影武者として生きるなら

のーが

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第11話

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 公園の澄んだ空気を裂く声がふたりのやりとりを遮った。全員、一様に振り向く。公園の入口でスーツを着た男が顎に手を沿えた格好で立っていた。わざとらしい仕草だ。 
 即座に落葉はジャングルジムを降りる。歩み寄ってくる男に、こちらからも近づいた。久川は天辺に座ったまま、春久はジャングルジムを構成するパイプから手を離し、佇立した状態で落葉を目で追う。 

「柊くんも一緒だったか。まだ二日目なのに、もう久川くん以外とも仲良くなるなんてな。君がそんなにコミュニケーション能力に長けているとは知らなかった」 
「天音さん、ボクを探しにきたんですか?」 
「いや、用があったのは君じゃない。用がなくたって君には会いにいくかもしれないがね」 
「嬉しい限りですが、こちらとしては緊張するのでほどほどでお願いしたいです」 
「緊張する者がそんな台詞を口にできるものか」 

 天音は行く手を阻む落葉を、まるで見えていないとばかりにかわした。落葉は振り返る。高いところから見下ろす久川にも天音は目を合わせない。相手をするつもりはないと主張しているように。 
 面倒くさそうに嫌悪感を滲ませた春久の前に天音は立った。 

「春久くん、明日のことはわかっているな?」 
「俺にとっちゃあ、たったひとつの生きる意味だ。そう心配しなくたって忘れたりしねぇよ。その確認だけか?」 
「確認しておいて変だが、忘れられてるかもと不安になったわけではない。俺は君たちを信頼してるからな」 
「安っぽい言葉だな。ま、どうでもいいけど」 

 落葉も同感だった。そもそも、『信頼』なんて口にすべきだろうか。管理者と影武者の関係は『信頼』なんて言うまでもなく、互いがいなければ成立しない。付け加えれば、強い立場にあるのは管理者ではなく影武者側だ。依頼者が求めているのは仲介する管理者ではなく、実際に身代わりとなってくれる影武者なのだから。 
 気に障ってしまえば影武者が依頼を断るかもしれない。そうでなくとも不満は募るだろう。事実、春久は面白くなさそうなうえ、自分の役目に疑問を抱いている。その不満の矛先たる偉そうな態度の管理者に苛立ち、春久は髪を逆立てた頭をぽりぽりと掻く。 

「そんで?」 
「同意書のことを失念していてな。すまないが、役所までいって書いてほしい」 
「今から? まだ朝だぜ?」 
「今日は午後から用事があるんだ。できればその前に確認しておきたい。勝手な理由で恐縮だがね」 

 段々と低頭する天音。これも人を動かす技術なのだ。相手の心を動かすにはどうすればよいかを心得ている。 

「それはいいけどよ、予定があるってわりには急にきたな。今朝のうちに家に電話してくれりゃあ、お前みてぇなお偉いさんがご足労する必要だってなかったろうに」 
「明日の準備をしようと思ったら依頼者に提出する資料に君の署名がなくてな。そういえばと思い出した。君は前回もギリギリになってから手続きしたんだった、とね。気持ちはわかるつもりだ。俺も面倒事は後回しにしたいタイプだからな。良くないとはわかっているが、気分ってものがあるのが人間らしさだ」 
「そんなのどうだっていいんだよ。家に電話をかけたんだろ? けどよ、それだけじゃあ俺がどこにいるかなんてわかんねぇはずだ」 
「君の母親が出てくれたが、場所は聞いてないと答えられた。息子が明日大役を果たしに出かけるわりに、話し声は落ち着いておられた。いまの君と同じようにね」 

 春久の口元に余裕が浮かぶ。 

「へぇ。居場所を聞けなかったんだな」 
「ほう。実はご両親に行き先を告げてあったのかな?」 
「言ってねぇよ。そうじゃねぇ。情報がなかったのにお前はどうして俺の元に来られたのか。興味あんのはソレだ」 
「ああ、そのことですか」 

 思いのほかつまらないことを気にする――そう言いたげな平坦な顔で、天音は公園の隅にある街灯を指差した。その場にいる全員が彼の指の動きを視線で追う。 
 落葉の理解は早かった。久川はわずかに首を傾げている。春久は睨むように険しくなった目で示された物体を観察する。 

「この里には〝治安維持〟のために監視機器を多く設置してあり、そこの街灯にも仕掛けてある。団地の公園は不審者の好む環境のひとつだからな。実際に出没する頻度が比較的高いという確かなデータがある」 

 隠蔽しておいたほうが都合がいいだろうに、天音はあっさりと監視の事実を白状した。〝治安維持〟の名目とは苦しい説明だ。 
 だがこれも、結局は天音の策略なのだ。春久や久川に教えたところで、ふたりとも学校には通わない住民の輪から外れた身。そもそも、春久がそうだったように里に住んでいれば誰だって監視の可能性は疑っている。多少は驚くだろうが、意外ではない。影武者は自分たちの命が特別だと自覚している。逃げられては困るだろうから、むしろ監視されていないほうが不自然なのだ。 
 幼い頃から特別な存在として教育されていれば、そういう思考になるだろうと落葉は思う。気になるとすれば、管理者に変質者がいて、女子の着替えを監視の名目で覗いていないか心配なくらいだ。 
 春久は一息ついた。複雑な感情の込められた太い息。わずかにうな垂れて、公園の出口にとぼとぼと歩き出す。 
 呼びに来たくせに続こうとしない天音に、春久はだるそうな視線を向けた。 

「いつまでそこにいんだよ。用事があんだろ? さっさと行こうぜ」 
「あとで確かめるから、春久くんだけで行ってくれ。公園の外に停めてある車に、待ち合わせ時間になっても現れない恋人に焦りを感じ始める彼氏の心境で運転手が君を待っているだろう。手続きを済ませたら俺を待つ必要はない。自由にしてくれて構わんよ」 

 天音は身体を反転させ、一番高いところにいる彼女に目をやった。 

「久川くんも一緒に乗っていくといい。家までくらいなら送ってくれるだろう」 

 久川は勢いをつけてジャングルジムの天辺から飛び降りた。足元で砂埃がさっと舞い、風の流れに色をつける。手のひらでキュロットパンツの裾とおしりを払った。 

「じゃ、お言葉に甘えて。歩くのももう疲れたしね~」 
「どうせならコンビニで何か奢ってもらうといい。俺が言っていたと添えれば応じてくれるはずだ。あとで請求されるかもしれんが、その時は経費だな」 
「ん、考えとく。じゃ、ごゆっくり~」 

 さっぱりした態度の久川は目もくれなかったが、春久は車に移動する足をとめて落葉を見ていた。 
 まだ伝え足りない。まだ言っていないことがある。落葉には、気の強い彼が見せる気弱な表情が、そう語っているように感じた。 
 全部ではないかもしれないが、落葉には彼の意思を少しは共有できた気がしていた。春久は明日、大役を果たしにいく。慣れてはいても不安なのだ。そんな彼に対して落葉にできることは何かを咄嗟に考え、向けられた視線に頷きを返した。 
 不在の間は任せてくれと。何を任されようとしているのかは漠然だとしても。 
 落葉の返答が伝わったかは定かでないが、春久は踵を返した。あとから来た久川に声をかけられ応じている。ふたりの声が落葉の位置からは聞き取れなくなる。互いに唯一の友達であるふたりは男女であるがためか間合いを長めにとって、喋りながら公園の外に消えた。少ししてエンジンのかかる音と、車の走りだす音が静寂の空に響いた。 
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