エスメラルドの宝典

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第12話

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 邸宅の玄関前に向かい、琴乃は悠然と歩く。銃弾の閃光が飛び交うなかを、散歩でもするように。
 彼女は玄関の扉を塞ぐように立つ。迎え撃つ敵に右腕を伸ばして、手のひらを広げる。
 瞬間、鏡花が見せた現象と同じく、緑色の粒子が集結する。分厚い本が出現して、周囲に燐光を漂わせる。
 琴乃もまた、異能を操る宝典魔術師だった。

 足元から吹き上がる魔力の風。琴乃の一つに結った長髪とジャケットの裾が踊る。
 邸宅の入口にある格子状の正門が、猛獣に檻を突き破られたかのように開く。暗闇の深奥からは、目深にフードを被った敵が二人先行した。残りの一人は、暢気に歩いて門を跨ぐ。
 燦然と緑色の光を放つ琴乃は、邸宅を包む暗闇において恰好の的だ。
 先行した侵入者はライフルを構え、彼女に照準を合わせる。

《第四宝典魔術――》

 琴乃のマイクが幾重にもなる銃声を拾う。その直前、慧は鏡花が自動車を谷底から救済した際と似た宣言を耳にした。
 凶弾は無慈悲に琴乃を襲撃する。
 かわせるはずのない乱射。
 だから彼女は避けなかった。

 無数の弾丸は、例外なく彼女の手前で弾かれる。展開する宝典が、主の命を奪わんとする銃弾を拒絶しているのだ。
 宝典魔術は強力ではあるが、発動までに時間を要する。集中の際に間抜けな隙をさらすとなれば、見過ごせない欠点だ。そんな当たり前の問題を、宝典魔術という異能力を生み出した魔人・エスメラルドは欠点としなかった。

 魔人は宝典自体に極めて強い盾の効力を与えることで、弱点を解消した。
 数百発程度の銃弾では、宝典の防御は崩せない。

「無駄なことを」

 慧は唇を小さく動かす。彼は過去に見たことがあった。宝典魔術師が、ライフルの弾丸を悉く弾く光景を。
 観念したのか、侵入者は銃撃を中止する。そのまま逃げたほうが賢明と慧は思うが、敵に踵を返す素振りはない。侵入者たちは引き金に指をかけたまま、ジッと琴乃に銃口を向け続ける。

 敵の思考が、慧にはなんとなく想像がついた。
 闇に溶けている敵がフリーフロムならば、宝典の持つ盾の効力は知っているはずなのだ。だとすれば、発動までの過程も理解している。
 宝典の発する燐光が、徐々に緑色から青紫に変化する。
 光は宝典から拡散した。
 本の放つ燐光が、十個の濃い輝きを放つ発光体に分裂したのだ。
 琴乃は伸ばした手で拳を握り、勢いのままに薙ぎ払う。

《――ノーブル・タンザナイト・ガーディアンッ!》

 魔術名の絶叫。十の発光体は凝固し、青紫の宝石に変貌を遂げる。
 美しい輝きを放つ宝石。琴乃を取り囲むよう密集する。まるで衛星だ。宝石は様々な軌道で、彼女を軸に忙しくまわる。
 魔術発動の役割を果たした宝典は、空気に溶けるように霧散した。
 それが、侵入者の待ち望む〝隙〟だった。
 その一瞬に限れば、殺意の雨から魔術師を守る防壁は介在しない。
 銃口が鋭く吠える。

 ――まさかな。

 かつての仲間の判断を慧は疑った。
 そんな楽観視をしているとしたら、琴乃の言うとおりだ。彼女と対峙した時点で勝敗は決している。
 凶弾が弾着する間際、耳を劈かんばかりの雷が鳴った。琴乃を守護する衛星が発したのだ。
 雷鳴は繰り返し轟き、その度に鮮やかな稲光で夜空を青紫色に染め上げる。

 ぴたりと轟音が止み、深閑とした景観が邸宅に戻った。
 庭が嘘のように静かになった。夜の静寂を邪魔していた二人の侵入者が、うつ伏せで芝生に倒れている。傍らには、弾倉が空になったと思しきライフルが転がっていた。
 琴乃は飛来した弾丸すべてを焼き払い、同時に雷撃を食わせたのだ
 雷撃は彼女を軸にくるくると回る衛星が放った。魔術の電圧がどれほどか慧は知らない。ただ、本物の落雷の威力を考えると、彼は身をもって知りたいとは思わなかった。

 魔術名に含まれる宝石――タンザナイトの石言葉は〝誇り高き人〟。
 扱える魔術は術者の内面に左右される。琴乃の普段の振る舞いを鑑みれば、納得のできる魔術だった。

 強力すぎる異能力を前に、侵入者は瞬く間に掃討された。
 残り、一人を除いて。
 生き残った敵もフードで顔を隠していた。だが今は、雷光の衝撃波により脱げている。
 敵は右手を伸ばしていた。
 琴乃の対極をなすように、邸宅の玄関に向けていた。
 手のひらでは、青紫の光を帯電した宝典が浮遊していた。

「ほう、驚いたね。慧くん、君はあの子を知っているんじゃないかい?」

 二階の窓から庭を見下ろす慧。彼の隣には、いつの間にか悠司が立っていた。
 悠司の後ろには、寝間着姿の鏡花も控えている。

「そうだな。あいつのことを、俺はよく知っている」
「どうしますか?」

 鏡花から投げられた漠然とした質問。
 慧は、即答できなかった。

 ――もう、来てしまったのか。

 しかし、予想より早かろうが遅かろうが、彼のやるべきことは変わらない。
 いつかこうなることを、アジトで彼女と別れた瞬間から覚悟していたのだ。

「決まっている」

 短く答え、慧は窓際から離れた。
 エントランスホールに続く廊下に向く。
 睡眠欲など、見る影もなく失われていた。

「俺を殺しにきたのなら、相手をしてやらなきゃ失礼だろ?」

 慧の人生で最も長い一日は、まだ終わってくれなかった。
 誰にも引き止められることなく階段を降りて、彼は邸宅の玄関扉に手をかけた。
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