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第17話
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「春久くんを殺した、か。どういう意味かな?」
「天音さん個人を指しているわけではありません。里の外にいる人を含めた管理者側の誰かが春久さんを殺したか、あるいは殺すように仕向けたわけではないかなと、それだけの話です」
相棒がドジを踏んで焦っているように、冷や汗をかく久川が落葉の耳に顔を近づける。
「ちょっとキフユ、それヤバくない? どこで誰が盗み聞きしてるかわかんないよ!?」
「ここで一番偉い人が目の前にいるんです。誰が何人聞いてたって構いません」
毅然とした落葉に久川が怯む。天音は一瞬だけ染めた警戒の色を消して、年相応の重みを感じさせる渋面を浮かべた。
「聞こえてるぞ。柊くん、きつい言い方になるのを許してもらいたいが、浅はかだね。君らしくない。里を取り巻く状況を鑑みれば、それが明後日の方角を向いた憶測だと君ほど聡明なら悩むまでもない。重ねて問うが、どういうつもりか。俺の機嫌を損ねると君に利益でもあるのか?」
「的はずれだとしても、疑うだけの根拠はありました」
「初耳だな」
「そうですか? 春久さんが影武者の在り方に反感を持っていたのはご存知でしょう?」
「君のようにか?」
冗談めいた響きだった。事実、天音は冗談のつもりで言ったのだろうが、真に受ければ話は変わる。落葉は鎌にかけられていて、妙な仕草を見せれば動揺と受け取られる。
久川の顔がわずかに引き吊った。彼女には反感があるとまで伝えていないが、全面的に支持しているわけでもないと教えた。すぐに思い出してくれるとは、よほど深く記憶に刻まれているらしい。
落葉は天音を見た。久川の表情の変化には気づいているようだったが、問い詰めたりはせず、向けられた落葉の視線を反対側から返す。
太いため息をついた。天音に悩まされた際に落葉がよく見せる反応だ。その戯言には付き合いきれない。落葉のため息に込められた意図を天音は承知しているはず。
「妙な嘘はやめてください。久川さんに誤解されます。ボクは影武者が本当に必要なシステムなのかは疑問に思っていますが、反感と言えるほど強烈ではありません」
「春久くんはそうではなかったのか? つまり、彼の意思は強烈だったと?」
「ボクが彼と会ったのは彼が発つ前日でしたし、喋ったのは出会ったその日だけ。もっと詳しく言えば、話をしたのは一時間にも満たないわずかな時間です。そんな短時間で他人の意思の強さを測れる超能力は持ち合わせていませんよ」
「俺は正解を尋ねてるんじゃない。意見を求めてるんだ。柊くん個人が、彼に接して感じた印象を教えてくれればいい」
そんなものを聞いて、天音は何を測ろうとしているのか。意見なんてものは嘘だっていい。意見である以上バレる心配もない。意見は真実と嘘の概念から外れたものだ。
「ボクの目に映った彼は、焦っているようでしたね」
しかしバレないからとはいえ、嘘はつかないことにした。根拠や証拠がなくたって嘘は通るだろうが、過去の自分の発言を忘れてしまえば整合性がつかなくなる。〝いつ〟〝どんな〟嘘をついたかなんて覚えていられないが、聞いた側は案外覚えているものだ。
嘘を使う場面は絞り、矛盾してしまわないよう当時の状況と肝心の内容を深く記憶に刻まなければならない。それさえ守れれば、バレない嘘をついても構わない。
落葉は天音にこれまでついた嘘の全てを、言った状況とおおよその日時を覚えている。
「やはり君は優秀だ。武林さんのサポート役として働いていると聞いたときから、そこらに散らばっている人材とはわけが違うと思っていた。見事に的中したな。俺も、春久くんは焦っているように感じた。どうすれば影武者を辞められるかをな」
「本意じゃないと知りながら影武者として働かせていたのですね」
「ひどいだろう? 汚れ役だよ。でもな、人間という強い生き物が繁殖力だけは異常な弱い生物をエネルギーに生きているように、同じ人間の間でも強い者は弱い者の命を利用しなくてはならず、結局はそれが人類のためになる。当事者からすれば冗談じゃないとしても、弱肉強食を覆して無から有を生み出すなんて今の世界では夢のまた夢だ。残念なことにな」
「その当事者にも感情があるわけです。世の中の仕組みなんてどうだっていい。特定の誰かの犠牲のうえで成り立っているのだとしても、特定の誰かに自分がなるのは認められない。自分を食い物にしようというなら壊してやろうと考える可能性もあるはずです」
「春久くんが里の仕組みを壊そうとしていたかは存じていない。仮にそうだとしても、柊くんが何を言いたいのかいまいち伝わってこないな」
嘘だった。天音は落葉が問い詰めようとしている内容に気がついている。気がついたうえで、気づかないフリをしている。天音の一握りの優しさだ。聞かなかったことにしてやると言っているのだ。だから引き下がれと。
「おじさんたちが、タロウを殺したの?」
落葉にも引くつもりはなかったが、久川に先手を打たれた。意外な方向からの質問に、天音は渋面を彼女に向ける。
「どうしてそう思う? 反感を持つ春久くんを邪魔に感じていたと疑っているのか?」
「別に。なんとなく訊いただけ。そんな簡単に殺しちゃうほど私たちの命は軽くないってわかってるけど、あーしは管理者じゃないし、ホントーのところは訊かないとわかんないし」
「よくわかっているじゃないか。久川くんの想像している通り、反感を抱いている程度で始末するなんてしない。脱走されたわけでもなければ、役目を放棄されて損害を被っているわけでもないのでね」
「監禁はするけど?」
「それも滅多なことではしない。仮に捕まえたとしても、少なくとも俺の判断では殺すまでしない」
脱走者が監禁される事実は周知されていたのか。久川の口ぶりと天音の滔々とした返答に落葉は当惑する。
「こんな雑談をするために来たんじゃないんだがな。俺は柊くんに用があって――いや、実際に用があるのは俺じゃないが、柊くん宛てに伝言を預かっててな」
「ボクに、ですか? それを天音さん直々に?」
「一番上の立場になると仕事の順番も最後になる。順番が回ってくるまでやることがないから、暇人がこうして伝言役を務めてるわけだ。まだ柊くんの顔をよく覚えてない連中が多いってのもあるが」
「だとしても支部長が動きますか? まぁ、恵まれていると思うことにします」
「それでいい。つまらんことを気にするな。で、肝心の伝言だがね、春久くんの母親が君に会いたいそうだ」
自然と落葉の目が険しくなる。
「面識はないですよ? ボクで間違いないんですか?」
春久小太郎とさえ一時間喋っただけの落葉にどんな用事があるというのか。母親が健在だった事実でさえちょっとした衝撃だ。学校を辞めて自由にしていたらしいから、親とは暮らしていないと決め付けていた。
春久は若くして独りで生きている者特有の雰囲気を色濃く纏っていた。一人で生きているからといって、それは寂しさとは違う。放つのは寂しさではなく、寂しさに負けるつもりはないと周囲に主張する気高さだ。気高さとはつまり、前を向くこと。落葉は春久にそれを感じ、管理者同士の会話を傍聴している久川にも感じている。
親と一緒に暮らしていたのだとしたら、春久は親に頼らず、一人で生きようとしていたのだろう。だから彼には気高さがあった。
別の見方をすれば、親とうまくいっていなかったとも考えられる。
「間違いない。役所で待ってもらっているから、そこの車で向かうといい。運転手には伝えてある」
言って、天音は公園の外に見える車を親指で示す。
「天音さんは戻らないんですか?」
「俺は喪に服してるんだ。里をまわりながら、そこに春久小太郎がいた歴史を脳に刻まなきゃいかん。気が済んだら適当なとこで電話を借りて、迎えを呼ぶから気にするな」
「すみません」
感謝の意味で伝えた一言に、天音は手を挙げて応じた。
「あーしも行っていい?」
踵を返しかけた天音が目を丸くした。わずかに遅れ、ニヤっと頬の緊張を解く。
「おじさんと一緒に行きたいのか?」
「なんで? キフユのほうに決まってんじゃん」
何がどう決まっているか不明だが、久川が決まっているといえば彼女のなかでは揺るがない答えなのだ。そう承知した天音はじっとりと落葉を見た。
委ねられても困る。落葉は視線で天音に訴える。天音はおかしそうに表情を緩めた。
「好きにすればいい。俺が口を出すことでもないしな」
自分の出番は終わりだと言わんばかりに、天音は背を向けて来た時とは別の出口から公園を出て行った。
一度も振り返らなかった彼の背中を見送り、落葉と久川は天音の乗ってきた車の後部座席に乗り込んだ。空調がよく効いていた。
「天音さん個人を指しているわけではありません。里の外にいる人を含めた管理者側の誰かが春久さんを殺したか、あるいは殺すように仕向けたわけではないかなと、それだけの話です」
相棒がドジを踏んで焦っているように、冷や汗をかく久川が落葉の耳に顔を近づける。
「ちょっとキフユ、それヤバくない? どこで誰が盗み聞きしてるかわかんないよ!?」
「ここで一番偉い人が目の前にいるんです。誰が何人聞いてたって構いません」
毅然とした落葉に久川が怯む。天音は一瞬だけ染めた警戒の色を消して、年相応の重みを感じさせる渋面を浮かべた。
「聞こえてるぞ。柊くん、きつい言い方になるのを許してもらいたいが、浅はかだね。君らしくない。里を取り巻く状況を鑑みれば、それが明後日の方角を向いた憶測だと君ほど聡明なら悩むまでもない。重ねて問うが、どういうつもりか。俺の機嫌を損ねると君に利益でもあるのか?」
「的はずれだとしても、疑うだけの根拠はありました」
「初耳だな」
「そうですか? 春久さんが影武者の在り方に反感を持っていたのはご存知でしょう?」
「君のようにか?」
冗談めいた響きだった。事実、天音は冗談のつもりで言ったのだろうが、真に受ければ話は変わる。落葉は鎌にかけられていて、妙な仕草を見せれば動揺と受け取られる。
久川の顔がわずかに引き吊った。彼女には反感があるとまで伝えていないが、全面的に支持しているわけでもないと教えた。すぐに思い出してくれるとは、よほど深く記憶に刻まれているらしい。
落葉は天音を見た。久川の表情の変化には気づいているようだったが、問い詰めたりはせず、向けられた落葉の視線を反対側から返す。
太いため息をついた。天音に悩まされた際に落葉がよく見せる反応だ。その戯言には付き合いきれない。落葉のため息に込められた意図を天音は承知しているはず。
「妙な嘘はやめてください。久川さんに誤解されます。ボクは影武者が本当に必要なシステムなのかは疑問に思っていますが、反感と言えるほど強烈ではありません」
「春久くんはそうではなかったのか? つまり、彼の意思は強烈だったと?」
「ボクが彼と会ったのは彼が発つ前日でしたし、喋ったのは出会ったその日だけ。もっと詳しく言えば、話をしたのは一時間にも満たないわずかな時間です。そんな短時間で他人の意思の強さを測れる超能力は持ち合わせていませんよ」
「俺は正解を尋ねてるんじゃない。意見を求めてるんだ。柊くん個人が、彼に接して感じた印象を教えてくれればいい」
そんなものを聞いて、天音は何を測ろうとしているのか。意見なんてものは嘘だっていい。意見である以上バレる心配もない。意見は真実と嘘の概念から外れたものだ。
「ボクの目に映った彼は、焦っているようでしたね」
しかしバレないからとはいえ、嘘はつかないことにした。根拠や証拠がなくたって嘘は通るだろうが、過去の自分の発言を忘れてしまえば整合性がつかなくなる。〝いつ〟〝どんな〟嘘をついたかなんて覚えていられないが、聞いた側は案外覚えているものだ。
嘘を使う場面は絞り、矛盾してしまわないよう当時の状況と肝心の内容を深く記憶に刻まなければならない。それさえ守れれば、バレない嘘をついても構わない。
落葉は天音にこれまでついた嘘の全てを、言った状況とおおよその日時を覚えている。
「やはり君は優秀だ。武林さんのサポート役として働いていると聞いたときから、そこらに散らばっている人材とはわけが違うと思っていた。見事に的中したな。俺も、春久くんは焦っているように感じた。どうすれば影武者を辞められるかをな」
「本意じゃないと知りながら影武者として働かせていたのですね」
「ひどいだろう? 汚れ役だよ。でもな、人間という強い生き物が繁殖力だけは異常な弱い生物をエネルギーに生きているように、同じ人間の間でも強い者は弱い者の命を利用しなくてはならず、結局はそれが人類のためになる。当事者からすれば冗談じゃないとしても、弱肉強食を覆して無から有を生み出すなんて今の世界では夢のまた夢だ。残念なことにな」
「その当事者にも感情があるわけです。世の中の仕組みなんてどうだっていい。特定の誰かの犠牲のうえで成り立っているのだとしても、特定の誰かに自分がなるのは認められない。自分を食い物にしようというなら壊してやろうと考える可能性もあるはずです」
「春久くんが里の仕組みを壊そうとしていたかは存じていない。仮にそうだとしても、柊くんが何を言いたいのかいまいち伝わってこないな」
嘘だった。天音は落葉が問い詰めようとしている内容に気がついている。気がついたうえで、気づかないフリをしている。天音の一握りの優しさだ。聞かなかったことにしてやると言っているのだ。だから引き下がれと。
「おじさんたちが、タロウを殺したの?」
落葉にも引くつもりはなかったが、久川に先手を打たれた。意外な方向からの質問に、天音は渋面を彼女に向ける。
「どうしてそう思う? 反感を持つ春久くんを邪魔に感じていたと疑っているのか?」
「別に。なんとなく訊いただけ。そんな簡単に殺しちゃうほど私たちの命は軽くないってわかってるけど、あーしは管理者じゃないし、ホントーのところは訊かないとわかんないし」
「よくわかっているじゃないか。久川くんの想像している通り、反感を抱いている程度で始末するなんてしない。脱走されたわけでもなければ、役目を放棄されて損害を被っているわけでもないのでね」
「監禁はするけど?」
「それも滅多なことではしない。仮に捕まえたとしても、少なくとも俺の判断では殺すまでしない」
脱走者が監禁される事実は周知されていたのか。久川の口ぶりと天音の滔々とした返答に落葉は当惑する。
「こんな雑談をするために来たんじゃないんだがな。俺は柊くんに用があって――いや、実際に用があるのは俺じゃないが、柊くん宛てに伝言を預かっててな」
「ボクに、ですか? それを天音さん直々に?」
「一番上の立場になると仕事の順番も最後になる。順番が回ってくるまでやることがないから、暇人がこうして伝言役を務めてるわけだ。まだ柊くんの顔をよく覚えてない連中が多いってのもあるが」
「だとしても支部長が動きますか? まぁ、恵まれていると思うことにします」
「それでいい。つまらんことを気にするな。で、肝心の伝言だがね、春久くんの母親が君に会いたいそうだ」
自然と落葉の目が険しくなる。
「面識はないですよ? ボクで間違いないんですか?」
春久小太郎とさえ一時間喋っただけの落葉にどんな用事があるというのか。母親が健在だった事実でさえちょっとした衝撃だ。学校を辞めて自由にしていたらしいから、親とは暮らしていないと決め付けていた。
春久は若くして独りで生きている者特有の雰囲気を色濃く纏っていた。一人で生きているからといって、それは寂しさとは違う。放つのは寂しさではなく、寂しさに負けるつもりはないと周囲に主張する気高さだ。気高さとはつまり、前を向くこと。落葉は春久にそれを感じ、管理者同士の会話を傍聴している久川にも感じている。
親と一緒に暮らしていたのだとしたら、春久は親に頼らず、一人で生きようとしていたのだろう。だから彼には気高さがあった。
別の見方をすれば、親とうまくいっていなかったとも考えられる。
「間違いない。役所で待ってもらっているから、そこの車で向かうといい。運転手には伝えてある」
言って、天音は公園の外に見える車を親指で示す。
「天音さんは戻らないんですか?」
「俺は喪に服してるんだ。里をまわりながら、そこに春久小太郎がいた歴史を脳に刻まなきゃいかん。気が済んだら適当なとこで電話を借りて、迎えを呼ぶから気にするな」
「すみません」
感謝の意味で伝えた一言に、天音は手を挙げて応じた。
「あーしも行っていい?」
踵を返しかけた天音が目を丸くした。わずかに遅れ、ニヤっと頬の緊張を解く。
「おじさんと一緒に行きたいのか?」
「なんで? キフユのほうに決まってんじゃん」
何がどう決まっているか不明だが、久川が決まっているといえば彼女のなかでは揺るがない答えなのだ。そう承知した天音はじっとりと落葉を見た。
委ねられても困る。落葉は視線で天音に訴える。天音はおかしそうに表情を緩めた。
「好きにすればいい。俺が口を出すことでもないしな」
自分の出番は終わりだと言わんばかりに、天音は背を向けて来た時とは別の出口から公園を出て行った。
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