない状況だ。脱走されそうになったんだ。それだけ強烈に拒んでいるなら、少なくとも強硬策は取れない。決死の行動を阻止してしまった以上、自害を危惧しなくてはならんが、俺たちや世界への憎しみが膨らみきって破裂するくらいなら全影の能力を世界のために役立てるべきと、それが本部のお偉い様の総意だ」 
「総意なら、既に決定事項というわけですか」 
「そういうことだ。いまは最終確認を兼ねて反芻してるだけ。完全に他人の容姿を模倣できる能力を完全に失うんだから慎重になるのは当然だ。悪いが俺も反論はできん。嫌がる久川くんに強引に子供を産ませ、後継者を用意してから死んでもらうべき、なんてな」 
「あまり良い言い方ではないと思います」 
「すまんな。彼女はいつでも自害のカードを切れる状態だから、もう時間はかけられない。だから彼女の運命は確定した。その件に関して、俺たち現地の働きアリが文句を言ってもどうにもならない」 

 不本意ながら、落葉も天音の見解と同じだった。 
 久川は行動してしまった。彼女の勇気が、彼女の命を握る上層部の面々を脅かしてしまったのだ。 
 落葉はうな垂れそうな頭を手で抑えた。それまで黙っていた加藤が目を細める。 

「柊さん、残念ですよね。まだ担当になって一週間も経ってないのに。でも、ある意味では良かったんだと思いますよ。あんまり仲が深まると、別れるのがしんどいですから」 

 すぐに返事をできなかった。当たり障りのない嘘を思いつくだけの余裕が欠落していた。 

「お気遣い感謝します。結構意気込んで来ましたから残念です。その寂しいお別れも、経験してみたかったですけれどね」 

 やや遅れて愛想笑いを作った。加藤は儚い笑みを返す。 

「務めを果たす日まで久川くんには檻で過ごしてもらう。柊くんの仕事は終わりだ」 
「ひとつ、確認をさせてください」 

 落葉は焦っていた。天音は口を閉ざし、先を促す。 

「檻の監視は高井さんが担当されているのですよね? 監視カメラがあるとはいえ、中に人がいる以上、夜間は無人とはいかないでしょう。夜勤の人員が必要なら、ボクが立候補します。担当していた影武者の監視も御役御免で暇ですから」 

 少しでも長く里に滞在するため、久川を案ずる落葉の搾り出した提案だった。彼女を一人にさせたくない。彼女を救うのは自分で、自分が近くにいなければ彼女は遠くへ行ってしまう気がしていた。 
 決して無茶苦茶な話ではない。理に適っている自負が落葉にあった。 

「夜間の警備に関しては、ここにいる加藤くんが担当する。この場に君を呼んでいるのは新しい仕事を与えたいのではなく、柊くんの業務を引き継がせるためだ」 

 天音の横に座る若い男を落葉は見た。加藤は改めて会釈した。 

「ですが、加藤さんにも受け持っている仕事があるのでは?」 
「こいつは若手だから、遊撃隊みたく細々とした仕事を臨機応変に手伝ってばかりいて固定の業務は持ってない。例外的なケースが発生した際に動いてもらうポジションでな、脱走者の業務がソレに該当するくらいには、大勢が使命を受け入れてるわけだ」 
「監視は負荷こそ少ないかもしれませんが、長時間拘束されますよね。それじゃあ他の業務が回せないでしょう」 
「加藤が一時的に抜ける穴は他の連中でカバーする。管理者の仕事はそんなに激務じゃないから、一人工くらいならどうにでもなる。そう心配するな。柊くんが手を貸してくれなくても、我々の業務に滞りは起きない」 

 否定はしない。天音の気遣う視線を真っ向から受け止める。 

「ボクが久川さんの監視をしたいと希望しても叶いませんか?」 
「もはや彼女に付きっきりの担当者は必要ない。半端に役目を取り上げられ不完全燃焼でモヤモヤするのはわかるが」 
「ありがたいです。何か彼女のためにできる仕事も用意して頂ければ、今後尊敬する人を訊かれた際には名前を真っ先に挙げるようにしますが」 
「随分と気味の悪い交渉だな」 

 声を押し殺して天音は控え目に笑った。数秒で気の緩みは消え失せる。再び引き締まった顔は上司の面構えで、天音は部下たる落葉を見据えた。 

「君も一緒に檻に入って勉強やらを教えるというなら、それもアリかもしれんが」 
「それがアリなら、是非とも担当させていただきたいですね」 

 即答した。即答しなければならなかった。 
 天音の意図的に緩めた表情に、落葉を試す色を見た。返答に悩めば、久川をどうにかして救おうと画策しているのだと疑われる。悩めば、独自で立てた計画への影響をシミュレーションしていると警戒される。 

「悪いが、今のは〝たとえば〟の話だ。やる気に満ちてるところ申し訳ないが、檻のなかでの教育係なんていう仕事はない」 

 最善を尽くしても良い結果が得られるとは限らない――これほど残酷な常識はない。 
 歯が立たず超えられない壁が、落葉の目的と現実の間にあった。 

「里を出て行く以外にないのですね。どう頼み込んだって」 
「興味を持った影武者については充分に知れただろ? 今度は特定人物の監視だけじゃなく正式な管理者になりたければ、声をかけてくれれば検討しよう」 
「この場で希望しても、無理な相談なのでしょうね」 
「正式採用するなら影武者の在り方を疑ってるようでは困るし、お勧めもしない。人が人を管理するってのは半端な覚悟じゃ務まらん。そうだろ、加藤くん」 
「えっ、あぁ、そっすね」 
「歯切れが悪いな。それじゃあ柊くんが心変わりしてくれないじゃないか」 

 参った様子で若い管理者は上司に平謝りした。 

「天音さんのおっしゃる通り、半端な覚悟では務まりませんよね。正直に言って、ボクはまだ影武者を世界の生贄とする行為を許して良いのか結論を出せずにいます。影武者によって大勢が救われる場面があるとも理解しているつもりです。どっちつかずの偽善を貫く気はありませんが、決めるには少し時間がほしい」 
「悩みたいだけ悩めばいいさ。もしも俺たち寄りの結論に達したら、一年後でも三年後でもいいから言ってくれ。それくらいまでなら、俺は引き続き里にいるだろう」 
「それじゃあ全影が絶滅する瞬間に立ち会えないじゃないですか。千年もの歴史がある影武者の直系が途絶えるのですよ? その瞬間にいたか、いなかったか。それだけで経験に大幅の差がつくのに、死にゆく最後の全影は久川さんなんです。実際には一年、三年もかけられない。三日以内には必ず懊悩にケリをつけます」 

 久川と繋がる糸を切られぬために食い下がる。用済みと申し付けられ、他に道もないと断言されてなお粘る。内心の焦燥を隠す落葉は天音から〝その言葉〟を引き出したい。天音が口にしてくれれば安堵できるのに。 

「たとえ明日結論を出されても、すぐに柊くんを正式採用とはいかない。割り振る業務の検討や色んな手続きが必要だろ? 自宅待機っていうのもナシだ。仕事のない奴に無償で住む場所を貸し与えるわけにはいかない」 
「今日のうちに荷物をまとめ、出て行かなければならないのですか。そういう話なら、承知しました。これ以上は無茶を言いません。家に戻って、準備します」 
「家に戻る必要はないよ」 

 恐縮して隣に座る加藤に天音が指示を出す。応じた加藤は身を屈めて長机の下に手を伸ばし、引き揚げられた手はバッグの持ち手を掴んでいた。 
 落葉がただひとつ里に持ち込んだ黒色のビジネスバッグだ。 

「ゲートまで見送ろう」 
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