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第20話
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「悪いが理解に苦しむ。何が言いたい?」
「僕は君を止めるつもりはない。君がやりたいのなら、なんでもやってみればいいさ。繰り返すけど、必要なら手を貸すよ?」
意味深な台詞に、慧はガラス越しに運転席を眺める。
深く座る俊平の表情は窺えない。
俊平の伝えたいことに、慧は心当たりがあった。
しかし見当違いのはず。鏡花との会話を聞かれていたのなら可能性はあるが、あのときマイクは電源を切っていた。
「頼もしい限りだ。そのときになったら、遠慮なくお願いさせてもらおう」
曖昧な質問には、曖昧に答えた。
助手席のドアが開く。白と黒の地味な色合いとはいえ、丈の長いワンピースにエプロンという鏡花の服装は自然のなかでは目立つ。当然のことだが。
木々の合間を縫って吹く風に、ワンピースの裾が踊る。
「歩きにくくないのか?」
「歩きにくいですね。ヒールも履いていますので」
「なぜそんなものを……。偵察なら俺だけで充分だ。鏡花も車で待機していて構わん」
「いいえ、ついていきますよ。上倉くんがピンチになったら、守る人がいるでしょう?」
あらかじめ考えてあったかのように鏡花は即答する。
鏡花も俊平も、出会ってまだ二日目の慧に手厚く対応する。彼はそのことが不可解だった。
理由は不明だが、貶めるつもりだと疑っているわけではない。
利害は一致しているのだ。
慧もAMYサービスも、フリーフロムという共通の敵を始末したい。そのために共闘している。大事な駒を手放さないために優遇しているのだと、そう解釈しなければ、彼は納得できなかった。
「そこまで心配してくれるとは感激だ。なら、一緒に行くか」
「はい。後ろはお任せください」
にっこりと微笑み、鏡花は歩き出す。
慧は気づく。ただでさえ戦闘に相応しくない格好の彼女が、まったく武装をしていない。
「例の薙刀は持っていかないのか?」
「一応積んでありますけど、重いので。偵察であれば武器はいらないと思いますし、身軽なほうが都合がよくありませんか?」
「その戯けた立ち姿の奴がいう台詞じゃないと思うが」
「この服、そんなにおかしいでしょうか。でも心配いりませんよ。武器がなくても、制服を着ていなくとも、上倉くんを守るための力はこの胸に宿っています」
鏡花は自身の胸に手を重ねる。
微弱な緑色の光が、彼女の胸元を照らした。
「そういえば、それがあったな。わかった。さっさと任務を終わらせるとしよう」
「行きましょう、上倉くん」
敵の見張りを警戒し、慧は慎重な足取りで車を離れる。
メイド服の裾を両手で摘み、カツカツと靴を鳴らして鏡花がついてくる。
慧は言葉もなく背後を振り返る。
首を傾げるだけの反応を見て、彼は何も言わずに先に進んだ。
◆
ナビに表示されていなかった土の道を進む。雑草は刈り取られているように見えたが、歩いてみると点々と小さな草は残っていた。
自動車の轍が幾筋も通っていることもあり、地面はデコボコとしている。そのうえ昨日降った雨を吸ってぬかるんでおり、非情に歩きづらい。
慧でさえそうなのだから、鏡花は比にならないほど難儀しているだろう。
彼はそう危惧して後ろを向くが、彼女は涼しげな様子だ。ヒールが刺さらないよう器用につま先で歩いている。
突き当たりに到達すると、急峻な斜面に雑木林が広がっていた。おりれなくはないが、危険がないとは断言できない。
鏡花は地面に残る轍の軌跡が続く先を指で示した。
突き当たりの右側に、比較的緩やかな坂が続いていた。
首肯して、慧は鏡花の指示した道を警戒して下っていく。
ここに誘い込んだのが罠だとすれば、どこに敵が潜んでいるかわからない。
二〇メートルほどの坂を、堅実に土を踏みしめておりきった。
坂の下で、今度は左側に道が伸びていた。車輪の轍も道順に沿って残っている。
慧は轍の残る道を進まず、草木の生い茂る雑木林に入った。
続く道の先に、網目の粗いフェンスに囲われた場所があると気づいたのだ。鏡花も草をかきわけて歩き、慧の後ろにつく。
「とても広い敷地がありますね」
「入口がアレだけとしたら、バレずに潜入というのは難しそうだ」
ふたりの会話は、無線を介して俊平も聴いていた。
《伏兵はいないのかい?》
「見当たらないな。ここからでは妙な広場があることしかわからん。もう少し近づいてみようと思うが」
《くれぐれも無茶はしないでくれ。君は偵察任務でやられるような下っ端じゃない》
「長いこと、そういう役割を担ってきたがな」
新たなアジトの位置を調査するという当初の任務は果たしている。けれども、何があるのか知っておかなければ対策の立てようがない。
フリーフロムを潰す作戦を失敗させるわけにはいかない慧は、危険を承知で雑木林を歩き出す。
細心の注意を払い、虫の羽音さえ聞き逃さないほど神経を研ぎ澄ます。
視界の先にある広い空間に、並んで建つ二棟の高層建造物が見えた。森のなかにおいて、灰色の建物は異質な雰囲気を醸している。
その正体を探ろうともう一歩踏み出す。
慧は咄嗟に足を止めた。追随してきた鏡花も手で制する。自分の心拍数が爆発的に上昇するのを感じる。
息を殺す。眼球だけを動かす。敷地内の手前側にある建造物の、二階部分を注視する。
平均的な視力では、ぼやけて何があるかなどわかるはずのない距離。慧にも見えていないが、正体不明の脅威に脳が警鐘を鳴らす。
全身の筋肉が緊張する。殺気なんて概念が実在するならば、慧の感じているものをそう呼ぶのだろう。
あと一歩踏み出せば、その殺気は容赦なく牙を剥く。
根拠などない。圧倒的な悪寒に確信した。
もとより危険を承知して任務に就いている。喉元に刃物を当てられようと飛び掛かる覚悟が慧にはある。
しかし、今日はそのために来たのではない。
ここが潮時だった。
「優秀な見張りがいるようだ。今日のところは撤退しよう」
灰色の建物の一点を見つめて硬直していた慧が、足を引いて殺意に背中を晒した。
鏡花は彼の目を見て黙って頷く。
今度は慧が、来た道を戻る彼女の後ろに続いた。
いつ背後から心臓を射抜かれても不思議ではない。慧は身体の内側から滲み出す不安を感じずにはいられない。
生きた心地がしなかった。
車輪の轍が残る坂道を登っている途中、殺気はようやく消えてくれた。
立ち止まり、慧は敵の新たなアジトのあった方角を見つめた。
深く生い茂る林が邪魔をして、奥地にある灰色は見えなくなっていた。
――やはり、阻むのはお前なんだな。
誰にも告げたことのない弱みを心中でこぼす。
慧は再び坂道を登り始めた。
「僕は君を止めるつもりはない。君がやりたいのなら、なんでもやってみればいいさ。繰り返すけど、必要なら手を貸すよ?」
意味深な台詞に、慧はガラス越しに運転席を眺める。
深く座る俊平の表情は窺えない。
俊平の伝えたいことに、慧は心当たりがあった。
しかし見当違いのはず。鏡花との会話を聞かれていたのなら可能性はあるが、あのときマイクは電源を切っていた。
「頼もしい限りだ。そのときになったら、遠慮なくお願いさせてもらおう」
曖昧な質問には、曖昧に答えた。
助手席のドアが開く。白と黒の地味な色合いとはいえ、丈の長いワンピースにエプロンという鏡花の服装は自然のなかでは目立つ。当然のことだが。
木々の合間を縫って吹く風に、ワンピースの裾が踊る。
「歩きにくくないのか?」
「歩きにくいですね。ヒールも履いていますので」
「なぜそんなものを……。偵察なら俺だけで充分だ。鏡花も車で待機していて構わん」
「いいえ、ついていきますよ。上倉くんがピンチになったら、守る人がいるでしょう?」
あらかじめ考えてあったかのように鏡花は即答する。
鏡花も俊平も、出会ってまだ二日目の慧に手厚く対応する。彼はそのことが不可解だった。
理由は不明だが、貶めるつもりだと疑っているわけではない。
利害は一致しているのだ。
慧もAMYサービスも、フリーフロムという共通の敵を始末したい。そのために共闘している。大事な駒を手放さないために優遇しているのだと、そう解釈しなければ、彼は納得できなかった。
「そこまで心配してくれるとは感激だ。なら、一緒に行くか」
「はい。後ろはお任せください」
にっこりと微笑み、鏡花は歩き出す。
慧は気づく。ただでさえ戦闘に相応しくない格好の彼女が、まったく武装をしていない。
「例の薙刀は持っていかないのか?」
「一応積んでありますけど、重いので。偵察であれば武器はいらないと思いますし、身軽なほうが都合がよくありませんか?」
「その戯けた立ち姿の奴がいう台詞じゃないと思うが」
「この服、そんなにおかしいでしょうか。でも心配いりませんよ。武器がなくても、制服を着ていなくとも、上倉くんを守るための力はこの胸に宿っています」
鏡花は自身の胸に手を重ねる。
微弱な緑色の光が、彼女の胸元を照らした。
「そういえば、それがあったな。わかった。さっさと任務を終わらせるとしよう」
「行きましょう、上倉くん」
敵の見張りを警戒し、慧は慎重な足取りで車を離れる。
メイド服の裾を両手で摘み、カツカツと靴を鳴らして鏡花がついてくる。
慧は言葉もなく背後を振り返る。
首を傾げるだけの反応を見て、彼は何も言わずに先に進んだ。
◆
ナビに表示されていなかった土の道を進む。雑草は刈り取られているように見えたが、歩いてみると点々と小さな草は残っていた。
自動車の轍が幾筋も通っていることもあり、地面はデコボコとしている。そのうえ昨日降った雨を吸ってぬかるんでおり、非情に歩きづらい。
慧でさえそうなのだから、鏡花は比にならないほど難儀しているだろう。
彼はそう危惧して後ろを向くが、彼女は涼しげな様子だ。ヒールが刺さらないよう器用につま先で歩いている。
突き当たりに到達すると、急峻な斜面に雑木林が広がっていた。おりれなくはないが、危険がないとは断言できない。
鏡花は地面に残る轍の軌跡が続く先を指で示した。
突き当たりの右側に、比較的緩やかな坂が続いていた。
首肯して、慧は鏡花の指示した道を警戒して下っていく。
ここに誘い込んだのが罠だとすれば、どこに敵が潜んでいるかわからない。
二〇メートルほどの坂を、堅実に土を踏みしめておりきった。
坂の下で、今度は左側に道が伸びていた。車輪の轍も道順に沿って残っている。
慧は轍の残る道を進まず、草木の生い茂る雑木林に入った。
続く道の先に、網目の粗いフェンスに囲われた場所があると気づいたのだ。鏡花も草をかきわけて歩き、慧の後ろにつく。
「とても広い敷地がありますね」
「入口がアレだけとしたら、バレずに潜入というのは難しそうだ」
ふたりの会話は、無線を介して俊平も聴いていた。
《伏兵はいないのかい?》
「見当たらないな。ここからでは妙な広場があることしかわからん。もう少し近づいてみようと思うが」
《くれぐれも無茶はしないでくれ。君は偵察任務でやられるような下っ端じゃない》
「長いこと、そういう役割を担ってきたがな」
新たなアジトの位置を調査するという当初の任務は果たしている。けれども、何があるのか知っておかなければ対策の立てようがない。
フリーフロムを潰す作戦を失敗させるわけにはいかない慧は、危険を承知で雑木林を歩き出す。
細心の注意を払い、虫の羽音さえ聞き逃さないほど神経を研ぎ澄ます。
視界の先にある広い空間に、並んで建つ二棟の高層建造物が見えた。森のなかにおいて、灰色の建物は異質な雰囲気を醸している。
その正体を探ろうともう一歩踏み出す。
慧は咄嗟に足を止めた。追随してきた鏡花も手で制する。自分の心拍数が爆発的に上昇するのを感じる。
息を殺す。眼球だけを動かす。敷地内の手前側にある建造物の、二階部分を注視する。
平均的な視力では、ぼやけて何があるかなどわかるはずのない距離。慧にも見えていないが、正体不明の脅威に脳が警鐘を鳴らす。
全身の筋肉が緊張する。殺気なんて概念が実在するならば、慧の感じているものをそう呼ぶのだろう。
あと一歩踏み出せば、その殺気は容赦なく牙を剥く。
根拠などない。圧倒的な悪寒に確信した。
もとより危険を承知して任務に就いている。喉元に刃物を当てられようと飛び掛かる覚悟が慧にはある。
しかし、今日はそのために来たのではない。
ここが潮時だった。
「優秀な見張りがいるようだ。今日のところは撤退しよう」
灰色の建物の一点を見つめて硬直していた慧が、足を引いて殺意に背中を晒した。
鏡花は彼の目を見て黙って頷く。
今度は慧が、来た道を戻る彼女の後ろに続いた。
いつ背後から心臓を射抜かれても不思議ではない。慧は身体の内側から滲み出す不安を感じずにはいられない。
生きた心地がしなかった。
車輪の轍が残る坂道を登っている途中、殺気はようやく消えてくれた。
立ち止まり、慧は敵の新たなアジトのあった方角を見つめた。
深く生い茂る林が邪魔をして、奥地にある灰色は見えなくなっていた。
――やはり、阻むのはお前なんだな。
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